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地域医療の進化と、その先にある街づくりを見据える

鶴岡市立 荘内病院 / 地域医療を支える看護師・助産師

インタビュー記事

更新日 : 2024年11月07日

急性期から終末期、救急医療も含めて最先端の医療を提供し、地域住民の安全、安心に貢献している鶴岡市立荘内病院。南庄内の地域医療における中核病院として、自らが中心となり早くから地域の医療関係者の連携を進める役割も担ってきた。緩和ケア、周産期医療などにいち早く取り組みさまざまな試みを続ける荘内病院が見る地域医療とは。そして目指す未来とは。荘内病院で働く医師、看護師、社会福祉士に聞いた。

鶴岡市立 荘内病院 事業概要

鶴岡市が設置する公立の病院。1913年に東・西田川郡組合立病院として開院され、市制移行により1924年に鶴岡市立病院となった。1950年には市立荘内看護専門学校の前身となる甲種看護婦養成所も開設された。現在、南庄内地域の中核病院として、鶴岡市と隣接する三川町、庄内町を主診療圏(人口約15万人)とし、酒田市、遊佐町と新潟県村上市の一部を準診療圏(人口約12万)とする広域医療圏をカバーしている。  いち早く緩和ケアを取り入れ、「庄内プロジェクト」の愛称のもと、荘内病院と鶴岡地区医師会が連携して在宅緩和ケアの普及活動を開始。そのほかにも、庄内地域で唯一、山形県地域周産期母子医療センターの認定を受け、NICU、GCUを設置して周産期医療に力を入れるなど、先進的な医療を提供している。  地域医療を地域づくりの一端と位置づけ、医療で安心、安全を届けると同時に、住民のニーズに柔軟に対応し、さまざまな試みを行っている。


地域の信頼なくして病院の存続はない

 鶴岡市立荘内病院は1913年に東・西田川郡組合立病院として開院されてから、100年以上にわたり南庄内地域の中核病院として地域の住民に寄与してきた。最先端の医療を提供できる病院として日々活躍している。
 というふうに書くと、地方の大病院と見えてしまう。もちろんその機能が求められているのはそうなのだが、荘内病院はその中心に「地域医療」というものを置いている。

インタビューのなかで、小児科の医長を務める佐藤紘一は「地域医療の充実は、実は街づくりにも繋がることなのではないかと思います」と言った。今回はこの佐藤の言葉をキーワードとして、その意図と意味を探ることで、荘内病院を紐解いていきたい。
 そもそも地域医療とは何なのか。簡単にいえば、その地域で取り組んでいる医療体制、ということになる。それは医療機関だけではなく、福祉施設などすべての機関で地域住民の健康を支えるための体制である。鈴木聡院長は「地域住民に安全を届けるだけでなく、地域住民のみなさんに安心してもらうのも当病院の責務だと考えています」と言う。「逆に言えば、地域の信頼なくして荘内病院の存続はありえません」と続けた。地域医療の取組み内容は各自治体、地域によりさまざま。では、荘内病院は南庄内という地域のなかで、「地域に安全、安心を届ける地域医療」のためにどんなチャレンジをしているのだろうか。

南庄内の地域医療とは?

 南庄内地域で特徴的なこととして、鈴木院長はこう話してくれた。「病院と開業医、クリニックの連携が深いことです。それに加えて、社会福祉士など福祉関連を含めた人々との繋がりも強いのが特徴です」。人と人との距離はもちろんのこと、地域の医療と介護を繋ぐヘルスケア・ソーシャルネットワークNet4U、電子カルテ情報を開示するちょうかいネットなど、IT化による地域との連携体制も整えられているという。

 その繋がりは以前からこの地域に培われてきたものであったが、荘内病院が平成20年から主導して進めた緩和ケア「庄内プロジェクト」の成功とも繋がり、そしてより深い繋がりへと進化していった。平成20年から3年間にわたって行われた厚労省の戦略研究、緩和ケア普及のための地域プロジェクト(OPTIM)に全国4地域の中から鶴岡市、三川町が選ばれ「庄内プロジェクト」として、荘内病院と鶴岡地区医師会が連携して在宅緩和ケアの普及活動を開始した。開始当初はその経験がないため、多くの開業医が不安を抱いていた。開業医にとっては、がん患者を看取るという経験はほとんどない。しかも、時間的にも相当な負担があるとの誤解があったからだ。

 そういった状況に対して、病院もしっかりと支援すること、インターネットによる相談システム、電話、FAXどんな形でも、みんなで協力し合ってやっていこうと愚直に会話し続けることで、開業医の方々も次第に「やろうか」と前を向くこととなった。そしてターニングポイントが訪れたのは、プロジェクトが開始してからしばらくたった時に、ある医師が「終末期を患者の家族と共有できるのは、かかりつけ医としてこれ以上のことはない」と緩和ケアの本質的な価値に気づき、自発的に語ってくれるようになったことであるという。それからは、徐々に庄内プロジェクトが地域に浸透していったそうだ。これはもちろん、病院と開業医、そして医療関連スタッフが別個で動いていてはありえないことだ。それぞれが庄内地域をひとつの場として考え、そこで暮らす人々のことを思い、行動しているからこそ成功したプロジェクトだろう。このプロジェクトは現在も続いており、開始当時5.7%しかいなかった在宅死亡率が、現在では約20%にもなっている。荘内病院を筆頭に、「地域医療」に向き合う人々が多い地域であると言える一つの象徴ではないだろうか。

安心して出産を迎えるために

緩和ケアプロジェクトのほかにも、地域医療のために、荘内病院はさまざまな試みをしている。平成22年には地域周産期母子医療センターに認定された。周産期とは妊娠22週から出生後7日未満までの期間をいい、合併症妊娠や分娩時の新生児仮死など、母体・胎児や新生児の生命に関わる事態が発生する可能性が高くなる期間。この周産期を含めた前後の期間における医療は、突発的な緊急事態に備えて産科・小児科双方からの一貫した総合的な体制が必要となる。その備えは、それまで庄内地域にはなく、緊急時は峠を越えて山形県立中央病院まで行く必要があった。そこで荘内病院は地域医療を支える立場として、自ら立候補をしてNICU、GCUの設置を決断。すぐに母子の対応をとれるような体制をとった。地域の未来を担う赤ちゃんたちの安全をより確実に支援する仕組みだからこそ、強い使命感も持っていると鈴木院長は言う。また、地域の医療機関と連携し、庄内中の他病院の新生児、乳幼児、母親の見守りもしているという。
現在NICUで看護師として働く松川瑞希は「病床にいる患者さんがゼロになることはありません。それだけ、周産期の医療は必要なものなのだと思います。安心して子どもを産める環境がこの地域にあるというのは、自分も母親として心強く感じます」と言う。また、「NICUは入院から退院まで深く子どもたち・ご家族と関わることが出来るのでやりがいを感じます」とも話してくれた。

人とともにある病院


 今回話を聞いた4人はみな庄内出身。松川は「小さなころに荘内病院の看護師の姿を見て、いつか自分も看護師になって荘内病院で働きたいと思った」という。松川も栗田もともに市立荘内看護専門学校の出身。松川は「祖母が入院したとき、私のことなど、家族のことまで気にかけてくれる姿がすごく印象に残り、私も将来は看護師になりたいと思ったんです」という。

 また同じく看護師として働く栗田紋華も「私も実は同じく荘内病院の看護師さんを見て自分もなりたいと思ったんです。自分が実習に来たときに見た看護師さんが、患者さんのやりたいことをできる限り実現しようとしていたんです。看護師になったいまならわかりますが、患者さんの状態によっては、安全面を考えるとやりたいことをすべてやれるわけではありません。でも、生きる幸せ、人としての尊厳を考えて、できる限りの努力をして患者さんの要求を実現しようとしていたんです。その姿がすごく胸を打ち、私もこんな看護師になりたいなと思いました」という。

 地域の信頼なくして、病院の存続なし。病院で働く人たちの姿を見て、荘内病院にスタッフとして戻ってくる。これは荘内病院が地域から信頼されている一つの形なのではないだろうか。

地域医療の発展が街づくりへと繋がる

 地域と強く繋がり、地域に必要とされる病院。その道を歩んできた荘内病院だが、未来に対して不安がないわけでない。そのひとつが人材不足だ。これは医療業界に限らず日本全国でいえることだが、医師不足は荘内病院も例外ではない。また看護師などのスタッフも同様だ。小児科の医長の佐藤はこう言う。

「人材がいなければ、例えどんなに充実したICUやDMATの体制があってもできることは限られてきます。だからいま私たちに必要なのは人材採用の促進です」

 でも、それは荘内病院のためだけではない。地域発展にも繋がることだと佐藤は続ける。

「人材を確保しICUを充実させることは、人材定着につながります。ICUは関わる医療従事者が多く、様々な専門性をもった医療従事者の働く場だからです。そうして医療従事者が増えると、病院としてできる医療行為も増えていき、より地域の住民のみなさまに安心と安全が届けられるようになるはずです。それに加えて、医療が充実すれば、例えば都会で高い医療レベルに囲まれている人たちや企業が庄内地域に来ることのハードルをひとつさげられる。Uターンを含めた都会からの地方移住検討者の中には、生活のなかで地方の医療体制に不安を持っている人も多いかもしれません」

 佐藤は関東や関西の病院で働いていたが、地元である庄内に戻ってきた。なぜ戻ってきたのかと聞くと、大きく笑いながら「地元愛ですよ」と答えてくれたが、その愛すべき地元の発展にも繋がるのが医療従事者不足の解消であるのだ。

 社会福祉士の資格を持ち、地域医療連携室の主事を務める齋藤悠は「住民の方と話していると、もっと荘内病院を知ってもらうことが大切だなと実感します」と言う。以前は仙台で介護の仕事をしていたが、Uターンで鶴岡に戻ると決めた際、仕事に関しては不安があったそうだ。「地元にはどんな仕事があるかわからないというのが正直なところでした。自分の経験を活かした仕事があるかどうか。仙台では大手転職サイトを活用していましたが、地元の企業はほとんど掲載されておらずあまり選択肢はないという偏ったイメージを持っていました。いま、ショウナイズカンなどを見れば、これだけさまざまな職種で魅力的な仕事があるということがわかりますが…」。

 齋藤はいま、患者の入退院支援から、先に紹介した緩和ケア「庄内プロジェクト」の啓蒙活動や、鈴木院長が自ら住民たちと話をするドクター出前講座の運営など、病院や医師、医療機関と住民を繋ぐあらゆる仕事をしている。「介護の仕事をしていたとき、何か相談したいことがあり病院に電話するのが、実はハードルが高かったんです。介護職でそうなのだから、一般の方ならなおさらです。そこでさまざまな試みをしている荘内病院のことを地域の方にもっと知ってもらえたら、病院に限らず、医療関係の施設などと住民の距離がもっと近くなると思うんです。地域医療として押し付けるのではなく、住民がより近くに医療を感じられるような体制を目指していきたいと思っています」

 地域と医療。密接に関係するこのふたつを繋げる中心的な役割を担ってきたのが荘内病院なのだ。そしてそれはこれからも変わらない。佐藤は荘内病院の特徴について「何でもやらせてくれる病院」と言う。

「私が所属するのは小児科です。でも荘内病院では、ICUやDMATなどいろいろなことをやらせてもらっています。地域のために必要な提案であれば、管理職をはじめどの職員も反対しない。むしろ応援して、協力してくれます」。

 地域というキーワードを軸に、トップダウンではなく、現場の意見を尊重した行動をするのが荘内病院なのだ。また、大学の医局に属していない医師も多く、出身大学もさまざまで、自由な発想、行動ができる環境なのだ。この当たり前のようで当り前じゃないそんな職場を、満面の笑顔で佐藤は教えてくれた。 

   コロナウイルスの流行における対応でも、その柔軟性は発揮された。流行が拡大した際に見えてきた保健所の疲弊、それに伴う連絡の遅延、その先にある地域医療の混乱。それらを解決しないと住民に安心と安全は届けられない。そこで「地域のためにDMATの派遣を検討してはどうか」と佐藤が声を挙げた。そして病院の職員みんながそれに協力したのだ。DMAT、感染症チーム、各部署の責任者が協力し、チーム全体でさまざまな問題をクリアしながら、院内の診療体制を整えた。そして県の要請で保健所にDMATを派遣することになった。もちろん、そこに呼応して鶴岡地区医師会をはじめ、地域の医療機関との連携があったことは言うまでもない。これまで緩和ケアプロジェクトをはじめ、さまざまな取り組みで培ってきたつながりや知見があったからこそ、スムーズに取り組めたのだ。

 地域の住民のために必要な医療には、最先端の医療設備や人材、効率的な体制作りはもちろん必要である。しかしながら、「地域」というキーワードでより重要なことは、地域にとって必要であれば恐れずに挑戦し、関係者を巻き込んでいくことではないだろうか。そうすれば、おのずと賛同者は増えてきて、そのチャレンジが、ひとつひとつピースを埋めていき地域医療を形作っていく。そしてそれは安心して快適な生活ができる地域づくりへと成り、そのまま街づくりに繋がっていくものなのだ。荘内病院にはそういった地域医療、街づくりに貢献できる環境があり、積極的に行動を起こしてくれる人材を求めている。

南庄内の地域医療を支える荘内病院は、まさにチャレンジし続ける象徴であり、これからもずっと安全を届け、そして地域に安心を創り続ける存在であるに違いない。