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みんなから喜ばれる会社でありたい。 チャレンジを続ける人気ラーメン店。

株式会社もっけだのフードサービス / 正社員

インタビュー記事

更新日 : 2021年10月06日

昼食時には多くの人で賑わう大人気のラーメン店「風林火山」を経営するのが株式会社もっけだのフードサービスだ。「風林火山」のほかにも「中華そば雲ノ糸」と酒田南高校内の「火山食堂」も含め全8店舗を経営している。鶴岡本店がオープンしたのは2015年。それから短い期間でこれだけの数の人気店舗を出店した経営の裏にはどんな想いがあるのか。代表取締役の齋藤晴紀に話を聞いた。

株式会社もっけだのフードサービス 事業概要

2015年3月、山形県鶴岡市に「ラーメン風林火山鶴岡本店」をオープン。オープン初日から行列ができるなど話題を呼んだ。がっつりとお腹に収まる味が人気を呼び、2016年には2号店「ラーメン風林火山酒田店」をオープン。続けて2017年には「中華そば雲ノ糸鶴岡店」「中華そば雲ノ糸酒田店」を開店させた。2017年には横浜赤レンガ倉庫でのラーメン女子博に出店するなど、県内にとどまらず話題を振りまき続けている。また、農業生産法人「米シスト庄内」と組み、山形県のブランド米「雪若丸」を生産し使用するなど、地域とのつながりも意識した経営を続けている。 当面の目標として掲げているのが「2025年までに東北6県すべてに出店」というもの。これまで庄内地域に店舗展開を続けてきたが、未来のビジョンとしては、東北地方全域、そして全国への展開を描いている。

オープン初日から大行列の人気店

人気ラーメン店店主というと、有名店で修行をしてラーメン一筋と思うかもしれないが、齋藤の前職はアパレル業界という異色の経歴だ。

高校を卒業後、東京の服飾専門学校に進学し、学生時代から憧れていたという人物に師事をした。その後、会社を立ち上げる際にメンバーとして誘われ起業に関わったという。それが23歳のとき。齋藤がUターンを決意したのは27歳のときだという。祖父が倒れて帰郷する機会があり、そのときに戻ることを決意。23歳で会社を立ち上げて、ひたすらに仕事をしてようやく軌道に乗ってきた頃だったので複雑な気持ちもあった。それでも帰ると決め、酒田で事業を立ち上げようと考えた。それまでの期間も3年と決めた。そこから地元庄内でできる事業のなかで潰れにくい業種を探し、自分は元々大好きでよく食べていたラーメンしかできないと起業を決意。それまでラーメン店での仕事はしていなかったが、忙しい仕事の合間を縫って年間400杯以上も12年食べ続けるほど好きな食べ物だったからだ。自分が出来ることはこれしかないと決め、都内有名ラーメン店数店で三年修行した。「それはもう大変でしたよ。しかも一度会社の立ち上げを経験しているので、軌道に乗せるまでの忙しさ、難しさは知っている。またあれをやるのか……とくじけそうになったこともありました」と当時を振り返るが、決意は固く研究と努力を重ねた。

そして2015年に鶴岡本店の開店のときを迎えた。それまで庄内にはほとんど進出していなかった、いわゆる二郎インスパイア系の味であることと、アパレル関連の仕事で培ったPR術が功を奏し初日から行列ができた。現在は酒田南高校の食堂の店舗も含めて8店(2019年10月現在)を出店するまでに至った。次なる目標は、2025年までに東北6県すべてに出店するということだという。

スピード感のあるマーケティングが課題

鶴岡、酒田を中心とした庄内エリアへの出店をし成功を収めてきた。齋藤自身も「点を密接にして、面を抑えていく」と表現するように、いわゆるドミナント戦略が成功してきたとも言える。ただしこれからさらに出店範囲を拡大するうえで、大きな壁が出てきた。どこにどういう人がいて、どういう動きをして、どういう味が求められているのか、そのマーケティングがゼロからのリサーチになってしまうことに課題を感じているのだ。

「庄内エリアは自分で育った街なので、土地勘といった部分は持っていました。だからスピード感を持ってリサーチができました。しかしこれから目指す地域ではどうしても時間がかかってしまう。だからマーケティングに長けている人たちと仕事ができればと考えています。しかも経営者としての感覚も持っている人。ほかの業種で言えば支社長みたいな感じになるんですかね。そういう人がいればさらにスムーズに出店ができる。そうすることで東北6県すべてに出店という大きな目標をクリアできるのではないかと考えています」

組織として新たなフェーズへ

2015年の創業から走り続けてきたもっけだのフードサービス。齋藤は会社として新たなフェーズに入ったと感じていると話す。

「お話したとおり、これまでは会社組織というよりチームとして社員とともに“みんなでがんばってきた”というイメージの方が強いです。ただしこれからの展開を考えると会社としては“チームから組織へ”というフェーズに入ったと考えています」

そうなれば最も重要となるのが“人”だと続けて齋藤は言う。会社規模が大きくなるうえでは上記のように自分にないスキルを持った人間や経営マネジメントのできる人間が必要になってくるというのはいうまでもないが、それとともに大切にしないといけないのが、現場で働く人間ひとりひとりだと改めて気付いたという。

「創業からこれまでのことを振り返ると、自分は会社を大きくすることだけを見ていたんだなと思います。それはひとつの成功を収めたかもしれない。会社として順調に背丈を伸ばせたかもしれないが、組織としての筋肉がついていなかったと思います」

これまではがむしゃらに会社の成長を目指してきた。社長としてみんなを引っ張っていかないといけないと前だけを向いていた。その時は後ろを振り返り、社員ひとりひとりを見れていなかったという。その時初めて結局は自分のためだったのかも知れないと気付いた。

そうして一度立ち止まり、社員と密に接するようになるとさまざまな気づきがあったという。齋藤が考えているよりも深くお客さまのことを考えていること、入社当初とくらべてスキルが格段にあがっていたこと。挙げればきりがない。加えて以前よりも細かい悩みも話してくれるようになったそうだ。

働く環境を整えるためにひとつ具体策として社内評価制度を作った。給与制度を細かく規定したが、それは社員のモチベーションを上げるため。クリアするべきタスクを可視化して「なんとなく」で評価してきたものをやめたい。評価されるべきものはきちんと評価されるべきと考えた。そうして目標を可視化させて、会社全員であるべき姿が共有できれば、おのずと自走する組織もできあがる。

「社員ひとりひとりが成長すれば会社は育つ。そう気づいたんです。自分は社長なのでその職責をまっとうし、ヴィジョンに向けて着実にマイルストーンを置いていく。そして社員のみんな一人一人と目線を合わせて進んで行きたいと思ったんです」

喜ばれる会社でありたい

もっけだのフードサービスの経営の理念のひとつとも言えるのが、喜ばれる会社でありたい、というものだ。もちろんお客様に喜んでもらうために、おいしいものを提供するというのは大前提。それは言うまでもないことなのだが、それに加えて「見える食材」を提供したいという。「買う」という行為から「その先」まで見えることで、お客様に喜んでもらえるはずだと考えている。そのひとつの事例が、農業生産法人の米シスト庄内と組み生産している雪若丸だ。生産した雪若丸は自社の店で提供している。いま何を食べているのか、それはどこから来たのかを知ってもらうことで、匿名ではない「見える」食材を提供している。

その取り組みはさらに地域とのつながりの意味もある。そうして地元とつながることで、農家の疲弊、地元の衰退をストップする一助となれたらうれしいと齋藤は言う。そのため、庄内エリアに出店している現在は庄内の農家などと組んでいるが、山形市に出店した場合は山形市の農家と、というように、その地域の農家などと組んで地産地消を目指していきたいと話していた。出店計画として話してくれた「面を抑える」というのは、お店のある「地域とつながる」という意味でもあるのかもしれない。

また、この「喜ばれる」には、社員に喜ばれるという面もある。改めて人事を見直し、評価制度を作り直した。今後も細かく社員との面談を続け、それぞれのライフステージに合わせた希望なども会社としてできる限り対応してより働きやすい現場を実現していきたいと話していた。

お客さま、地域、そして社員。もっけだのフードサービスに関わるすべての人に「喜ばれる会社」でありたい。そんな姿の実現に向けてさまざまなチャレンジを続けている会社だ。

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