取引先との協力体制が技術を高めた
株式会社大山機械の創業は1948年(昭和23年)。戦後すぐに小田農機店として設立された。名前の通り、農機具の部品などを製造していたのだが、オリエンタルモーターとの出会いが歩む道を決定的に変えた。オリエンタルモーターの製造するモーターの部品製造へとシフトしたのだ。これがひとつの会社としての転機だったと常務取締役を務める石川久雄は語る。
「創業からの農機具部品製造で培った技術はありましたが、モーターの部品製造をするなかで技術を積み上げていけました。単純に発注側、受注側という関係ではなく、技術提供などの協力体制を敷いていただき技術を高めていくことができたんです。会社の歴史を振り返ってみると、そういったことが多くありました。そうして歴史のなかで積み上げてきた技術は間違いなく会社の財産となっています。取引先に恵まれたんですね」
そのほかの例として挙げてくれたのが、東洋機械との協力体制から得たダイカストマシンの技術フォローだった。大山機械の現在の主要事業は精密機械加工やアルミダイカスト加工だが、そのベースとなる技術はそれらの仕事のなかで磨かれてきたものだった。
モノづくりに惹かれて
「取引先に恵まれた」と石川は言うが、もちろんその裏には技術向上への努力、製品の品質の担保などがあることは言うまでもない。それを支えているのが、いってみればモノづくりへの情熱とも言えるものだ。
インタビューに応じてくれた4人もモノづくりという言葉を頻繁に口にしていた。大井智一は高校卒業後、愛知県で音楽専門学校に進学した。「できたばかりの学校だったんですけど、なぜかプレイヤーのほうで進学してしまって。本当は裏方の仕事をしたかったのでその勉強をするつもりだったんです。裏方の仕事をしたいと思ったのも、いま思えば何かを作るという仕事をしたかったのかもしれません。高校でも工業系の勉強をしていたのでモノづくりには興味がありました。学校を卒業後は自動車部品製造の会社に就職して、2003年に帰郷したときもモノづくりという観点で仕事を探して、経験を活かせる大山機械に入社しました」という。また同じように森麻美も「高校のときからデザインとかそういうものよりも、“機械のなかの”モノづくりに興味があって将来的にはそういう仕事に従事できたらと考えていました」と話してくれた。
その話をしているときに佐藤美香は「私は実はまったく関係のない勉強をしていて、たまたま入社したっていう感じなんですけど」と話し出す。「加工の経験ももちろんゼロ。だから最初は不安もありましたが、やるうちに楽しくなるんですね。仕事があると燃えるというか、こんなにあるなんて大変だとか言いながらもやりがいを感じているというか」と笑っていた。
それに対して奥山正記も「わかる」と続ける。「当たり前のことなんですが、そういう忙しい中でも“きちんとした仕事”ができると達成感がある。あとは自分たちの作ったものが世の中のあちこちに使われていると考えると責任感とともに充実感もありますね」と話してくれた。“モノづくり”というキーワードではこちらから言葉を出さなくても次々と、そして生き生きと会話が進んでいった。
足元からモノづくりを支える
“モノづくり”という言葉が一般的になってから久しいが、その言葉が使われる場合にフィーチャーされるのは、その機能であったりデザインであったり製品そのものであることが多い。だが大山機械が製造するのはその機械の部品。機械を動かす筋肉を作っているということになる。日本のモノづくりを足元から支えているということになる。「そういう目立つ仕事ではないからこそ、自分たちの作ったものがどんなものになって、社会のなかでどんなことに使われているのかというのをできる限り具体的に説明するようにしています」と石川は話す。例えばオリエンタルモーターに提供している部品が使われている製品は、電車の改札のなかやETC、回転寿司のコンベアといった日常のそこかしこに使われているのだそう。奥山も話すように自分たちの作ったものが“世の中のあちこち”にある、つまり自分たちの生活のなかにあるからこそ、責任感が生まれるのだ。その責任感がより高い品質をうみだす。そうしてまた技術が向上する。そういう好循環が「取引先に恵まれた」というキーワードには含まれているのだ。