憧れの暮らしを実践しながら営む「地域密着型の生業」

毛利 拓己さん(百姓見習い)

海の幸と山の幸に恵まれた越前海岸に、製塩業や農業を営む志野製塩所(以下、志野屋)がある。2023年8月、志野屋に仲間が1人増えた。神戸から移住してきた毛利 拓己(もうりたくみ)さんだ。肩書きは、「百姓見習い」。お米づくりや塩づくり、ニワトリの世話、ヤギの世話、野菜の収穫、販売など、百の生業を営む百姓をめざして、日々汗をかいている。

 

「やりたいこと」を選び続けた先に

人生の選択をする際には、「自分がやりたいこと」を大切にするのが毛利さんのモットーだ。大学卒業後は「旅をしたい、海外の人と何かをしてみたい」という思いからワーキングホリデーでオーストリアへ行き、農業の仕事にかかわった。「英語力がなくても体力があればどうにかなる」と試しに挑戦してみた農業だったが、休憩中で見た景色の美しさや自分で収穫したものを食べた時の美味しさなど現地でのさまざまな経験を経て「自分にはこの仕事が合っている」と、農業に興味を持つようになった。

 

帰国後は、地元神戸で青果市場の仕事に従事し、運ばれてきた大量の野菜の荷下ろしや袋詰め、出荷作業を行っていた。「農業をめざす上で必要な通過点」と思い市場で働いていた毛利さんだったが、次第に「多品目を扱う農業に関わってみたい」と、自分の目指す農業のあり方を考えるように。早速、農業の求人サイトで探し始め、気になるところにいくつか連絡してみたものの、なかなかうまくいかなかったという。

不安も募るなか、「一旦ええわ!」と、気持ちを切り替えた毛利さん。農業の求人探しを中断し、以前からやりたかった「日本をもっと知る旅」に出ることに決めた。

 

偶然がご縁を呼ぶ、はじめての福井旅

 

旅のテーマは、登山、銭湯、日本酒。北陸新幹線の延伸に伴い、関西と北陸を結ぶ特急列車「サンダーバード」が敦賀止まりになってしまうことから、まずは行き先を北陸に決めた。情報収集するなかで「福井っておもしろそう」と興味を持った毛利さんだったが、職場の先輩から「福井はええとこないぞ」と言われてしまったそう。しかし、逆に「そんなわけない、きっとおもろいはずや!」と行きたい気持ちを強くし、その場で福井駅近くのゲストハウスを予約。2023年5月のゴールデンウィーク、毛利さんは2泊3日の福井旅へ出かけた。

 

福井に到着した毛利さんは、登山や地元の銭湯、そして居酒屋で日本酒を堪能するなど早速福井を満喫。初日にしてやりたいことを全てやりきってしまったため、ゲストハウスの店主に相談し、おすすめされた飲食店「Agit(アジト)」を訪れた。

Agitのマスターとおしゃべりに花を咲かせた毛利さん。次第に農業の話になり、「お米もしたいし、野菜もしたい。ニワトリもしたいし、犬もいたらいいな...」と、自分が思い描く農業についても伝えた。「それなら、越前海岸に面白いところあるよ」そうマスターから紹介された場所こそ、志野製塩所だった。しかし、訪れようにも福井市街地から車で1時間近くかかってしまう。交通手段のない毛利さんは半ば諦めかけていたが、なんとたまたまAgitに居合わせたお客さんと意気投合し、その人に志野屋まで連れて行ってもらうことになった。

 

越前海岸には思い描いていた暮らしがあった

 

こうして、初めて越前海岸を訪れた毛利さん。「山の緑が多彩で、ずっと見ていられるほど海の波も穏やかでした」と、自然の豊かさに心を奪われた。

志野製塩所に到着すると、代表である志野祐介さんから志野屋の活動についてひととおり紹介。製塩業、お米づくり、野菜づくり、ニワトリやヤギの飼育など、越前海岸の立地を活かした生業づくりは、まさに毛利さんが思い描いていた暮らしだった。毛利さんはこの時直感で「俺、またここに戻ってくるわ」と思ったそう。実際にその翌月に志野屋で10日間の実習が決まった。

実習では、梅の収穫や選別、田んぼの草取り、鶏舎や塩づくりの見学など多岐に渡り、充実した日々。さらに福井県内で農家を営む人との出会いも相まって、ますますこの暮らしにワクワクした毛利さんは、実習を終えると同時に正式に志野屋の仲間になることが決まった。

 

ここだからできること、伝えたいこと

2023年8月、毛利さんは神戸から移住し、志野屋で働き始めた。ここでの日々は、「挑戦と反省の連続」だという。

「作業で分からないことがあったら、自己判断ではなく、仲間に相談することの大切さを教えて貰っています。仕事を通して周りの人への感謝の気持ちを再確認できることが多いですね」

また、地域密着型の志野屋で働くからこそ、移住者として、地域との関係性についても考えている。

「僕はあまり話が上手くないので、元気よく挨拶するなど、小さなことを大切にしようと思っています。真剣に作業に取り組む姿も地域の方に見ていただくことで、自分自身が心地よくこの町に住み住み続けられるような関係性を築きたいです」

2024年5月には、地元である神戸のアースデイに出店するなど、志野屋の一員として越前海岸や福井の魅力の発信にも精力的に取り組んでいる毛利さん。休日は、海辺を散歩し、シーグラスを集めてアートにするなど、越前海岸での暮らしも堪能中だ。

さらに毛利さんには、これからやってみたいこともたくさんあると言う。「志野屋でやっていることを活かし、塩づくり体験や平飼い鶏舎巡り、畑ツアーといった田舎体験アカデミーや、越前海岸に来た人たちが気軽に泊まれるゲストハウスを実現したいですね。日中観光して、夜にゲストハウスで塩づくり体験できたらいいな」。

海に沈む夕日や、海と山に恵まれた食材を食べる日々。今の生活は「一言で表現出来ないくらい、素敵な日々を送らせてもらっている」と、笑顔がこぼれる。

 

取材・文 川上真理子