十和建設で働く社員
社名に込めた想い
「社名にある『十』という漢数字は社員みんなで取り組むという意味です」
そう話すのは十和建設株式会社の代表取締役社長を務める今野勉。十和の和については「和やかという意味でみんな仲良く仕事ができるようにと思いを込めて、十と和を合わせて十和というのを社名としました」と説明してくれた。
総合建設会社、十和建設株式会社が設立されたのは1971年。現在代表取締役相談役を務める松浦安雄が創業した。もともとは田んぼなどを作る農業土木分野で仕事をしていたが、鹿島建設の下請けという形で、法人化したのが十和建設株式会社だ。そのため創業からしばらくは土木事業を中心に展開。その後、そこでの技術やノウハウを活かし建築業にも進出。土木、建築ともに公共事業をはじめ、インフラ整備、維持管理など、地域の暮らしを支える事業を長く続けてきた。
今野が社長に就任する際、新たに3つの企業理念を作成した。
1 利益が出せる会社
2 社員と家族が幸せになれる会社
3 地域社会に貢献できる会社
というものだ。今野はこれについてこう話す。
「社員の幸せや、社会貢献をするためには利益を出さなければいけない。これは社長就任時に様々な経営の勉強をする中で出した答えです。正しく利益を出せる会社にならなければ、社員にも地域にも還元できないと考えています」
もちろん今野のいう幸せのうちには給与という面での還元も含まれているが、それとともに大事にしていることが社員の幸せ=働く環境のよさということだ。
「社員が楽しい環境で、和やかに仕事ができる環境づくりをしていきたいと考えています。会社は人です。だからその人たちを大事にしていきたい。だから、働く環境を整えてやりがいのある会社にして『人間味のある会社』を目指しています」
多角的経営の根本にあるもの
もう少しこの企業理念をもとに十和建設の特徴を見て行きたい。まずは、今野の言う利益が出せる会社を下支えしている「多角的経営」について。土木事業で始まった十和建設が建設事業にも拡大していったのは先ほど話したとおり。それに加えて1989年には飲食業にも参加している。ただしこれには創業者である松浦の地域に貢献したいという想いがあってのことだという。
「創業者の松浦が余目を拠点にしていたこともあり、この地域に貢献したいという想いで、人が集まる場所を作りたいというのが発端で始まった事業です」
そうしてスーパーマーケットや飲食店の経営を始めたのだという。当時の余目地域では初めてのエスカレーター導入店ということもあり話題を呼び、人気を集めた。また、地域社会の将来を見据え、必ず必要となる介護事業を始めたというのも十和建設の特徴のひとつだ。
そのように地域や人に対する想いで事業が発展していくというのが大きな特徴。それをもっとも具体的な形で体現しているのが住宅事業への進出だ。先述したとおり公共事業メインで成長してきた会社だが、さらなる発展には必ず民間の工事にも拡大していかなければならないと考えていたところに東日本大震災があった。
「そこで東北への貢献の思いも込めて、建築部門の中で少しやっていた程度の住宅事業を本格的に部門として設立し事業部として発足しました」と話すのは、長く住宅事業部を支えてきた佐藤功だ。佐藤はもともと土木担当者として長く活躍してきた。そこに全く経験のない住宅事業部への辞令が下った。
「辞令が出たのは震災の後2011年6月ごろでしたが、それまで全く経験してこなかった職種なので、これまで積み重ねてきた経験が意味をなさなくなってしまうといった思いもありました」
そう話す佐藤の気持ちを変えたのは被災地を目にした瞬間だった。
「しかし、被災地を見た時にその悩みは吹き飛びました。実際に被災地の方の話を聞くと、家族が流されてしまった、家がなくなってどうしていいかわからないということは当たり前だったんです。そんな話を聞いていると、この地域のために何かしていかなければならないという想いが湧いてきて、どんどん強くなってきました」
その想いは十和建設だけではなく、フランチャイズの加盟店が東日本中から集まってきて、会社の垣根を超えた団結力も含めすごいパワーが集結したという。石巻など、当時の被災地は匂いがすごくて、マスクをしていないと外に出られない。戦争の後というのはもしかしたらこのような雰囲気なのかもしれないと佐藤は思ったという。
何から始めていいのかもわからない状況だったが、現場の復旧に加えて、二重ローン問題など新たな問題も発生していった。早く何かを始めなければならないが、被災地で建築が始められるとすれば地盤整理が終わってから。それには最低でも2年はかかる。それでもできることから始めていかなければいけないと、その間は比較的被害の小さな被災地周辺の家のリフォームや新築を行っていた。被災地では日々復旧作業が行われ「真っ暗だった場所に少しずつ灯りが灯るのが感慨深かった」と佐藤は言う。
「被災者の方はいうまでもありませんが、会社としても自身としても大変でした。しかしその経験は非常に貴重なものでした。その経験があるから今があると感じています。被災地に行った事で、会社としては民間工事、特に住宅部門の工事実績や様々な経験ができたと思います。私としては人生の中のターニングポイントでもあり、被災された方々から前を向いて生きる力強さや強い気持ち、多くの方々と一緒に復興工事のお手伝いできた事、人として更なる成長ができた第二の故郷です」
会社は人でできている
地域貢献と事業の拡大が並行、共振して進んでいるのが十和建設の特徴だ。そしてそこには必ず「人」がいる。地域の人のために飲食業を展開、被災地の人たちの力になることを原動力に住宅事業を展開、やはりそこには「人」がいるのだ。そしてその事業、会社を支えているのが社員という「人」だ。社長の今野も「会社は人でできている。現在創業から52年ですが、今後100年を迎えるためにはさらに人の力が必要となってくる」と話してくれた。そのために、働く環境を整えるというのは先述したとおり。給与面でもそうだが、例えば防寒着を配布する、夏場はファン付きの作業着を配布する等細かなところまでより良い作業環境のために努力している。
また、今野は「やりがい」こそが働く人の幸せにつながるのではないかという。一番大きなやりがいはやはり完成した時の達成感。「苦労して作った現場ほどできた時の達成感が味わえる。働く人にはそれを感じてもらいたい」と語ってくれた。
現在公共事業の土木技術士として働く、入社26年目の菅原元も「長い年月をかけて計画したものが少しずつ形になり、最終的に完成していく。他の仕事をしたことがあるわけではないが、非常にやりがいを感じる」という。
経理を担当する鈴木風香は「人」というキーワードでやりがいを語ってくれた。「私は経理という立場なので、実際に工事というところではお手伝いできていません。しかし、お客様と直接やり取りをすることもあるため、その人たちに感謝されることが本当にたくさんあるんです。そのとき、私たちのやっている仕事というのは、工事の向こう側に利用する『人』たちがいるんだなと感じます。その人たちのためになれるというのは非常にやりがいを感じる瞬間です。
「ただ、苦労が多いのも事実」だと菅原は言う。「26年という年月で積み重ねてきた自分たちが持っている技術やノウハウを次の世代に伝えていきたい。そうして年齢、経験に関係なく、社員にやりがいを感じてもらいたい。やりがいを感じれないと仕事は楽しくないし、楽しくないと仕事は続かない」という。会社として後継者の育成は急務で、いかに次世代を育成できるかが会社の成長を左右すると考えている。それがこの地域をいい方向へと変えると信じていると話してくれた。そのための教育の機会や資格取得を会社として全面的にサポートしている。そして近年、人材不足、採用、社員の育成、働く社員のやりがいを与えていきたいと考え向上委員会を発足した。
「建設業はなくならない。社会をよくしていくためには建設はなくてはならないものです。地域の大規模なインフラは整いつつあるなかで、今後はメンテナンスの比重が大きくなるのではないかと予想している」と今野は話してくれた。
「メンテナンスにはメンテナンスにしかない難しさもあります。例えば新規で施行する際には、図面に従いながら制作していきますが、メンテナンスはその時その時の状況に応じた対応が求められます。そのため、必要になるのはある意味本当の技術力であり、人である。そういったことに対応していくためにも今の社員にやりがいを持って働いてもらい、社員が働きやすい環境を整備していきたい」と今後のビジョンを語った。
十(みんなで)和をもって進めていく。社名にある「十和」を体現し続けているのが十和建設なのだ。新たなチャレンジともとれることは何も無軌道なものではない。地域に必要なもの、人に必要なものなのだ。だから新たなことにもチャレンジする。そして和をもって進めていく事業は、地域と人の「輪」を作る。それが事業の本質にあるのだ。