無から有を生み出す仕事
丸善食品工業株式会社は、豚、鶏などの脂や骨から、スープやオイル、エキスといった調味料を製造するメーカーだ。1962年に、もともと食肉会社の営業を勤めていた創業者(竹本善治)が独立して事業を起こしたことに始まる。事業は埼玉県の和光市で始まったのだが、当初行っていたのは、豚脂を成型しなおして固めたものを商品として売り出すことだった。サラミの中に入っている四角く成型された白い脂身を想像してくれればわかりやすい。それが評判を呼び、次は鶏の脂を使ったものはできないか、その次は骨を使ったものはできないかとオファーが続いた。この原料となる肉や骨は、精肉業者にとってはもともと“捨てるもの”だった。そのロスをなくし、価値のあるものとして提供をする。言ってみれば、“無から有を生み出す”仕事を続けてきたのだ。
1982年には鶴岡工場を設立。畜産の盛んな庄内地方に拠点を移し、より新鮮な原料を安定して手にできる環境で製造を開始した。研究開発を進め、プレーンな動物オイルの製造だけでなく、より付加価値の高いシーズニングオイルの開発にも成功。さらに新しい分野へと乗り出し、牛・豚・鶏の旨味を煮出したボーンエキスの製造を開始、調味料を配合することであらゆるニーズに応えられるスープメーカーとしても事業展開を続けてきた。現在、丸善食品工業のオイルやエキス調味料は即席および店舗販売のラーメンに欠かせないものとして、多くの食品企業において利用されている。そのほか、長年研究を続けてきた技術によって風味と旨味を抽出することで、様々な料理や商品のベースや隠し味を担う存在として活躍を続けている。また、OEM(受託製造)も行っており、外食産業、食品メーカーにおける様々なメニューの下支えをしている。
未来に向けて必要なのは“チャレンジ”
1991年にオーストラリアのメルボルンに合弁会社“MARUZEN FOOD INDSTRY(AUSTRALIA)PTY LTD ”を設立。4年後の1995年には中国に2つの会社を設立するなど、海外への展開を手がけてきた。現在、新型コロナウイルス感染症の流行の影響で一時足止めという状態になっているが、流行が収束していけばさらなるグローバル展開を考えているという。
「いまはまだ“日本神話”ともいえるような、以前から続く日本人の持つ繊細な味覚と確かな技術への信頼はある一定程度あります。しかし海外の味も進化をし続けています。だからこれから先それがどうなるかわからない。そのなかでグローバルに活躍するためには、常に勉強をしてチャレンジをし続けていかなくてはいけない。改革がもっと必要になってくるのだと考えています」
そう話してくれたのは常務取締役の武田信幸だ。1962年に創業され、現在60年ほどの歴史を持つ丸善食品工業。次の目標は100年。このあとの40年を前に進んでいくためには何が必要か。従業員全員で一緒に考えていきましょうと、会社としても社内にメッセージを送っている。
「個人的な感覚もありますが、いまは会社としても働く個人としても無難な選択をすることが多くなっているように思います。開発にしろ、製造にしろ地道な作業が必要な職場ではあるので、その勤勉な態度は必要だとは思いますが、それだけでは停滞を生んでしまうこともあります」
そこで停滞を振り払うためのチャレンジを“いっしょに考えよう”ということで、武田が社員に提案したのがこれから紹介するプロジェクトだ。
社内公募の新規プロジェクト
チャレンジを続けることで会社を前進させていく。それに必要な要素のひとつは、リーダー的な気質を持ち、自らがプロジェクトを動かしていくという意識だ。その醸成のための施策の好例のひとつが、武田が中心となって企画した、岩手県にパートナー企業とともに作った新会社の立ち上げスタッフの社内公募だ。主にチキンエキスの抽出製造をおこなう「十文字丸善スープ」という工場の設立から運営に関わる要員の社内募集だが、それはゼロからの立ち上げ、まっさらな状態からのスタートに携わることを意味していた。今までの経験を生かせないこともあるだろうし、さまざまな難題が予想されたが、その経験を通して自信を成長させる機会と捉えてチャレンジして欲しいという募集の想いを伝えた所、5名の定員枠に60名以上の応募があったという。それだけ、会社として、個人としてのチャレンジが社員の意識のなかにもあったということの証明ではないだろうか。
現場から“おいしい”を発信するために
今回、インタビューに応じてくれた現場の社員はそれぞれ、開発、生産、環境保全という別の部署で働く3人だ。それぞれがどのように日々の仕事を捉えているか聞いてみた。
研究開発部に所属する吉田拓矢は就職先に丸善食品工業を選んだ理由をこう話してくれた。
「エキスやスープという分野においてOEM事業をやっていることも面白いなと思ったんです。外食産業などのお客様の声を聞いて、その味を作っていくというのは難しいけど、楽しいチャレンジですね」
吉田の担当している開発では、一から商品を作るものがほとんどだという。もちろんこれまでの財産である既存のレシピは参考にしつつも、ほとんどが“自分の舌”で開発をするのだという。そのためには、日々変わっていく味の流行やお客様の要望に敏感でなくてはいけない。さらに「いろいろな国の料理もたくさん食べてさまざまな味を知りたい」と吉田がいうように、国内だけでなく海外の味にも触れる必要があるだろう。それを自分のなかで“おいしさ”に変換していく。想像力が必要なチャレンジだ。
「研究、開発というのはいつも感じますがとても難しいもの。でも最後まであきらめない。最後までやりきるということを大切にして仕事をするようにしています」と吉田は話してくれた。
吉田は千葉県出身。東京の大学を卒業後、丸善食品工業に就職を決め、鶴岡へと移住した。東北での生活はもとより、旅行などでも来たことがなかったので、生活には多少の不安があったという。庄内での生活を聞いてみると、こんなふうに答えてくれた。
「移動手段は車になるんだろうなとか、知り合いがひとりもいないなかで休みをどうやって過ごしたらいいんだろうとか、不安はもちろんありました。でも来てみたら、車移動もまったく苦じゃないし、休日も会社の人たちとスポーツでいっしょに過ごしたり。気がついたら不安なんてどこかへ行っていました。逆に庄内にはアウトドアスポーツに適した場所がたくさんあるので、関東より楽しいぐらい。ただ、庄内弁は苦労したかも笑 今となっては大体わかるようになりましたが、最初はわからない言葉もあって、何度も聞き返していました」
想像力を持って目の前の仕事に取り組む
研究開発されたものを商品として作り上げるのが生産担当の工藤泰紀だ。現在は主任という立場で、人員の配置など管理的な仕事をしている。
「現場の人間として、品質がよりいいものをコストをかけずに作るにはどうしたらいいか常に考えています。“なんで?”を何回も言い続けている。ほかのメンバーにも考え続けてくださいと言っています。実行できる行動力に加えて、常に先を考えることが大事だと思っているので」
先を考えるという工藤は、会社肝いりの若手育成のために企画された新商品開発のプロジェクトにも参加した。
「まず自分の想いとして、丸善の知名度がもっともっとあがってほしいというのがあります。国内外の人にたくさん食べてもらって喜んでいただきたい。現在、私は生産の現場にいて、チームメンバーの配置などを考えて、ミスなく生産していく体制を管理する立場にあります。まずは目の前の仕事をきちんとこなす。でもそれだけでは足りないと感じています。開発など、ほかの部署のことも考えて、自分の仕事に反映させていくということも大切だと思い、自らの幅を広げるためにもチャレンジを決意し、このプロジェクトに応募しました」
このプロジェクトには、開発から製造、そのほか部署を問わずに応募があり、さまざまな人間が参加した。その交流だけでも視野が拡がったという。
「現場の人間として、100周年をよりいい状態で迎えるためには今のままではダメ。より品質がいいものを作るために常に改善をしていかないといけない。自分もそう考えるし、メンバーにも常に何ができるか問いかけています。それを実行できる行動力が大事なんだとプロジェクトに参加して感じました」
おいしいを作り出す環境を整える
環境保全部の上野幸佑は「つまるところ、当社の価値というのは、どれだけいいものを作れるかという、いわば基本の部分を突き詰めることに尽きるのだと思います。それを支えるために、それぞれの人間が責任をまっとうする。同時に自分の仕事をより洗練させていく。それが、会社としての成果に繋がっていくのだと思います。そういう想いを持って日々の業務に向かうことが、大切であるとと感じています」と話してくれた。
環境保全部という食品を直接扱う分野での仕事ではないが、“おいしさを追求する”ということではほかの2人と同じ意識を持っている。
「吉田がさきほど言っていましたが、いろいろなことに触れて知識を深めないといけないというのは、工場機械、設備に関わる私たちもまったく同じです。工場の機械にはいろいろな部品があって、それを一個一個調べていかないと修理ができないことがあるんです。何事にも興味を持つということのとても重要なことです」
さらにおいしさの追求のためには「設備を一から作りたいというのが理想」と話す。
「いまは設備の修理というのが主な仕事です。でも開発が商品を作る。製造が製品を作る。そのおいしさを実現するためには、それに合った設備を自分たちで作り上げるというのが理想。それを実現できたらと考えています」
これから100年周年に向けて
チャレンジし続けることが大事という意識は、これまで紹介したように現場の人間にも共通した意識だ。100周年というものをひとつの目標としたときに、これから先40年に何が必要かと質問をすると、研究開発部の吉田拓矢はこう答えてくれた。
「新しいことにチャレンジし続けていかなければいけないと思います。私の開発という仕事場の経験でいうと常に“未来”を意識して仕事をしていかないといいものは生まれないと感じています。例えばいまはお客様に対するプレゼンをすることがあまりないんです。でもこれからは積極的に参加できればと思っています。そうして直にお客様の反応や要望を聞いて、より完成度を高めていきたいと感じています」
開発、製造、保全、それぞれ違う立場であるが、一丸となって“おいしさ”へのチャレンジを見据えている。そのチャレンジを続けることが未来を作り出す。私たちが口にする“おいしさ”のなかに入っているのは、本来捨てるはずだったものから、想像力を駆使して生まれたおいしさなのだ。その味はこれからさらに進化し、世界中の人たちの口も幸せにしてくれることだろう。