外から来たことを武器に。 新しい目線で米沢の強みを見つける

ナウエル 白土夏実

白土夏実さん
福岡県出身/米沢市在住/Iターン

—— 福岡出身の白土夏実さんが米沢市で暮らすことになったきっかけは、前職の会社での出向だそうですね。

そうです。2021年の2月末に株式会社ナウエルに出向という形で1年の期間付きで引っ越してきました。私は、高校を卒業後、福岡でブライダル関連の専門学校に進学し、全国展開しているブライダル企業に就職。そこでは「キャプテン」と呼ばれる結婚式当日の披露宴を担当し、全体を仕切る役割をしていました。3年ほど現場で勤務したあと一度は地元を出てみたいと思っていたところ、他部署から運良く声をかけていただいて東京へ転勤しました。

主にセールスやコンサルタントをする部署に異動し、今までいたブライダル業界とは全く関係のない商品を百貨店でセールスしたりもしていました。一方で東京での暮らしは楽しんでいた半面、肌に合わないと感じることも多く、いつかは福岡に帰りたいと強く思っていたんです。そのときに当時の社長から「山形に行ってみないか」とお誘いをいただきました。福岡出身の私からしたら、東北はイメージできないぐらい未知の場所。地元が好きな気持ちもありましたし、戻りたいという揺るがない思いもありました。1年という短期間でチャレンジしてみたい!と思い、山形へ行くことに踏み切ったんです。

—— 米沢市に初めて訪れたときの印象は、どうでしたか?

最初は引っ越すタイミングが2月ということもあって、雪もガンガン降っていますし、心が折れかけていました…。私の地元も雪が降る地域ではあったのですが、くるぶしぐらいまで積もったら学校が休校になるレベル。自分の背丈以上の雪が積もっているのに学校に行く子供たちの姿は、衝撃的でしたね。しかも、運転免許を持っていなくて! 今年の3月まで自転車と徒歩で行動していました(笑)。

—— 車社会の米沢で自転車と徒歩移動は大変でしたね…。暮らし自体も楽しめなかったのではないですか?

たしかに暑い中の自転車は大変でしたが、生活自体はすごく楽しかったです。暮らしていくうちに地元に近いのを感じて、不思議ですが「戻ってきた」と思えるようになったんですよね。私が生まれ育った街は、炭鉱の街で山に囲まれた地域でした。米沢市がその雰囲気と似ているんですね。東京にいた頃は、自分がどこにいるのかわからなくなっていました。人の多さ、情報量の多さ、それに押しつぶされて自分と向き合う時間を持つことさえできなくなっていたんです。地元が好きな理由は、遊びも仕事も自由にできて、選択肢もあり、人口も程よいところでした。米沢市は、その点が似ている。同じ環境下だったから好きになれたんだと思います。

市内にある「Side Slide Coffee」はひと息つきたいときに訪れるコーヒーショップ。

—— ゆったり暮らせることに安心感があったんですね。職場以外にお知り合いはいらっしゃったんですか?

まったく! 一緒に出向してきた職場の先輩以外は知っている人はいませんでした。でも私がナウエルで担った仕事は、「ナシ婚層」への新しい結婚式の提案。「ナシ婚」とは、婚姻届だけを出して、結婚式はしないことを言います。コロナ禍をきっかけに8割の人が結婚式をしない選択肢をするようになったそうなんです。その8割に対して新しいウエディングの商品開発をするのが私のミッション。婚姻層が日頃何をしているのか、米沢で何が求められているのかを知る必要があります。その偵察も含めて、米沢で気になったお店にどんどん行ってみたんです。今回、撮影場所として指定させていただいた「Side Slide Coffee」もそのひとつ。ここのオーナーである佐藤健さんには、大変お世話になりました。

オーナーの佐藤さんとの出会いを皮切りに米沢でのコミュニティが広がっていった。

—— コミュニティーの輪は、どうやって広げていったんですか?

「オススメのお店を教えて下さい」とお店の方に聞いていきました。中にはオススメのお店に連れて行ってくださる方もいて、次に私が1人で行ったら店主の方が覚えていてくださって繋がって……というように、どんどん広がっていきました。

—— すごい行動力ですね。元々コミュニティー能力は高いほうなんですか?

全然です(笑)。本当は、人見知りなんですよ。大勢の飲み会とか苦手ですしね。でも仕事の情報を集めなくてはという使命感もあったんだと思います。私自身、おしゃべりが好きなので、話し相手ができることがうれしかったのもあるかもしれません。

—— 新しい土地で最初の一歩を踏み出す秘訣は、ありますか?

私の場合は、自分はウイルスだと思ってそれを前提に突撃しました。もし何かを言われても気にしない。「そうです、私は外から来たんです」ってテンションで(笑)。ずっと米沢にいらっしゃる方にとって当たり前のことも私は知らないじゃないですか。それこそ「芋煮ってなんですか?」ですし。だから向こうに「え、そんなものも知らないの!?」って言わせちゃう。知らないことを教えてあげるのを楽しいと思ってくださる方にとっては、有効的。西日本と東日本とで空気間の違いを感じまして…とても保守的というか。もちろん、全員ではないですが最初の壁を壊すまでは距離を感じる印象がありました。でも、打ち解ければ親身になってくださる方ばかりでしたね。野菜やフルーツをいただいたり、慣れない土地での生活を心配して声かけてくださる方もいらっしゃいました。

—— お話にも少し出ましたが、完全に移住することが決まったのは、旦那様との出会い。人生を変える大きなターニングポイントですね。しかし、福岡が地元の白土さんにとって東北で結婚することは相当な決意が必要だったのでは。

不安ももちろんありましたが、”田舎で暮らす”ことに対してネガティブではなかったです。コロナ禍での移動ということもあり、福岡にもなかなか帰れなかったり、東京に出張へ行くことさえ周りに言いづらい状況。精神的に辛いときもありました。両親に泣きながらビデオ通話することもありましたけど、離れているからこそプラスもマイナスも相談しやすくなり、逆にいい関係が築けているように思います。私が何でもオープンに話しているので、両親も離れていることに対して不安がないようです。あとは彼の大きなサポートもあり、置賜や東北いろんな場所へ連れて行ってくれるのでこの場所の魅力を沢山感じています。

人生2回目のスキー。雪のアクテビティがあるのも置賜の魅力の一つ。

—— 1年という短い期間にそこまで米沢を好きになれるほど、魅力を見つけられたんですね。

食べるのが大好きなので、お米の偏差値の高さに惹かれたのもあるんですが(笑)。それ以上に活力のある20代〜40代の若手が多いことに魅力を感じました。若くして起業されている方もいらっしゃいますし、人のエネルギーがものすごくあるんです。地方ならではの助け合いの精神もある。人付き合いが深いことで、私自身不安が解消されたことが何度もありました。私は仕事柄もあってUターンや移住をされた方と関わることが多いのですが、そういう方たちは米沢で第二の人生を歩まれている印象があります。自分と向き合ったり、余裕をもって仕事、生活ができる。それは地方だから得られるものなのではないでしょうか。都会には遊ぶコンテンツがたくさんあります。でも深呼吸を思いっきりできる場所は少なかったように思うんです。米沢に来てから、外に出て深呼吸をしたり、空を眺めたり、自然を感じる場面が増えました。感受性が豊かになったのを感じています。

米沢で初めて食べた料理のひとつが「盛岡冷麺」。おいしさに驚いたそう。

—— 移住、結婚と目まぐるしい1年でした。これから挑戦したいことはありますか。

6月末で米沢に来るきっかけとなった会社を退職し、7月から正式にナウエルに入社いたしました。私の仕事は、UIJターンの人材採用や移住促進。民間だけでなく、行政も巻き込みながら取り組む業務です。そのほかにも米沢の良さを発信するお仕事や自治体からのお仕事も引き受けています。どの業務も、外から来た目線は大事だと思っているので、それを活かしていきたいと思っています。

—— 最後にこれから移住をしたいと考えている方にメッセージをお願いします。

新しい事業をされている方や若い経営者の人は、外に発信していることが多いです。仕事を見つけるときにそういう発信を気にしてみると、良い出会いがあるかもしれません。また、もし自分で何かをしたいと考えているときには、すでにスタートされている方に相談してみるのも策。米沢の人たちは団結力があるので、一緒に解決してくださる方に出会えると思います。外から来ることで萎縮されるかもしれませんが、逆にそれを武器に。「東京にいたんです」と堂々としていれば優遇されることも増えますし「意見を聞きたい」と頼られる場面もあると思いますよ。

取材・文_中山夏美

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