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遊佐町の未来を創造する

遊佐町役場 / 遊佐町役場職員募集!【行政職、土木技師】

インタビュー記事

更新日 : 2024年12月17日

 

出羽富士とも呼ばれる鳥海山の美しい姿をどこからでも見ることができる遊佐町。庄内平野の北端に位置し、町を横切るように月光川が流れ、西には日本海をのぞむという絶好のロケーションだ。その景色に馴染むようにある平屋の建物が遊佐町役場だ。松永裕美町長をはじめ、現場で働く人たちに、どんなビジョンで町政を行っているか聞いてみた。

遊佐町役場 事業概要

 

遊佐町は山形県の最北端に位置する人口約1万2000人の町。秋田県との県境に鳥海山を、西には日本海をのぞむ。鳥海山から流れ出る月光川が庄内平野を横切り、季節になれば鮭が遡上してくる、自然豊かな地域である。
1889年の町村制施行により遊佐村が誕生。そして1941年に町制が施行され遊佐町となる。1954年には飽海郡遊佐町、稲川村、西遊佐村、蕨岡村、高瀬村、吹浦村が合併し、遊佐町を新設した。
1961年に建てられた旧庁舎の老朽化に伴い、2021年に新庁舎を開庁した。新庁舎は自治体の庁舎としては珍しい平屋建て。町役場すべての部署がひとつのフロアにあるため、町民にもオープンな場所となっている。
2003年に、町内の中高生を中心とした少年議会を発足し、若者が自分たちで自分たちの未来を創るという取り組みを始めた。そのほか、2023年の6月には若者を中心としたビジネス創出事業構想会議を立ち上げるなど、未来に向けた視線で行政に取り組んでいる自治体である。

公務員は未来を創る仕事

「2024年3月、松永裕美が町長に就任。遊佐町が目指すのは「多幸感あふれる街」だと語る。「多幸感」とは、一人ひとりの幸せな尺度は違っていて当然だという認識をもち、それを土台にたくさんの幸せに満ちた状態を意味する。その言葉どおり、松永は町民一人ひとりが幸せを実感できるまちづくりを目指している。

「仕事だけでは、多幸感に満ちた暮らしとは言えません。自然豊かな遊佐町だからこそ、仕事で得られる充実感と、仕事以外の時間から得られる安らぎや喜びが両立し、それが人とのつながりや地域への愛着につながることで、多幸感が生まれるのだと思います」と松永は語る。また、すべての仕事が等しく尊いものであり、業種や職種、職位にかかわらず、一人ひとりが自分の役割や生き方を尊重されるべきだと考えている。「相互に尊重し合える環境が整うことで、多幸感あふれる社会を築くための基盤が生まれる」とも付け加えた。

松永はさらに「町民全員が多幸感を感じるためには、まず職員自身が楽しく働ける職場環境を整えることが大切」と強調する。そのためには、職員が主体的に考え、挑戦する姿勢を育むことが欠かせないと述べる。「職場環境が整い、職員一人ひとりが自分らしく働けるようになれば、自然と新しいアイデアや行動が生まれる。そうした挑戦が、多幸感あふれる遊佐町を実現するための第一歩になる」とし、職員への深い信頼と期待をにじませた。

若者、未来がキーワード

 多幸感あふれるまちづくりに向けた具体的な施策はどのようなものか。ここからは、遊佐町役場で働く4人にインタビューする形で、それぞれの施策について見ていきたいと思う。これから紹介する4つの施策のキーワードとなっているのが、若者であり未来だった。

まずは、移住について。企画課の佐藤結は移住に関わる政策に関わっている。それにまつわるものとして、空家に関わること、地域おこし協力隊にかかわること、婚活にかかわることなど、幅広く手がけている。移住については東北以外、例えば都内で開催されるイベントなどにも出展し、移住者を募集している。

「それでもその場で、具体的な相談が始まることよりも、ある日突然『ちょっと移住を考えているんですけど』といった電話がかかってくることのほうが多いです。そのために、できることとして町内の方から空家を提供していただき、移住希望者の方とつなげるということをしています」

それらの空き家はスタッフが足で稼いでいるという。全区長への挨拶回りから始まり、ポスティングなどをして、地道に情報を集めてデータベース化している。空家とはいえ、家を手放すのに抵抗がある人も多いところを協力してもらっているそうだ。

「現在、町で空き家を借り上げて移住者の方に貸し出すということも12棟やっています。ただし、こちらは維持費の問題や、空き家を提供してくれている人には10年の契約でやらせていただいているなど、これから先の課題もあるので、何とかそれらをクリアしていきたいです」と佐藤は話してくれた。

また、すくすくゆざっこ支援金に代表される、定住のための子育て支援も充実している。もともとは移住者限定だった支援金だったのだが、その範囲を広くして支援しているところだ。また、医療費の無償化もいちはやく取り入れている。「人口減少をとめるためには、移住者を増やしつつ、流出をとめないといえない。いまいる人たちにも目を向けないといけないと思っています。いまいる人たちが遊佐町で子育てをしてくれる。そういう形が理想だと思っています」と佐藤は話してくれた。

関係人口を増やすための高校魅力化

いま遊佐町でおもしろい取り組みが行われている。それが「遊佐高校魅力化プロジェクト」だ。このプロジェクトで中心的な役割を担うのが企画係の瀧口だ。

「令和元年度から始まったプロジェクトで、ひとことでいうと、遊佐高校を魅力的な高校にしましょうということ。そうして地域内外の生徒や保護者から選ばれるようにしましょうというのが大きな目標です」という瀧口。このプロジェクトが始まった背景としては、遊佐高校の再編があった。人口減少に伴い、生徒数が減ってきたことで、入学者が定員の半分という状態が続けば募集停止にするという案が出ていた。つまり廃校だ。その課題をクリアするために、プロジェクトが始まり、まずは県外からの留学生を受け入れ、入学者の確保を目指すことにした。島根県から始まった、地域みらい留学という越境入学プロジェクトがあり、それに参加した。親元から離れて、高校の3年間を「留学」という形で過ごすプロジェクトだ。

「ただし」と瀧口は話す。「県外留学生に頼らずやはり地元の子にも目を向けないとダメだと感じていて、その施策をいま模索し始めているところです。先生と一緒に面白い科目を作り上げるとか、先生ではない外部の人材に入ってもらうなど、手を加えたらもっとおもしろくなることがけっこうあると思っています」

その向かう先は「将来的に遊佐町に定着してもらうこと」と「関係人口を増やすこと」だと言う。「進学や就職で県外に出るとしても、遊佐町に愛着をもつかどうかによって今後の遊佐町との関わり方、将来的なUターンに繋がってる部分があるのではないかと思います」

そのひとつの結果が県外留学生だ。22年度に高校を卒業した5人のうち2名はこちらの大学に進学し、遊佐に残った。都市圏の大学に進学した3人も、夏休みには遊佐に遊びに来たという。つまり、関係人口が増えたということ。これは間違いなく、小さな一歩だが、大きな成功だ。

自分たちの声が届いている町

遊佐町では2003年から、全国でも珍しい取り組みをしている。それが町内在住、在学の中高生が行っている遊佐町少年議会だ。遊佐町少年議会の活動は、少年議会独自の政策を行うことと、若者目線で一般質問をして、町に要望を伝えるというものである。実際に、その意見が町議会で通過し、予算化された例はいくつもある。通学路の街路灯や防雪柵などさまざまなものが現実となった。現在少年議会を担当している、教育課社会教育係の風間雅文主事が中学生のときに第1期が始まったそうだ。

「同級生が少年町長を務めたこともありました。私が高校生の時には、ダイヤ改正の声があがりました。これは実現はしなかった議案なのですが、さまざまな学びがあったように思います。現在、学校の授業でも主権者教育が取り上げられていますが、この施策の一番のねらいは町に対して関心をもってもらうというところです。自分のことを振り返ってみても、中学生ぐらいになると、自分の関心は町のお祭りといったものではなくて、地元から離れたところに関心が行くことが多くなっていきました。その視線の先を遊佐町を見つめることで関心を持ってもらう。そして少年議会の活動を通じて若者だけでなく、地域の大人、行政が町をもう一度見直すというのが第一義のプロジェクトです」

 そして、少年議会のもっともおもしろいところが「実際の予算」を持っていることだ。町の予算から少年議会に割り当てられ、町の中高生が自分たちで案を出し、議論をして決議する。そして通過した案を割り当てられた予算で実行する。「政策」を立案から実行まで自分たちで行うことができるのだ。令和4年度の政策では、ゆざマルシェを開催した。自分たちの声がきちんと町に届いているという実感のある活動となった。

若者を中心としたビジネス創出事業

そして、最後に紹介するのが、若者を中心としたビジネス創出事業だ。まだ始まって間もないが、中心人物である産業課産業創造係の池田源威にプロジェクトについて聞いた。

「この事業に関しては仮説のひとつとして、若い人達が帰ってこない、就労につながっていないという課題があるというところから始まっています。だから最初は、何がネックになっているのかを洗い出す作業をしています。そのうえで、明確な目標を立てて、克服するための事業を推進していく。そのために必要なのは、持続可能性があるかというものです。なぜなら、最終的な目標として、若者が町に定着するということがあるためです」

このプロジェクトが発足するキーワードは「10年後の未来」だったという。池田はこう話す。「もちろん町のなかの人間で生きていくこともできるかもしれません。しかし、いま庄内に若い人が集まってきている。その、いってみれば『外の力』も合わさればさらに新しいことができる。その合わさったコミュニティこそが地域課題を解決するネットワークコミュニティのひとつになるのではないかと考えたのです」

それは「新しい物語」だと池田は言う。これから先の未来を考えたときに、地続きでありながら新しい物語がないと、若者の共感は得られない。若者の共感がないところには、新しい10年後の未来はないのではないかということだ。現在は、ワークショップを開催し、どのようなビジネスにチャレンジできるか、したいか、といったことを議論している段階だという。廃校の再利用、廃店舗再利用、高校生チャレンジといったさまざまな意見が出ているが、それがどういう10年後の未来を描き、どのようにして政策に反映していくかはこれからのステップだ。新しい物語のうえにある10年後の未来が描けるかどうか。そしてそれに対して、具体的に行動することができるかどうか。とても楽しみなプロジェクトだ。

 最後に松永はこう語る。「職員一人ひとりが『自分にできることは何か』を考え、どんどんチャレンジしてほしい。無理にできないことを頑張ろうとすると、疲れてしまうこともある。だからこそ、気負わず、自分らしく働いてほしい。」この言葉が職員を後押しする。そして職員たちが「10年後の未来」をイメージして動き出す。その未来がどのような姿になっているのか楽しみだ。