生涯を通じて自分の歯で食べる歯科医療。削って治療することを前提とせず、予防のためのメインテナンスを徹底する。
日吉歯科診療所 理事長 熊谷 崇生涯を通じて自分の歯で食べる歯科医療。削って治療することを前提とせず、予防のためのメインテナンスを徹底する。
日吉歯科診療所 理事長 熊谷 崇症状が出てから受診して治療を受けるのではなく、定期的な口腔内検査の実施やメインテナンスの継続に裏付けられた予防診療を推奨する日吉歯科診療所。理事長を務める創業者の熊谷崇は、歯科医療の先進国であるスウェーデンとアメリカの歯科医療から学んだメソッドに自らの経験で得た知見を加え、「Sakataモデル」として世界に向けて発信している。
日本の保険制度では、歯が悪くなって歯医者に通うと、例えば1万円の治療費がかかっても、自己負担は3000円程度で済むため、安く手軽に治療してもらった気分で通院を終えるのが一般的だ。しかし、何年か経つと削った箇所が再び悪くなり、再治療が必要になる。歯は一度削られると脆くなるために徐々に悪化し、抜歯となり、後期高齢者の9割近くが入れ歯を使用しているのが現実だ。
「悪くなってから通院するのではなく、悪くならないために通院することで、生涯自分の歯で食べられるんだということを教育しないといけない。メインテナンスが大切なんです。歯の磨き方、フロスの使い方をきちんと覚え、定期的に歯科衛生士にケアしてもらい、問題が起こらないように予防する。その予防診療は、歯科医療の最先端であるスウェーデンで実践されている方法です」
滅菌された器具器材の維持とプライバシーへの視点から、日吉歯科ではすべての診療が個室で行われている。診察室の数は27室。ドクターが10名、歯科衛生士が20名、合計で50名弱のスタッフが働いている。予防診療において、歯科衛生士の役割は非常に大きい。
東京生まれで東京育ちの熊谷が、最初に開業したのは神奈川県横浜市だった。同じく歯科医である妻は酒田出身で、義父は実家で外科医として開業していた。結婚してほどなくして義父が癌で急逝したため、外科医院を改装し、日吉歯科を移転開業することにした。
「38年前に酒田に来て、人々が皆とてもオープンだと思いました。海のものとも山のものともわからない、しかもアメリカナイズされた歯医者を結構受け入れる人が多かったんです。最初はもちろん8割ぐらいの人は予防中心の歯科医療には否定的で、拒否反応もありましたが、2割ぐらいの人たちは受け入れてくれた。その2割ぐらいの人たちは、口の中の状態がよくなっていくから、口コミで患者さんが増えていくわけです」
日吉歯科の診療は独特だ。たとえ虫歯で来院した患者であっても、応急処置はするが初診で治療をすることはない。では何をするのか。簡単な問診を終えると、まずはすべての歯の現状を記録するために、13枚の写真を撮影。次にレントゲン撮影を16枚行う。そして次に、唾液検査や歯周病の検査で、個人によって異なる口腔内のリスクを確認する。初診はそこまでだ。検査結果にいて説明し、予防歯科について理解してもらうため通院し、歯石を除去し、口の中から虫歯や歯周病を引き起こす細菌を取り除いて清潔にする。そして、家庭でのセルフケアを効果的にするために、歯磨きやフロスでのケアの方法も教え込まれる。きちんと手入れができる状態になって初めて治療を行う。
「虫歯、歯周病は細菌感染によって起こる疾患なので、その細菌をコントロールせずに治療をしても再び虫歯や歯周病になってしまう。だから、歯科衛生士の仕事は大切です。治療が終了したら、すべての患者さんに初診時と同じ検査を行い、写真、レントゲン、唾液検査、歯周病検査の結果を治療前と治療後で比較し、患者さんに説明する。それがメインテナンスの重要性を患者さんが理解するために教育になるわけです。このような治療の進め方が、グローバル・スタンダードなのです」
メインテナンスで定期的に通院する人が増えるに従って、増改築を繰り返し、歯科衛生士や歯科医師の雇用も増やしながら規模を拡大してきたという。そして建物1階の中央にあたる場所に、厳かなしつらえの扉がある。「この部屋の中に、日吉歯科が国際的に評価されている理由があります」と、熊谷は扉の中へと案内してくれた。
「これはもともと蔵だった建物です。開業当時から現在までに日吉歯科にやってきた30000人ほどの患者さんのカルテが、すべてここに保管されているんです。カルテが燃えたら大変でしょう。蔵は燃えないから、この蔵を改装して保存することにしました。メインテナンスを行なっている人も、そうでない人も含めて、38年間に訪れたすべての患者の規格性のある写真やレントゲン、治療記録が保管されているのは世界的にも珍しいことなので、アメリカやスウェーデンの著名な歯科医や研究者が訪れた際にも驚かれています。
庄内の人たちの真面目さと、良いと思ったものを素直に受け入れる価値観、それと、将来を予測できる視野。そういった要素が結びついて、これだけ貴重な資料が形成されたわけです。歯科医にとっても歯科衛生士にとっても、そして患者さんにとってもすごく価値のある資料がこの蔵には保管されているのです」
現在、日吉歯科には2世代や3世代にわたって予防診療に通う家族も多い。小さな子どもを連れてくる親には歯の大切さがきちんと教育され、継続的にメインテナンスを行うことで虫歯と無縁であることを多くの患者が実感しているからだ。
そして、38年にわたって蓄積されたデータを比較して見せてもらうと、例えば、5歳で通い始めて現在35歳になった患者の場合、1本も歯に詰め物がない。写真を見ると一目でわかるほどに清潔さがキープされている。また、42歳で通い始めて79歳になる患者のデータを見ても、メインテナンスのスタートが遅かったとはいえ、やはり1本も失っていない。
55歳以上で通い始めた場合に、30年間で失った歯を平均すると1.8本程度。厚労省の調査では、日本の70〜80代は平均して16〜17本を失っているというから、メインテナンスの重要性は明らかだ。
「東大の医学部では20年ほどにわたり、高齢者の自立度の追跡調査を行ってきたのですが、その結果を見ると、60代で2割が徐々に寝たきりになり始め、70代でそれが7割に増えます。その変化を残存している歯の数で見ると、40代ぐらいから歯を失う人が出始めて、残存歯と喪失歯の割合が近づくのが70代。つまり、歯の喪失が健康寿命を短くしている可能性があり、メインテナンスによって歯を残すことが、自立して健康に生きられる期間を延ばすことにつながると考えているんです。
実際のところ、日吉歯科に通ってメインテナンスを続けている患者さんは、80歳を超えていてもすこぶる元気なんですよ。見た目の印象だけではなく、データからも口腔内の状況からもわかっている。今は健康なまま寿命を全うする人は1割しかいないのですが、口腔ケアによってそれを4〜5割まで高めることができるのではないかと考え、日吉歯科ではその数字を目標に掲げて頑張っています」
これまでは60歳や65歳が定年とされてきたが、遠からず先進国では平均寿命が100歳を超えると言われており、その一方で、人口は減少し、高齢化が進む。日本の人口が1億を切るのも時間の問題で、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると100年後には5000万人ほどになってしまう。
「酒田の例でいうと、人口は激減していて、現在10万人ほどの人口が20年後には65000人ほど、そのうち65歳以上が4割を超えると言われています。つまり、税金を払う人が全体の半数近くまで減り、残りは税金を使う人になってしまう。そうなると税収では、今までの行政サービスができなくなってしまいます」
そこで日吉歯科で提唱する新しいスローガンが、「KEEP 28 Sakata Model」だ。目標は、自分自身の28本の歯すべてを健全永久歯として保つこと。歯の健康は全身の健康と直結している。健康寿命が伸びることによって、医療費が抑制されるだけではなく、仕事をして納税できる期間も延長することができる。この実現のためには予防診療が不可欠だが、現在の疾病給付型の保険制度ではその費用がカバーされないため、熊谷は企業との連携の重要性を説く。
「少子高齢化に伴う医療費の高騰や、労働人口の減少による健康保険組合の財政破綻などを考えると、社員たちの健康に留意している企業に人が集まるのは当然でしょう。酒田では、例えば平田牧場をはじめ、上喜元の酒田酒造や冷暖房のサーモテクノ、ホテルリッチ&ガーデンなどが、福利厚生によって日吉歯科でのメインテナンス費用を会社が負担しています。これが全国的にも広まり、富士通など多くの企業が、社員の口腔の健康のための取り組みを検討するようになりました。症状が出てから受診する従来型の歯科医療の見直しが、企業単位で行われ始めているのです」
そうした意識の個人への浸透をさらに深めるために、クラウドサービスを用いて個人の医療データにアクセスできる仕組みも構築した。現在は日吉歯科で定期的にメインテナンスを受けている患者に優先的に案内しているが、いずれはこのサービスが全国の歯科医に広まることを熊谷は強く望んでいる。
「唾液検査や歯周病検査の結果や、定期的に撮影した口腔内の写真とレントゲン写真、ホームケアの評価など、すべての情報をクラウドに格納し、患者さんに渡すシステムを富士通と共同で開発しました。治療前後の比較もできますし、こうした医療データをきちんと把握することで、メインテナンスの重要性も知ることができます。
自分の医療データにアクセスできる患者の方が、自分の病気への理解度が深く、治療がうまくいくケースも多いことが研究によって明らかにされています。歯のセルフケアに対する人々のモチベーションが高まり、社会全体が健康になる。『KEEP 28』には、そのような思いが込められているのです」
個人が継続的にメインテナンスを行うことに始まり、そこへの企業のサポート、予防診療の徹底に向けたクラウドサービスの構築まで、熊谷は酒田市に移転開業した1980年からのデータの蓄積と分析から、プログラムを発展させてきた。それが、健康な社会を作るための「KEEP 28 Sakata Model」だ。「KEEP 28」を社会全体で達成させるために、行政や各企業、医療機関など、社会における様々なプレイヤー同士の連携をさらに深めていく。
名称 | 日吉歯科診療所 理事長 熊谷 崇 |
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全ての人に健康なお口で人生を過ごしてもらうために。日吉歯科診療所は世界中の人々のお口の健康を守っていくための活動をこれまでもこれからも続けていきます。