戦後の街づくりに携わる
創業は戦後すぐの昭和22年(1947年)。創業者の進藤武雄は明治27年(1894年)の生まれ。建築士になりたいと山形県立米沢工業学校建築科(現・米沢工業高等学校建築科)に進んだ。当時は家を建てるなら大工に弟子入りすればいいという考えが当たり前だったなか、建築士というまだまだ社会的認識の低い道を選んだ。学校を卒業後、陸軍に所属し兵舎や事務所を建設する仕事に従事する。その後、東京で警視庁に入庁し、建築関係の仕事に携わった。酒田へ戻り、終戦を迎え進藤工務所を開設し建築の仕事を本格的に始めることとなった。
当時は戦後復興が始まる頃で、新しい教育法が施行され日本の教育制度が大きく変わる時期でもあった。いわゆる六・三・三制度の導入もあり学校は新たな基準のもとに新設された。立地面積、教室の床面積といった、新教育法に定められた細かな基準を満たすためには建築の専門的な知識が必要となった。そこで、早くから建築士という職業を目指し勉強を重ねてきた進藤武雄の事務所に依頼が舞い込んできたのだ。鳥海中学校の設計を皮切りに、庄内全域、20校の設計を手がけるにいたった。当時の設計図が事務所に残っているが、想像をはるかに超える緻密さで描かれていることに驚く。その後も学校、病院など多くの公共工事を手がける。RC構造、SRC構造といった、当時の先端技術も取り入れ、民間企業からの発注も多くなっていった。
地域とともにある建築デザイン
酒田を中心とした庄内地域とともに発展してきたといえる進藤建築設計事務所だが、「地域」という言葉はひとつのキーワードだと代表取締役の進藤芳明は話す。山形県立酒田東高等学校の改築、山形県立酒田西高等学校の新築など、現在も公共事業を手がけるほか、医療・福祉施設や会社事務所、工場施設、飲食店など幅広くデザイン、建築を手がけている。街の機能を作るという意味でも地域の発展に寄与しているのだが、「デザイン」においても地域というキーワードは無視できないものだという。
「デザインというものはもちろん流行があります。若い世代の方は情報に敏感なのでデザインもグローバル化しています。そういった要求にはできる限り応えていきたい。ただし、庄内という風土を活かしたデザインをこれからも続けていきたいと考えています。お客様と入念に打ち合わせを繰り返して、お客様のご要望と地域特性を活かしたデザインを融合させたデザインができればと思います。そういう品性のあるデザインならば、派手さはなくてもずっと使い続けてもらえる建築になるのではないかと考えています」
酒田には脈々と続く歴史のなかで築かれてきた文化があり、鳥海山や田園といった自然の風景がある。また気候もその特性のひとつだ。それらを活かした形でデザインを手がけることで、地域とともにある建築設計事務所という意義を見出したいと言う。進藤自身も設計を手がけるが、そのほか事務所に所属する建築士たちは、その方向性をどのように捉え、どのようなデザインを手がけているのだろうか。設計主任の本間政人と技師の伊藤久子の二人に話を聞いた。
庄内と人を考えたデザイン
「地域としてのデザインということでは例えば切妻屋根」と、設計主任の本間政人が例を挙げてくれたのが上記の写真の小学校の設計だ。
「酒田市立亀ヶ崎小学校の設計を手がけたときのことですが、当初は道路に面したエントランスの屋根はフラットなものを考えていたんです。ただ、酒田特有の切妻屋根を地域に馴染むために取り入れたいということで変更しました」
また、校舎はかつての亀ヶ崎城の三の丸跡にあることから、白と黒を基調とした勾配のある屋根が城郭もイメージさせている。この地域ならではのデザインといえる。また本間が手がけたもののひとつに、焼酎で有名な金龍のウイスキー工場、遊佐蒸溜所がある。鳥海山を望む絶好のロケーションに建てられた工場の応接室からは、その鳥海山の雄大な姿を眺めることでできるように設計した。「かつては酒田にはおしゃれな建物がないというイメージでしたが、東京へ出て建築を学び、酒田へ戻ってきてからはまた違う感覚があります」と技師の伊藤久子は言う。
「設計、建築の現場で働いてわかったことは、酒田の建物の多くが風土にあったものを建てていることです。また、気候が東京とは違うので、東京では使える素材でも酒田では使えないものがあるということも身にしみてわかりました。そういったいわば制約ともいえることも地域の特性とも言えるのではないかなと思います。そのなかでどれだけお客様のご要望と地域の文化風土を活かしたデザインができるかということに挑戦するのは楽しくもあります」
学校や医療・福祉関係の建物から、民間企業の事務所や飲食店まで幅広いジャンルの建築物を手がけるため、その都度さまざまな条件がある。「法律的なところも含めて、それをその都度勉強しなくてはいけないのは大変ですが、伊藤の言うように、それぞれ違う条件のなかでお客様の思うデザイン、自分の思うデザインを表現していくチャレンジは楽しい作業ですね」と本間も話す。また、デザインは建築物だけのものではなくて、建ったあとに住む人、使う人のものでもある。だから人の動線を考えて、より使いやすいデザインを考えるのも設計の楽しさだと話してくれた。
進藤設計事務所では、多くの従業員を抱える設計事務所とは違い、基本的に設計から工事の完成までをひとりの人間が手がける。そのため喜びも大きくなる。お客様の要望はできる限り叶えたいと言う。そのうえで、庄内という地域だからこそのデザインを考える。「そのためにお客様とは打ち合わせを入念に重ねます。メンバーとして入ってもらえるぐらいに」。本間はそう笑うが、だからこそ、その人が望むものが出来上がる。庄内には美しい自然と長い時間で形作られた文化がある。そのうえにそこに住む人々の生活がある。風土、文化、そして人がつながることで、豊かな生活空間はできあがるのだ。