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災害からの復興。日本における建設業。地域の安全と住民の生活を守る。

林建設工業株式会社 / 事務職

インタビュー記事

更新日 : 2023年08月07日

林建設工業は土木工事事業と建築工事事業に加え、船舶による海洋工事事業も手がけている。船舶を保有し作業ができる体制を自社で整えているのは、県内の地方総合建設会社においてはなかなかない事業である。林建設工業は林組を前身としており、とび・左官業が業務の基礎である。今では一般土木工事、一般建築工事、住宅工事、河川工事、港湾工事、漁港工事等多岐にわたる施工実績によって地域の発展に寄与し、歴史的災害である酒田大火や中越沖地震、東日本大震災等においても生活再建のために工事で貢献してきた。総合建設会社として地域の発展や復興に携わってきた林建設工業で、建設業のいま、そして未来を聞いてみた。

林建設工業株式会社 事業概要

創業は大正8年(1919年)となり、2019年で創業から100年を迎える。道路建設などの土木工事事業と建築工事事業に加え、船舶を保有し海洋工事事業も手がけている。土木から建築、そして海洋工事とトータルな範囲で工事を手がけることができる体制を社内に整えている建設会社だ。 林建設工業の本格的なスタートは戦後の復興がきっかけとなり、オリンピック、高度成長時代へと続き、時間の経過とともに現在では、地域の安全と生活を支えるためにしっかりとした建造物を地域に残していくことを理念として工事を行っている。 代表取締役専務の林耕太郎の言葉を借りるなら「地域を支える“土台”を作る」ことが建設業の仕事である。

地域の生活を守る仕事

2019年で創業から100年という歴史を持つ林建設工業。ただしその歴史は第二次世界大戦で一度中断されている。代表取締役社長の林浩一郎と代表取締役専務の林耕太郎の祖父達が故郷に帰ってきたときに林建設工業の前身である林組の再建をしようという志が原点となっている。「祖父達はそのとき“酒田市という地域生活の維持”を考えたそうなんです。そこから私たちの建設業は始まっています」と林は話す。

本格的に海洋工事事業に参入したのは1966年である。この時、起重機船「第一建林号」を建造。 54年、以来、半世紀以上の実績を持つ。その間、酒田港から鼠ヶ関迄(山形県全域)の漁港建造を中心とした工事、時には新潟~青森~宮城へと旅立ち、その土地、その土地の海洋工事に携わってきた。

東日本大震災の際も、陸から除去が不可能なガレキを海側から取り除くために林建設工業の船舶が駆けつけて作業をしたという。建設業は災害等の非常時に多くの関係者が近接地域から派遣され災害支援に向かう。そんな側面も我々建設業が担っている。という。

「これから先の建設業と問われると“わからない”と言わざるを得ない。ですが、これからの林建設工業は、という問いの答えは“しっかりとした建造物を残していくという精神を持ち続けること”」と林は話す。それが地域の安全、住民の生活を支えることにつながると考えているという。

現場の視点からの“見えない仕事”

林専務の言う“支える”という観点。土木工事にしろ、建築事業にしろ、地域を支える土台を作るということにつながっているという。工事の現場に出る人間としてはその感覚をどう受け取っているのか。土木、建築、船舶作業のそれぞれの分野で活躍する、佐藤国志(土木)、登坂司(建築)、榎本貴(船舶)の3人に話を聞いた。目の前の「見える仕事」と仕事の結果がもたらす「見えない仕事」という感覚を3人とも持っていた。

登坂:私は建築工事の仕事をしているので「支える」という意識があるかというと難しいところ。支えるという感覚よりも、「必要なものを作っている」という感覚のほうが近いですね。そのひとつの例は日本海病院関連の仕事ですね。それはデザインとしてかっこいい建物だとかそういうものではない。建物の意味としては、よりいい医療に必要なもの、ひいては患者さん、地域の人たちの生活に必要なもの。そういった工事に従事しているときやそれが完成したときは、さきほど言った生活に必要なものを建てて地域や住民のみなさんとつながっているという感覚があります。

佐藤:私は土木工事の現場監督をしているのですが、支えるという感覚は建築よりも土木のほうが強いかもしれませんね。例えばひとつの道路を整備した。そこはそうしなければ救急車両が入ってくることもできないところだった。そうなれば目に見える形で「支える」ということにつながっていますから。もうひとつ、いま日本海沿岸東北自動車道の工事に参加していますが、そういったひとつの道路を整備したときに、生活が便利になるとしたら、それは生活を支えるということ。それは目に見えることではないので、あまり気にならないことだと思うのですが、生活が便利になるというのはそこの地域に住む人たち、そこを利用する人たちの生活を支えているということにつながっていると感じています。

榎本:私の仕事は、海洋にしろ陸上にしろ、重機に乗って工事をするという仕事ですね。そういう仕事をしている場合は、ひとつのプロジェクトのすべてに参加するわけではありません。重機作業が必要な工程にスポットで呼ばれるという感じが近いですね。だから支えるという感覚は薄いかもしれません。もちろん、ふたりの言うように、それが結果的に生活に関わっているということは感じますが、目の前の仕事をこなしているときにはあまりないというのが正直なところです。

佐藤:でも今年の夏に消波ブロックの設置をしたでしょ。それは文字通り「支える」っていうことだよね。

榎本:ああ、たしかに。重機作業は地震後のライフライン復旧などの作業に協力することもあるんです。僕自身も東日本大震災の復旧で宮城県に行ったのは、船舶で海中に沈んだガレキを撤去して、漁業者が漁を再開できるようにするための作業でした。もちろん作業中は目の前のことに集中してそれどころじゃないですけど、ふとした瞬間にみんなの言う「支える」という感覚が浮かんでくることはありますね。

自分の考えや想いが反映される仕事を

最後に三人に「これから」というテーマで、自分の仕事の話をしてもらった。土木、建築、船舶海洋工事。現場監督と特殊技能を活かした作業。それぞれの仕事内容、それぞれの立場により違った想いを話してくれた。

佐藤:私は計画する側にも参加したいという気持ちがあります。仕事の流れとしてより上流の部分。

登坂:それは私もありますね。例えば見たこともないようなものを作るみたいなことの計画に携わりたい。そうすると、より自分の考えや想いが反映される仕事になると思うので。ただし公共工事など、仕事の特性上、難しいかもしれないけれど。

榎本:僕は「いまのまま」。技術も経験もいまの会社に育てられたという感覚がすごく強いので、このまま目の前の仕事をきちんとやっていきたいです。

佐藤:「この会社で働きたい」と思われるような会社になりたいですね。これまで話してきた仕事の内容、やりがいもそうですが、働き方とか社風でもそうなるようにしたいと思っています。

登坂:笑顔で仕事がしたいよね。

榎本:船舶のメンバーは本当に仲がいいんですよ。すごく楽しい。一度船に乗ると数日は生活をともにすることがほとんどなので、いまの環境は本当にありがたいですね。

戦後復興の想いから始まった建設業。その想いは引き継がれ、「きちんとした社会資本を残していくことで、地域の生活を支える」と林専務は言っていた。今後もそれが変わることはない。現場で働く人間もその感覚をそれぞれの分野と仕事で、それぞれの感覚として受け取っている。