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酒田のイカを全国へ。そして世界へ日本文化を発信する。

株式会社山形飛鳥 / 工場長

インタビュー記事

更新日 : 2024年04月16日

「イカに恋してる。」をキャッチフレーズに全国においしいイカの刺身、塩辛などを提供する飛鳥フーズ。2016年からは全国トップクラスのイカ漁獲量を誇る酒田に株式会社山形飛鳥を設立。より高い品質の製品を作り出すことにチャレンジしている。今後のビジョンとして「刺身文化を世界へ発信する」という新たなチャレンジも模索する。今回はそのチャレンジを紹介するとともに、まさにその海外事業部において統括次長を務める山中肇と、グループ会社となる株式会社山形飛鳥で経営企画部に所属する伊藤岳に話を聞いた。

株式会社山形飛鳥 事業概要

1995年に有限会社飛鳥フーズとして新潟県三条市に設立。設立当初は主にかつおだしの卸し販売を手がけていた。設立から約2年後にイカの刺身製造、販売をスタート。生協で取り上げられたほか、全国スーパーにて販売も始まり順調に売上を伸ばしていった。 イカの製造機械を自社で製造、特許を取得。協力工場を得て製造を行っていたが、飛鳥フーズの技術漏洩にもなるため徐々に内製へとシフトを始めた。2016年には船凍イカ漁船の全国寄港地5港のひとつである酒田に山形事務所を開設。同じく株式会社山形飛鳥を設立、港工場、京田工場を新設し酒田港で揚げられる新鮮なイカを加工することでよりおいしく質の高い製品を作る体制を作り出した。また、自然環境によるものだけでなく鶴岡市の慶應義塾大学先端生命科学研究所とコラボレーションし科学的アプローチも加えてさらに味への追求を深めている。加えて酒田港のイカを知ってもらうことで地域を盛り上げることにも尽力。以前は関係者のみで行われていたイカ漁船の出航式に着目。100トンを超えるイカ漁船が10隻以上出航する模様を地域の方に見てもらえるように催しへと進化させて、2019年には6000人を超える人出を記録するイベントとした。今後はさらに畜産、農産など庄内の産業と連携し酒田市の一大イベントとなるよう地域を巻き込みながら発展していきたいという。 今後は世界を視野に入れた事業展開も計画している。2020年にはベトナム工場の稼動開始を予定。刺身文化を世界へと広げる活動をしていく。

イカに恋してる。

酒田市京田。京田川のすぐそばに建つ一件の工場。目をやるとすぐに飛び込んでくるのが「イカに恋してる。」という大きな看板。全国にイカの刺身や塩辛などの加工品を提供しその味が評判を呼んでいる飛鳥フーズの加工品製造工場だ。正式には新潟県に本社を置く株式会社飛鳥フーズのグループ会社として2016年に設立された株式会社山形飛鳥の運営になるが歩を同じくし、社員も常に行き交いながら事業を展開しているのでここでは同じページで話を進めていきたい。

飛鳥フーズが設立されたのは1995年。創業者であり現在も代表取締役を務めるのは五十嵐七朗。五十嵐は前職でかつおだしを卸す仕事をしていて全国を回っていた。そのとき、ホテルの料理人、板前などと話をして「よりおいしく食べる」ための技を教えられることが多くあった。例えばイカ。糸造りと呼ばれるように様々に包丁を入れて食感を柔らかくしておいしく食べる。そういった話を常に聞かされていた。飛鳥フーズを起ち上げたのちも前職の仕事を引き継ぎかつおだしの卸しを続け全国の職人たちと会話を続けていた。その技と「よりおいしく食べてもらう」という心を受け継ぎ製品作りに没頭していった。

会社の大きな転換点は創業からすぐ、約2年後に訪れた。イカを主力商品に切り替えたことがそれだ。それまで職人から聞いていた技の一部をなんとか機械で再現できないか試行錯誤を繰り返し、イカの刺身製造をオートメーションで行うことに成功したのだ。そこから生協や全国のスーパーなどに取り上げられ評判を得て順調に売上を伸ばしていった。

おいしさを求めて

その後もイカに情熱を投じ新商品や品質管理を徹底。さらに新設備を導入、システムをバージョンアップしていくとともに、関東、関西などに事務所を開設するなど事業を拡大していった。そのなかで訪れる2つめの転機が「酒田のイカ」だ。

酒田港は船凍イカ漁船の全国寄港地5港のひとつ。船凍イカとは釣り上げたイカを船上ですぐに冷凍し鮮度を保ったまま流通させるものだ。八戸、函館などの漁港とともに酒田港も寄港地のひとつなのだ。おいしさを追求するためにはそのイカを使わない手はない。飛鳥フーズとしてもともと協力工場が酒田にあったのだが、2016年に株式会社山形飛鳥と新工場を設立した。

漁港に揚がる新鮮なイカ。それを刺身として加工する。よりおいしいものができる。それはひとつのルートとして最適解であった。ただそれとともにもうひとつの課題が見つかった。それが肝だ。一日約5tのイカが揚がるとする。その20%は肝なのだという。つまり約1tの肝があるということだ。それを安定的にそしておいしく利用できないか。そうしてまた試行錯誤が始まったのだ。そのなかのプロジェクトのひとつが鶴岡市の慶應義塾大学先端生命科学研究所とのコラボレーションだった。山形飛鳥設立以前からそれはスタートしタンパク質の変化を解析、研究し新たな答えを導き出した。この連携により、美味しさを保つための科学的根拠が明確になり、季節変動による味の変化がない状態の商品出荷を実現した。工場設備や保管方法などのノウハウは確実に進化しているという。設立当初は職人たちの経験、勘といった技を取り入れ、そして酒田という環境を活かした。次に科学的なアプローチも取り入れた。そうして飛鳥フーズのメイン商品である塩辛をよりおいしく、安心なものとしてブラッシュアップしていったのだ。そのほかにも肝を使った調味料などさまざまな人気商品につながっていった。

酒田のイカを盛り上げる

「酒田港は全国寄港地5港のひとつ」と書いたが、実情はそれほど誇れるものではなかった。以前は全国水揚げ高の2%という数字しかなかったのだ。それを漁師、漁船、自治体、関係企業が協力し「酒田のイカ」を盛り上げる試みを続け、昨年2018年の水揚げ高は全国の14%程度までアップさせたのだ。これには飛鳥フーズの貢献も大きい。すでに述べたように安定的にイカの加工品を製造する技術を磨いてきたためにイカの大小などを問わずに買い入れることができるようになった。そうすることで漁船も酒田港へイカを下ろすようになり、同時に揚げ高は伸びていった。現在全国に65艘ある船凍イカ漁船のうち13艘が酒田港に登録をしている。その数字だけを見れば、全国シェアの20%から30%を目指せるということになる。まだまだ伸びしろがあるのが「酒田のイカ」なのだ。

酒田のイカを活かした街の活性化はそうした産業の部分だけではなく一般の人に対するイベントとしても盛り上がりを見せている。毎年6月にイカ釣り船団の出航式が行われる。これは13年ほど前から行われていたのだが、飛鳥フーズが関係するようになる以前はほぼ身内のみの参加だったのだという。それを4年前「豊かな海づくり大会」が行われたのをきっかけにイベント化し、2016年には1500人が参加、2019年には6000人が参加するほどの規模のものとなった。もちろんそれは上記の漁師、漁船、自治体、関係企業が協力し「酒田のイカ」を盛り上げる試みとリンクしていくものだ。五十嵐はこの盛り上がりについて「酒田のイカという価値に気づいていなかったというのが実情だったと思います。みなさんの努力で徐々にその価値に多くの人が気づき始めている。だから酒田の街をイカで盛り上げ、さらには出航式もイカだけでなく、農産、畜産など各産業も参加する形で酒田のイベントとして盛り上げていけたらいいなと考えています」と話す。庄内には豊かな食文化があるが、そのひとつである酒田のイカで街を盛り上げ、全国においしいものを届けたいと情熱を燃やす。

山形飛鳥で経営企画部に籍を置く伊藤岳も「おいしいものを届けたい」と強く願う一人だ。伊藤は酒田市の出身。高校を卒業後、栃木へ移住したのちに帰郷して山形飛鳥に入社した。

「特に大きな理由もなく周りに流されたというか、そんな感じで栃木に出て行きました。いつかは帰ってこようと思っていましたが、やはり寂しさもあり、家族とのこともあり、30歳までには帰ろうと強く思うようになりました。妻はもともと栃木の人間なのですが、何度か酒田に来るうちに抵抗もなくなり、家族で帰郷する形になりました。食に関係した仕事をしたいという想いもあり、栃木では飲食業に10年ほど携わっていました。そのときは実際にお客さまを目の前にして食べ物を提供する。そして目の前でお客さまに楽しんでいただいている姿を見ることができたのですが、いまの職場ではその提供の仕方が違う。目の前にはおらず、その先にいる消費者の方においしさを伝えなくてはいけないわけです。それをイベントや映像といった企画でどれだけ伝えられるか。そこがいまの仕事の難しさでありやりがいでもあります」

世界へ刺身文化を届けたい

飛鳥フーズが掲げる次なるビジョンは「世界へ日本の刺身文化を届ける」というものだ。そのプロジェクトの中心にいるのが飛鳥フーズの海外事業部で統括次長を務める山中肇だ。

山中の経歴は東京の百貨店でバイヤーをしていたことに始まる。そのときすでに2年ほど海外赴任を経験していたが、転職しベトナムへ赴任することになり合わせて11年ほどベトナムでの生活を経験した。またベトナムでは水産加工のジョイントベンチャーのプロジェクトに参加し、現在飛鳥フーズが目指す海外拠点での生産、販売というプロジェクトも経験済みだ。親が体調を崩したことをきっかけに帰国。日本での職探しを始めた。すぐに連絡があったのが、海外へ販路を拡大したいと考えていた飛鳥フーズだったというわけだ。

「会社のほうからは販路を広げたい、生食文化を世界に広めたいと言われました。ベトナムに長くいた経験から、無理だ、と最初は思いましたね。生食文化があるのは世界の5%。そこに生食を広めるなんて無理だと思ったんですね。ただし、よく考えてみると、タイには日本食が浸透しているし、タイ料理のなかにもエビなどを生で食べるものもある。そうなると可能性はゼロではないと考えるようになりました」

山中は2017年に入社。すぐに海外事業を担当することになった。販路を獲得するためにさまざまな展示会などに飛鳥フーズの商品を出品し反応を見てきた。生は食べられないという人もいれば、口に含んだ瞬間に吐き出すということもあったという。そのなかでも評判がよかったのは塩辛だったそうだ。

「塩辛は食べてくれる人も多いし、おいしいと言ってくれる人も多い。ただし、塩と辛い、という名前がよくない。それだけで避ける人もいるんです」

そういった細かな部分にも気を使うなかで山中は「やはりマーケットインで商品を作っていかないといけない」という。

「日本はまだまだプロダクトアウトの考えで商品開発、販売を行っていることが多いと思います。国内でもそれが難しくなってきているのに、文化の違う海外へ持っていくのだからなおさらです。食文化も違いますし、宗教も違う。弊社の本質の部分は残しつつ、マーケットインで相手の文化のなかでローカライズしていく。そうすることで少しずつ反応がよくなってきています。日本食として刺身そのものを提供するのではなく、生食のフレッシュなおいしさという文化の本質を提供する。そうすることで文化は広まっていくのではないか。山中はそれを実感として少しずつではあるが感じているようにも思えた。2020年には海外の拠点となるベトナム工場を稼動予定。現地で雇用を行い加工品の製造を始めるという。「イカ、さらに生食という、海外で勝負するには不便なモノを使って勝負する。そこに楽しさを感じています。不便だからみんな回避する。だからこそここでなら子どもの頃からの夢である世界制覇ができるかもしれない」。そう山中は笑っていた。

おいしものを届けたい。その想いから始まったチャレンジはさまざまな発露を提示し、形を変えながらいまも続いているのだ。