在来種を絶滅から守るために個人でシードバンクを管理。各地の野菜を匿う"ノアの方舟"。

ハーブ研究所スパール 山澤 清

庄内に限らず日本各地から集まった在来種の野菜のタネを保存し、絶滅危惧種を守るためにシードバンクを個人で保有する山澤清。「庄内でちゃんと野菜を育てれば100万人の人口を食わせられる」と土地の豊かさを説く彼に、有機栽培でハーブを育て始めたきっかけから、シードバンクを保有する目的までを語ってもらった。

山形県の内陸部、村山市で生まれた山澤は、21歳の時に農業エンジニアとして庄内へやってきた。庄内地方の農家は近代化が進んでいなかったため、農薬や大型機械の指導をして生産性を高めることが目的だった。山澤はおちゃらけた口調で勢いよく農業を志した経緯を話し始める。

「庄内は遅れてたから、農家はいつも雑草との戦い。そこにピリオドを打つためにやってきて、たしかに雑草に困らない状況にはできた。だけども雑草が無くなるとともに生態系まで壊れちゃうことが5年ぐらいでわかったの。まずヨシキリっていうスズメ目の小さな鳥がいなくなった。赤トンボも。そしたら今度は、長男がアトピーになった。なんかおかしいと思ったのよ。それで農薬の指導をやめて、31歳で農業をやることにしたの。難しいよ、農業は。1年育てたって1回しか作物はできねぇから、35年続けてるけどこの体たらく。暇人じゃなきゃこんなの続けらんないよ」

全国から講演を依頼され、商品開発の注文を受ける山澤は決して暇人ではないが、軽快に口をついて言葉が出てくる。

田んぼや畑に農薬や化学肥料を撒くと、最初にいなくなるのは目に見えない微生物たちだ。すると虫たちの姿が消え、さらには鳥やネズミといった生物が綺麗にいなくなる。「生態系の一番下から死んでいくことに何年もかかって気づいた」と、農薬の危険性を感じた山澤は農業エンジニアの職を辞し、安全な農業を模索することになる。

「最初は庄内町の狩川というところで、一番簡単なハーブから始めた。日本でハーブはほとんど作られてなかったから、一生懸命ヨーロッパの原書を読んで育て始めたわけ。日本語の本はなかったから。ハーブを育てながら庄内には在来種がいっぱい残ってることがわかったから、これも育てることにした」

天花粉が子どもたちをアトピーから救う

在来種のタネを庄内地方の各地で探した。35年前の時点ですでに減りつつあったが、小規模で在来種を栽培している農家はまだいたので、少量を分けてもらいながら実践を重ねた。「植物はタネから育ててきちんとできるまでに最低4年か5年はかかるから、暇人じゃなきゃできねぇのよ」と、農業を始めた早い段階で取り掛かったカラスウリの栽培について説明する。

「生態系がおかしくなって、ここら一帯からカラスウリが無くなったことがあったの。なんでかをずーっと調べてみたら、その何年か前にすごい防虫をやったことがわかった。それでスズメガっていう蛾の幼虫が消えてしまったの。カラスウリは夜に花が咲くから、夜にホバリングして花の蜜を吸い上げるスズメガがいないと受粉しないのよ。だからカラスウリをどうにか復活させてやろうと思ったわけさ」

カラスウリはかつて、子育てに使われるあるものの材料として使われていた。根っこの部分を砕いてデンプンを採取し、そこから水でビタミン類を流して『天花粉』という商品になっていた。天然のベビーパウダーだ。

「昔はみんなこれを使ってたの。『天花粉』を使うと赤ちゃんの体温が下がって、汗疹もすぐに治る。今は日本の人口の3割以上がアトピー。生まれた時点でアトピーなのよ。このままだとどんどん増え続けるから、今はカラスウリを何10万本も植えてるからね」

少量のハーブや野菜を作って売るだけの農業を続けようとしても、経済的に考えて継続は難しい。ではどうすべきか。山澤は個人で日本初となる化粧品製造業者の資格を30年以上前に取得した。そして、消炎作用があるカラスウリのデンプンを材料に、鉱物などの混ぜ物のない『天花粉』を作ればアトピーも防げるのではないか、という思いから『こかげのパウダー』という商品を作り始め、今では年間に30万個の注文が入る人気商品となっている。

いびつな農業へのアンチテーゼ

20世紀後半の経済成長期。農作物の生産性を高めるために化学肥料や農薬の開発が進み、品種改良が繰り返された。そして、種苗会社がコントロールし、花を咲かせて実は残しても発芽するタネを残せないF1種を普及させることで、均質な野菜を市場に流通させる施策が取られた。自家採種ができる在来種のように、次の年には収穫量や味にばらつきが出ることを抑え、大量消費に対応するためだ。

「ほうれん草のアクを無くしてくれとか、キュウリが苦くて食えねえとか、トマトが臭くて食えねえとか、客はわがままだから、農家はそれに合わせて品種改良をどんどんしちゃった。そういう野菜を大量生産したいから、農薬も化学肥料もバンバン使った。だけど俺はそういうの使いたくなかったから、文明から離れて地道に在来種を育てることにしたのよ。今から70〜80年前までは農薬も化学肥料も使わずにこういう野菜を育ててたんだから、本来の自然には在来種が合ってるの」

人間による生産が、環境条件に適さない植物を増やしてきた。

「今から400〜500年前にヨーロッパでジャガイモ飢饉があった。続けてジャガイモばっかり作ってたから、忌地(いやじ=連作障害)って言って、植物が自死しちゃうの。人間が狭いところで同じことだけやっててノイローゼになってしまうのと一緒だぜ。そうじゃなく、いろんな種類の植物が一緒に育ってかなきゃダメなのよ」

経験と知識によって庄内の在来種について知り尽くす山澤のもとには、各地の在来種の保存を望む全国の農家から植物のタネが集まってくる。絶滅危惧種を救うことが、人間と環境にとって必要なことだと考える山澤は、個人で日本最大規模とも言えるシードバンクを保有しているのだ。

「未来のことを考えたら、過去に遡らないとダメ。それが生き物の運命なの。種苗会社からタネを買って野菜を育て続けて、そこで遺伝子組み換えのタネしか買えなくなったらどうするの。そんなの食いたくないでしょ。昔の人が自分でタネ採って野菜を育ててたみたいに、在来種を残してかないと大変なことになる。タネを残さないF1種の野菜を食ってたら、人間もタネができなくなって子どもも作れなくなっちゃうよ。現代人は文句も言わずF1の野菜食って、危ういところを生きてるのよ」

600種類の在来種の野菜を栽培するビニールハウスの隣では、アル・ケッチァーノの奥田政行オーナーシェフと共同でベジタイムレストラン「土遊農」を経営している。在来種が持つ野菜そのものの味を食べさせるレストランだ。

「若い女さ来て、『昔のトマトの味がする』って喜んで食ってくれるのよ。50年前のトマトだから食ったときもないトマトの味だけんど、心で味わって、遺伝子の声を聞いてるの。もう何世代も前から食い続けてきた味だから、長い時を経て遺伝子が懐かしい味を食べてるのよ。庄内で時空を超えてふっと記憶や歴史が蘇ってくるわけだ。確固たるものは過去にしかないってことがわかるから、みんな感動してる」

野菜本来の苦味や辛味、甘味。緑の香り。そうしたものが在来種には残されている。その在来種を生産して自給率を100%に近づけることが、おかしくなった日本の農業を元に戻すためには必要だ。

「庄内は恵まれてる方だけど、米に偏ってる。ちゃんと畑さ作れば、庄内で100万人までは食わせられる。海の水蒸気が山にぶつかって田畑を潤してくれるし、裾野は広いからいくらでも畑はできる。限界集落から人がいなくなったら、俺が地主やってもいいと思ってっから。農家のおじいちゃんもいっしょにここで働きな、ってそんな特殊法人を作ったらいい循環ができる。それができたら庄内が日本の農業のハブになれるから」

海に沈む夕日を見て、川の流れと風の音を聞き、山から海までの2000メートルの落差の空気の流れを嗅ぐ。そして土や草木に触れ、佳味(けいみ)と山澤が表現する心の味わいを堪能する。そして時空のつながりを体感する。日本の農業の未来を左右する可能性すらはらむシードバンクを有する山澤清は、庄内を五感で味わえる土地だと声を高くして表現する。

住所 山形県庄内町狩川字今岡128-1
名称 ハーブ研究所スパール 山澤 清

ハーブ研究所スパール

植物は移動手段を持たないため、生き延びるために進化の過程でいろいろな成分を自らが創り出して来ました。人類は約500万年前から自然の中でくらし、その植物のもつ力を知り、長い間利用し続けてきたのです。ハーブ研究所スパールでは、安全が確かめられている天然の力を利用しています。