「意志の力が成功を招く」 自然との調和を基底に 歩んでいく。

安藤組グループ 代表取締役 安藤 政則
戦後すぐに先代である創業者の安藤政治が農業機械の販売をスタートし、間もなくして、砂利採取・販売業を主とする安藤砂利店を設立。建設業にも携わり、株式会社安藤組が生まれたのは1965年のこと。生コンクリートの製造販売で高いシェアを誇る安藤組で、2代目として新しい事業にも着手する安藤政則に話を聞いた。

「父も母も農家の生まれで、父は三男坊でした。戦争から無事に帰ってきたものの、三男坊では農業で食えないじゃないですか。機械が好きだったために軍隊でも陸軍の航空隊で整備兵を務めていたようで、帰ってくると、農業も機械化するだろうと目をつけたんですね。東京に行ってモーターを仕入れて、農家の農具に取り付けて電動化する。そんなところから企業を始めたようですね」

終戦の翌年、1946年に農業機械の販売を開始した父親のことを安藤は話し始める。地域が何を求めているか。時代が何を求めているか。その視点に立って、父親は庄内で行える仕事を探していた。取り扱う農業機械は農家から重宝されていたが、やがて農協という大きな組織が生まれると、個人商店として続けることにも限界が見えてくる。早いうちに違う道を見つけるべきことに気づき、1953年に安藤砂利店を設立した。

「『農業でなければ国家建設だ』と大上段に構えて、機械を扱えることを生かし、最上川の砂利の採取作業を機械化したんです。新参者として最上川に入り、国道を作ったり、建設資材の供給をやらせていただくようになりました」

1968年に生コンクリートの製造を開始すると、注文が殺到するようになった。寝る間も惜しんで仕事をしながら、いずれは建設会社になることを目指していた。

環境負荷から環境共生へ

「砂利の採取に始まって、生コンクリートを生産するようになり、いずれは建設も担えるようにと、父は川下から川上へと上っていく意識を持っていました。私もその意識を共有していたので、大学を卒業して建設会社に就職しました。そこで覚えたものを地元に持ち帰り、安藤組で建設業務も請け負うようになりました」

川の護岸工事や橋の補修などの土木建設に始まり、やがて総業建設業へと業務を拡大する。しかし、資材の製造や建設に携わりながら、自分たちは本当に環境と共生しているのだろうかという疑問が芽生えていった。

「父の時代は、何もないところからものを作るわけだから、いつも問題意識を持っていました。地域のみんなが飯を食えるようにと考え、色々と仕事を生み出していたから、私よりもずっと優秀だったと思うんです。しかし私は、学校に入れてもらったおかげで、自分に足りない情報を得てから問題意識を磨くことは学べたと思っています。就職してからも先進地視察に行ったり、研修に参加したり、人と会って話を聞き、学ぶことを大事にしてきました」

最上川はどこを掘っても砂利が出てくる。生コンクリートの材料となる資源が豊富だ。それが建設資材となり、安藤組グループとして資材の生産から建設までを手がけるようになったわけだが、環境を作ると言いながらも、同時に環境破壊も行なっているのではないか。その懸念が膨らむと、総合建設業や建設資材製造業と並行して産業廃棄物の処理も自分たちで行うことが必要だと感じた。

「今まではバージン材といって、天然の資源を掘り起こして、それを加工して材料としていました。それをリサイクル材で補おうという考えです。環境負荷から環境維持、環境整備、環境浄化というキーワードが生まれてきたんです」

産業廃棄物を破砕機プラントで再資源化処理し、リサイクル材として出荷する。建設工事で生じる汚泥を建設資材として再生し、コンクリート塊やアスファルト塊を破砕して再生骨材を製造する計画を立ち上げた。先代である父親とともに着手したのが1995年のことだった。

先代からの突然の交代劇

「うちでは毎年夏に、一族が集まる会を開いていたんですね。孫たちが集まって、安藤組で持っていた大型のバスで出かけたりする恒例の行事です。その面倒を親父が見てくれていた。みんなが集まる前日に親父がバスの整備をして、次の日に集まると親父がどこかへと遊びに連れて行くんです。

1996年の夏もその予定があって、親父がバスを整備して夜に一緒に酒を飲み、次の日にみんなが集まるっていう夜中、親父の具合が悪くなったんです。明け方に病院に連れていってくれと言われて、急患として病院に入った。『今日は10時に仕事で人と会う約束をしてるから、代わりに行ってくれ』と言われました。わかったと答えて、もぞもぞと寝返りを打とうとしているので打たせてやったら、体がガクッて。急逝です」

代わりに会う約束をした相手は会社の税理士だった。つまり結果的には、病院のベッドで「会社を引き継いでくれ」という遺言を残して、先代は逝ったことになる。3日後に密葬を行ったが、県内のみならず東京などからも一族が集まっていたので、一族が一人も欠けることなく先代を見送った。

「親父は自分の葬儀のためにバスを整備したようなものでした」

「水平距離の移動」が養う思考

父親が築いた事業である生コンクリートの製造は、庄内にとどまらず供給を続けている。建設の分野でも、鶴岡市の菅睦建設と安藤組の建設部門と新設合併して広く施工業を担うようになる。資材を運搬する運送業もグループ内で行なっているので、資材の生産から施工までを一貫して行える総合建築業者として確立した。しかし、「今やっていることに安心して根っこを下ろしてしまうのではなく、世の中が必要としていることが何なのかは常に考える必要がある」と、父親が砂利の採取から生コンクリートの生産に展開したように、攻める姿勢は決して崩さない。

「考えた結果として今やっていることを続ける必要があれば続ければいいし、変えるべきだと感じたら、新しいものを取り入れればいい。それが多分、革新ということなんだと思うんですね。私が前に農業の6次産業化(※)の研修会に参加した時に、米の流通で成功した人物に成功の秘訣を質問したところ、『成果は水平距離の移動に比例する』と答えられた。

つまり、先進地などの学べるところへとできるだけ出かけていき、いろんな人の話を聞いて、そこで得た知識や情報を自分のものにできるかどうかが結果を左右するんだと。人さまから学ぶ姿勢がないと、問題意識も研ぎ澄まされないですよね」

(※)農産物など1次産業の生産物の価値をさらに高めるために、2次産業にあたる食品加工や、3次産業である流通や販売に取り組むことで、農林水産業を活性化させようという取り組み。

「意志の力が成功を招く」

世界的に環境意識が高まる現在、1995年にスタートした産業廃棄物の処理を継続するばかりではなく、その意識を別の分野でも具現化している。2014年にスタートした風力発電への取り組みだ。

「本社の敷地も最上川の風が強いから、ここに風力発電の風車を建てようとしたんですが、専門家が調べるとここでは風が足りないと。それから調査を続けて、まず秋田県に1本建てることができました。そして現在は、うちの敷地より少し上流に風が強くて適した土地が見つかったので、そこにもうすぐ2基目の風車が建ちます。

結局、最上川の砂利から始まりましたが、資材やエネルギーなどは、この土地にあるものが綺麗に循環して帰結する形にならないとまずいと思うんですよ。環境に負荷をかけないつもりが、ものやエネルギーが移動することで環境のバランスは狂いますから。欲に任せて何かを作ったり壊したりする時代はもう終わりですよ」

好奇心を持ち続け、学んだことから時代や地域の問題点を読み取り、解決するための革新を提案する。そのバイタリティの背景を最後に話してもらった。

「大切な言葉は『日新』。1日1日が新しく始まる。その気持ちで、一瞬一瞬で自らを新たにしていこうというのが最近の心境ですね。それと『意志の力が成功を招く』という言葉もずっと大事にしてきました。自分の意志だけではなく、問題意識を持つ地域や会社の人々と協力して、応援してもらって、問題を解決するために努力を続ける。その気力をなくした時がやっぱり、次の世代にバトンを渡す時でしょうね。まだ気力を沸き立たせて楽しくやれていますから、まだまだこれからだけどね」

住所 山形県東田川郡庄内町提興屋中島80
名称 安藤組グループ 代表取締役 安藤 政則