鶴岡市に移住した人々の日常を、リアルな体験談とともに紹介する”鶴岡市移住インタビュー”。
今回は、かつて祖父母が暮らした一軒家に住むため孫ターンした本間 明さんにお話しを伺いました。
Q鶴岡市へ移住することになったきっかけを教えてください。
本間さん
20歳くらいの時から、いずれは祖父母が住んでいた鶴岡市内の空き家に住みたいと考えるようになりました。大学在学中も、ずっとぼんやりと”鶴岡移住”を意識してはいたのですが、卒業後一度は和歌山市で就職をすることに。
そこから移住を決めるタイミングとして直接的なきっかけになったのは、新型コロナウイルスの流行でした。世の中の色々なことがストップして、この先何が起こるのか分からないような雰囲気の中、漠然とした不安を感じて”いずれ”っていうのは今なんじゃないかと思うようになりました。
Qどのような不安を感じたのでしょうか?
本間さん
和歌山県ってよく台風が通る場所で、サラリーマン時代にも大きめの台風が直撃したことがありました。その時1日、2日停電になって、食べ物も住まいも全部お金で買っていることに気づきました。賃貸の住宅に住み、電気・ガス・水道などのライフラインに頼り切った生活をしていると、有事の際に全ての営みがストップしてしまう。この状況は、ひょっとしたら危ういのではないかと思うようになりました。
その後、新型コロナウイルスが流行したので、自給力を高めていくことが大切だと思うようになったんです。こうした経緯から、祖父母の空き家がある鶴岡に越して、これまでと違う生活を実践したいと考えました。
Q鶴岡に越してみて、いかがでしたか?
本間さん
鶴岡に越してからは、まず祖父母の空き家があったことで住まいの問題をクリア出来ました。そこから、農家の仕事をはじめて、お米は買わなくなり、味噌も作っていて、食材を貰えることも多い。それに昼ごはんはいつも農家さんの食卓に混ぜてもらって食べているので、状況は大きく変わりました。
和歌山県にいる頃は、仕事と暮らしの営みは分かれていたんですよね。平日に朝から晩まで働いて、週末には友達や後輩を誘って飲みに行ってというような。その時はアパート暮らしでしたし、家賃もそれなりに払っていて、沢山の支出をしていました。勿論食べるものは全てスーパーで買い、遊びも全部お金で買っていました。そういう面で、鶴岡に来てから全然お金を使わない生活に変わりましたね。
Qもともと、農業に興味が?
本間さん
大学は、観光学部に通っていたのですが、そこでは課外活動が単位認定される制度がありました。みかん農家に行ったり、キャンパス内ではなく地域に入って活動することが多かったんですね。
また、僕が所属していたゼミではいわゆる”観光”ではなく、主に地域活性化のことを学んでいました。大学時代に学んだ、地域の資源を生かしていくという考え方が、農業に直結しています。
大学卒業後は税理士事務所に就職したのですが、お客さんに農家さんや漁師さんも多かったので、自然に関連する仕事への憧れはその頃にあったかもしれないですね。
和歌山にとある養蜂家さんがいて、その方がすごく面白い方で。1年の半分は和歌山にいながら、みかん蜂蜜を採って、時期が終わったら今度は北海道へ向かい、巣箱と蜂ごとフェリーに乗せてそこで蜂蜜を採るそうです。そんな生き方があるんだ、楽しそうだなっていう、影響を受けました。
だから和歌山にいる時から、やりたいことを想像しては、ワクワクしていました。その気持ちを膨らませていって、今は想像以上にやりたかったことが実現出来ていると感じています。
Q農業は、やりたかったことのうちのひとつだったんですね。
本間さん
はい。
農業の他にも、自立した豊かな暮らしを目指して取り組んでいることが色々あります。これまで、那須にある『非電化工房』でのワークショップに参加して、雨水トイレの制作や、アロマ蒸留器の作り方などを学んできました。
Green Blueあつみでは自然体験のインストラクターもしていて、子供たちが丸太をロープ枠で組んで、実際に作ったいかだで海に出るっていう体験を教えたり、シナの花石鹸の作り方を伝えたり。最近では、鶴岡の食環境を保全するためのプロフェクト『サスティナ鶴岡』にも参加しています。
ただ自分で作るだけじゃなくて、それを誰かに伝えたり、自分で作ったものをビジネスに繋げていく。そういう生き方をしていきたいなって思っています。
それから、例えば何かが起きて働けなくなった時に、一つの仕事だけだと収入が全部なくなってしまうので、収入を複数に分けておくという”複業”スタイルを目指していて。将来は、農業をやりながらもゲストハウスを運営していきたいと考えています。
Qゲストハウスは、この家で?
本間さん
はい。
いつか、おじいちゃん、おばあちゃんが残してくれたこの家を、移住者のためのお試し住宅という形のゲストハウスにしたいと思っています。そのためのリノベーションを、セルフビルドでやりたいです。
この冬、練習のために付け窓作りをしてみました。セルフと言っても一人じゃ絶対に無理なので、仲間と一緒にやりたいなと思っていて、まずは今、この土地で仲間作りのためのアクションをしているところです。
Q“仲間づくり”に活用したことはありますか?
本間さん
これまでに、鶴岡市の帰省者交流会に2度参加して、そこで様々な方に出会うことができました。
また、2020年に半年ほど参加した『自分の未来を作るゼミ』でも、山形で既に活躍されている方や、将来山形に関わりを持ちたい方を中心にたくさんの仲間ができました。やっぱり、移住をするにあたって繋がりや仲間がいた方が暮らしやすいと思います。
移住する前であっても、自分のやりたいことが具体的にまとまっていなくても、やりたいことを発信することで仲間が増えていったように思います。
その人がまた違う人を紹介してくれて、更に広がっていく。鶴岡はとても良い環境で、どの分野にも既に先を走っている先輩がいるので、そこに誘ってもらう形で繋がっていくことが出来ました。だから、自分から発信し続けて良かったと思います。
Qご近所さんとの交流はありますか?
本間さん
今年は、移住2年目にして町内会の隣組長になりました。集金などで各家庭をまわるので、今まであまり知らなかったご近所さんの顔を知ることができるという良さがあります。
また、おじいちゃんが町の看板屋だったので、夏祭りの看板などおじいちゃんが携わった看板を至るところで見つけることができます。作風から、おじいちゃんが作ったのだろう看板を見つけられるようになりました。「風っ子クラブ」も多分そう。
ご近所の方の中には、おじいちゃん、おばあちゃんの友達だった方もいて、昔から僕のことも知っていてくれている。それは孫ターンのメリットだなと思います。車庫を貸してくれたり、雪かきのやり方を教えてくれたり。初対面ではないという安心感がありました。
Qおじいちゃん、おばあちゃんとの関係性は?
本間さん
大学で和歌山に行く前は、1年に1、2回、お盆や正月には遊びに来ていました。おばあちゃんは僕が小学生くらいの時に亡くなって、おじいちゃんはその後10年ほど健在でした。この家に一人で住んでいた時期もあったし、山形市の実家で一緒に暮らしたこともあって。
おじいちゃんとの関わりは強かったので、おじいちゃんの仕事のことや、2人が残した家に対しても強い思い入れがあります。看板屋のアトリエには工具などもあって、これからも大切に使っていきたいです。
Qこれから、鶴岡でやりたいことはありますか?
本間さん
いつかゲストハウスを作ることが、大きな目標です。そこへ向かうために小さなことから実践していきたいと思っていて、今やりたいことが3つあります。
その一つ目が、ピザ釜づくり。移動式で、持ち運びの出来るピザ釜を作りたいと考えています。どこへでも行けて、例えば與惣兵衛の畑で、午前中に収穫した食材を使ったピザを作るのも楽しそうです。
二つ目は、アロマ蒸留器づくり。小国町にクロモジのアロマオイルや、ハーブウォーターを作っている知り合いの方がいるので、そこのクロモジを買って、蒸留したいなと考えています。その他にも、鶴岡に自生しているような植物とか…色々なものを蒸留実験する”鶴岡の香り研究所”を立ち上げようと友人と計画中です。
そして最後は、雨水トイレ。雨水を溜めておいて流す水として使用することで、水道代を削減出来るというような設備を作りたいです。
どれもこれも、一からやろうと思ったら自分ひとりでは難しいですが、既に挑戦している人たちがいたからこそ僕にもできると思えた。複数の自分を生きることが叶う鶴岡は、本当にいいところだと思っています。
Qお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
地域資源を活用することで自給を目指し、人と人の関わりの中で生きていく。本間さんのライフスタイルには、これからの時代を豊かに暮らすいくつものヒントが込められていました。
(文・写真 すずき まき)
プロフィール | 本間 明 (ほんま めい) さん 1994年 山形県山形市に生まれる。 和歌山県の大学へ進学し、卒業後は和歌山県内の税理士事務所に就職。2020年8月からお試し移住を経て、2021年1月に鶴岡市へ転入。 ”複業”スタイルを生活の基盤に、地域の資源を生かす営みをライフワークとしている。代表的な取り組みとして、農家『與惣兵衛(よそべい)』、サスティナ鶴岡、Green Blueあつみ 等へ参加。農業や自然体験を中心に活動の幅を広げている。 |
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こちらは「前略つるおかに住みマス。」の転載記事です。
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