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創業からの「情熱と誠実」を心に刻み、「さすが安藤組グループ」と仰っていただける唯一無二の企業集団へ。

株式会社安藤組 / 営業職

インタビュー記事

更新日 : 2022年12月07日

1946年に農業機械の販売店として創業し、1953年には最上川沿岸の砂利採取と販売を主とする安藤砂利店を設立。現在は土木資材の生産から建設、運輸まで幅広く業務を展開する安藤組グループの礎だ。現職で2代目代表取締役の安藤政則の息子であり、常務取締役を務める安藤将士は、経営者の視点も携えて未来を見据えている。

株式会社安藤組 事業概要

私達は自然と調和し、 「さすが安藤組グループ」と仰っていただける 世の中に無くてはならない 唯一無二の企業集団であり続けます。 2016年、創立70周年を記念して明文化された安藤組グループの企業理念だ。活動の歩みを見ると、これらの言葉が安藤組グループの姿勢を言い表していることが見て取れる。最上川の砂利の採取と販売で事業を軌道に乗せ、1959年に安藤砂利店から安藤組に改称。3年後には生コンクリートの製造販売を開始し、やがて山形県内で最大の生産量を誇る生コンクリート業者にまで成長した。 土木建材を扱う事業の発展と並行して、徐々にグループへと拡大を行った。その最初が、自動車整備工場の法人化だ(1968年 安藤整備工業株式会社創立)。採取した材料を工場へと運搬し、発注を受けた業者へとお届けする。そのために大型トラックをはじめとする自動車の整備は欠かせず、その経験から1992年には、運輸業を担う安藤運輸も創立される。 そして、土木建材の製造と販売から、建築部門に進出して一級建築士事務所を開設したのが1984年のこと。さらに不動産部門にも進出するなど、事業で得た経験と技術を次の段階へと展開し、有機的に事業を拡大してグループ化を進めてきたのが安藤組グループだ。 砂利の採取や生コンクリートの生産というのはまさに、自然の恵みを拝受すること。安藤組グループでは、自然を拝受し、さらにそこから人間が安全かつ快適に過ごせる空間を作るという意識を根幹に持ち続けてきた。現在は、生産を続けながら、自然への負荷をいかに抑制できるかという意識も持っている。1995年に産業廃棄物中間処理業および産業廃棄物収集運搬業の許可を取得。近年では、自然エネルギーと循環型の生産への意識が高まり、風力発電にも着手する。秋田県、宮城県での風力発電所の開設に続き、現在は庄内町の最上川沿岸でも風力発電所の開設を目指している。

庄内町の余目中学校に通った安藤将士は、卒業式の翌日に渡米した。野球部で活躍し、中学時代に選抜チームの一員として海外遠征に参加したことをきっかけに、アメリカの高校からスカウトの声がかかったのだ。

「選抜に選ばれたことで世界を見てみたいという気持ちが生まれ、メジャーリーガーになりたいと思っていました。アメリカの高校では1学年上の先輩3人がメジャーにスカウトされましたが、その先輩たちはプロに行っても鳴かず飛ばずで、しかし私も、その先輩がいる間はレギュラーになれなかった。高校で毎日野球を続け、チームではキャプテンも務めたのですが、徐々に大きな壁を感じるようになっていました」

ある時に一時帰国をして、安藤組グループの社長である父親から、京都で経営者の勉強会があるので一緒に出てみないかと誘われた。好奇心旺盛な安藤は興味を持ち、何か得られるものがあるはずだと考えて出席した。経営者たちに混じり、髪を真っ赤に染めた高校生が一人。勉強会の主催者のひとりから「安藤くん、おもろいな。一緒に食事に行こう」と声をかけられた。

「その方から、夢は何やと聞かれて、当時はまだ元プロ野球の城島選手がマリナーズでプレイする前だったので、『日本人初のメジャーリーグのキャッチャーになることです』と答えたんです。『バカモン!』とすぐに叱られました。『君の天命はそれやない。安藤組グループを受け継いで、永続する企業にすることが君の天命なんや』と。自分だって毎日野球を練習しているんだぞという気持ちと、アメリカで大きな壁を感じているという現実の両方があったので、家族でもない私の将来について本気で叱ってくださる事実に心を動かされました」

自分に負荷をかけることが成長につながる

その人物が、定期購読者のみに販売する人間学を専門とする雑誌『致知』を刊行する致知出版社の藤尾秀昭社長だった。有名無名を問わず、自らを高め、様々な分野で新たな領域を切り開こうとする人々に取材し、行動を動機づける哲学が綴られた誌面に安藤は強く惹かれた。藤尾社長からは、帰国するたびに出版社に顔を出しなさいと声をかけられ、安藤の意識は日本へと、地元の庄内へと向かい始めていた。

「高校で世界を見たいと思ってアメリカに行き、自分に負荷をかけたことで多くを学べたと感じています。社会に出るときもやはり、安藤組グループの事業とは違う世界を見たい気持ちがありましたし、様々な人の哲学を学べる出版社で自分に負荷をかけることは、きっとのちの自分に役立つはずだと考え、致知出版社に就職させていただきました」

様々な分野の経営者の取材記事を通して、経営哲学のイロハを学んだ致知出版社での修行時代。3年間勤務したのち、2014年に安藤組グループに入社した。

現場の声を吸い上げる組織の形

「父である2代目社長から、致知出版社で働いている時に『庄内に戻ってくる気はあるか』と聞かれる機会がありました。戻ってこないのであれば、徐々に規模を小さくするのも一つのやり方だと考えていたそうです。

しかし私は、庄内に戻る気持ちが強かったので、規模を縮小するのでも現状維持をするのでもなく、社員や地域の方々にその存在を喜んでいただけるような、成長し続ける会社にしたいと答えました。子どもの頃から安藤組グループから得る収入で生活し、学んできた私にとって、共同運命体といえる存在ですから、そう思えるような会社で働ける喜びはとても大きいです」

土木建材の採取と製造に始まり、安藤組グループは分野をまたいで事業を拡大してきた。いずれ3代目を継ぐ予定ではあるが、土木、建設、輸送などすべての事業において素人である安藤は、車の運転手や工場での作業などを通じて下積みを行い、徐々に現場を指揮する機会も増えていった。

「私の頭にあるのは、この会社をどうよくしていくか、の一点のみです。そのために現在の自分にできることのひとつは、社員の皆さんと社長との間をつなぐコミュニケーション役になることです。もちろん社長は会社のことを思って何をすべきか考えていますし、社員たちも会社のことを現場目線で考えてくれているわけです。

もし社員と飲んでいる席で『なんなんだ、あの社長は』と愚痴が出たとしましょう。もしそこで同調してしまったら、それは私が思い描く永続する企業の形ではありません。現場の声をきちんと社長に吸い上げ、社長の声も納得できる形で現場に伝える。両方の目線がうまく重なるようにすることが重要だと考えています。この数字で単純に判断はできないかもしれませんが、離職率は以前よりも下がっています」

コミュニケーションは経営者と現場間のみのものではない。建設部門と運輸部門がきちんと仕事を共有するなど、横のつながりも蔑ろにはしない。その組織の形によって、営業から製造へ、あるいは製造から経営サイドへ、といったようにグループ内での異動も大胆に行われることがあるという。どこで力を発揮できるか、社員へのケアが整った環境作りを安藤組グループでは志向している。

安藤組グループを永続する企業に

現場経験を積み重ねることで自らの成長も目指す安藤が、グループの将来を見越して新たに立ち上げようとしている事業がある。これまで培ってきた運輸部門の業績をさらに伸ばすことで、地域活性への貢献を目指す試みだ。その第一歩として、倉庫業の新しい形態を実現するために、酒田港の1丁目1番地と呼べるような港湾の一等地を購入した。

「運送業というのは、荷主さんから運ぶ荷物を渡されて、それをお届けするのが仕事です。弊社では運送業としての経験値があって、もう一つ建設業者として環境を作る技術も持っているので、その二つを結びつけることができないかと考えたのが始まりです。酒田港という良質な港が庄内地方にはあります。そこに私たちが持つ知見と、地域のお客様にとってのニーズを結びつけることができれば、庄内地方に新たな流通を生み出すことができるのではないかと考えています」

砂利の採取に始まる安藤組グループの発展は、自然から拝受した恵みを用いて、人々が安全かつ快適に過ごせる空間を作る意識に裏付けられている。近年では、生産一辺倒ではなく、産業廃棄物の処理や風力発電事業などを通じて、自然への負荷を緩和させるための取り組みにも励んでいる。

「安藤組グループで働くことの魅力は、根幹となる土木素材の事業から派生した様々な事業に、多角的に携われることだと考えています。今回は営業職を募集しますが、建設業の営業の話から土木の案件に展開するかもしれないし、そこに整備や運送の仕事もつながってくるかもしれません。それだけ担えるようになれば、負荷がかかるかもしれませんが、その分だけやりがいも大きいはずだと考えています」

社員と一緒に事業をやり遂げ、社員が喜んでいる状況を生み出すことこそが、安藤が将来の経営者として目指す会社の形だ。その背景にあるのが、安藤組グループを永続する企業にするという思い。社員たちが色々なことにチャレンジできる環境を整えることで、その思いを叶えようと安藤は尽力する。