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この街に必要なものは何か。街とともに成長を続ける会社。

株式会社エルサン / マーケティング 広報

インタビュー記事

更新日 : 2023年08月07日

結婚という人生の晴れの門出を忘れられない思い出にしてくれる、人気の結婚式場グランド エル・サン。結婚式場のほかにもバンケットルームとして提供しているほかに、レストランやカフェなども展開し、どれも地域からの評価が高い。そのエル・サンが新たに展開したのがワインを中心としたアグリ事業だ。なぜ新規分野に進出したのか。エル・サンが見てきた庄内、そしてエル・サンが見つめるこれからの庄内について話を聞いた。

株式会社エルサン 事業概要

創業は1971年。鶴岡産業会館内に和風レストラン「えるさん」として開業したのが始まりだ。78年にバンケット部門を設立し、東原町に移転。これが発展し、95年からは現在の「グランド エル・サン」という名前となった。まだまだ和風の結婚式が一般的だった時代から、洋式の結婚式、披露宴を提供し、お客さまから高評価を得た。  2001年に、葬祭事業を行うアク・サンを設立。同じ年にレストラン事業も拡大し、現在は「蔵屋敷LUNA」「Cafe&Dining EAST」といった人気店を展開している。そのほか「サンフーズ」では医療食、給食サービスを行っている。 加えて2017年に農業生産法人「エルサンワイナリー松ケ岡」を設立し、アグリ事業の展開を始めている。ブドウの栽培からワイン醸造、そして畑に併設されたワイナリー「ピノ・コッリーナ」での商品提供までを自社で一貫して進めている。今後も地域になくてはならない会社を目指し、ともに成長していくことを目指して事業を進めていく。

東京と山形の格差

時は1964年。日本が東京オリンピックに沸き、東京ではホテル建設ラッシュが起こっていた。その1964年に開業したホテルニューオータニに、まさにその開業年に入社したのが、株式会社エル・サンの現代表取締役で創業者である早坂剛だ。

早坂は慶應義塾大学を卒業後、1962年に外資系商社の「コーンズ・アンド・カンパニー」に入社。その2年後にホテルニューオータニに入社し、ドアマン、フロント、企画、営業など、さまざまなジャンルで5年間勤務する中でホテルに魅力を感じ、29歳の時に「自分でホテル経営をやってみたい」と考え鶴岡へ帰郷した。

そもそも、なぜホテルを経営したかったのか。そう聞くと早坂剛は「東京との格差を縮めたかった」と言う。東京でホテルというサービス業をしているうちに、「街おこし」の観点でもホテルに興味をもったそうだ。

山形に戻ってから最初の2年間は鼠ヶ関で旅館業の手伝いをした。そこで、鼠ヶ関が持つ魅力、たとえば海を使い、海水浴はもちろん、漁港で観光地引網といったものを企画して街おこしを推進した。

いつも空には太陽を

 その経験を経て鶴岡に戻る。そのときに産業会館が新築され、そのなかに和風レストランをオープンすることとなった。それが現在のエル・サンの創業となる。レストランの名前は「えるさん」。「える」はスペイン語のthe、「さん」は太陽のSun。庄内の冬は曇りの日が多く、実際に夏に比べて暗い日が多い。それでもいつも太陽が空に出ているように明るく生きていたいという願いから付けられた名前だ。

 オープン当時、地元飲食関係業者から反対運動が起きたという。なぜかと首をかしげてしまうが、それは既得権益への侵害とでもいうのだろうか、さきも挙げたような古い慣習をやぶることへの拒絶反応とでもいうのだろうか、大きな圧力があったそうだ。しかし、お客様からの人気は高かったと早坂は振り返る。そこに住む人たちはお座敷からイスに変わることを望んでいたのだ。早坂の信じた道は間違っていなかった。

東京との差と先ほどいったが、「例えば」と早坂は言う。「当時の鶴岡では、結婚披露宴は料亭のお座敷で行うのが一般的でした。それに加えて、古いしきたりのせいか、東京のホテルのサービス料よりも高かったし、結婚する当人たちの負担が非常に大きかったんです。東京という日本の最前線で得たお客様が求めているものを念頭に自社のサービスを進化させていきたいと考え、磨いていきました」

   えるさんを7年経営したのち、場所を変えて「結婚式場グランド エル・サン」を設立。ここでもやはりお客様はお座敷からイスを望んでいた。料亭での結婚式から、イスを使ったエル・サンをお客様は選んだのだ。もちろん、イスの結婚式だけがすべてではない。時代のニーズに合わせて形を変えていく、それでも人の心のなかには変わらないものがある。それらに対応していく自由度がエル・サンの信念なのだ。

 これまでエル・サンの創業の経緯を詳しく書いてきたのはなぜかというと、そこにはエル・サンを語るキーワードが入っているからだ。

 そのひとつは「街おこし」というキーワード。その街に必要なものを考える。創業当時は東京のレベルに近づくことだったかもしれない。だから洋式のレストランや結婚式場が必要だった。これは間違いないことだ。しかし時代は変わっていき、都会に並ぶことだけが街の活性化につながるわけではない。

 だからその街に必要なものを常に考え続ける。葬祭事業を行うため、アク・サンを2001年に設立したのもそのためだ。グランド エル・サンの事業を通して、庄内の結婚式事情のレベルは飛躍的にアップした。その次に必要なものは何か。人口減少が叫ばれ始め、それは庄内も例外ではなかった。そんなときに地元に県外から葬祭業者が参入するという話が出てきたそうだ。しかし、それでは地元の活力が減少してしまう。だから、葬祭事業に関してはまったくの経験値ゼロであったが、エル・サンが手を挙げたのだ。彼らの事業経営を考える時に、常に主語には「地域」があるのだ。

新しい価値を創造する

 エル・サンの経営理念には、これまで見てきたように「この地域になくてはならない会社を目指す」というものがある。そのために、この地域に必要なものは何かという発想からこれまでの事業は展開されてきた。

 そこに新たな地域との関わり方が加わった。それは新しい価値を創造するという観点だ。それを体現しているのが新規事業である、ワインを中心としたアグリ事業だ。これも経験ゼロから始めた事業だ。世界的にSDGsの重要性が認知され促進されていくなかで、会社として何ができるかを検討していくなかで必要な事業であると確信し、始められた。

 山形県の内陸部にはいくつか人気ワイナリーがある。そこで庄内にもワインをと、松ケ岡にブドウ畑を作った。そのブドウでワインを作り、ワイン文化を醸成させていく。しかもワイナリーではそのワインとともに料理も提供しているので、交流人口を増やすことにも寄与できる。松ケ岡といえば、歴史的には明治時代に庄内藩士業による開墾や、産業としてのシルクが有名だが、そこにワインという新しい価値を加えていくことになるのだ。

なお、アグリ事業も多分にもれず、地元住民からは本当にエル・サンがワイナリーをやれるのかと当初は懐疑的であったが、実際に苗木が育ち、ワインが収穫され、レストランがオープンしていく中で、新しい産業になればと、今では多くの方に支持されている。

 世界と社会の変化のなかで、生き残るためには会社、業種、業態を変えていくことも必要となる。それが地域とつながり、地域に新しい価値を生み出していく。新しい道筋で地域になくてはならない会社となれるのだ。

楽しみながら理念を体現する

 その新事業である、エルサンワイナリー松ケ岡株式会社に勤務する戸田淳は、「ほかのワイナリーと提携して、ワインツーリズムをしたい」と話す。戸田は東京で映像製作会社に勤務したあとに帰郷。自身が好きなこともあり、お酒に関わる職を探していたところ、エル・サンに出会った。好きとはいえ、ワインの製造に関しては知識も経験もゼロだったが、この道に飛び込んだ。自分がやっていて楽しいということを、仕事でも生活でも一番大切にしているという戸田は「だから好きなお酒に関われて、いまの仕事はとてもやりがいがあります」と話す。

「大変なことは多いですが、レストランでワインの提供までやっているのでお客様の反応が直に見られてとてもうれしいです。この『楽しい』が自分以外にも広がっていくことが理想です。だから、もっとこのピノ・コッリーナというワイナリーをたくさんの人に知ってもらって、楽しんでもらえるようにおいしいワインを作るとともに、いろいろな企画を進めていきたいと思っています」

その言葉に反応するように、今回話を聞いたほかの三人からも、これからやってみたいことを話してくれた。

 戸田と同じピノ・コッリーナ松ケ岡でレストランスタッフとして働く佐藤裕之は大学進学を機に東京へいき、卒業後はそのまま東京でメガネ関連の会社に勤めていた。もともとメガネに興味があったというわけではないが、人を楽しませたい、喜ばせたいという元来の性格から、接客業に興味があったという。山形に帰ってくる時に最も不安だったのは、希望するような職が見つかるかということだったそうだ

「メガネにこだわるつもりはありませんでしたが、誰かに喜んでもらう、しかもそれが直接伝わってくる仕事ができればと思っていました。実際、職の選択肢は多いとはいえませんでしたが、じっくり探せば魅力的な仕事はいろいろありました。そのなかで選んだいまの仕事ですがお客様の反応が目の前でわかるのですごくやりがいを感じています」

それに加えてエル・サンは人とのつながりを大切にする会社だと感じていると話してくれた。社員同士だけでなく、お客様、地元の人とのつながりも大切にする。「だから」と佐藤はこれからやってみたいことをこう話す。

「松ケ岡という歴史のあるところに店がある。だから松ケ岡のシルク産業や開墾場と一緒に地元活性化につなげていきたいです。ちょっと大げさな言い方ですが、これからの地元の歴史をいっしょに創っていけたらうれしいです」

現在、バンケット事業部に所属し、グランド エル・サンでウエディングプランナーとして活躍する菅井奈緒は、これからについてこう話す。

「庄内を楽しくしていきたい。庄内には面白い文化、面白い人たちがたくさんいることに気づきました。だから会社のなかだけでなく、外の人たちとも積極的に関わっていきたいと思っています。そうして庄内全体を楽しくするようなことができればと考えています」

菅井は子どものころからブライダルプランナーになりたいと考えていた。そこで東京でブライダルを学び就職。東京ではウェディングや宴会、レストランを運営する、若者にも人気の高い八芳園でレセプション係りとして従事していた。彼女も庄内に帰ってくるときに不安だったのは、同じようにやりがいのある仕事が地元にはあるだろうかということだった。しかし菅井は「人の想いは東京も鶴岡も変わらない」と言う。「帰ってきて思ったのは、東京も鶴岡も人は変わらないということです。帰ってくる前は、地元では物足りないかもしれないと思っていました。たしかに組数や規模に違いがありますが、一組一組に向き合うと、人の想いは同じです。だから、幸せで楽しい時間を作るというやりがいはまったく変わりませんでした」と話してくれた。

鶴岡市昭和町にある「蔵屋敷LUNA」でスタッフとして働く柴崎未央は「ルナでもイベントで料理教室をすることがあります。そこで地元の伝統的な和食などをいっしょに作っています。ただし、それは海外の人向けのもの。これからは地元の子どもたちとやりたい。地元にはこんなにおいしい食材、料理があるというのを伝えられたらいいなと思っています」と言う。

実は柴崎自身も地元食材のおいしさに改めて気づかされたひとりだからだ。一度大学に進学したが、料理を勉強したくなり宮城県の調理師学校へ通った。そのなかで、山形県の食材のよさを初めて知ったという。在来野菜など、昔から食べていたものを改めて見直してみると、とてもおいしく、特徴のあるものだったと気づいたそうだ。だから、地元の中高生といっしょに料理イベントができたと考えている。地元のよさを知れば、それを若い感性で新しい料理にしていくことができるかもしれない。伝統というのは、受け継ぐだけでなく、受け継いだうえで新しい創造をしていくことなのだ。

新しい庄内を創る

 戸田は「現状維持でいいという人はエル・サンにはほとんどいないと思います。『こんな企画をやってみたい』という話はいつも出てきます」と言う。「しかもそれを受け入れてくれて、チャレンジをさせてくれる。だから次の企画も出てくる」と佐藤は話をしてくれた。菅井は続けて「私はブライダルの接客業ですが、実は若い世代の人に食育のような形で、地元の食の感動をいっしょに味わいたいと思っているんです。だから、ブライダルとレストランで別々のところで働いていますが、さっき柴崎さんが言っていた料理教室というのは、もしかしたら一緒に出来るのかもと思って聞いていました」と言う。

 このチャレンジ精神がエル・サンの原動力だ。時代とともに業種、業態は変わってきた。それを成功させてきたのが、この挑戦なのだ。その根底にあるのは「人」で、自分たちがやっていて楽しいことを挑戦し続ける。そして同時に、経営理念でもある「お客様に満足を提供する」ということを実現すること。常に双方の「人」に向き合い、事業を創り、新しい庄内を創っていく。そうしてエル・サンも成長し続けていくのだ。