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地域の成長戦略を描く地方銀行。従来の銀行の常識に縛られることなく産業の活性化を推進していく。

株式会社山形銀行 / 総合職

インタビュー記事

更新日 : 2024年01月11日

東北パイオニア、ONKYOに勤務し、ヘッドフォンの開発・製造に携わっていた大内貴史。各種製造業を中心に産業構造が成立している山形県において、地域の成長戦略を描くためにはメーカーの視点が不可欠だ。その期待を受け、2018年4月に山形銀行に入行した大内と、人事総務部の大沼龍也に話を聞いた。

株式会社山形銀行 事業概要

1896年創業の両羽銀行を前身とし、山形県全体を地盤とする県のトップバンクである山形銀行。山形県や山形市などの指定金融機関を受託する地方銀行だ。 山形銀行の収益源は山形県の産業であり、地域の衰退はすなわち、金融業全般の斜陽を意味する。そこで生まれたのが、「産業の黒子から主役へ」というスローガンだ。小規模や中規模の企業の支援にも積極的に取り組み、金融業界のキーワードとされる「FD(フィデューシャリー・デューティー)=顧客本位の原則」を徹底する。単純にお金を貸すだけの姿勢で地元企業と接するのではなく、「社長の夢は何ですか」という質問の元にビジョンを共有し、山形県の成長戦略を推進することが山形銀行の活動の肝となる。 2012年には、地域創生の先行的な取り組みとして「山形成長戦略推進チーム」を立ち上げ、鶴岡をはじめとする各地域の成長戦略プランを生み出してきた。通常の銀行業務とは切り離した活動を展開してきたチームを2015年4月に「山形成長戦略推進室」へと格上げし、地域資源を活かした新産業の創出に向けて活動を強化している。 2016年よりスタートした中途採用においては、金融経験者のみではなく、異業種経験者にも門戸を開いている。その背景には、融資対象となる企業を数字のみではなく、その数字に至るプロセスを含めて事業を適切に評価すべきだという姿勢がある。

−2018年4月に入行された大内さんはメーカーでヘッドフォンの設計に携わった経験があり、銀行が中途採用する人材としては非常に珍しいパターンだと思えます。

人事総務部 大沼龍也(以下、大沼):異業種から人材を採用する地方銀行はほとんどないと思います。当行では2016年から中途採用を開始したのですが、そこには環境の変化が要因として挙げられます。かつては銀行員として同じ価値観を共有するスタッフが集まった状態を理想的だと考えていましたが、現在は業種の形態も多様化し、従来の銀行の思考では社会の動きに立ち向かえなくなってきました。そんな状況があり、行内に異業種経験者がいることで、新たな発見や刺激が生まれますし、長期経営計画に掲げる「お客様本位の営業強化」にもつながると考え、金融以外の専門分野で携わってきた人材を積極的に採用するようになったのです。

−その専門分野の一つが、製造業だということですね。

大沼:中途採用には2パターンしかないと考えていまして、一つはメガバンクや信託銀行の経験者で、いわば銀行業務の即戦力ですね。そしてもう一つが、完全な異業種です。例えば、銀行員であれば、あるメーカーの財務諸表を拝見して、どこに問題点があるのかを推測することはできます。しかし、その問題がどうして起こったのか、プロセスを見極めることが得意ではありません。そのために、大内が前職で関わってきたようなメーカーとしての視点で企業を診断し、そのメーカーのコアコンピタンスを見極めて融資内容を判断すべきだと考えるようになりました。

−では、大内さんのバックグラウンドを簡単に伺えますか。

人事総務部付研修 大内貴史(以下、大内):私は山形大学工学部の機械システム工学科というところで、材料力学や基礎的な図面の書き方、振動工学などを学び、東北パイオニアでスピーカーやヘッドフォンの設計に携わりました。それからヘッドフォンの部門がONKYOという会社に移譲されたため、東京の同社に異動しました。そして、生まれ育った山形にいつかは戻って仕事をしたいと思っていたので、山形で仕事を探して山形銀行の募集を見つけました。

−音響機器のメーカーから地方銀行へ。異業種への転職をどのように決めたのでしょうか。

大内:就職してからものづくりに携わってきましたが、人生は一度きりなので、もっと別の視点で物事を見てみたいという思いがありました。それまでは自分が属する一企業を盛り立てようと仕事をしてきたわけですが、地域の企業全体を見る、よりスケールの大きな仕事ということで山形銀行に魅力を感じたのです。

大沼:大内と面接した時の印象は、非常にポジティブな意味で雑な感じがしました。荒削りといいますか、スマートな“いかにも銀行員”といった印象ではなかったので、新しい視点を持ち込んでくれるのではないかと期待をしています。

大内:私は退屈するのが好きではなく、一生懸命動きたいタイプです。もし新しい分野に飛び込んだら、イヤでもガムシャラに働いて仕事を覚えなければいけないはずだと考えたので、自分にとっていいチャンスだと感じました。ガムシャラに働いて、自分が満足できる位置を目指したいという願望があるので。

−異業種への転職に対する不安はありませんでしたか。

大内:ネットなどでもいろいろと調べたところ、私と同じようにものづくりを経験してから銀行に転職した例はなかなかありませんでした。もちろん、新卒で入行した行員たちから10年遅れで一から銀行業務を勉強することになるので、追いつけるのか不安もありました。しかし、山形銀行はものづくりに対する支援などに注力しているので、そうした部分で自分の経験を活かせるのではないかと前向きに捉え、応募することに決めたのです。“誰もやったことがないのならオレが頑張ってやってやろう”みたいな気持ちです。

大沼:中途採用をするとすぐに現場に配属して、そこで走りながら仕事を覚えてもらうのが一般的だと思います。しかし大内の場合は、私たちにとってもトライアルのような部分があるので、最初の3ヶ月ほどは研修でみっちり詰め込んで、銀行の基礎から覚えてもらっています。まずは基礎的な商品の知識を覚えてもらって、いずれ場数を踏んでから、企業の社長の話に応じて融資の形を考えて提案できるようになって欲しいと考えています。

大内:研修では銀行の三大要素として融資、預金、為替のことを学び、工場の決算書の見方などの細かいところを徐々に勉強し始めています。これからは実務が行えるように外務員試験などの資格を取得するなど、いくつか試験をクリアすることも目標にしています。

−前職の経験を銀行でどのように活かせるとお考えですか?

大内:ONKYO時代には、ヘッドフォンを作ると東京のイベントなどに出展して、私が説明員として顧客にプレゼンテーションをする機会がよくありました。その商品へのフィードバックを引き出すことで、社に持ち帰ってチームで共有し、次の開発に活かすことができます。おそらく銀行の業務においても、地元の企業の方から地域の問題点や要望を聞き出して、それに対して解決案を提示していくという手順は共通しているのではないかと考えています。

−業種のみではなく、東京から山形ということで生活する環境にも変化がありました。

大内:東京では電車の中でも多くの人が勉強をしていて、オンとオフの区別の難しさを感じていましたが、山形ではそれがはっきりしています。食材が豊富で美味しく、温泉も至るところにあって、リフレッシュするには非常に良い環境です。うちには7歳と5歳の子どもがいるのですが、都会よりも体を動かせる環境も豊かな自然と触れ合える機会も揃っています。また、学校でも先生が丁寧に一人一人を見てくれるようなので、教育の面から考えても、山形には優れた点が非常に多いです。

大沼:大内が一緒に研修に参加している新卒の社員たちはまだ気づいていないと思いますが、結婚して子どもができたときに、山形のよさを身に沁みて感じるはずです。オシャレで華やかなお店などは少ないですが、子どもにとって大事なものが何かを考え始めると、山形には素晴らしい環境が整っていますから。

−家族との時間を大切にしながら、新たなチャレンジに取り組める環境ですね。

大内:私は気を抜くと堕落してしまうので、がむしゃらに働いて、温泉に入ったらゼロになってしまうぐらいのメリハリをつけるのが向いているのだと思います。

−それでは最後に、山形銀行で働くうえでの目標をお聞かせください。

大内:自分の子どもたちが成長したときに、「オレ、山形に残ってどこそこの企業に就職したい」と言ってくれるような街づくりに貢献したいと思っています。早く出て行きたい街ではなく、自分から率先して残り、働きたい会社があるような街にするのが一番の目標です。そのためには、自分がものづくりの背景を持ちながら銀行員としての視点を持つことが必要です。まずは多くを吸収して、基礎の業務知識からしっかり身につけたいと思っています。