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求められる葬儀の創造、地域の心に寄り添うエンディングサービス

株式会社月見 / 葬祭事業部管理職者、管理職者候補

インタビュー記事

更新日 : 2024年12月27日

1980年代から酒田、鶴岡においてホテル事業を展開し、地域とともに成長してきた株式会社月見。現在、ホテルイン酒田、ホテルイン鶴岡のビジネスホテルの他、酒田駅前再開発プロジェクト「光の湊」にある月のホテルを経営している。コミュニティホテルを新たに創設したその背景にはどんな想いがあるのか聞いてみた。

株式会社月見 事業概要

1966年にスーパー月見の店として創業。その後、飲食店事業を展開し、1981年に一般事業所への弁当供給を開始するとともに株式会社月見を設立した。現在は、ホテルイン酒田、ホテルイン鶴岡、そして酒田駅前にある交流拠点・光の湊にある月のホテルの3軒のホテル運営を主事業としている。また、「まるでお家にいるような、あたたかなお見送りの空間」をコンセプトにした家族葬邸宅デュエ酒田東町、家族葬邸宅デュエ鶴岡城南の運営を行い、葬祭業も展開している。お客様の喜びと感動をミッションに掲げ、上質なサービスを提供するとともに、商品品質の向上を目指して、日々チャレンジを続けている。
 地域とのつながりを強く意識し、ホテル事業においては、庄内の食と文化を積極的に取り入れ、庄内のホテルであることの強みを出している。また、コミュニティホテルとしてのホテル活用にも積極的で、地域内外の人の交流の場としてホテルを提供している。

お客さまの想像を超えることで感動は生まれる
「私たちのサービスのベースにあるのは、人として親切な行動をするということだけです」。そう話すのは、庄内地域においてホテル事業を展開する株式会社月見の代表取締役社長である白旗夏生だ。
 JR酒田駅前の「光の湊」。酒田駅前再開発プロジェクトによって生まれた交流拠点だ。そこのメルクマールのひとつともいえるのが「月のホテル」。酒田の歴史を感じることのできるホテルだ。館内の落ち着いた光と、外の世界の光が差し込むことで、開放感のある空間が広がっている。そのホテルを運営するのが月見だ。

 もともとは魚の行商から個人商店を設立することで始まった月見。そこから仕出し業へ事業を拡げ、1987年にビジネスホテル出羽大橋本館をオープンし本格的に宿泊業へ乗り出した。続いて、1999年にホテルイン酒田をオープン、庄内地域のビジネスホテルとして高い評価を得ることとなった。そして2020年に月のホテルの運営を開始した。
「お客さまの喜びと感動の達成が私たちのミッションです」と白旗は話す。「ただ、それにはとてもシンプルな行動原理があればいいと思っています。それが、人として親切な行動というものです。ただ、感動はお客さまのご期待を上回ることで達成できるものだと考えています」

 それは社内においても同じだという。スタッフ同士の雰囲気も大事だと白旗は話してくれた。その暖かい雰囲気が暖かい接客を生む。月のホテルをはじめ、月見の運営するホテルには常連が多い。そして、そのお客さまたちはホテルスタッフとたくさんコミュニケーションをとってくれる。例えばレストランで新しいメニューが出たときに、食べていただき感想を聞くこともあるそうだ。そこからお客さまの本当の声を聞いて、新しいサービスや品質向上が生み出される。そういう好循環を生んでいるのが、「人として親切な行動」なのだ。

 

自走する組織を生み出す環境づくり
 そして、それを支える環境が「自走する組織」だ。標準化し画一化されたサービスだけではなく、自分たちで考えて行動する。そうすることで各ホテルに色が出てくる。例えば食事では、月見はセントラルキッチンを持っているものの、各ホテル独自で仕入れからメニュー作りの自由がある。そうして各ホテルの客層に合ったものを提供しているのだという。セントラルキッチンを設立したのは、調理人たちの負担を減らすため。働き方改革という目的を第一義としていた。そこから全ホテルに共通のものは配給し、ホテルのニーズに合わせたものは自分たちで作ることができる。
 食事についてのことは自走する組織の一例だが、酒田駅前事業部(月のホテル)、酒田事業部(ホテルイン酒田)、鶴岡事業部(ホテルイン鶴岡)、料飲事業部(セントラルキッチン)、葬祭事業部、企画開発部のぞれぞれの役員に、ある一定のレギュレーションを決めて、企画立案、実行の権限があり、社長決裁なく案件を進められる体制をとっている。そのため、積極的なチャレンジができるのだ。それは、サービスやイベントという企画だけではなく、社員の働き方など事務的なもの、バックヤードでの運営においても権限があるという。

 
「現場を信頼してくれて、決裁権を与えてくれている」と話すのは、ホテルイン鶴岡の支配人である佐藤麻衣。「ホテルの経営者として一任されているという感じです。とてもやりがいを感じています」と話してくれた。佐藤は2009年にホテルイン鶴岡のオープニングスタッフとして入社した。元々接客業をしていたがホテルでの経験はゼロからのスタートだった。「ホテルといえばフロント業務ぐらいしか思い浮かばなかったんですけど、実際に入ってみるといろいろやることがあるんだなと驚かされました」と笑っていたが、それ以上に驚いたのはリピーターの多さだったという。「ご飯がおいしいって言ってくれる人も多い。そういった言葉を意識しながら、レストラン部門と話して各施設ごとに飲食をレベルアップしていくということができるのが楽しくてやりがいがありますね」と話してくれた。

 

 同じくインタビューに答えてくれた戸川静果もホテルでの業務経験がないところから始まり、現在はホテルイン酒田の支配人として活躍している。「会社として怒られない風土があると感じています。もちろん最初はいろいろ勉強でしたが、そのときから様々なことを考えられる環境にありました。怒られないという言い方は変ですが、思ったこと、考えついたことを頭ごなしに否定されるような雰囲気はまったくない。だから話もできるし、行動もできる。支配人になったのは最近ですが、まずはいろいろと話すことを心がけています。そこからみんなでやるべきことを考えて行動に移したいと考えています」という。ふたりともに経験ゼロから支配人にまでなった。その背景には白旗の言う「人として親切な行動」というのが、まさに白旗の考えている意味のまま浸透している証拠なのではないだろうか。

地域とともに成長していくホテル
 今後の展望を白旗に聞いてみた。「私たちはホテル事業以前から、地域に支えられ、地域とともに成長してきたと考えています。月のホテルもそうですが、今後はコミュニティホテルという側面を充実させていきたいと思います」と話してくれた。
 コミュニティホテルとは、一般的にはシティホテルよりもリーズナブルな価格帯でサービスを提供するホテルのことを指す。しかし、月見の考えるコミュニティホテルには「人」が存在している。
 佐藤はこう言う。「いま大手のホテルも庄内に進出してきています。それらと私たちの違いというのは、人だと思います。より『地元感』のあるホテルになるといいなと考えています。私どものホテルは長期利用やリピーターの方が多いホテルです。だから、家に帰ってきたような安心感を持ってもらえる場所になったらいいなと思っています」。戸川も「地元の人と県外の人が交流できる場であったらと考えています。宿泊だけでなく、レストランも含めて、イベントなどの企画を立てていきたい」と話してくれた。

 白旗は「ホテル業をいま事業の中心にしていますが、もうひとつ葬祭業も新たな事業の柱としていきたいと考えています」という。それはやはり「地域」というキーワードと切り離せない。「究極のサービス業を私たちは目指しています。そのためには地域とともに、人とともにあると思っています。時代とともに生活様式も変わります。葬祭もそのひとつです。ホテルもただ単純に観光の宿というだけでなく、人の交わる場所であるといいなと考えています。例えば庄内で育った人が一度県外に出たとしても戻ってきたいと思える街になったらうれしい。そのまちづくりに貢献できたら最高です」と話してくれた。

 ホテルや宿というと、観光に行って泊まる場所という、言ってみれば「通り過ぎる場所」というイメージもあるかもしれない。しかし、佐藤の言うように「家のような安心感」があれば、人々は一度足を止めて「人が交わる場所」になるのかもしれない。