変化する自然の中で遊び鍛えられた。 庄内だからこそ体験できる壮大な自然と オンリーワンのエンターテインメント。

Organize Back Country オーガナイザー/バックカントリーガイド 佐藤 憲蔵
真冬の山の雪深さ、そして月山をはじめ、夏にもスキーのトレーニングができるほどに雪と緣深い庄内地方。鳥海山麓の旧八幡町(現・酒田市)に生まれた佐藤憲蔵は、スキー場ではなく、未整備の自然の山中をスノーボードで下るバックカントリーガイドとして、スノーボードと雪山の魅力を伝えている。

雪深い山をスノーモービルで、あるいはスノーボードを担いで歩いて登り、整備されていない自然な状態の新雪の上を滑走するバックカントリースノーボード。エクストリームなスポーツとしてその体験が注目されているこのスポーツに魅了され、現在はガイドとしてスノーボーダーを連れて山を案内する佐藤憲蔵は、幼い頃から地元の自然と親しんできた。

「鳥海山の麓の八幡町に生まれたんですけど、海は遠くて子どもだけで行けなかったので、夏は川遊びでしたね。自転車で行ける川に行って魚を取ったり、堰堤から飛び込んで泳いだり、上流域の渓流は水も景観全体もきれいなので、そっちに行くことが多かったです」

山や川に行くと、危険と隣り合わせの遊びを子どもの頃から楽しんでいた。年上の友だちが連れて行って面倒を見てくれて、自分も年長になると下の子を連れて、というつながりが続いていたという。

「だからなんですかねぇ、大人になって気づいたんですが、酒田の友だちから『八幡の人間は年齢の上下の壁がないんだな』って言われるんですよ。飲み屋なんかで八幡の先輩とかに会ってもすぐ一緒に飲もうってなるし、世代分け隔てなく仲がいい。山とか川に行って危険と背中合わせの状況で一緒に遊んで、色々と教えてもらったことも多いですし、それはもしかしたら、遊佐とか鶴岡の山の方とかもそうなのかもしれません」

スケールに圧倒されたカナダの山

山での遊びとして、冬になると幼少の頃からスキーを、高校1年でスノーボードを始めた。スケートボードで遊んでいたこともあり、ヒップホップなどの音楽、ファッションともリンクした遊びとして夢中になった。

「冬になるとずっとスノーボードを楽しんでたんですけど、20歳ぐらいだったのかな、プロを目指している友だちがいて、『俺もそれなりてえ』みたいなところから会社も辞めて、競技としてスノーボードをやるようになりました。北海道だったりあちこちに行って大会に出ていました」

ライバルたちと切磋琢磨しながら、各地の大会に参戦した日々が5年ほど続いた。そして25歳で訪れたカナダ。ウィスラーで衝撃的な体験をする。

「てっぺんまで登って、1本目のランを滑れなかったんですよ。何が起こったかというと、スケールに圧倒されてしまったんです。『ずっと今まで毎日スノーボードしてきたのになんで滑れないんだ』『今まで何やってたんだ』ってなりますよね。それで競技は諦めたんですけど、自分はずっとスノーボードが好きで、スノーボードなしの生活は想像できなかったので、携わっていくために何ができるか考えたんです」

競技をやめて、スノーボードを滑りに山に向かってみる。スキー場のように人の手が入って整備された場所ではなく、誰も滑っていないところを自分で切り開いていくような感覚で滑るフリーライドに一気にのめり込んだ。子どもの時に山で遊んでいた時の興奮と同じようなものを得ることができたという。

「スキー場で滑っていても、大げさにいうと命が懸かってないですよね。そこの張り合いの部分が癖になってフリーライドにハマり、若い時はひたすらスノーボードを担いで山を登ってました」

山では2度と同じ景色も体験もない

そして、一緒に大会を回っていた仲間たちと、バックカントリーガイドとして庄内の山で楽しむスノーボードの魅力を、ひいては、庄内の山と自然の魅力を伝える役割を果たすために、会社ではないが、フリーランスのガイドが集まる共同体のような形で2012年にOrganize Back Country(OBC)を立ち上げた。

「ずっと歩いて登ってたんですけど、スノーモービルをいつか持ちたいというのがあったので、しばらくしてからみんなで投資してスノーモービルを買いました。雪山を上っていくスキルを身につけるのには3年ぐらいかかりましたね。何が難しいかというと、傾斜を上っていくために絶対にトラクション(駆動力)を緩められないんです。木の間を結構なスピード出すんですけど、木を見ちゃったら突っ込んじゃいますし、でもスピードがないと上れないから弱気じゃいけないみたいな。みんなで上るときに誰かがスタックして(雪に埋まって)、助けに行こうとしてみんなUターンしたらみんなスタックするっていう。漫画みたいでしょ」

笑いながら当時のことを佐藤は話す。まだうまくスノーモービルを扱えていないうちは、日が暮れると危険なので、いざとなったらスノーモービルを山中に置き、スノーボードで下ってくることもあった。だがやがてみんながスキルを習得すると、ガイドとしてスノーボーダーを案内するだけではなく、OBCメンバー全員で酒田市の山岳遭難救助隊に入り、救助要請があれば出動する心構えでいる。危険と引き換えに自然の雄大さを体感し、一般のスノーボード客では足を踏み入れないような雪深い領域を滑るのだから、有事の際に責任を果たす責任感は必要だという考えの顕れだ。

「俺らがお客さんに感じてほしいのは、毎回がワンタイムエクスペリエンスだということ。それだけですね。鳥海山は山頂から海までの距離も近いので、海に向かって滑っていける。独立峰だから、360度どの方向にも滑っていける。こんな山は日本でも珍しいです。あたり一面真っ白で空が真っ青だったりすると、宇宙にいるような感覚になりますよ。白くうねる異様な形で雪の地面が広がっていて、うねうねしてて宇宙としか言いようがない。スノーボードで滑っていても、自分がどのぐらいのスピードを出しているのかわからなくなるんです。下から見ると普通の山なんだけど、上に行ったら小宇宙が広がってるみたいな。それを味わってほしいですね」

OBCで佐藤が案内する山は、鳥海山に限らない。羽黒山では本堂前の鐘楼あたりまでスノーボードを担いで登り、何百年もかけて育った巨大な杉の回廊を滑り降りると、壮大な自然とともに庄内に培われた山の歴史を感じることができる。山伏の友だちに法螺貝をお清めとして吹いてもらい、一緒に滑ることも最高の楽しみだ。

そして、夏になるとスノーボードではなく、違う方法で山を楽しむためのガイドをしている。マウンテンバイクだ。

「雪のない時期、前はずっとアホみたいにサーフィンをしてたんです。朝と夕方は庄内で海に入って、週末になると太平洋側の仙台まで行ったり、ほとんどサーフィンに支配されてたんですけど、最近マウンテンバイクを覚えてからは夏も山にいる時間が長くなりました。スノーボードの感覚にすごく似てるんですよ、木の間を走り抜けていくマウンテンバイクのスピード感が。シングルトラックといって1本道を走り下りていくんですけど、ちょっと怖いときでもスピードを出すために自分で漕げちゃう。自分の伸び代をコントロールできるんで、めっちゃトレーニングしました」

先人たちが見た景色を受け継ぐ

幼い頃から鳥海山の麓に育ち、川や山で遊び続けてきた佐藤には庄内魂が根付いている。自分より若い世代が都会に憧れて外に出ることはどんどん応援したいというが、その時に地元の素晴らしい部分に気づき、「いずれ自分が生まれたところに帰ろうと思えるようなアイデンティティの形成、ローカリズムを醸成したい」という思いから、2015年にひとつの音楽イベントをスタートした。毎年9月、鳥海山の玉簾の滝の前で昼から深夜まで行う「えみし祭り」だ。

「俺らはヒップホップが好きなんですけど、日本中探しても滝の前でやってるフェスってないんで、オンリーワンを目指そうぜとなって、玉簾の滝の前でヒップホップのフェスを企画しました。アーティストは日本のトップじゃなきゃダメだろうってことでDJ KRUSHを呼んで、若い奴らがただ騒ぐ祭りではなく地域振興祭として自治体にも協力してもらっています。開催前には神社の神主さんにご祈祷もしていただき、日本人の精神に訴えかけるような、根底に突き刺さるような祭りにしようということで、『えみし祭り』としました」

「えみし(=蝦夷)」とは、古来、関東以北に暮らしてきた先住民族のことを指す。大和朝廷の権力が強まるとともに北へと追いやられた先住民族であり、山の恵みを受けながら独自の文化を育んだ民だ。

「玉簾の滝は、えみしがかつて見ていた滝なんですよ。その滝を俺らも見ながら、腹に突き刺さるような音楽で踊る。カッコいいものを若い人たちに届けたいし、こういう祭りが庄内のアイデンティティの形成にもなると思うんですよ」

冬山では宇宙を滑走するようなエクストリームな体験を、夏には滝の前で古来人が嗅いだ緑の匂い、滝の景色を味わいながらビートに身を揺らす。庄内に受け継がれたメンタリティが、根底を変えずにアップデートすることに佐藤は取り組み続けている。

住所 山形県酒田市大宮町1-5-18
名称 Organize Back Country オーガナイザー/バックカントリーガイド 佐藤 憲蔵