人生、おいしく、楽しく

フリーランス栄養士兼料理研究家 高橋 菜々

-自分のことをどんな人だと思いますか?

「我ながら破天荒な人だと思います-。」

清楚な見た目からは予想もつかない言葉が飛び出し、びっくり。
昨年からフリーランスとして活動をはじめ、イベント出店、講師業などさまざま経験をしてきたけれど、失敗もあったそうです。”破天荒”という言葉の裏には、波乱万丈な生活を送りながらも、様々な出逢いや回りの人たちを大切にしており、菜々さん自身がポジティブに直感を信じて行動してきたことが伺えます。

「人生、おいしく、楽しく」をモットーに、フリーランス栄養士兼料理研究家としての活動をしている高橋菜々さん。農家と漬物屋のご両親のもとで、おいしいものに囲まれて幼少期を過ごしていました。中学校の頃に図書館で職業図鑑をパラパラとページをめくっていたときに見つけた「栄養士」に憧れ、秋田県内の高校を卒業すると、山形大学に進学し栄養学を学びました。在学中に、北海道にある星野リゾート トマムにあるレストランでインターンとして働いたことが縁で、鶴岡市にある有名イタリアンレストラン「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフと出会います。

有名イタリアンレストランに会社員として就職、自分の想いに気づいてフリーランスに

-奥田シェフはどんな人でしたか?

「奥田シェフは料理を理論で語る人でとてもおもしろい方でした。例えば、『人は3つ以上の食感を口に含んだときにおいしさを感じるものだ』とか、『サーモンとオレンジを合わせるように同じ色の食材を組み合わせると相性がいい』だとか、ともかく私が知らないような独自の理論を教えてくれるのです。」

そんな奥田シェフの話がおもしろくて、菜々さんはアル・ケッチャーノ系列にあたるイタリアンレストランに就職します。

※アル・ケッチャーノ系列のイタリアンレストランで働いていた頃の高橋菜々さん

-どんな様子で働いておりましたか?

「サービスレベルの高いホール接客を学ぶため、研修会に参加したり、本を読んだり、先輩社員の方にアドバイスをもらったりして、それを実践してました。店内でもその当時自分が一番経験もなかったので、休みの日やお店のオープン前後にインプットの時間も必要で必死でしたね。」

忙しく働いていく中で、この働き方で本当によいのかと思うように。自分に合った働き方はなんだろう、次第に組織で働くよりも、一人でやっていく方が合っているのではないかと感じるようになったと言います。

-フリーランスとしての働き方は、どういったところ菜々さんに合ってますか?

「誰かに言われてやるよりも、自分で考えてやることの方が私は楽しいと気がつきました。組織であれば誰かのせいにもできるけど、そうではなく自分で責任をとれるような仕事をしていきたいです。」

実家のある秋田に戻ることも出来る中で、菜々さんが選んだのは、ここ鶴岡で独立することでした。決め手になったのは、鶴岡で出逢った人たちが面白い人ばかりで、ここだったら面白いことになりそうという直感でした。

小料理屋で友人に料理をはじめて提供

※「おかみの手料理 夕顔」さんではじめて料理を出す菜々さん

独立を決意した年の4月、「フリーランス栄養士兼料理研究家」として、まず名刺を作って名乗ることからはじめた菜々さん。組織に属さずに、自分が何者であるかを証明する名刺を作ったことは、これから一個人事業主として活動をスタートする決意表明でした。

そんな中、友人の誘いで訪れたのが、鶴岡駅から程近くにある「おかみの手料理 夕顔」でした。カウンター8席だけの店内は、女将さんとの距離も近く、何気なく独立した話をした菜々さんに、「一度、うちで一度料理を出してみない?」と提案がありました。

-女将さんの言葉を聞いてどう思いましたか?

「それは思いも寄らない言葉でした。いつかは自分のお店をもって自分の考えたメニューが提供できたら、やってみたいとは思っていましたので、素直に嬉しかったです。面白そうだと思って、このお誘いには二つ返事で了承させて頂きました。」

「おかみの手料理 夕顔」さんで提供した手書きのメニュー表

女将さんに褒められたニンジンの飾り切り

「フリー」を名乗りはじめて、最初のお仕事を思いもしない形で引き受けることとなった菜々さん。自分の腕を試せる絶好の機会だと、来てくれるお客さんが喜ぶ顏を想像しながら、彩り、形、栄養バランスにこだわったメニューを作り、食材の買い出しや仕込みに取り掛かりましたが思うようにはいかなかったと言います。

-一人でお店を切り盛りしてみてどうでしたか?

「実際やってみると大変で・・・。一人だから自分のペースで出来て気持ち的には楽な部分もあるかなと思ったけれど、責任をもって料理を提供するって結構大変なのだなと気が付きました」

それでも、初めて料理をお客様相手に提供したことで、手応えを感じる結果になりました。

-どういった手ごたえを感じましたか?

「来てくれた人たちが、自分の考えたメニューを食べてもらえることが嬉しいし、おいしいとか、また食べたいとか言ってもらえたので、すごくやりがいがありました。特に、こだわりを持って作った筑前煮は女将さんに味を褒められて自信に繋がりました。ニンジンの飾り切りなど細かい部分まで見て頂いて、「素敵だね」と言ってもらえたのは嬉しかったです。」

この一日女将の経験を経て、その後、鶴岡ナリワイプロジェクトが主催する、「ナリワイ起業講座」に参加し、そこで出逢った仲間と、コワーキングキッチン「花蓮」で、1日シェフとしてイベントを行うなど、その後メキメキと料理研究家としての活動を広げます。

鶴岡市・松ヶ岡開墾場で講師として参加させてもらったワークショップ

初めて講師として関わることとなったのが、松ケ岡開墾場が日本遺産に認定されたことを記念して開催されたイベントでのワークショップでした。普段、鶴岡で活動している菜々さんの姿を見ていたワークショップの企画担当者の方が声をかけてくれたのです。

菜々さんは、松ケ岡のシルクを身近に感じてもらえるイベントにしたいと考えて、シルクを練り込んだピザ生地を参加者と作り、お好みの具材でトッピングしてもらうイベントを考えました。15人の定員はすぐに埋まり、当日も参加者からは、デザートピザとして考えていた松ケ岡のモモを使ったピザが評判になりました。

「Hisu花deないと(藤島)」で行ったキッチンカーでの販売「Nanairo kitchen」

鶴岡市の藤の公園Hisu花に、約15万個の藤色のLED電球が織りなすイルミネーションが輝くイベント「Hisu花deないと(藤島)」では、キッチンカーを借りたイベント出店にも挑戦します。初のキッチンカー、初のイベントの出店ということで、本当にてんやわんやで営業前は泣きそうだったと話します。

-当日はどんな様子でしたか?

「いろいろなトラブルがありましたが、お店にはたくさんのお友達や過去のイベントに参加してくれた子どもたちも来てくれて嬉しかったです。当日、発電機がないことに気が付いたり、提供メニューの材料である豆乳が切れてしまったりとトラブルが続出でした。たまたま様子を見に来てくれた知人が発電機を借りてきてくれるたり、豆乳を買って持って来てくれたおかげなどもあり、なんとか無事にイベントを終えることができました。」

東北芸術工科大学生の卒業制作の一環で開催した、BOTA Coffee料理教室講師の様子

Instagramを通じて情報発信をしていると、全然知らないところからも料理教室の開催依頼が来ることもあるそうです。山形市のリノベーションカフェとして知られるBOTAcoffeeで開かれたイベントもその一つ。Instagramを見た主催者からメッセージが届き、卒業制作で開いた料理教室の講師を務めることになりました。料理がおいしかったからと、後日わざわざ感想を伝えに来てくれる参加者の方もいたそうです。

料理研究家としての活動・子ども食堂「mokke’s kitchen」

この他にも、料理研究家としての活動にも取り組んでいます。
大学の友人と3人で月に1回開いている子ども食堂「mokke’s kitchen」です。このこども食堂 は「『食べる』を通して人生を楽しむ力を育む」ことをテーマに、料理教室が一体となっているのが特徴で、四季折々の庄内の食材を、その季節にあった食べ方で、自分の手でつくってみんなで食べて楽しむ体験をこども達にしてもらいたいとスタートさせました。

-料理教室をはじめたきっかけは?

「料理を作るときって、実はすごく頭を使うのです。何の作業をどういう順番で、どのタイミングでするのか、様々な工程を考えて、選択していった結果が料理です。子どもたちには、料理を通して『自分で考えて選択していく力』を培っていってほしいと思ってはじめました」

※毎月1回開催している子ども食堂

-実際、フリーランスは収入が不安定なことも。生計はどのように立てていますか?

「現在、料理研究家、フリーランス栄養士のほかに、家庭教師の仕事もしています。俗に言うパラレルワーカーです。家庭教師の仕事は固定給としてもらいながら、好きな料理の仕事をしています。どれも自分に合った仕事です。」

自分の仕事で稼いで、生活していかなきゃならない不安はあるそうですが、個人としての活動に注力できることで、非常に充実していると言います。
最後にこちらの質問をぶつけてみました。

庄内でなりたい自分になる

-「ショウナイターンズ」のキャッチコピーでもある「庄内でなりたい自分になる」。菜々さんは庄内でなりたい自分になれている実感はありますか?

「理想にはまだ届かないけど、フリーランス栄養士兼料理研究家として、やりたいことが出来ている今はなりたい自分に近づいているという気がします。移住のときも、会社員を辞めるときも、イベント1つとってもそう。最初は不安とかもあるけど、やってみるとどうにかなっているということの連続です。自分が好きで興味のあることで活動をしていくと、地域の方からお仕事を頂き、そこに出向いています。拠点をもつとそこにいなければならないけど、自分は外に出て、いろんな人に会いに行ったり、そこで会った人と話をしたり、場所を知ったり気づきに溢れた日常が大好きなので、とてもいいバランスです。陶芸家であれば皿や器を作ることが自己表現であり、それを仕事としていると思いますが、私はその表現のツールが料理なのです。フリーランス栄養士兼料理研究家として過ごせる今を大事にしています。」

好きな料理を仕事にしてフリーランスとして活動する高橋菜々さん。明るく失敗談までも気さくに話してくれる人柄からは、どこか人に恵まれてこれまで過ごしてきた雰囲気が伝わってきます。そうした菜々さんの思いのこもった料理は、これからも口にした多くの人を幸せにしていくでしょう。

取材場所

-コワーキングキッチン花蓮-

居心地にこだわった貸しキッチン・スペース。
食のイベントやワークショップなど多目的用途に応えられるように、一緒に作って一緒に食べることから対話が広がるように設計。
造り酒屋とラムサール指定の自然保護区の町、鶴岡市大山に2019年オープン。

名称 フリーランス栄養士兼料理研究家 高橋 菜々

文:伊藤 秀和

首都圏での子育てに課題を感じて、2018年5月に三川町地域おこし協力隊として、山形県・庄内地方にIターン移住。「人生思い出作り」をライフコンセプトとして、「書くこと」「話すこと」「場作り」事業を中心とした「ものかきや」として現在活動中。

家族4人、山形暮らしはじめました。