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新たなチャレンジが進化を生む酒造り

加藤嘉八郎酒造株式会社 / 日本酒の醸造 製造 販売

インタビュー記事

更新日 : 2024年07月24日

広島の西条、神戸の灘と共に酒どころとして並び称せられ、「東北の小灘」とも言われた酒どころ大山。最盛期は数十軒の酒蔵が並んでいた。その大山の地に蔵を構え150年以上の歴史を持つ加藤嘉八郎酒造。大山、十水といった人気銘柄を持つこの酒造は、常にチャレンジし進化し続けている場所だった。

加藤嘉八郎酒造株式会社 事業概要

創業1872年(明治5年)。以来、150年以上の歴史を歩んできた。加藤嘉八郎の人気銘柄は言わずと知れた「大山」。酒の街として発展したその街の名を冠した酒は全国にファンがいる。また、2011年に発売を開始した「十水」も人気。酒づくりにおける水の割合を減らし、米の旨味をより濃く引き出したその味は酒好きを驚かせた。
 それらの人気を支えるのは、社会の流行、嗜好の変化によるお客様のニーズを敏感に察知し、より「求められる味」を追及していること。そしてそれを実現可能にしているのが機械化だ。昭和48年に0.2℃単位の精度で温度管理を可能にする「OSタンク」、昭和53年に高品質で清潔・安定した吟醸タイプの麹造りが可能な「KOS製麹機」をともに自社開発した。そうして早くから機械化を進めたことで、自分たちの求める味を現実のものとしてきた。
 同社には「酒は大山 愛の酒」というキャッチフレーズがある。そこに表現される職人たちのこだわりが最後の後押しをし、現在も様々なチャレンジを行っている。

料理が変われば酒も変わる

「お客様は変化する。今年と同じものを食べ続けるわけじゃないですよね。好きなものも変わるだろうし、時代の流行もあります。私たちはその嗜好の変化に対応する形でお酒を進化させていかなくてはいけない」
 そう語るのは創業150年を超える酒造、加藤嘉八郎酒造の取締役を務める加藤嘉晃。当然、創業からの150年の歴史の中で、日本人の食文化は大きく変化してきた。例えば、肉料理にしても、食の欧米化の影響で味の濃いものが好まれるようになってきた。そのなかでは、伝統的な端麗辛口、あっさりしてきれいな味だけでは物足りない酒になってしまう。そのため、伝統の味は大切に受け継ぎながらも、時代に合わせた酒を開発していかなくてはいけない。そうしないと、飲む人が離れていってしまう。そこで酒造りも変化させてきたのが加藤嘉八郎酒造の特徴のひとつである。

早くから機械化を進め、酒質を高めてきた

 日本酒のブームはいくつかある。そのひとつが、高度成長期時代に訪れたものだ。消費量はぐんぐん上がり、高度経済成長が終わる昭和48年に日本酒の消費量はピークを迎えた。
 当時、生産量のニーズが高まり、大手酒造メーカーを含めた酒造も大忙しとなった。そうなると当然品質は落ちてしまう。「夜通し40人規模の人間がうちの蔵でも必要となりました。当然、生産量つまり仕事量が増えると職人の集中力は落ちてしまいます。新しい人を雇うにしても技術の差はなかなかうめられない。となれば、味は当然落ちてしまうんです」と取締役の加藤嘉隆は話してくれた。
 それを解消したのが機械化だ。まさに日本酒の消費量がピークを迎えた昭和48年に加藤嘉八郎酒造は「OSタンク」というものを自社開発した。それまでのタンクは中心部分とタンク淵の部分で温度がかなり変わってしまい、それを一定にするためにタンクを混ぜる工程が必要だった。「お酒は混ぜれば混ぜるほどストレスを与えてしまうんですよね」というのは杜氏の工藤誠志。「さらにいえば、重労働ですので職人たちにも大きな負担を与えていました」。
 そこで開発したのがOSタンクだ。このタンクは、特殊な形状と素材から0.2℃単位という精密な単位でタンク内の温度管理ができるようにしたものだった。それにより、質を落とさず、かつ、職人の負担も軽減できたのだ。

機械と人の力が合わさって酒はうまくなる

 もうひとつ加藤嘉八郎酒造には自社開発した機械がある。それが酒造りには欠かせない麹を造る「KOS製麹装置」というものだ。導入は昭和53年だが、それまで醤油や味噌の麹づくり用の機械が導入されることは少ないながらあったが、麹を混ぜる際に繊細な作業を要する吟醸酒造りでの導入はなかった。
「ただそれは逆で、麹造りの際に米を混ぜるとき、手でやるとやはり上手い下手が出てしまうんですね。それで品質面でばらつきが出てしまう。また、衛生面の問題もある。それを機械化できれば、常に高い品質の麹が造れるはずなんです」と加藤嘉隆は言う。
「ただし」とまた自分の言葉を覆す。「ただし、麹を造る過程には間違いなく人間の力が必要なんです。米が麹になっていく過程を温度の変化だけで見てしまうと見誤ってしまうんです。変化は香りで現れます。それを判断するのは職人なんです」。そのため、現在でも加藤嘉八郎酒造では二交代制で麹を見守り、素材の「声」に耳を傾けて育てている。

新しいチャレンジを成功させたのは、機械と人の力の融合

 時代に合った酒という意味では、加藤嘉八郎酒造のもうひとつの人気銘柄「十水」がまさにそれだ。
「十水は2011年に発売を開始した酒です。その時に必要だったのは、旨味の強い酒でした。味の濃い、旨味の強い料理が好まれて食されるようになり、それに合う酒はできないだろうかと考えたのです」
 そこでできた「十水」。その名前が表すように、米10に対して水10の割合で造った酒だ。一般的な酒は、米10、水12で造られているが、十水は水の割合を減らすことで、より米の旨味を濃く引き出した。その味は酒好きを驚かせたのはもちろん、現代の食事に合う味として人気を博している。十水の製造を可能にしたひとつの要素が先述したOSタンクだ。「従来のタンクで水の割合を減らしてしまうと、重くなりすぎて人がタンクの中の酒を混ぜることができないんです。でもOSタンクの底が丸くなっている形状だとそれが可能。それも十水を実現できた要因のひとつです」と加藤嘉隆は話してくれた。
「それに加えて」と加藤嘉晃が続ける。「そもそも十水の開発を始めたのには、お客様の声、流通業者の方たちの声が大きかったんです。油の多い食事が増えたのでお客様は『酸』を求めている。だから加藤嘉八郎酒造さんでも新しいものを造ってみませんかと業者さんに言われたことがきっかけで開発したのが、十水だったんです」と言う。
 現在、営業を担当して言える渋谷盛弘はまさにその「生の声」を聞く最前線にいる。
「私たちのお酒づくりでは、何より飲んでくださる方の喜ぶ顔を思い浮かべながら醸すことを大切にしています。お客様が「これが飲みたかった」と笑顔になるお酒を造ることが、私たちにとって最高の幸せなんです。だからこそ、一番お客様に近いところにいる私が、お客様のご意見や、トレンドの変化をタイムリーに製造に伝えていく。そうして会社が一丸となって、新しい商品を造るというのはものすごく楽しい作業です。そして完成した酒をお客様に届け、またご意見をいただいて次のお酒造りに活かしていく。この試行錯誤はとてもワクワクしますね」と話してくれた。

 それは製造も同じ思いだ。杜氏の工藤誠志もこう話す。
「お客様がどんなお酒をもとめているのか、日々手探りで考えながらお酒造りができることは刺激的で面白いです。ただ、新しいチャレンジは正直なところ怖いところもあります。会社としてはお酒を造り続けないと売り上げはあがらないわけですから、できませんでした、というわけにはいかないですからね。でも、それ以上に未知の酒に出会えるということがうれしくて、やりがいがあります。こんな方法があったんだ、こんな味の酒が造れるんだと、チャレンジするごとに発見があって楽しいです。未知なる手法はまだまだあると思いますので、よりお客様に喜んでいただけるようなお酒を探求していきたいです」


 加藤嘉晃は「これからも当然お客様の嗜好は常に変化していきます。それにきちんとついていけるようなチャレンジはしていきたいです」と話してくれた。
渋谷は、「最近は日本酒の海外展開なども増えてきていますが、私たちとしては目の前の顔が見えるお客様を、より大事にしていきたいと思っています。お客様からのご意見があって私たちの酒造りは進化してきましたから。今はSNSなどでお客様が発信してくださる時代なので、目の前のお客様を大切にすることが、より多くのお客様にお酒を届けられることにつながると思っています。」と語る。
 現在、時代のトレンドに合わせたニューブランドの開発も進んでいるという。その新しいお酒に込める思いを工藤は「お客様からいただく、大山のお酒はこうあってほしい、こうなったらいいのに、という期待や予想を超えられるようなお酒を目指しています」と語る。
 150年という歴史を紡いできた加藤嘉八郎酒造。その伝統は職人のなかに脈々と受け継がれている。そこに「チャレンジ」という要素が加わることで、加藤嘉八郎酒造は進化し続けている。