16代目農家からコイル製造業への転身。業界トップに君臨するウエノの代表は逆境と柔軟に向き合い前進してきた。
株式会社ウエノ 代表取締役社長 上野 隆一16代目農家からコイル製造業への転身。業界トップに君臨するウエノの代表は逆境と柔軟に向き合い前進してきた。
株式会社ウエノ 代表取締役社長 上野 隆一電化製品のノイズを吸収し、異常電流の発生を抑制するノイズフィルターコイル。精密機器が正常に作動するために欠かせないこの製品の分野で、日本を代表する企業の一つがウエノだ。農家出身の門外漢としてこの世界に飛び込み、一代でその地位を築いたのが創業者で代表取締役社長の上野隆一だ。
ウエノ本社を訪れ、挨拶を交わすと、上野隆一はまずこちらに質問をした。
「ここに来られて、普通の会社とは違うという印象を受けませんでしたか?」
たしかに。県道から田んぼのあぜ道を横目に、農家の集落を通り抜けて社に到着した。入り口の目印になるのは、大きな蔵。食品関係をはじめ、農業系の企業であればこのような立地も普通だが、ウエノが生産しているのは電子部品だ。町外れというよりも、農村のど真ん中にこのような企業があることは非常に珍しい。
「旧藤島町の三和という集落の農家の16代目として生まれ、私も元々農業に従事するつもりでいました。しかし実際に農業に携わってみると、どうにもうまくいかない。仕事として嫌いだったわけではないですし、サボったつもりもありませんでしたが、経営的にうまくいきませんでした。このままでは自分の将来を築けないので、別の仕事を探すしかなかった。そこでコイルに出くわしたのが創業のきっかけです」
日本経済の高度成長期には、製造業の下請け企業と工場が東北のあちこちに建てられた。1970年代から80年代にかけて、高度成長期も終わりに差し掛かるころだったが、上野は農業から離れるに際してそこに着目した。「技術もお金もないし、人脈がない自分にできることは下請けなのではないか」という考えからだ。
「下請けであれば親会社が技術を教えてくれますし、設備や材料もいくらか支給してくれるはずだという考えがありました。藤島町の商工会の会長のところに行って、自分は工業の仕事がしたいんだけど、できる仕事はないかと相談したんです。『巻き線の仕事だったらあるよ』という話から、コイルと出くわしたわけです」
スタートは、大手家電メーカーにコイルを納品するコイルメーカーの下請け企業のさらに下請け。二次下請けと呼ばれる立場だった。工業系の専門的な知識は必要ではない。労働集約型の産業であるから、安い賃金で手作業をこなせる「手(=労働力)」を集められれば商売は成立する。
「最初は会社組織ではなかったので、社員を採用するのではなく内職探しをして仕事を広げようとしたんですが、この仕事を始めたのが冬の真っただ中で、夏ぐらいまではなかなかうまくいきませんでした。しかし、農業でダメで、次にコイルづくりでもダメ、となったら八方ふさがりになってしまうので耐えました。そうすると、9月から10月にかけて、トントンと業績が上がっていったんです」
庄内の環境と人々のマインドが非常に強く結びついていることを上野はこの時に実感したという。
「冬の雪から夏にかけて、地域全体が太陽に向かって和らいでいるんですよね。そこには動きがある。それから8月の祭りをピークにして、気持ちは冬に向かっていきます。だんだん日も短くなり、11月ぐらいになってくると雲が結構増えて12月には雪も降ってきます。そうするとお祭り騒ぎの気分は終わり、仕事のことを考えていかないといけない。暗い冬に家の中でできる仕事がないか、と考える人たちにコイルを巻く内職はちょうどよかったのでしょう。それで私のところで受注できる量が増え、どうにか食いつなげるという気持ちになれたわけです」
コイルの手巻き作業を任せられる人々とも多く出会い、二次下請けからメーカーと直接やり取りをする下請け企業となった。農業からの転身もすっかり落ち着いて事業は軌道に乗った。1980年代後半から90年代にかけて、昭和から平成へとまたぐ時期だ。
「『下請けの親父っていうのは楽なもんだなあ』とその頃は思っていましたね。景気も良かったですし、ぼーっと机で頬杖をついていても誰かが仕事をしてくれて、お金が入ってくる。『こんなことをしていていいのだろうか?』と思った矢先、売り上げがドンと落ちました。親会社であるコイルメーカーに呼び出されて、『コイルを手巻きする労働集約型の外注は国内では行わず、中国に持って行く』と宣告されたんです。中国の方が安い働き手がいるから国内事業はもう撤退するというわけです。要はクビ切り宣言ですね」
90年代前半のバブル崩壊だ。見る見るうちに市場の株価は下がり、日本経済は急激な下降の一途をたどった。そうした状況で真っ先に犠牲になるのが末端の下請け企業であり、実際に多くの零細企業、中小企業が倒産した。しかし、上野はそこで腐ることなく一念発起した。
「下請けとして簡単にクビを切られるような状況では仕事をやっていられないですよね。じゃあ、自分がコイルを作るメーカーになればいいじゃないかと。まあ乱暴な話ですよね。下請けをやって、コイルを巻くことしかできない男が、いきなり大手家電メーカーに直接自分のコイルを持って売り込もうとしたわけですから。しかし、そんなバカげた発想であっても、やってみるとできてしまうものなんですよ」
下請けからメーカーになるためには何が不足しているのか。上野はまずそれを考えた。コイルを作ることはできるが、資材の購入というハードルがある。酸化鉄を主成分とするフェライトという磁性材料の仕入れには苦戦した。コイルのコアとなる重要な材料だ。そもそも、自社でコイルを手がけている大手メーカーは、その材料であるフェライトも自社生産している。コンペティターとして入ってくる新参企業に、やすやすと譲るはずはない。巻き線をしていないコアメーカーを探したり、アメリカにまで調達に出向いたり、足を使ってルートの確保に尽力した。そして次に不足しているのは、営業能力だった。
「営業マンはわたし以外にいませんし、そんなに簡単に養成もできません。電子部品商社もありますが、なかなか下請け上がりのメーカーに耳を傾けてはくれない。じゃあ何が一番効率的なのかと考えて、ホームページを開設することにしました」
Windows 95が出るかどうかというタイミングだ。もちろんホームページを開設している企業自体が多くはなく、ネットの世界は未知に溢れており、逆にそこには大きな可能性が潜んでいた。
「結構お金をかけて綺麗なホームページを作り、コイルの写真や図面を入れたものの、どうもインパクトがなかったんです。うちは何をアピールしないといけないかを考えると、やはり値段です。質の高いコイルを安く売りたいわけですから、値段を載せないといけない。実際に値段を載せると、コンペティター企業の技術者たちはうちのホームページを見てだいぶ驚かれたようです。それまでの価格の半分程度で売り出しましたから」
内職の雇用を増やすだけではなく、刑務所の受刑者産業に委託をするなど、安い労働力に目を向けたのは一つある。しかしそれと同時に、上野はコイルが持つ価値、役割、需要の増加を見越していた。
「例えば洗濯機があります。その動きは、渦を作るだけですよね。となると、下にプロペラみたいなものがあってグルグルと回転させるだけですから、ノイズがあろうとなかろうとモーターは回転しますよね。しかし、パソコンなどが生まれてくると初めて、ノイズが製品の動作を妨げるようになる。エラーを起こすようになる。ノイズという形で現れる異常電流を吸収するのがノイズフィルターコイルですから、パソコンの登場以降、当然需要は拡大するわけです。それまでは少ない数のコイルを高い値段で売って、膨大な利益を出していたメーカーが当然のようにいましたが、需要が拡大すればそうはいかなくなってきます。そこに弱小メーカーが安い値段で参入し、だんだんとのし上がってきた。それが弊社の成り立ちなんですね」
1984年に立ち上げた有限会社上野製作所を96年に株式会社ウエノと改組し、開発を重ねてメーカーとしての立ち位置を市場に確立していった。しかし上野は、手作業による巻き線が当たり前のこの事業の課題を早くから見抜いていた。
「機械から発生するノイズは、当然低ければ低いほうがいいですよね。ノイズフィルターの品質が上がれば、今まで2個使っていたものが1個で済むようになるかもしれない。1年でダメになってしまうコイルが3年持つようになるかもしれない。そう考えたときに、巻き線を自動化することでコイルの品質の向上と安定を実現できると考えたんです」
自動化するための製造機械の開発には、当然大きなコストがかかる。しかし、そこのリスクを負わずして前進はない。リング状構造の「トロイダルコイル」の日本市場において生産高トップに認証された2004年より機械の開発を開始し、2010年には一通りの工程を自動化することを目標とした第一次事業を完了させる。とはいうものの、全てが容易に右肩上がりに進むわけではなかった。
「自動化することで品質を上げて、少し値段を高くすることを考えたんですが、ハードルは高かったですね。まず日本の大手家電メーカーに営業したのですが、皆さん品質を褒めてくださるものの、買ってはくれないんです。なぜかというと、初めて自動製造した“実績のない製品”だからです。当然うちが開発したコイルですから実績なんてありませんよね。営業には苦戦しました。
数ヶ月経った頃に、サムスンという韓国の企業が興味を持ってくださったんです。それでようやく使ってもらえた。結構大きな数字で買ってもらいましたね。それから中国の企業にも採用してもらって、ようやく日本でも使ってもらえるようになりました。ただ、中国で模倣されて量産されてしまったことで、個体価格を高くできないかという私の目論見はうまくいきませんでしたが、他の会社が手をつけていない分野をどうやって開拓していくかということを考え続けていますから、うちがまだトップであり続けられる要素はあるかなと思っています」
今はもっぱら、デザイン力を意識している。小型化と高性能化をさらに進め、タブレットやスマートフォンといった精密機器に採用されるノイズフィルターコイルのシェアを広げることができれば、ウエノが参入できる領域がさらに広がる。農業がうまくいかずに転身したコイル産業の世界で二次下請けから下請けとなり、そこからメーカーとなり、国内でトップに君臨する生産力を誇るまでに至った背景には、その先への発展を見据える上野の姿勢がある。
「悪い状況をよくするためには、その悪い状況に何かいいことが隠されているんじゃないかと思うんですね。それがどこにあるかを必死に探る。なんで良くない状況になっているのかがわかれば、そこのギアを切り替えれば良くなるはずじゃないか、というのが根本的な考え方です。そのためには、大きな課題を大きな壁として受け止めるのではなく、大きな課題を一つずつの小さな課題に分解して、方策を見つけていく必要があります。小さな課題であれば、よく考えれば必ず解決策が見つかるはずですから。
『求めよ、さらば与えられん』という言葉がうちの社訓なんですが、要は、目標を持って生きようということです。目標なり希望、指標なりといったものがないと、仕事も作っていけなくなります。何を目標にするか、それは解決したり達成したりしながら変わり続けるものです。ただ、常にこの言葉を意識することで、目標を見つけて前に進み続けられると考えています」
住所 | 山形県鶴岡市三和堰中100 |
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名称 | 株式会社ウエノ 代表取締役社長 上野 隆一 |