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「まずはやってみよう」精神で、チャレンジし続ける先駆者

株式会社渡会電気土木 / 産業廃棄物リサイクル業務担当

インタビュー記事

更新日 : 2023年12月12日

電気工事に関連する会社として創業し、光ファイバーの設備工事など、時代の一歩先を見通して成長を続けてきた渡会電気土木。SDGsが日本に浸透する以前から、木質ペレットに注目し、環境にやさしい燃料を提供してきた。会社や工場から私たちの家まで、どこにでも電気がある当たり前を実現するために、いつも新たなチャレンジを続けている。今回は会社の歩みを振り返るとともに、現在取り組む事業だけでなく、今後の展望も含めて最前線で働く社員4名に未来展望を聞いた。

株式会社渡会電気土木 事業概要

「ダムの電気からご家庭の電気、電気通信まで」という社是のもとに、電気工事、電気設備、環境の三部門を中心に、電気関連事業を展開する。それに付随する形で、各種土木工事部門を整え、社内で関連工事のすべてをカバーできる体制を持っている。 創業は1971年。電力会社の電柱の設置工事がスタートだった。時代の流れを読み、当時としては珍しい機械化を進める大胆な設備投資をして、事業を拡大する。その後、通信関連のフィールドが重要になると見るや、光ファイバー関連事業にいち早く取り組むなど、時代とマッチする形で急成長を遂げた。 そしていまから20年も前の2001年にクリーンエネルギーの燃料として木質ペレット、木質チップの製造、販売事業をスタートさせる。家庭用のストーブから工場などの大型施設の暖房装置の燃料を提供する。現在はバイオマス発電の燃料も一部供給している。また、ペレット製造プラントを海外に輸出するなど、積極的な事業展開も見せる。 今後も「そこに電気があるという、当たり前の生活」を支えるために、最新技術を取り入れチャレンジを続けて進化していく。

会社を支えてきたチャレンジ精神

2021年で創業50周年を迎えた株式会社渡会電気土木。電力会社から電柱設置を請け負ったのがスタートだ。現在は、電気工事、電気設備、環境の三部門を中心とした事業を展開し、自社ホームページにもあるように「ダムの電気からご家庭の電気、電気通信まで」を支えている。

よりわかりやすいように、この三部門を詳しく分解してみていきたい。

まずは電気工事部門。創業から続く、渡会電気土木の根幹ともいえる事業だ。電柱設置がスタートという話はしたが、当時、とくに山形県内では、工事を人力で行うことが一般的な時代だった。そのなかで最先端の技術や機械を導入するため設備投資をし、工事の効率と安全性を高めていった。それが評価され、電柱だけでなく電線ケーブルの設置などのそのほかの電気工事へと広がっていった。また、この部門では、大型施設の照明や街灯などのデザイン、設置も行っている。加えて、変電所関連のメンテナンス、太陽光パネルの設置工事といった、発変電関連事業も含まれている。

電気工事部門は収益の柱となっており、会社の安定的な経営を支える部門である。また、発電所から家まで、つまり暮らしに電気を届けるためのインフラを整備するという点でも、渡会電気土木の理念を実現する重要な事業部門である。

次に、電気設備部門のシステム通信事業だが、これは渡会電気土木の歴史のなかで成長のターニングポイントにもなった事業だ。当時、それほど設置の広がっていなかった光ファイバーの分野に、先駆けるように参加したのだ。新しい領域への一歩を踏み出したのは、渡会電気土木の持つ「チャレンジ精神」が後押しをした結果だ。

現在光ファイバーのほかに、ケーブルテレビや電話回線の工事などの設備工事を担当している。また、道路に設置されるカメラや携帯電話基地局の工事を行うなど、広く私たちの生活全般に関わる事業を展開しており、渡会電気土木の掲げる「当たり前の生活を実現する」というモットーと密接にリンクする事業部門ともいえよう。

このチャレンジ精神を更に如実に表しているのが、三つ目の中心部門の環境事業部門だ。

環境事業部門が本格的にスタートしたのは、2001年のこと。一般家庭用ストーブや企業向けボイラーなどの燃料として木質ペレットを製造、販売したことにある。1997年に京都議定書が制定され、世界的に再生可能エネルギーが導入され始めたことを考えれば、その最初の一歩から着目し、行動していたことになる。ちなみにSDGsが国連で採択されたのは、2015年のことだ。渡会電気土木が環境事業部門をスタートした約15年後のことである。環境事業はその後、バイオマス発電所の木質チップ燃料の供給という分野にも広がり、まさに再生可能エネルギーの一翼を担う事業となっている。また、木質ペレットの製造プラントは、海外からも注目が集まっており、田代工場は海外からの視察団も多く訪れるモデルルームにもなっている。プラントの完成度は高く、プラント設備をそのまま輸出する事業も行っている。現在、新型コロナウイルスの流行で海外事業はストップしているが、今後流行が収まれば、再度海外への展開も考えていると言う。

会社や地域に必要なものは何かを常に見て、必要とあればすぐに着手する。そのチャレンジ精神が会社に息づいているのだ。海外視察も積極的に行い、世界の流行や最新技術も常に敏感に感じ取っているのが渡会電気土木だ。現状の事業拡大を行いつつ、海外も含めた事業領域を広げていくことも視野に、力強く未来を見据えている。

エネルギーのすべてを支える企業になりたい

これまで中心三部門を詳細に見てきたが、それら全てを支えているのが土木部門だ。例えば電柱を建てる場合、そのまわりに木が立っていたらどうするだろう。抜くか切るかして土地を整えないといけない。となれば、専門の業者に頼まなくてはいけない。その専門の業者が、土木部門として社内にあるのだ。だから、電気関連工事においてすべてをワンストップで完成させることができる。このように多種多様な分野が社内にあるのが渡会電気土木の強みなのである。

では、これからの展望、もしくはチャレンジはどのようなものがあるのだろうか。まだ事業としてないものは、エネルギーのスタートである発電、つまり発電所である。

決して夢物語ではなく、いつか庄内に渡会電気土木の発電所を創ること、それは将来必ず成し遂げたい未来の一つであるという。エネルギーのすべてを事業領域として、安定した生活、豊かな生活に貢献を目指す 渡会電気土木のチャレンジは、庄内地域に根ざしかながら、確実に、力強く、前に歩み続けている、

社員それぞれのチャレンジ

ここからは、この「チャレンジ」というキーワードを軸に、現場で働く4人のインタビューを紐解いていきたいと思う。

 

インタビューに参加してくれたのは、配電部の鈴木亘、電設部の佐藤和樹、環境事業部の清和真弓、同じ環境事業部の成澤要史の4人だ。

「実は、私はいまやっている、木質ペレットのネットショップの運営という仕事そのものがチャレンジなんです」と清和は言う。

もともと、別の会社でCADを使って設計図などを製作していたが、結婚を機に退職。子育てが落ち着いたところで渡会電気土木に入社した。そのときに配属されたのがネットショップの運営管理だった。

「システムに強いわけではないし、サイトのデザインも含めてまだまだだと感じています。だから毎日がチャレンジです。それを支えてくれるのが会社だと思っています。まずやってみようという姿勢で応援してくれるので、チャレンジもしやすい。失敗をすることもありますが、それが次に生きればいいというふうに後押ししてくれるので、本当に楽しく、前向きにチャレンジができていると思います。」と言う。

同じ環境事業で木質ペレットやストーブの営業をしている成澤も多職種から転職してきた。青森県の八戸市出身で、高校卒業のあと、東京へ出た。専門学校を卒業し、スキューバダイビングのインストラクターなどをしていた。

「結婚と妻の妊娠を機に、子育てのことも考えて、妻の実家である鶴岡に移住してきました。八戸は青森ですが、たぶんみなさんが思っているより雪が降らないんです。だから、こちらの冬とかどんなだろうとか不安はありましたが、来てみれば何のことはない、不安はなくなりました」

逆に、食事はおいしい、自然は豊富と、不安などどこへやら。特にダイビングのインストラクターをやっていたほど、体を動かすのが好きという成澤にとっては、海がすぐそこにあり、振り返れば山がある、という環境は思ってもみないほど楽しい生活だと言う。成澤はこれからのチャレンジをこう語る。

「ペレットストーブはイニシャルコストが少し高いなどのデメリットがあるのも事実。ただし、設置後の燃料コストなどは、薪ストーブに比べると比較的安い。あとは環境にやさしいものであることが大きなメリットです。そのあたりをきちんと説明して、もっとペレットのマーケットを広げたい。それが自分にとってのチャレンジですね」

ペレットストーブの認知度は、コロナ禍でおうち時間が増えたせいもあり、やさしい炎が見える暖房、ということで注目が集まり、少しずつ高まっていきていると言う。お客さまからの直接のお問い合わせも増えたそうだ。庄内地域で、燃料となるペレットも含めて製造販売している会社はほとんどないため、
「人と会うのが好きなので、いまの仕事にはやりがいを感じています。一般のお客様から企業の担当者といったお客様だけでなく、ペレットやストーブの製作の人などのスタッフも含め、多種多様な人たちとお付き合いがあり、その縁を大事にしていきたいと思っています」と成澤は話してくれた。

他事業部の活躍が励みに

環境事業部門の行っている木質ペレット製造。鶴岡市にある田代工場をはじめ、いくつかの工場で製造をしているが、そのプラントには海外からも注目が集まり、田代工場には海外からの視察団が訪れることも多い。これらのプラントは渡会電気土木のチャレンジ精神が作り上げた側面もある。設立当初は、木の粉塵の処理が難しく、従業員の労働環境が悪かった。それで製造もままならないということもあったそうだ。ほかにもさまざまなハードルがあったが『まずやってみよう』と従業員同士で声をかけ、ひとつひとつ試行錯誤して問題をクリアしてプラントを作り上げたという。

その設備は高く評価され、プラントをそのまま輸出するという事業も行った。また、2013年からJICAが行っているモルドバ事業の一環として、モルドバ共和国に木質ペレット製造設備を導入。同国の学校施設における冬期間の暖房燃料が不足している問題に一石を投じるプロジェクトとして、日本の施工技術と生産技術を伝える事業にも加わった。

「環境事業部門が海外とのやりとりをしているのを見ていると、同じ渡会電気土木の社員として誇りを感じると同時に、こちらも負けていられないと刺激にもなります」  そう話すのは配電部の鈴木だ。鈴木は地元、鶴岡市櫛引の出身。ずっと地元のサッカークラブに所属し、渡会電気土木がそのチームの協賛をしていたことが、入社のきっかけだったと言う。サッカーを通して地元を盛り上げたいという想いもあり、地元の企業に就職したいと思っていたところ、現在の会長と会うことがあり、「じゃあ、うちで働いてみてはどうだ」と声をかけられて入社を決意したそうだ。

「今はプレイヤーとしては引退しましたが、コーチなどでこれからも地元のサッカー、とくに子どもたちのチームは応援していきたいと思っています。これもひとつのチャレンジです。仕事でのチャレンジは、常に進化や改善の機会を見逃さないことです。例えば生活の中に必ずある電線や電柱などを見ると、職業柄、『もっとこうしたらきれいになるのに』と感じることがあります。特に県外など地元から離れると、より敏感に見るようになります。最前線の現場にいる僕らだからこそ見える課題や、考えられる解決方法が実際に多くありますので、常に世の中に敏感になりたいと思っています」

電設部の佐藤は入社までの間にもさまざまなチャレンジを続けてきた。高校卒業後、神奈川県で就職。当時は「都会には何かある」といういわば盲目的な憧れのようなものがあったと言う。しかし、実家が大工ということもあり、木造建築の電気工事をしたいという想いがありUターン。そして地元で木造電気工事の仕事を4年ほど続けた。そのときに地元にもやりがいのある仕事があること、キャリアアップも可能であることに気づいたそうだ。

その仕事を続けるうちに建築にも興味を持ち、24歳のころに東京に再び学びに行き、渋谷の夜間部専門学校に通い始めた。その傍ら日中はファイナンシャルプランナーの勉強やインターンもしていたと言う。「最初はとにかく都会に行きたいというだけ。一度戻ってきて、じっくりと考えて、二度目に東京へ行ったのは、きちんとそこでしか勉強できないことを学ぶためでした」と話す。そして学校を卒業後、地元に帰り住宅メーカー、設計事務所で研鑽を積んだ後に渡会電気土木に入社した。

山形と東京の両方で仕事をして感じたのは、働き方に対する意識の違いだと言う。都会は成果主義、田舎は人と人のつながり、という感じを持ったそうだ。

「どっちがいいか悪いかはわかりません。ただし、少なくとも、自分には山形のほうがあっていると感じています。特に渡会電気土木は、人と人の繋がりというところを強く感じます。それぞれの持っている強みを活かし、弱みをサポートする。すごく仕事のしやすい環境です」

今後のチャレンジを聞くと、「まずは自分の実力を磨いていきたい」と言う。「日々の仕事をルーティーンとして『こなす』だけでなく、きちんと反省をしながらスキルアップしていきたいです。その先には、いまと同じように、安心、安全、そして豊かな生活というものがあるのかもしれませんが、自分を磨いて新たな技術や環境の変化についていくことが必要。それが私にとってチャレンジです」と話してくれた。

それぞれが目標を掲げて、それに向かっていく。会社に息づくチャレンジ精神が浮き出るようなインタビューだった。しかもそれは確実に「人々の生活」に密着しているものだ。最後に鈴木が語ってくれた言葉がそれを物語っていた。

「わたしたちの仕事は、電気などのエネルギーを通じて、人々の生活、当たり前の生活を守ることだと思っています。それを実感したのが、災害復旧支援で現地に行ったときのことです」

鈴木は、東日本大震災の翌日から数週間にわたり、被災地で電気工事の復旧支援に従事。そこで見たのは、まさに地獄のような惨状。その中でも、自分たちに出来ることをしっかりやり遂げようと、着々と電設工事を続けた。

「そして、作業後に電気が通り、アパートにパッと灯りがともったときに、『わー!』という声が聞こえたんです。さらにひとりのおじいさんが出てきて『ありがとう』と言ってくれました。本当に、人生で一番感動した言葉でした。それを聞いて、自分たちの仕事の重要性を改めて感じることができました」

 そう当時のことを思い出しながら話してくれた。

当たり前を守る仕事。わたしたちの生活を守り、豊かにしてくれる。それが渡会電気土木の仕事なのだ。しかし、守るということは立ち止まっていてはできない。わたしたちの生活は常に変化を続けているからだ。だからその変化する生活を、支える側も常に変化し、常に広い視野を持ち、先へ進んでいかなくてはいけない。

それを可能にしているのが、渡会電気土木のもつ、「まずはやってみよう」というチャレンジを後押しする社風であり、その中で切磋琢磨しあいチャレンジ精神を持った社員達であるのだ。