「炎のスーパーリベロ」が酒田のいいところも拾ってくれたお話

森 寿実子

酒田市を本拠地とする女子バレーボールチーム「プレステージ・インターナショナル アランマーレ」創設時のメンバーであり、2021年の現役引退まで5年間キャプテンを務めてこられた森さん。 これまでとこれからのチームへの思いと、鹿児島と酒田の違いについてお話をうかがいました。(2022年11月取材)

<アランマーレ山形入団まで>

バレーボールとの出会いは幼稚園の頃です。スポーツ一家、という訳ではないのですが、父がバレーボールをやっていたのと、7つ上の兄が小学校でバレーボールをやっているのを見て私も、という感じですね。スポーツ好きな活発な子どもだったことは間違いなくて、ソフトテニスや水泳、あとはソフトボールなどをかけもちしていた時期もありますが、バレーボールはずっと続けていました。
高校、大学はバレーボールの強豪校に進みましたが、大学卒業後まで続けるつもりはなかったです。ですが大学4年生になった頃にやっぱり続けられるなら続けたいな、という気持ちがわきあがっていたところに、大学の恩師と西尾さん(※1)にご縁があって入団のお話をいただき、決断しました。
当時はチームが発足されるタイミングで、立ち上げメンバーになる、というのはなかなか経験できないことですし、もしバレーを続けられないならば海外等の未経験の地で働きたいと考えていたこともあって、酒田に来ることについてはそんなに悩まなかったですね。
(※1)プレステージ・インターナショナル アランマーレ 女子バレーボールチーム 西尾博樹GM

幼少期とソフトボールをしていた小学生の頃

 

<酒田に来たころの思い出>

第一印象としては「平野だな」です(笑)。というのも地元の鹿児島は坂が多くて、崖の上に家が建っていたり、山を切り崩して住宅地を作ったりしている感じなんです。だから広々とした平野が続くこのあたりの光景が新鮮でした。
もちろん雪や風の厳しさは感じましたが、「バレーボールのために酒田に来たんだ」と思っていたのでそんなに苦ではありませんでした。天候の良い遠征先から帰って来たあとにチームの皆と雪かきをして…という経験は大変ではありましたが、今になってみれば楽しかった思い出です。
チームが立ち上がった1年目はもちろん私たちのことを知っている人はいませんでした。光ケ丘のクロスカントリーコースでランニングをしていたら「どこの高校?」と声をかけられたこともあります。おそろいのジャージを着た合宿中の高校生に見えたのかもしれません(笑)。それが今は多くの方に知っていただけるようになって、私たちがチームとして頑張ってきたことや成長してきたこと、そして酒田の皆さんに温かく受け入れていただいていることを実感しますね。

これは間違いなく平野

高校生?

 

<選手時代と今>

新しいチームだったので、立ち上げ当時のチームメンバーは実際のところそこまでバレーボールの有名校から集まったというわけではありませんでした。ですが私自身を含め皆でアランマーレ山形というチームのカラーを作り上げたという自負はありますし、それが今のチームまでつながっていると感じています。
今は名門校からいい選手が集まって来てくれるようになり、チームとしての経験を積んで、Vリーグで戦っていくための技術や意識というものを蓄積してきたこともあって、いい成績(※2)を残すことができるようになってきました。
個人としては、その時その時で心がけていることを変化させながら、臨機応変にやってきたつもりです。具体的に毎年のシーズンインに向けた短期的な目標を作りながら過ごしてきました。チームがアランマーレ山形らしいバレーボールをベースにしながらも、試合のたびに相手によって作戦を変える、というのと同じような感覚で向き合ってきたのかもしれません。
月並みですが6年間の現役時代、やっているときは「一週間ながっ」と思っていましたが、終わってみればあっという間でした。元々、2020年に地元で開催予定だった鹿児島国体を現役の区切りにしようと思って、その2年前から準備と気持ちの整理をしていました。
ですので、もちろん全部というわけではないですが、チームに託すべきことはきちんと伝えることができました。今、外からチームを見ていても一人ひとりのメンバーの成長を感じますし、きちんと思いを受け止めてくれているなって思います。
(※2)2020-21 V.LEAGUE DIVISION2 WOMEN V・レギュラーラウンド 18戦13勝5敗 順位3位/10チーム中 V1リーグとの入れ替え戦まであと一歩!

2019サマーリーグでの活躍

 

<現在の業務について>

アランマーレ山形の運営会社である株式会社プレステージ・インターナショナル 山形BPOパークに籍を残して働いています。
アランマーレ山形に関するところでは、アランマーレジュニア(中学生女子)の指導に関わったり、人が少ないときは練習の球拾いをしたりすることもありますし、何かとお手伝いをさせていただく機会があります。
本業としては営業をメインに担当しており、行政や民間事業者など地域の方々と一緒に課題を解決していくような仕事をしています。これまでスポーツしかやってこなかった私にとってビジネスは難しく、日々勉強中です。特に最初は単純に横文字のビジネス用語が何を言っているのかわからず、相手の方の考えを自分の中で咀嚼するのが大変でした。
ただそのとき断片的で「点」だったことがつながって「線」になったとき、つまり「なんでこれをしているんだろう」とわからなかったところから「ああ、このためにやってたんだ」ということがわかったとき、仕事が面白い、って感じます。これまで知らなかった「社会」を知ることが面白いのかもしれませんね。

 

<プライベートの話>

酒田で知り合った夫とは2019年に入籍しましたが、現役時代から支えてもらっていました。鹿児島から来たので知り合いは会社やバレー関係者だけという状態で、特に現役のときは、自分はアランマーレ山形の選手だ、キャプテンだし見られている立場だ、という意識で息が抜けませんでした。そんな状況で夫と友人になれてリフレッシュする時間ができましたし、ある意味で引退してからは色々な方々とよりリラックスしてコミュニケーションを取ることができるようになりました。
休日はとにかくのんびり過ごしています。家でテレビを観て、お昼にラーメンを食べに行って、買い物して、夕食の準備をして、という感じです。何の変哲もない休日に思われるでしょうが、現役時代は体を休めることも仕事だったので、気兼ねなく出かけたり、好きなものを食べたり、こんな休日の過ごし方はできませんでした。ちなみに外食でラーメンを食べにいくようになったのは酒田に来てからです。鹿児島では「ごはん何食べに行く?」ってなってもあえてラーメンを食べに行くことはほとんどなかったですが、酒田の人は「ラーメンどこに食べに行く?」から始まるので、これはもうそもそものラーメン文化が違うって感じで、それが私の中でも定着しました(笑)。

 

<移住を検討中の方へのメッセージ>

酒田は人が優しくて、助けてくれる人がたくさんいます。食べ物については言うことなしで、特にお米と果物はとにかくおいしい。おすそわけのレベルも凄いです。あとはこちらの人たちはゆったりと暮らしている印象で、そのおかげか自分自身もせかせかしないで過ごせているように感じます。もちろん当初は、単純に自分のフィーリングとは違うな、と感じることもあってホームシックになりかけたこともありますが、住んでみて良さがわかったこともたくさんあって、今は何の問題もなく楽しく暮らしています。
強いて言えば、風が強いので車のドアを開けるときは気を付けて!冬は忍耐強く頑張って!というところでしょうか(笑)。
あとは今、仕事を通じて行政や民間を含め地域の色々な取組みを知る機会が多い中で思うのは、チャレンジして活躍できる場が用意されているな、ということです。移住を検討中の方には、酒田は地方とはいえ、ちゃんと自分に合ったものを探すことができて、自分らしい生き方ができる場所だよ、ということをお伝えしたいです。

名称 森 寿実子

 at sakata

at sakataの転載の記事です。

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