WORK 庄内の仕事 WORK 庄内の仕事

変わっていく生活に寄り添い、変わらぬ想いを伝える手助けを。

株式会社小野寺ドライクリーニング工場 / 総合職

インタビュー記事

更新日 : 2023年08月29日

「ママクリーニング小野寺よ!」のCMでおなじみのクリーニングチェーン店。鶴岡市に本社を置き、現在では山形県以外の秋田、新潟、宮城にも店舗を展開。創業から100年以上経つ老舗で地域に密着した形で発展してきたなかで、24時間受け渡しシステムやドライブスルー、ネット宅配など、ユーザー視点のサービスを導入して新規顧客開拓にも積極的に取り組んできた。生活様式が変わることで、クリーニングというサービスの立ち位置も変わってきたが、そのなかでも変わらぬ「想い」があるという。

株式会社小野寺ドライクリーニング工場 事業概要

創業は1907年(明治40年)。当時は自転車で個人宅に営業して回るというところからのスタートだった。地道な仕事を続け地元に「クリーニング」を定着させていった。1957年(昭和32年)に自動車を導入し営業範囲と規模を拡大していくなか、「ママクリーニング小野寺よ!」というキャッチフレーズを使用したCMが人気を呼び知名度も高めていった。 その後、山形県外への店舗展開を始め、同時にクリーニング工場の新設も進めていった。また、2000年代に入ると東北初の試みとなる24時間受け渡しのシステムを開始。そのほかドライブスルーによる受け渡しといった、生活様式の変化に対応する形でユーザーファーストのサービスを開始していった。2012年にはネット店舗を開設。宅配クリーニングには関東圏からの注文が多く、都市部や首都圏の顧客開拓に成功した。 ユーザー視点でさまざまなサービスを提供してきたが、それでも小野寺ドライクリーニングの強みは「品質」だという。クリーニングの仕上がりは機械によるところもあるが、最終的には「人間の目」によるところが大きい。今後も技術力を伸ばしてさまざまな注文に対応していくことを大前提とし、生活様式に沿った形態でのサービス展開を考えている。

地道に、丁寧に、そして心から。

小さな女の子が「ママクリーニング小野寺よ!」と家の中に呼びかける。この有名なCMでおなじみのクリーニングチェーン店「ママクリーニング小野寺よ!」を展開するのが小野寺ドライクリーニング株式会社。創業は1907年(明治40年)で、すでに100年以上の歴史を持つクリーニング会社だ。

創業者は現代表取締役の小野寺正行の祖父、小野寺富治。旧羽黒町の出身で、鶴岡市にあったクリーニング店で修行をした後に小野寺クリーニングを立ち上げた。当時は自転車で個人宅を一件一件を回るという地道な営業スタイルだったという。さらにはかごを背負って電車に乗り、旧温海町まで営業に出かけていたそうだ。そうして鶴岡市を中心とした地元にクリーニングというものを定着させた。その「個人宅を一件一件回る」という丁寧な営業スタイルから生まれたのが「ママクリーニング小野寺よ!」というフレーズだった。

多店舗展開とサービスの拡充

昭和39年から放映されているCMの有名なフレーズ「ママクリーニング小野寺よ!」は営業で回っていた個人宅で実際に女の子が家のなかにいる母に呼びかけた言葉だそうだ。それだけ小野寺ドライクリーニングが生活に密着したものだったということを物語るエピソードだ。

そのCMに先駆けて導入したのが「自動車」だった。代表取締役の小野寺正行は「これが第一の転機だった」と語る。「単純なことですが、営業範囲もクリーニングのボリューム、効率も大幅にアップさせることができました。それにともなって多店舗展開が可能になりました」

山形県内だけでなく、秋田、新潟、宮城へと店舗を展開、クリーニング工場も新設するなどその規模を拡大していき、知名度を高めていった。

ユーザー視点で新サービスを提供

時代が変わることで生活のスタイルが変わり、それによってクリーニングの現場が変わった。それとともに小野寺ドライクリーニングは新サービスを次々に提供してきた。夫婦共稼ぎといった生活スタイルが当たり前になり「昼間にクリーニング店に行く時間が取れない」という人も多くなった。そこで2001年に開始したのが、東北初の試みとなった24時間受け渡しシステムだ。独自のコンベアシステムを開発し可能になったこのサービスは好評を得た。そのほかにも、ドライブスルーによる受け渡しサービスなど、ユーザー視点で新サービスを提供している。そして2012年には楽天市場にインターネットクリーニング店を開設した。大きな荷物を持って実店舗に足を運ぶことが難しい都市部での需要を取り込むことを目指してのサービススタートだった。実際に利用者の多くが関東圏の客だったという。

インターネットでのサービス提供は今後も強化していくが、そのほかにもコインランドリーとの併設や高齢者へのサービス提供など、時代に即した形でさまざまな形態でのサービスを展開していきたいという。

生活様式の変化に寄り添うために

今回インタビューを行った五十嵐啓輔、五十嵐寛子、今井晴美の三人は全員が山形県出身。三人ともに子どもの頃から「ママクリーニング小野寺よ!」は知っていたし利用もしていたという。それだけ地元に密着したクリーニング店であるのだ。

「わたしたちの生活は当然のことですが時代とともに変わります。それにともなってクリーニングも変わらなくてはいけません。クリーニングの現場で働くわたしとしては主に“洗うもの”が変わるのでそれに対応できるように技術を高めていかないといけません」

そう語るのは本社工場で布団などの大型の商品を扱う五十嵐啓輔だ。大型のものを扱う部署では一年のうちのピークは冬に使用したカーペットをクリーニングに出す春先だったという。それがフローリングの家庭が増えたことで、夏のラグマットのクリーニング時期も忙しさのピークになったという。

「衣類も流行によるクリーニングの変化がある」と話すのは今井晴美だ。「例えば、いま流行しているダウンジャケットの中には、タグに“クリーニング不可”と書いてあるものも多いんです。ただし、それは絶対にクリーニングできないということではなくて、さまざまな手法でクリーニング処理をすることができることもあるんです。そういったものはほかにもたくさんあるので、それぞれに対応できるように知識と技術を向上させるように努力しています」

変わらぬ“想い”を伝えたい

もうひとり、話を聞いたのが店舗で受付業務を行っている五十嵐寛子。実際にお客さまと接する立場からさまざまな話を聞くことができた。

「さきほど今井からあった話を直接お客さまから伺うこともあります。“クリーニングのところに×印がついてるけど、どうにもなりませんか?”と。そういう場合はすぐに現場に連絡してできる限りの対応をしています」

現場と店舗との横のつながりは強いとも語る。例えば「孫が来るから明日までになんとか布団をクリーニングしてほしい」といったご注文を受けることがあったとき、通常ではなかなか難しい工程となるが、現場に確認をして可能かどうかの確認を必ずするという。その裏には人の「想い」があると五十嵐寛子は言う。

「これはわたし個人の考えですが、人それぞれに想いがあるんですね。“大事な洋服だからなんとかシミを落としてほしい”と大事な洋服を預けてくれたり、さきほどのおじいさんのように孫への大切な想いがあったり。それをわたしどもに相談してくれる。だからできる限りのことはしたいと考えています」

時代とともに変わるわたしたちの生活。着る物も変われば、生活スタイルも変わる。それにともなって「クリーニング」というサービスのあり方、提供の仕方も変わっていく。それでも話してくれたように“変わらぬ想い”もある。大切な洋服をきれいに残したい。孫のためにふかふかの布団を用意したい。そんな大切な想いを大事にしたいという。それが生活に密着した「ママクリーニング小野寺よ!」という言葉を生んだのかもしれない。