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車検整備を中心に,お客さまのカーライフをサポート

株式会社八幡自動車商会 / 自動車整備士

インタビュー記事

更新日 : 2023年12月22日

庄内の生活には必需品の自動車。その安心、安全を60年以上の長い日々守ってきたのが八幡自動車商会。しかし、地域社会に安全を提供するとともに、グローバルな世界に目を向け、世界にも羽ばたく場所であった。

株式会社八幡自動車商会 事業概要

 創業は1962年で、60周年を迎えた歴史のある会社。1967年に現在の株式会社八幡自動車商会に商号変更し、自動車整備工場として地域の安全を担っていた。 1969年にランボルギーニ・カウンタックの車検を請け負い、日本で初めて許可を得る仕事を行った。1998年に車検のコバック庄内八幡店をオープンしたのを始めとし、軽自動車専門店fino(ふぃの)、鈑金のモードリーを運営し、軽未使用車販売から車検、鈑金までの全サービスをワンストップで提供している。  現在、これらの仕事に加え、世界への事業展開に挑戦している。 60年の歴史で培ってきた整備技術は世界的にも評価は高く、その技術をもとに部品の輸出入のほか、外国人向けの整備士教育アプリ開発、特許を取得したIoTを利用したレンタカーサービスを展開している。 庄内地域の安全というミクロ的な視点を根本におき、その先では世界というマクロな視点での事業展開もする。大きなチャレンジを続けている会社である。


物心両面の幸せ
三人へのインタビューの前に、代表取締役社長の池田等に話を聞いた。
そのときに出てきた言葉が「誰もが夢を持ち働ける場所」という言葉だ。高度成長期の真っ只中の1962年に創業し、一般の家庭にも自動車が浸透した時期からその安全を守ってきた八幡自動車商会。
「自分の幼少期を振り返ると、両親はものすごく頑張って働いていたことを思い出します。まさに昼夜問わずといった感じで仕事に向き合っていました。」

 自らがUターンで庄内に戻り、八幡自動車商会に入ったときにも、純粋に正面から仕事に向き合っている人たちに出会い、感動したという。
「しかし、それとともに衝撃を受けてしまったのが、整備工場、そしてあれほど真面目に仕事に向き合っている整備士の地位が低かったことです」とも話してくれた。
「例えば、一日の仕事を終えたダンプカーが入ってきて『明日の朝までに直しておけ』と言われるのは日常茶飯事の事。
衝撃的だったエピソードとしては、雪が積もった冬の農道で田んぼに落ちた軽トラックの引き上げ要請が入り、急いでベテランメカニックと現場へ急行した。
当時は十分な機械設備もなく、深々と雪が降る中2時間以上悪戦苦闘したが、ぬかるむ田んぼに雪が積もった状況は、想像以上にタイヤがとられ引き上げは難航した。
その時に、一流の整備技術を持った職人のメカニックに対し浴びせられた言葉は、『役に立たない。お前らは、牛以下だ!』その時池田は、心から尊敬する職人メカニックに対するこの扱いに、悔し涙を流したという。」

 そこで池田が思ったのは“物心両面の幸せ”を社員に感じてもらう会社づくりだ。まずはその心。働くことに誇りをもってほしい。
なぜなら、八幡自動車商会の仕事は、池田の言葉を借りれば「地域の人に安全を提供する仕事」であり、「地域生活のインフラを支える仕事」だからだ。
その想いを社員と共有し、自動車とお客様に向き合うことで、より豊かな仕事をしていくことができるのだ。実際に、車検の現場においても、事務的に作業を進めるのではなく車のお医者さんという考えで、お客様の生活にあったさまざまな提案をするという。
その結果「親身に相談に乗ってくれてうれしかった」という言葉をもらうことも多いという。


お客様の生活スタイルを創造する
それは自動車販売にしても同じである。話を聞いた販売事業部部長の金子聡はこう言う。
「営業職についた当初から3年目ぐらいまでは、実は車がまったく売れなかったんです。いろいろと考えているつもりではあったのですが駄目だった。
そんなときに、昼間に『少し考える時間をください。』そう言って購入までいたらなかったお客様に夕方にもう一度お話をさせてくださいと電話をしたんです。そうしたら『もう購入しました』とおっしゃったんです。
つまり、私のところではなく、別のところで買ったということです」
 それが衝撃だったという。車はほしいけど、あなたからは買わない。そう言われたように感じられたという。ただし、そこで悩んでいたことに少し光が差したようにも感じられたそうだ。

つまり、営業とは自分を買ってもらわなければいけないということに気づいたのです。
そのためには、自動車だけでなく、お客様のことを考えなくてはいけない。生活スタイルもそれぞれ違うし、年齢、性別、すべて違う。そのお客様に合わせた提案をしなくてはいけないのです。そうすれば、私という個人の話、提案をきちんと聞いてくれる。そして自動車の魅力を伝えられる。そこから少しずつ営業の成績もあがっていきました」
 自動車を売る。たしかに自動車はスペックも価格もデザインもさまざま。それぞれの魅力があって、それを伝えることも大事だ。しかし「くるま」は生活の一部。誰が乗って、どこへ行くか、それぞれの生活スタイルによって全く違う。
その生活スタイルを創造するのが、自動車販売という仕事であるのだ。
「地域の安全、インフラを提供する仕事」という言葉はこうして浸透していっているのだ。金子はいまマネジメントの立場におり、そのときの気持ち、そして「お客様の生活を大事にする営業」をチームのメンバーと共有し、指導にあたっている。


誰もが夢を持ち働けるチーム
誇りを持って働くというのは、やりがいのある仕事ということにもつながっているはずだ。八幡自動車商会ではその環境づくりにも力を注いでいる。
各社員のニーズに合う仕事と目標が与えられ、補欠のいないチーム作りを行うようにしているのだ。
仕事のやり方についても時間や条件など、各社員のライフステージに応じて変更できる多様性と豊かな選択肢を大事にしている。
人事総務を担当する齋藤大地は従業員に生き生きと働いてもらいたいという。
「物心両面の幸せという言葉には『物』という言葉が入っています。それは言ってしまえば給料です。私どもは5年後に、いわゆる東京水準の給与となることを目指しています。それはきっと『心』にもつながっていくことだと思っています。私たちは成長制度ともいえるものを導入検討しており、それぞれの経験、実績、そしてライフステージに応じた仕事があり、それと給与がリンクして自分が成長していることを実感できる制度です。それがやりがいにつながってくれればと考えています」
 そして続けて、その中で常にチャレンジしワクワクするような仕事ができればいいと言ってくれた。


成長のチャンスがどこにでもある環境
林佳柔は台湾出身。大学時代に新潟大学に留学し、大学に会社説明会に来た八幡自動車商会のチャレンジ精神に魅せられて卒業後に入社した。
「小さいころに日本語をしゃべっている台湾人が活躍する映画があったんです。今思えばそれを観て『かっこいい』と思ったのが日本語を学ぶきっかけだったと思います。大学では日本語学科で学びました。大学卒業時に台湾の企業から内定をもらっていたのですが、仕事でも日本語を生かしたいと思っていました。そこでより成長できるかもしれないと思い、八幡自動車商会の面接を受けました」
 そこで若手が活躍していることや世界への事業展開など、自由でチャレンジングな社風を感じて入社を決めたという。それを実行するように入社3年目にして整備チームのリーダーとなり、若くしてマネジメント業務も手掛けた。
「本当にチャンスの多い職場だと感じています。『こうなりたい』『こうしてみたい』というのを上司やチームメンバーに話すと、それを支えてくれる。だから誰にでも相談がしやすいんです」

社員の全員が日報を書くのを日課としているという。そこには建設的な提案も少なくないそうだ。
しかもそれを、社長をはじめとした経営陣も目を通している。だから年齢や地位とは関係なく、「これをやってみたい」「ならばこうしてやってみたら」というコミュニケーションがすぐに成立するのだそうだ。
 

 社員の教育プログラムも充実している。専門的な研修はもちろんだが、哲学、教養とでもいうべき、ものの考え方や捉え方を育むことにも積極的に取り組んでいる。そのうちの1つが「夢のマスターリスト」というものだ。
自分の夢を100個ほど書き出す。単純にも思えるが、これが実は難しいという。そして具体的にになった自分の夢や目標を達成するために、逆算して、年、月、週、日ごとに何をすべきか明確な行動計画を作成していくというものだ。
金子は「最初は何個かでてくるんです。でも、そこから先はまったく出てこなくなってしまう。自分がこの先の人生でどのようになっていきたいのか、具体的に描けていないということだったのだと思います」と話す。
林はこの夢のマスターリスト、そして行動計画に営業部門でトップセールスになることを描いたそうだ。そうすることで「道筋」が見えてきて、実際に日々の商談でも1つ1つのプロセスまで明確になり、ご成約いただくくことも増えたという。
「いま、この夢のマスターリストをやるとしたら、会社のことをすべてわかっている人になりたいと書くと思います。ひとつの会社を経営する人になりたいと思っています。そうなれれば、どの現場でも広い視野でいろいろなものが見えて、チャレンジしていけるかと思っています」と林は話してくれた。
 入社から4年という、言ってみれば若手の口からこういった言葉が出てくるのは、誰にでも常に活躍の場があるということの証左ではないだろうか。金子も「私は説明会のときの活気がすごく印象に残っています。実は就活当時は自動車にはあまり興味がなかったんです。それでも若いスタッフが生き生きと楽しそうに仕事をしているのが印象的で入社の決め手になりました」と話す。

 先程の日報がひとつの例だが、社内をつないで成功体験やノウハウを共有する仕組みが作られている。そこにはもちろん失敗の例もある。しかし、それはネガティブなものではなく、より高みを目指すチャレンジとして共有されるのだ。ただし、この自由な社風には責任も伴う。「どうすればいいですか、という曖昧な問いかけにはあまりいい答えは返ってこないですね」と齋藤は笑いながら話す。「それよりも『自分はこうしたい』という言葉には、ものすごく力になってくれるんです。チャレンジは強く後押しをしてくれる。だからものすごくやりがいのある環境です」

 
 話を聞いた3人とも「自由な社風」という言葉を口にしていたが、それは常に自分が考え、行動するというチャレンジ精神のことなのかもしれない。

八幡自動車商会はチャレンジを続ける。60年以上地域の安全を守ってきた自負は当然あるだろう。ただし、それだけにはとどまらない。見据えているのはグローバルな展開だ。自動車部品の輸出入だけでなく、これまでの歴史の中で培ってきた技術を世界展開する。日本の整備士になりたいという外国人に向け、教育プログラムを開発し、配信している。整備士にはものすごく細かな知識が必要になる。それをそれぞれの言語で精密にカリキュラムを作って伝えている。はっきりいってしまえばものすごく面倒な仕事である。それでも、誇るべき技術を伝えるという仕事を展開しているのだ。そうして世界への挑戦を続けているのだ。
 庄内というミクロな世界と、グローバルな展開。その両面で事業を展開できるのは、「チャレンジ」というキーワードでつながっている会社だからかもしれない。

株式会社八幡自動車商会 代表取締役 池田等

私たちは自動車整備工場から始まった会社です。しかし、現在は整備だけではなく、販売から整備、車検までワンストップでサービスを提供しています。そうすることで、地域のみなさまに安心、安全を提供していると自負しております。
また、世界に向けてさまざまなサービスを展開していきます。だから私たちの仕事は「モビリティ事業」です。自動車を通して、生活を豊かにする。それが私たちの責任だと思っております。
 もうひとつ、会社の目指すところは「社員の幸せ」です。それは「物心両面」においてです。給与面でも5年後には東京水準となることを目指しています。
それを実現するためには、庄内や山形をベースにした内需型ビジネスだけでなく、海外に目を向けた外需型のビジネスにも参加する必要があります。
現在進めている海外事業もありますが、そのほかの可能性も探り、常にチャレンジをしていきたいと思います。
 そして「心」の幸せのため、やりがいのある仕事となるように職場環境、制度を整えてまいります。常にチャレンジし、ワクワクするような人生をみなさんに送ってもらうことが会社の目標です。ぜひ、みなさまの応募をお待ちしております。