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図面書きから現場での施工管理まで建設のすべてを把握する。BIMの導入がそれを可能にする。

ブレンスタッフ株式会社 / 建築設計技術サービス職

インタビュー記事

更新日 : 2022年12月13日

ゼネコン勤務の経験を持つ原拓也は、現在32歳、気鋭の一級建築士だ。2014年にブレンスタッフに入社すると設計士としての実務を学びはじめ、2016年には早くも中学校の新校舎設計という大きなプロジェクトを任されるに至った。

ブレンスタッフ株式会社 事業概要

1991年に設立された一級建築士事務所/測量調査設計事務所のブレンスタッフ。創立者で代表取締役の仲川昌夫が規模を拡大しながら目指すのは、「建築分野における幅広い領域の専門技術者を組織化することで、建築のすべてをコーディネートできるエンジニア集団の建築コンサル会社」だ。手書きでの設計が当たり前の時代に、コンピュータで設計を行うCAD技術にいち早く着目し、山形県内に留まらず国の公共事業も受注する体力を獲得した。 そして、2015年には庄内町に事務所を開設。3次元のデジタルモデルを用いて、構造設計からコスト計算、環境計算やシミュレーションなども含むBIM(Building Information Modeling)を導入したBIMセンターだ。設計図をイメージ化するために3次元のパースを作成するのみではなく、建築プロセスをすべて網羅するこのBIMによって、設計から現場管理、維持管理までを総合的に考える建築家が育成される。 最先端技術であるBIMを導入して建築プロセスに変革を起こし、庄内地方にいながら全国の仕事を元請けで受注する。BIMを導入している企業は、大手ゼネコンも含め全国でも数少ない。従業員数100人に満たないブレンスタッフの規模だからこそ、個々の建築士の発想が形となり、庄内から建築の新しいワークフローが生まれるはずだ。

幼い頃からものを作ることが好きだった原は、小学生で引っ越しを経験し、そのときに家を建てている大工の姿に憧れた。

「小学校低学年の頃から、空き地で秘密基地を作ったり、見つけた廃材を金づちと釘で組み立てて椅子を作ったり、ものを作ることが好きでした。小学4年で家を新築して引っ越したのですが、大工さんが働いて、徐々に家ができあがっていく過程を見るのが楽しかったです」

高校では建築学科に入り、大学では意匠設計を専攻。卒業後には大学に通った北海道で中堅クラスのゼネコン企業に就職し、その東京本社と仙台にある東北支店で計5年間仕事をした。

「高校で建築を専攻してから設計に興味が向かったのですが、現場のことがわからないと設計もできないと考えて、卒業後はゼネコンに就職しました。現場で携わったのは施工管理です。設計士が書いた図を元に、鳶、土工、型枠、鉄筋、コンクリート工事などの躯体業者から、内外装工事までの多種多様な業種を取りまとめ、安全管理、工程管理、品質管理などを行いながら、施主や設計者の理想や希望を形にし、一つの建物を造り上げるのが施工仮の仕事なのですが、その経験は自分にとって大きな糧になっています」

施工管理の経験を設計図の作成に活用

いずれ地元に戻ってこようと考えていた。やはり、中学や高校時代の仲間が住む地元で仕事をしたいという気持ちがあったからだ。地元で建物を造れば、その様子を町で見た仲間から直接の反応が返ってくるはずだ。また、地元の人々とイメージを共有することで、建築を通じて地元を盛り上げることに貢献できるかもしれない。3年間東京に勤め、2年間仙台で転勤生活を送り、再び東京に行ってほしいと急な転勤を命じられた。このことが、いずれ設計に携わりたいと考えていた原の、転職を決める転機となった。

「ブレンスタッフに入社した当初、設計イコール図面を書く、という以上のイメージは持っていませんでした。もちろんゼネコン時代に現場で設計士の方と打ち合わせをする機会もありましたし、図面も見ていましたが、実際に設計事務所でどのように仕事を進めているのか細かいことはわかりませんでした。ここで働きながら、図面を部分的に任されたり、法的な申請書類を書く機会があったり、先輩設計士の手伝いをしながら色々学ばせてもらいました。そして一つ大きな案件を設計から担当することになり、2016年に一級建築士の資格も取得しました」

全校生徒数は600人弱、1万平方メートルほどの延べ床面積を持つ鶴岡第三中学校の新校舎の設計だ。2015年に設計が始まり、約1年をかけて基本設計及び実施設計を行なった。そして現場での建設がスタートすると、設計図通りに現場作業が進んでいるのか工事監理を行った。約1年半の建設期間を経て先ごろ新校舎は竣工し、外構工事が6月半ばに始まった。予定では今年の夏休みに旧校舎からの引っ越しを行い、2学期から生徒たちは新校舎で学校生活を送るようになる。

「旧校舎の解体やグラウンドの整備工事などもこれから行うので、まだ道半ばではありますが、やはり建物が竣工したときの嬉しさはとても大きかったです。辛いことが吹っ飛ぶような気持ちでした。当たり前のことではありますが、本当に設計図通りに建物ができあがっていたので、感激と同時に、改めて設計の重要性を実感しました。ゼネコン時代の現場経験も活かして、機能的な部分をきちんと設計に収められるようにできたと感じています」

BIMという新技術の取得への意欲

そして現在、原はこれまで行っていたCADによる2次元の設計から、BIMによる3次元の設計に移行すべく技術を取得している。新しい技術なので不慣れな部分も多々あるというが、「かつてCADが手書きの設計に取って代わったように、遠くない将来、確実にBIMが一般化するはずだ」と感じている。

「VRのヘッドセットをつけてコンピュータ上で建築空間を体験できるようになりますし、現場での躯体工事における鉄筋相互の干渉チェックや、設備配管などとの干渉チェックまでを設計段階から進められるのがBIMのシステムです。すべてを3次元でシミュレーションしながら進められるので、現場で働く方々も、できあがった建物のイメージを共有しやすくなるはずです。これだけ早い段階でBIMを導入する会社に在籍できるのは、すごく恵まれたことだと思っています」

新しい技術の取得に意欲的な原は、現在ブレンスタッフで仕事を進めながらあらゆる技術と知識を吸収している。経験を積み、学校のような鉄筋コンクリート造の大きなプロジェクトに携わるのと同時に、いずれ木造の戸建ての住宅を手がけたいという気持ちも持っている。その背景には、先述した子どもの頃の引っ越しの経験があり、「お客さまと打ち合わせを重ね、家を建て、実際に暮らし始めた後もケアをしながらお客さまとつながっていられる仕事をしたい」という思いがある。

「仙台で飲食の仕事に就いている中学時代の友人がいるんですが、彼と話すと、いずれ鶴岡で店を開きたいから、その時は原に建物を建ててほしいと言ってくれます。自分としてもぜひ設計したいですし、そこに人が集まって多くのつながりが生まれたら、それは建築家として大きな喜びです。やはり、都会ではなく鶴岡の規模感だからこそ、建築を通じて密な人のつながりを生み出すことができると考えています」

鶴岡第三中学校のプロジェクトに携わり、設計作業から工事監理までを任され、技術的な専門家たちとやりとりを重ねながら竣工の喜びを体験した。若い建築家たちの発想を求め、新たな技術の導入にも積極的なブレンスタッフだからこそ、原拓也は建築の醍醐味を感じることができたのだ。

「私が普段の生活を送るうえで大切にしているのは、“なんとかなるさ精神”みたいなものです。何をやるにしても、努力をすればなんとかなるだろうと思っていて、逆に、何事もチャレンジをしないと先に進まないと考えています。まずやってみないと何も始まりません。無理そうに感じていたことも、実際にやってみたら問題を解決して成功するかもしれませんから。何事もやってみることが大事だと思っています」