祖父の背中を見て育ち、会社を継ぐことを決意
—— 会社の成り立ちを教えてください。
元々は祖父が大きめの農家で米や畜産をやっていたのですが、冬場の農閑期に土木工事の手伝いをしていたことと、祖父の弟が建築の道に進んだことがきっかけで、二人で会社を起こしたのが始まりです。父はしばらく農業を継いでやっていたのですが、昭和50年代の半ばから少しずつ会社を手伝うようになったそうです。その頃は住宅がメインでしたが、父の代で土木部を立ち上げました。それが今、2割ぐらいの事業比率になっています。

—— 修さんが会社に入ったのはいつ頃ですか。また、継ぐことについて、どのように考えていましたか
私が戻ってきたのが平成21年です。生まれた時には会社があったので、長男として跡を継ぐことが当たり前のような感覚でしたので、他の道は考えていなかったですね。祖父が会社を引っ張っている姿にも憧れていました。祖父の母、私の曾祖母からも祖父を助けてやってくれと言われていたことも大きいですね。
建築系の大学に4年間通って、経験を積むために仙台の建設会社に就職しました。ですが、入社1年目にリーマンショックが起こり、実家が建設会社だからという理由で、入社1年目で首を切られる異例の事態でした。
代表取締役の網代修さん
会社の経営を学ぶために大学院へ。そこでリノベーションに出会う
—— 実際に会社に入ってみて見えてきたことを教えてください
帰ってくる前は、会社の業績は良く見えていました。しかし、いざ中に入ってみると色々見えてくるものがあって、将来自分が引っ張っていくというのは不安でした。このままでは将来経営者としてやっていくのは難しいと思い、友人の勧めもあって山形大学の大学院に入学しました。経営的や地域活性化を学べる専攻だったので、自分が今抱えている経営の問題を解決できるのではないかという期待がありました。そこで、自社の価値をどうやって上げるか分析をして、客観的に会社のことが分かってきたという形ですね。また、自社のことだけではなく地域社会についてもこのころから具体的に考えるようになりました。
—— リノベーションに力を入れるようになったきっかけは
大学院時代、リノベーションという考え方に出会いました。地域の空き家がものすごく多くなっていることも建築の仕事をする中で分かっていました。その頃、私もアパートに住んでいたのですが、米沢は空き家がたくさんある一方で、アパートに住んでいる人も多いという印象がありました。子どもたちがアスファルトの駐車場で車を気にしながらサッカーをしている光景を見て、これだけ土地があって空き家もいっぱいあるのに、アパートにぎゅうぎゅうなって暮らしている印象でした。それに違和感があり「空き家」と「のびのびと暮らす」ことを、リノベーションで解決できるのではと考え、リノベーション事業部を大学院卒業後すぐに立ち上げました。ただ、最初は共感してくれる方が会社の中にいなかったので苦労しましたね。当初リノベーションなんて普及しないと言われていましたが、なんとかそれを突っぱねました。若干無理やり進めたところもありますけど(笑)。そこから5年間ぐらいやってきて、少しずつ社内にも仲間が増えてきました。新築と違って難しいところもあるので、技術的なところでもノウハウを積み上げてきました。最近ではリノベーションという言葉も普及してきたことと、地元の空き家問題がますます深刻化していることもあって、より積極的かつ専門的に空き家問題に取り組むために、今年の4月に法人としてアジリノを立ち上げることになりました。

アジリノで担当したリノベーション空間
いい素材、いい空間の中でのびのび暮らせるように
—— 建築家さんやデザイナーさんなど社外の設計者の方と一緒に仕事をすることもあるそうですが、デザインや素材にこだわるようになったのは、どういった思いからですか
「地元を魅力的にしたい」というのがベースにあります。まちを構成する要素は、人や自然、観光や景観などさまざまあると思いますが、その中でも私たちの仕事は景観に直結しています。まちの景観を作っているのは建物ひとつひとつ。自然もありますけど、建築の力もかなり大きいと実感しています。その建築のなかでも1番身近なものはやっぱり住宅だと思っています。そして、建築に時間という概念が加わることで、より個性や魅力が引き立てられると考えます。私たちが自然素材を取り入れる理由がこの時間です。時間と共に変化していくのが自然素材。自然素材は時間を経て味になる。ひとつひとつの住宅のデザインや素材にこだわることで「子供たちに魅力的で個性のあるまちを遺す」ことができるのではないかと考えています。

—— リノベーションや素材についてこだわる中で、変化してきたことはありましたか
お客さんは衣食住、日々の暮らしに対して意識が高くなってきている感じはあります。最近入ってきた従業員も、それが当たり前なので、仕事も細かく色々と詰めてくれるようになりました。
仕事の中で現場監督も重要で、設計だけで見えない部分がかなりあるので、現場で瞬時に判断しなきゃいけないところも結構出てくる。その瞬間的な対応力みたいなところは大分鍛えられています。
また、景観だけでなく環境のことも考えるようになってきました。やっぱり1番長く持つのは本物の素材。美しさが保たれると住まう人の意識も変化してくる。感性が育つところもありますね。
これまで培ってきた大工の手仕事を現代に活かす
—— 会社の強みを教えてください
大工さんの技術力です。世の中的にも持続可能性が注目されて今後ますます木質化が重要視され木を使った建築が主流になってきます。特に木造の中でも和風建築を長くやってきたのですが、和風建築は木造の中でも表に木を出すところが特徴。木を表に出すということは美しく納めなければいけない。そこは意識してずっとやってきました。リノベーションを始めて、その技術が今に生きてきています。リノベーションする物件は昔の作りなので、中がどうなっているかわからない。ばらしてみて、そこで判断する能力は大工の技術にかかっている部分が大きい。その辺が時代に合ってきていると思います。

—— 近年大工不足が深刻になる中、素晴らしいです。他にも現場監督が重要な役割を担っているそうですね
網代建設では扉や窓、キッチンなども手作りしていて、既製品だともちろんきちっと納まるのですが、手作りの分、色々考えなきゃいけない。微調整もかなりあるのでミリ単位で考えて納める。そういったところで現場監督の技術力は、昔よりだいぶ上がっていますね。
社外の設計者の方と仕事をやらせてもらっている理由は、そういった知識を深められるところにもあります。現場監督も勉強になるし、設計も色々と吸収させていただける。教科書や話を聞いただけよりも、一緒にやるというのが1番成長につながりますね。
米沢だからできること、米沢でもできること
—— 都会に比べて米沢の環境についてどう思われますか
風景は全然違いますよね。この辺はもう盆地で自然に囲まれているので、そこからインスピレーションを受けて、設計に反映することもあります。また、SDGsに向けて、地元の山で育った木を地元場で使うという取り組みをやっていて、試作段階ですが自社で地産木材のフローリングを作っています。関東の方では、こういったことはなかなかできないと思います。

地元資源を活用した米沢杉のフローリング
—— 現在求めている人材について教えてください
いろんなチャレンジができる方を求めています。新しいものを作っていくことに会社として積極的に取り組んでいるので、その部分に共感していただけるような方に来ていただきたいと思っています。また、全国的にも多くはないと思うのですが、社外の設計者の方と仕事する機会が非常に多いです。最近だと有名な建築家の方とも一緒にして仕事をさせていただいているのですが、日本のトップレベルの方と仕事をすることが地方の米沢にいながらもできますし、今後そういった機会を作っていきたいと思っています。ぜひ一緒にやりましょう!
郷土を面白く! 代表の右腕として多岐に渡り活躍中
—— 安部さんはどのような業務を担っているのですか
住宅事業部の課長を任せていただいています。業務は大まかに言うと、新築住宅と、リノベーション、リフォームの営業、不動産、他には社内での企画関係ですね。その他にも商工会議所、協議会関係などに会社の代表として参加しています。
住宅事業部 課長 安部憲人さん
—— 網代建設に入社したきっかけを教えてください
生まれてからずっと米沢です。高校卒業したタイミングで地元の印刷会社に入って、10年間働いたのですが、キャリアアップの機会だと思って印刷会社を退職し、山形大学大学院のMOTという、ものづくり技術経営学という社会人コースに入学しました。教授に声をかけていただいて、大学院に行きながら研究室で働いていたのですが、急遽教授が地元に帰るということで解散になってしまって。そのタイミングで仕事を探していたのですが、高校時代からの友人だった当時常務の網代代表ががリノベーション事業部を作るので、一緒にやらないかと声をかけてくれて、面白そうだなと思ってそのまま入社しました。
—— もともと建築に興味があったのですか?
特に建築ということではなかったのですが、衣食住のいずれかに関わりたいと思っていました。人間に必ず必要なものに関わりたかった。建築は見た目で分かりやすいので。いい建築を作っていれば、街が明るくなっていく。ただ、最初は建築のけの字も知らないような状態で入ったので、2年ぐらいは建築や営業のノウハウ習得の時間もありました。業界のことを知らない状態で入ったので、こういうものだと思ってずっと働いていましたね。気づいたら今に至っていました(笑)。学ぶことは嫌いじゃないのですが、覚えることがありすぎて、未だに勉強、勉強ですね。

—— 常務もそこを見抜いていたのだと思います。さまざまご活躍されていますが、更にチャレンジしてみたいことはありますか
扱うのはほとんど住宅ですが、住宅だけにとらわれず、いろんな建築物にはチャレンジしていきたいですね。あとはまちづくりとか、世の中に影響があることをやってみたいです。元々、米沢のために何かできないかと思っていて、大学院の時もまちづくりに繋がるような研究をしていました。自分が住んでいるとこを良くしていきたい。米沢を訪れた人々が、米沢を散策して何もないと思われて帰られるのも嫌で。米沢の魅力が分かりやすく伝えることができたら嬉しいです。
会社としてもSDGsやカーボンニュートラルを意識しているので、住宅であれば、解体した時にゴミになりづらいような建築物を作っていくとか、視野を広げた活動をしていきたいと思っています。

—— 大切にしている価値観を教えてください
仕事には大きいものも、小さなものもありますが、どれも同じ熱量でやろうと心がけています。家はお客さんにとって一生ものですから、妥協はしたくない。完璧主義という訳ではないのですが中途半端が嫌で。
—— 仕事のやりがいはどんなところにありますか
他の会社と比べても新しいことにチャレンジしやすい環境で、柔軟性があります。建築も毎年変わっていくので、同じやり方をしていると通用しない。比較的自由にさせてもらっているので、ガチガチに業務を固められていたらできないことも、今の環境だったらできる。すぐに結果に繋がるかは分かりませんが、そういう環境を作ってもらえているのは本当にありがたいですね。

現状に疑問を持ち、それを変えていくこと。言葉で表現すれば簡単なことですが、一から進めていくエネルギーは並大抵のものではありません。米沢という街を見つめて気がついた空き家の問題。
残していきたい景観や環境のこと。それを新しい考え方と行動力で変えていく若い力が網代建設にはあります。網代常務と安部さんが築いてきた自由な社風の中で、ここでしかできないチャレンジをしてみませんか。


取材・文_山﨑香菜子