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地域の魅力を実力に変えていく

プラットヨネザワ株式会社 / マーケター

インタビュー記事

更新日 : 2023年09月09日

地域の魅力を最大限に発揮させたい。稼げるまち米沢へ。

「DMO」という言葉をご存知でしょうか。「Destination Management Organization」の頭文字をとったものであり、日本語では「観光地域づくり法人」とも呼ばれます。元々はアメリカの観光産業で発展していった仕組みで、2015年に「日本版 DMO 候補法人登録制度」が創設されたことをきっかけに地方創生における取り組みのひとつとして広がり始めています。米沢市で2022年に新しく立ち上がった「プラットヨネザワ株式会社」は、まさにそのDMOの会社です。“米沢版”と銘打ち、行政とともに観光の新しい扉を開くお手伝いをしています。創設者である宮嶌浩聡さんと、CTOの小俣伸二さん、COOの小田航平さん、CMOの青山浩子さんにお話を伺いました。

プラットヨネザワ株式会社 事業概要

2022年4月に国土交通省指定事業である「日本版DMO推進事業」の指定を目指し、宮嶌 浩聡さんがプラットヨネザワ株式会社を設立。現在、役員4名を含む5名が在籍。そのほか専門性に特化した数人のアドバイザリーのサポートを受けています。
主な仕事は、観光産業が成長するための継続的なデータの収集と分析。データに基づいた明確な戦略を提案し、実行するまでを担当します。米沢市をプロモーションするための仕組み、コンテンツなどを作成し、目指すのは観光のDX化です。地域の可能性を最大化させるためのデータベースを構築していきます。
プラットヨネザワが人やお金、情報が集まる「プラットホーム」となり、米沢が稼ぐ力をつけるための土台づくりをしていくことが目標です。あくまで稼ぐのは「地域事業者である」とし、その進むべき道を示していく役割を担っています。

2022年創業というフレッシュな企業。さらにDMOという観光業において新しい取り組みを行なっています。まずはCEOの宮嶌浩聡さんが、なぜこの会社を立ち上げようと思ったのか、その経緯から伺います。

観光の新しい方向性を提案していく

2020年、世界中に猛威を振るった新型コロナウイルスによって、私達の生活は大きく変化しました。外出自粛が続き、旅行はもちろん県外に出ることすら難しい状況に。飲食店の苦しい経営状態が印象的でしたが、同じように観光業は大打撃を受けました。「この先どうすればいいのか」という不安が募る中、宮嶌さんは「もしかしたらチャンスになるかもしれない」と考えたそうです。

「プラットヨネザワを立ち上げる以前は、冠婚葬祭業をしている株式会社ナウエルで働いていましたので、コロナ禍での苦しい思いを経験しています。でも考え方を逆にしてみると、これまで差をつけられていたものも、その差がゼロになったのではないか。いわばリスタートに入った瞬間だったんじゃないかと思ったんです。これまで引っ張ってくれていた人たちが、次の世代にうまくバトンを繋ぐチャンスが訪れたと感じたんですね。実際にこの数年で米沢の多くの事業者は代替わりしました。かつてない局面が訪れ、変化を求められたことが大きな理由です。次の世代である僕たちが冷静になって違う方向を示せたら、何かが変わるのではないかと思いました。今ここで僕たちが立ち上がらないと、新しい方向性に向かっていくのも遠い未来になってしまうかもしれないという気持ちもあり、逃してはいけないと直感的に思ったんです」

テクノロジー、デザイン、ファイナンスなどその道のプロフェッショナルを役員に迎え、プラットヨネザワがスタート。1年目にまず行なったのは、地域で配られる紙のクーポンをデジタル化することでした。

「道の駅などでデジタルクーポンが使える仕組みを作りました。観光プロモーションをするための仕組みづくりや『こういうコンテンツがあったらおもしろいよね』というもののトライアルもしました。行政の仕事は、プロモーションが中心になっていくので、ゼロからの仕組みづくりまではなかなか難しい。アプリを使えるようにしたり、ホームページを整備することもやってはいるんですが、それだけでは機能しない部分もたくさんあって。もちろんこれまでの仕組みでも観光業はうまくいっていたとは思うんですけど、コロナ禍以降も同じスキームでいけるかというと、そうではない。だから観光の作り方自体を変えていく必要があるんです」

行政への企画提案から実行までがプラットヨネザワの仕事。地域のために新しく取り組みたいけれど行政だけでは、手が回らない部分を補うために何ができるのかを考えています。

「まずは観光DX事業です。観光におけるデジタル化とインバウンド向けの支軸を作るのが中心となっていくと思います。米沢を漁場と例えるなら、そこにどんな魚がいつどれくらい来ていて、どういう動きをしているのかを見える化する。そのうえで行政の方たちと戦略を組む。そして小舟としてやってくる事業者たちとどう連携していけば、大量の魚が捕れるのかをご提案させていただくのが僕たちの役割だと思っています」

DMOとしての役目は、地域の事業者を潤わせること。プラットヨネザワとしての業績を上げることよりも、地域が稼げるようになることが重要であると言います。

「あくまで稼ぐのは事業者で、その根拠を示すのがDMOという風に考えています。僕たち自身が業績を上げていこうとは思っていません。データベースマネージメントを通して、米沢を稼げる地域にしていきたい。それがプラットヨネザワを立ち上げた最大の理由です」

2022年5月に行われたDMO設立総会にて

 

若い世代が関わるまちづくり

現在、38歳の宮嶌さんを始め、米沢では今、40歳前後の世代が中心となってまちづくりをする動きが活発化しています。事業者の世代交代があったのも大きな要因ですが、コロナ禍を経てUターン者が多いことも影響しています。

「米沢には、歴史、文化、食、産業などいろいろな魅力あるんですけど、いちばんの魅力は人ですよねって言われるんです。地元の基盤を守ってきた人の中にUターン者が外からの目線を持ってきてくれることで、いいバランスがとれています。『米沢をどうにかしよう』と動き始めている人が多いことが、最大のポテンシャルだと思っています。なぜ動き出したのかというと、コロナ禍があって急に動けなくなったときに、足元を見たのが大きい。やっていたことを取り上げられて、何ができるのかを必死に探したんじゃないでしょうか。40歳前後といえば脂が乗っている世代。その実力と経験、残された時間を考えたときに何かにチャレンジするにはちょうどいい時期でした。米沢の可能性というのを引き伸ばせるのではないかと感じたんだと思います」

いくらやりたいと思っても、地域を支えてきた人たちを無視して進めることはできません。一歩前進するためには、次世代だけではなく、地域全体が一丸となる必要があると宮嶌さんは感じています。

「僕が大事にしている言葉に『早く行きたければ、1人で行け。遠くに行きたければ、みんなで行け』というのがあります。もしかして僕たちだけでササッと進めれば、観光DX事業は5年かからずに完了するのかもしれません。だけど、それでは何の意味もない。“地域で行なう”ことであると、しっかり捉えなければ成功はしないと思っています。地域に対するリスペクトは間違いなく必要ですし、最終的にアクションを起こして稼いでもらうのはプレイヤーの方なので、そこは履き違えないようにやらなければいけないですよね」

 

ダブルワーク、フルリモート可の業務形態

宮嶌さん以外の4名は他に仕事を持ったダブルワーク。仕事もリモートで行ない、固定のオフィスもありません。

「これからは、ひとつの企業が1人の人生を賄えるほど給料を払い続けるのは難しいのではないかと考えています。人材をシェアしていくのは、個人にとっても法人にとっても必要でないかと。そうはいってもこれまでやっていなかった企業がいきなりダブルワークやフルリモート可にするのは、厳しい。だからこそ、せっかく新しい会社をなので『こうなったらいいよね』ということにはチャレンジしていきたいです。ダブルワーク可というのは、実証実験に近いとも思っています」

役員同士が直接会うのも月に1回程度。全員が米沢市に住んでいるわけでもありません。地域のために働いているのに、そこで暮らしていないことに違和感を持たれるかもしれませんが、宮嶌さんは、それをプラスに捉えています。

「リモートでもよしとすることで、エリアをまたいで仕事ができます。それなら関わりたいと思ってくださる人がたくさんいらっしゃるのではないかと思うんですね。僕も東京で働いていた頃に地域のために何かをしたいと考えても関わる術がないことに歯がゆさを感じていました。だからといって、Uターンをして都会と同じ給料が得られるかというと、難しい面もあります。そういうことが原因でせっかく想いがあっても、断念せざるを得ない部分があるのではないかと思って。それもリモートやダブルワークでうまく乗り越えていけるのではないでしょうか。あとはトライしている会社があることも大事なのかなって思っています。これが普通になっていくべきだと思いますし、奇をてらっているわけでもなく、スタンダードになる企業が増えるといいですよね」

 

地方の仕事は、やりがいをダイレクトに感じられる

宮嶌さんは東京から2017年にUターンしてきています。都会で働いてきた経験があるからこそ、地方で働く魅力を体感できているそうです。

「東京で暮らしていたときは、毎日働いて、子育てもして、時間の余裕もない。なんでこの生活を選んでいるんだろうっていう疑問がありました。妻も米沢市出身なこともあって、Uターンを決意。戻ってきたら一気に楽になりましたね。働き方についても、インパクトの違いに驚いています。東京で10億の仕事をしたとしても大きなニュースにはなりませんが、米沢で1000万、5000万の仕事をしたときのインパクトは大きい。新聞に取り上げられることだってあります。自分の働きで地域が良くなっているのをダイレクトに感じられますし、それが地方で働く楽しさであり、魅力ですね。これからは地方でも都会と同じぐらいの経済的価値を築きながら、速度を上げていくことはできると思います。スタイルを変えるだけで都会と同じくらいの給料、もしくはそれ以上にもなる可能性はあります。お金以上の幸福度、仕事に対する達成感、満足感は地方のほうが得るものが大きいですしね。移住するだけが手段じゃないような気もしていて。いきなり移住に踏み切る前にリモートで働いてみて、ワンステップ、ツーステップ超えてから、踏み切ってもいいのかなって思います」

地域の魅力が詰まった観光ツアーの開発や伝統産業の新たな可能性を探るのもプラットヨネザワの役目

現状の計画では5年後に観光DX事業を最適化して、米沢に新しい方向性を見出す予定。そのためには、行政と事業者の向いている方向をひとつにするのがプラットヨネザワとして最初のミッションです。

「米沢は全国的にも知名度があります。一方でここから先、行政と事業者がバラバラでは今以上は望めません。ひとつの方向、テーマでみんなが動けるようになっていく、そのためにデータと客観性が大事だと思うので、僕たちはそこを提示していきたいです。たくさんの方が米沢に来て魅力を感じていただける地域になることを願います。そうなれば、いろんな仕事が生まれると思うんですよね。宣伝物の作成、お土産、イベントだったり、若い人も参入しやすい仕事を増やすことも、プラットヨネザワでやりたいことです」

コロナ禍で落ち込んだ観光業を立ち直すために始まったプラットヨネザワ。これまで行政ができなかったことにもチャレンジして、新しい目線で地域を盛り上げていきます。次は役員の3名にお話を伺いました。

 

得意分野と個性を持った人材が集まっている

—— 仕事内容を教えて下さい。

小俣伸二さん:4つの会社を経営しながらも、プラットヨネザワに参画しました。技術統括が僕の仕事です。2019年の3月まで山形大学の准教授をしていて、そこでは企業の新しい事業を生み出したり、経営者やこれから起業したい人の育成をしていました。また米沢八幡原中核工業団地にあるNECの技術コンサルティングに携わっていた経験もあります。両者の実績を活かしDXを使ってデータを作り、戦略を立てていくのが僕の役割です。

小田航平さん:僕は山形市に住みながら、都内の企業に在籍しフルリモートで仕事をしています。会社に申請を出し、ダブルワークの了承を得てプラットヨネザワに参画。運営、会計、事業計画を作ったり、法務、契約の設定から契約締結までが担当です。プロジェクトを進めるときに必要な細かい情報を整理するのも、僕がやっています。基本的に平日の日中は都内企業の仕事をしていて、プラットヨネザワの業務は夜や休日を利用しています。リモートワークで出社する時間がかからないのもあって、今の働き方であればうまく両立できると感じていますね。

青山浩子さん:米沢市に拠点を置くデザイン会社「TONARI Co. Ltd.」に在籍しながら、プラットヨネザワにも参画しています。デザインとマーケティングが私の担当です。デザインの力で販促物を伝わりやすくすることで、米沢とそれ以外を繋げるのが役割だと思っています。また、インバウンドをターゲットとしたInstagram「Yonezawa ABC」の運用も担っていて、外部パートナーと共に地域の魅力を英語で発信しています。

 

新しい学び、経験ができる職場

—— プラットヨネザワの魅力を教えて下さい。

小俣さん:まちづくり、コミュニティづくりに関わりたいと思っていました。また、これからの時代を背負っていく世代が始めた会社に参画できたのは、大きな意味を感じています。DXでデータを管理することに対しては、僕自身も楽しみですし、期待されている部分も大きいと感じています。それと同時にデジタル化=ドラえもんのポケットぐらい何でもできるものだと思われているので、正しい理解を促していく必要もありそうです。

小田さん:地元のためになることをしたいと考えていたときに、宮嶌さんと出会いました。自己実現のチャンスだと思いましたし、DMOという取り組み自体がおもしろそうだと感じました。昔は現地にいなければダメだった仕事も、今は必ずしもそうではなくなってきています。弊社は働き方が自由なので、県外でキャリアを積んでいる人でも米沢に想いがある人であれば、積極的に繋いでいきたいです。ダブルワークができる会社であることの可能性を感じています。

青山さん:私は岡山県の出身で、仕事は東京でしていましたが、ここ数年ちょっとずつ地方がおもしろいなっていうことを感じていました。コロナ禍をきっかけに夫の地元である米沢に移住し、さまざまなコミュニティーに参加していく中で、米沢の人の熱さにも魅力を感じています。私自身が米沢をもっと知りたい気持ちもあって、民芸品や工芸品、伝統産業の現場に見学に行かせていただき、職人の方に実際にお話を伺いました。こんな贅沢な経験ができるのも、ここに参画させていただいているからだと思います。

 

プラットヨネザワ発信の取り組みを増やしたい

—— これからチャレンジしていきたいことは何ですか。

小俣さん:今後、どんどん都市部から地方に人が流れていくと思っています。そのときに移住したいけれど、仕事、暮らしが成立するのか不安を抱えている人のプラットホームになることにも取り組んでいきたいです。また、自治体は縦割り文化なので、意見できる立場の僕たちが、その横の壁を取っ払い意見が通りやすい現場を作りたい。それには数年を要するかもしれませんが、時間をかけてじっくり進めていけたらいいですね。

小田さん:米沢の観光事業を推進していく中で、僕たちの働きがエンジン部分となって加速していけたらと思います。それにはまず定量的にデータをとって、検証をしていきたいです。また、僕のような働き方というのはおこがましいですが、ダブルワーク、フルリモートが普通になる未来が作れるといいですね。

青山さん:「デザインが溢れた街っていいよね」という話をよく耳にしますが、よく見てみると、デザインだけがあって中身がないことも多いんです。それでは意味がないと思うので、中身を活かしたうえでデザインの溢れた街にしていけたら、さらなる魅力になると考えています。県外の人たちからも期待してもらえるような米沢になっていけるといいなと思います。

ここ数年、急激に大きな変化が求められてきたのが観光業でした。これまで以上にニーズが多様化し、アフターコロナに向けて舵取りをしていく人が必要となっています。そこで立ち上がったプラットヨネザワは、働く人が高い専門性を持ち、行政だけでは解決できないことをサポートできるのが強みです。また、ダブルワークやフルリモートという働き方を提示することでも、新しい人材を獲得しています。移住に踏み切ることに不安な人は、まずはプラットヨネザワでリモートワークから始めて、米沢に触れてみるのも手かもしれません。

取材・文_中山夏美