歴史と実績。清野電器の事業とは。
1962年に創業し、各種家電などの販売・設置・修理までを行う有限会社清野電器。いわゆる街の電気屋さんだ。昨今では家電量販店の増加や、インターネットの発展により、家電に関する情報は過多となり、消費者は選択肢の海に溺れそうになる。そんな中、清野電器は、顧客一人ひとりに寄り添い、最適な家電を提案するコンシェルジュとして機能している。ここでは、単なる製品の説明で終わらず、顧客のライフスタイルや価値観に合う最適な提案が行われるのだ。
清野電器の真価は、販売後のサポートにも如実に表れる。例えば真夏のエアコン故障。それは現代人にとって、まさに非常事態だ。大手量販店やオンラインショップで購入した場合は、対応に数日を要することも珍しくない。しかし、清野電器は電話一本で、即座に駆けつける。この迅速さは、地域に根ざした「街の電気屋さん」だからこそ実現可能である。清野電器は、単なる「モノ」の販売にとどまらない。清野電器の仕事は、顧客の生活に寄り添い、幸せを支える「トータルケア」なのだ。
未経験からの挑戦
清野電器の現代表は若き3代目清野俊樹だ。1984年生まれの清野が家業と向き合うことになったのは19歳の時。彼の元に急遽先代の父が倒れたという知らせが届いた。「家業を継ぐなんて、当時は考えもしませんでした。もし継ぐとしても、他社での経験を積んだ上での話。それも恐らく数十年後のことだと思っていました」」と清野は当時を振り返る。しかし、誰かが即座に舵を取らなければ、長年地域に根付いてきた清野電器は、その歴史に幕を下ろす危機に瀕していたため、清野は家業を継ぐ決断をする。
工業系の教育を受けていなかった清野にとって、家業は未知の領域だった。電気工事の技術から、顧客との対話まで、すべてが試練だった。「従業員の方に一から教えてもらいながら、学ぶ日々が3年は続きました」と清野は懐古する。
その道のりで最も難しかったのは、意外にも地元の人々とのコミュニケーションだった。「お客様の要望を正確に聞き取ることが、この仕事の要です」と清野は強調する。技術は教わればよいが、人の心を掴むわざは、日々の努力と経験でしか磨けない。清野はその真理を身を以て学んだのだ。
街の電気屋さんの進化
半世紀以上の歴史を誇る清野電器が、今、大きな転換点を迎えている。家族と40年以上在籍するベテラン従業員1名という少数精鋭で営んできた店舗が、初めて本格的な採用活動に乗り出したのだ。
「全くの素人から始めた自分の経験は、未経験者の指導に活きると確信しています」と語る清野俊樹。その言葉には、自身の歩みへの自信と、新たな仲間を迎える期待が滲む。
人員拡大の背景には、清野の明確なビジョンがある。「街の電気屋さんは地域になくてはならない存在です。私たちのモットーである迅速対応を維持するためにも、新しい仲間の力が必要なのです」と、その眼差しは未来を見据えている。
しかし、清野の構想はそれにとどまらない。人口減少が進む地域の現状を冷静に見つめ、新たな事業の柱の確立を模索している。「今、会社は転換期にあります。一緒に会社を作り上げていく仲間を募集しているのです」と、清野は力強く語る。
その言葉通り、清野電器は既に新たな挑戦を始めている。数年前から、ペレットストーブの販売を開始。これは、単なる商品ラインナップの拡大ではない。「昨今のSDGsの潮流も大切にしています。電気屋として、常にエネルギー問題に敏感でいなければなりません。再生可能エネルギーを用いるペレットストーブの普及は、その一環なのです」と清野は説明する。
時代の流れを読み、柔軟に対応する姿勢。それは、若き清野ならではの特徴だ。しかし、その根底には、地域の暮らしを支え続けてきた清野電器の変わらぬ理念が息づいている。
歴史と実績に裏打ちされた信頼。そして、新しい時代に適応しようとする進取の精神。この二つを兼ね備えた清野電器は、まさに進化の只中にある。
街の電気屋さんの存在意義とは何か。それは、変わりゆく時代にあっても、地域の生活に寄り添い続けること。清野電器は、その答えを体現しながら、新たな歴史の1ページを開こうとしている。