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1000年以上受け継がれている0から1を生み出す技術

株式会社サトウ企業 / 左官職人・タイル職人

インタビュー記事

更新日 : 2022年09月01日

平均年齢45歳。高齢化の進む建設業界ですが、活気付いている会社が置賜にあります。左官は0から1をつくる仕事。何もないところにモノを生み出していくその技は、1000年も前より脈々と受け継がれている伝統技術でもあります。その技術に誇りを持ち、挑戦し続ける職人を抱えるサトウ企業は、古くて新しい最先端の企業です。6年前に社長に就任された樋口大さんと、職人の畠山さんにお話を聞きました。

株式会社サトウ企業 事業概要

昭和40年創業。左官工事とタイル工事を専門に行なっています。その内容は一般住宅に始まり、土蔵の復元工事、寺社仏閣などの伝統建築から、大規模なビル建築まで幅広く展開しています。社員22名中、職人を17名抱え、高齢化が進む左官業界ではめずらしく、若手職人の比率が高くなっています。17名の職人のうち、7名が国家資格である一級左官技能士として活躍しています。職人の多さ、そしてフットワークの軽さから、置賜を中心に、仙台、福島、そして東京まで出向くことも。左官業界の常識を塗り直し、伝統を未来へ繋いでいます。

職人の腕が、かけがえのない価値であるということ

—— 創業のきっかけを教えてください

私の叔父と、弟である私の父親で始めた会社です。創業当時は高度経済成長期で、田舎にはあまり仕事がなかった。集団就職で列車に乗って行ったという話を聞いたことあると思います。仕事を選ぶ時に、手に職を持つということが、自分の稼ぐ力を養うことになるということで始めたそうです。6年前に引き継ぐことになりましたが、私自身は経営者としてマネージメントしていくことが必要だと思っていたので、職人にはならず、東京で建築系の専門学校を出てゼネコンで現場監督などを経験してきました。

—— 会社を引き継いで変えてきたことはありますか

左官とタイルに特化し、職人さんの付加価値を高めるような会社作り、組織作りに力を入れています。正直なところ左官屋はなんでもできるので、便利屋的なスタンスで使われることも多い。だけど、実はそうじゃなくて、スキルやテクニックを持っていることが、とても価値のあることだと職人や周りにも言い続けています。
職人たちはプライドを持って仕事しているのに、処遇があまり良くないという不満が以前からありました。例えば基礎工事や外構、金物工事なども引き合いがあるのですが、職人さんは左官としてのプライドを持っていて、左官に関わらない仕事は気が進まない心情があります。マルチにできるというメリットもありますが、中途半端なことはもうやめました。その代わり、左官に関することをどんどん深掘りしてって、極めていこうと。方向転換したことで職人さんの質は上がりましたね。

 

若手職人の柔軟さ俊敏さが、左官の仕事の幅を広げる

—— 若手職人を多く抱えていますが、どのような効果がありましたか

建設業界は超高齢化しています。左官職人さんは全国に7万人ぐらいいると言われていますが、平均年齢が60歳前後。でも、うちの会社の平均は45歳ぐらいです。若い職人さんがメインで活躍しているので、とても心強いです。熟練の職人さんはもちろん技術は優れているのですが、水平、直角、形のいいもの、というこだわりが強い。反対に若い人たちは自分の手仕事による自由さとかデザイン性の幅の広さとか、素材による表情の柔らかさ、質感的なところを、結構楽しんでやってくれています。

樋口さんがデザインし、畠山さんが施工を行った二人の共同作品。

—— 県内有数の機動力を持っている理由を教えてください

エリアを特に限定せず、依頼を受けてできる仕事には応えたいし、そこに対して人数も揃っています。当社は業界内のネットワークが広く、北海道から沖縄まで全国に左官業者のコネクションがあります。「暇だったら2、3人応援くれない?」となれば、すぐにチームを作って対応できます。4人で東京に3ヶ月出張することもありました。俊敏さや、エリアを選ばないということが仕事の幅の広さにもつながっています。地元だけに縛られず、色んな現場や、他県の職人さんの高レベルな仕事に接することも職人さんにとっては貴重な経験になります。

—— 若手の育成はどのように行なっているのですか

業界的な話になりますが、1人前の職人になるには通常は4、5年かかります。それこそ背中を見て覚えるという手法ですね。でも、それだと育成にすごく時間がかかってしまう。その間に退職されていく人数の方が圧倒的に多い。せっかく左官の需要が伸びていて展望が明るいのに、職人さんが育っていかないことにすごく危機感を覚えて、東京とか北海道の同業者の方々がやっているプログラムを独自にアレンジしました。
経験の無い社員が入社した場合は、1ヶ月間塗り壁のトレーニングをすることで、2ヶ月目から現場に出た時に左官職人としての素養やモチベーションが持てるようになっています。とは言っても、左官はかなりの根気強さが必要です。研修期間の1ヶ月は座学や現場見学に行ったりすることもありますが、基本的には朝から晩まで塗って剥がしての繰り返し。根性が試されますね(笑)。

1000年以上受け継がれている0から1を生み出す技術

 

1000年以上受け継がれている0から1を生み出す技術

—— 左官の魅力はどんなところにありますか?

建築業種には28業種ぐらいあると言われていて、設備屋さんや鉄骨屋さん等色々ありますが、唯一、大工さんと左官屋さんだけが0から1を作れる人だと思っています。例えば屋根屋さんだったら、建物が出来上がってないと屋根をかけられないし、鉄骨も基礎がないと建てられませんが、左官屋さんは何もないところに床や階段を作ることができる。0から1を生み出し、10まで携われる仕事だと思います。道具とか資材ではなく、腕というところに関してはすごくプライド持っていいと思います。

—— 腕があればどこでも通用する仕事ってすごくかっこいいですね。これからの展望はありますか?

左官の歴史は奈良時代から1000年以上続いています。先人の知恵から始まった技術が1000年後の今もあるということは、100年後もなくならないと思っています。機械化やIT化が進んでも、左官やタイル工事は必ず人の手によって仕上げる仕事なので。だから私は左官業界にすごく希望を持っています。今7万人弱いる左官屋さんが10年後に3万人台になる。でも需要は横ばいだから、一人ひとりが貴重な人材となります。働く職人さんには自分が貴重な存在として、左官職人として生きられるということが非常に楽しいことだと思うのです。自分自身に価値が生まれてくるし、周りから見ても特別な存在になれるので、やりがいはもちろん、生きがいにもなっていく。職人を増やして左官屋さんという職業を、もっと世の中に認知してもらいたいです。左官は魅力的でかっこいい仕事だと知ってもらいたい。

 


社是:
純粋に誠実に一心に

行動指針:
一、安全を最優先に
一、お客様に喜ばれるものづくり
一、気を配り たくさん考え あきらめない
一、仕事に素直に 美しい技を魅せる
一、互いに敬意を払い 人財育成に努める
一、よく笑って生きる

私達は左官を追究し、左官で地域に貢献し左官の発展と社会から信頼される企業を目指します


 

—— この社是と行動指針はどのような思いで策定されたのですか?

日々の現場は違うけど、似たような仕事が続いてしまうと、どうしても飽きてしまいます。その中でやっぱり芯みたいなものを作りたいと思って策定しました。毎日同じ作業の繰り返しみたいになってしまうのが嫌で。お客様にとっては、世界に1つのものなので。1つ1つ真剣に誠実に向き合って自分の技量を一心にぶつける。ものづくりに対するスピリットみたいなものですね。それをシンプルにみんなに分かりやすく伝えたいと思いました。
行動指針については自分の身を守れなければ他の人たちも守れないし、家族も守れない。楽しく仕事をして笑顔でいることが、新しい発想や伸び代を生み出していきます。人の手による仕事に誇りを持って、職人さんのモチベーションを高めていきたいです。

—— 現在求めている人材はどのような方ですか?

基本来るものは拒みません(笑)。経験がなくても育てていきます。男性はもちろん大歓迎ですが、夢としては、女性だけの3人ぐらいの女性チームを作りたいですね。女性3人1チームで、お客様とお茶飲みをしたり、コミュニケーション取ってもらったりしながら、仕事を生み出していく。私はあまりタッチせずに、女性の感性に任せてみたいです。固定概念にとらわれず自由に仕事してくれたら更に左官やタイルの創造の幅が広がりそうですね。

 

「成せばなる」の精神で。何よりも楽しいと思える仕事

—— 畠山さんにお伺いします。元々は違う業種で働いていたということですが、何のお仕事をされていたのですか?

高校の先生からの勧めもあって、鉄道会社に就職して整備士の仕事をしていました。何年か経って、都会は住むところじゃないなっていうのが自分の中に出てきました。早いうちに地元に帰った方が新しい職を探すにもいいのかな、と思って米沢に戻ってきました。

—— 左官職人を選んだきっかけを教えてください。

求人を探していた時に、左官職人の文字に目が行きました。最初は左官がどのような仕事なのかイメージも特になくて、興味があった訳ではないのですが、建築関係の仕事って体が資本みたいなところがイメージとしてあったので。中学校は柔道、高校ではレスリングをしていたので体力には自信があって、手に職つけたいという思いがありました。

—— 実際に左官職人になってみていかがですか?

自分の性格に合っていましたね。今やめていないっていうことは、これからも続けていける。辛い部分もありますが、それ以上に多分楽しいということが勝っていると思います。天候にも左右されるし、大変な仕事で、自分との勝負です。

—— 左官の仕事のやりがいはどんなところにありますか?

大きい現場、商業施設や学校、マンションの仕上げ物になると、左官工事ではペンキの下地やクロスの下地で、なかなかその仕上げ物としてなかなか目に見えないのですが、漆喰の壁などは目に見えてわかるし、直接お客さまからの反応がわかる。それが1番嬉しいですね。

—— これからチャレンジしてみたいことはありますか?

何事もチャレンジですね。今までやったことがないこともそうですし。何十年経っても、チャレンジが続いていくと思います。新しい材料ができたり、新しいやり方があったり、昔のやり方だとしても、何事もチャレンジですね。

—— 人生で大切にしている価値観を教えてください。

米沢の人だったら、みんな知っている、上杉鷹山の「成せばなる」とか、沖縄ですけど「ナンクルナイサ」とか、やればできるというのは自分のどこかにありますね。やらないとできないのは当たり前。やらないと始まらない。もうすぐ2歳になる娘のために頑張ることで、そのモチベーションを保っていますね。

—— 1000年前から続いている技術を未来に受け継いでいくことについて

意識しなくても自然と受け継いでいかれると思いますが、自分としては体が丈夫な限り、ずっと続けていきたい仕事ですね。職人さんで1番高齢な方が74歳。楽しいからやりたいって、すごく元気でやっています。

 

「背中を見て覚える」時代は終わり、精神論よりも、いかにやりがいを持って仕事に向き合えるのかを、社長も社員の畠山さんも大切にしているように感じました。健康志向や自然派の暮らしが見直されている時代、左官の技術で仕上げる漆喰の壁は特に人気があると言います。人間だけが生み出せる仕事を、山形・米沢でチャレンジしてみませんか?

取材・文_山﨑香菜子