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建物から街へ。ビルメンテナンスという領域から街づくりに関わる

クリーンサービス株式会社 / 総合職(新卒採用)

インタビュー記事

更新日 : 2024年09月12日

学校、病院、オフィスビル。街にはさまざまな建物がある。そのビルのメンテナンスを手がける会社がある。クリーンサービス株式会社はそれだけにはとどまらない。警備会社をはじめとしたさまざまなグループ会社を持ち、警備、消防から、環境衛生ソリューションまで、トータルで建物をサポートし、その先にある街づくりに貢献しているのだ。街に住む“ひと”の生活を影から支える人々に話を聞いた。

クリーンサービス株式会社 事業概要

1975年(昭和50年)に株式会社庄内クリーンサービスとしてビルメンテナンス業を開始。1980年(昭和55年)に商号を現在のクリーンサービス株式会社に変更した。クリーンサービス株式会社の主な事業はビルメンテナンス。官公庁の施設を中心にテナントビル、病院、福祉施設、オフィスなどあらゆる建物施設の環境維持、改善、向上をサポートしている。クリーンサービス株式会社の強みは、それに加えタイコー警備保障株式会社、山形エンジニアーズ株式会社、株式会社リサイクルセンター、酒田エフエム放送株式会社という関連会社を持ち、セキュリティ事業、消防防災事業から設備保守点検事業、リサイクル事業、施設運営事業まで、幅広い領域を網羅しトータルで事業展開をしていること。建物という“点”から地域という“面”にフィールドを広げることにより、そこに住む人たちの快適生活にも貢献している。 2018年11月からは、B to Cの新事業としてコインランドリー事業を展開。カフェスペースや親子の触れ合いスペースを設け、新しい生活スタイルの提案をしている。またそのほかにも、山形県金峰少年自然の家、海浜自然の家の指定管理者として「庄内アソビバプロジェクト」を立ち上げ、また消滅型生ごみ処理機や空間除菌脱臭機の正規販売代理店として、ビルメンテナンスにクリーンでエコなスタイルを取り入れる提案営業にも力を入れている。ビルメンテナンスという強みを活かしながら、街づくりにも貢献している会社だ。

高い専門性を維持したビルメンテナンスを目指す

今回インタビューを行ったのはクリーンサービス株式会社。1960年代、70年代の高度経済成長期にさまざまな建物が建設されビルメンテナンス業の需要が大きく増加した頃、1975年に創業された会社だ。当初は清掃業務を中心としていたが、ビルメンテナンスという仕事に求められる業務が広範囲に広がっていったため、1983年に設備の保守、点検、修繕部門を分社化し、山形エンジニアーズ株式会社を設立。続いて1985年に警備部門を土台とするタイコー警備保障株式会社を設立した。この2社はクリーンサービス株式会社のグループ会社として現在でもそれぞれの専門性を活かしながらビルメンテナンス業の一翼を担っている。そのほか、株式会社リサイクルセンター、酒田エフエム放送株式会社という関連会社を持ち、クリーンサービス株式会社ではビルメンテナンスとその周辺事業をトータルでサポートする体制をとっている。

ビルメンテナンスという業種は清掃から始まり、設備の保全や点検、警備、防災、そして受付などの運営までものすごく幅広い業務がある。それぞれ社内の部門として業務にあたっている会社はあるが、それぞれを分社独立させ業務にあたっている会社は庄内には多くない。なぜクリーンサービスはその体制をとったのかというと、それぞれの業務での専門性をより高めるためだ。ビルメンテナンスと一言でいっても、清掃と警備では内容はまったく違う。その業務内容における技術や設備の専門性をより高めるために独立した会社として分社化を試みた。現在でもクリーンサービスからのビルメンテナンス業の一環として仕事を請け負うだけでなく、それぞれ独立して受注を行い事業を展開している。 「自社のセールスポイントを価格競争のなかに見出したくはない」とは代表取締役の前田英樹の言葉だ。前田によれば、ビルメンテナンスの業務内容の多くは、「人の力」である部分が大きいという。そのため設備投資などだけでは他社と差がつけにくい。そうなると価格で競争するという方へ向かってしまうのかもしれないが、それだと業界、会社、ひいては社員が疲弊してしまう。それを避けるためには、お客様へのサービスの質を高め、自社のみならずビルメンテナンス業界全体の価値を高め、社会に必要とされ続けなければいけない。そう考えるとやはり、地道だが「人の力」をあげるしかないというのだ。

人と街。生活を作り、守る仕事

前田英樹は2017年から代表取締役を務めている。酒田を出て、八王子にある社会福祉協議会で4年ほど働いた。そのときから「社会貢献のできる仕事」をしたいという想いがあったという。そんななか地元山形に東北公益文科大学が開学されることを知った。地元で人のため、社会のために働けるかもしれないと大学職員として帰郷を決めたそうだ。それまで民間企業は社会貢献よりも利益追求が第一だと思っていたが、大学職員として務めるうちに、会社が利益をあげることと人のため、街のためという想いは相反するものではないと考えが変わったという。

その想いを持って代表取締役に就任。「笑顔になる『ひと』『まち』『みらい』の暮らしを創造します。」というコーポレートメッセージに表われるように、ビルメンテナンス会社の強みを生かし、人々の生活をより豊かにし、街に彩を添える事業を展開している。

「ビルメンテナンスの仕事は、衛生面、設備面などあらゆる面から建物をサポートします。そうなると必然的に、所有者のこと、利用者のことを考えなければいけません。その人たちの生活を考える。そうなるとさらにその先、つまり地域に目を向けた仕事をしないと成立しない仕事なんです」

ビルメンテナンスの仕事が止まれば、その建物が止まってしまう。そうなれば人々の生活の一部が機能しなくなる。そうしたことがないように、人々の生活を裏方として支えている仕事なのだ。

また街づくりという一面においては、今後はより積極的に事業を展開していく。その事例として話してくれたのが「庄内アソビバプロジェクト」の立ち上げとコインランドリー事業、そして提案営業だ。

地域の生活に新しい創造を

今回、その現場で働く工藤裕喜、後藤佑太、高橋佑起の3人の社員に話を聞いた。「庄内アソビバプロジェクト」とは、山形県金峰少年自然の家、海浜自然の家の指定管理者として、人生を豊かにし、よりよく生きることにつながる「遊び」を提供し地域社会に貢献するプロジェクト。ソフト面、ハード面それぞれの得意分野を持つ地元の企業・団体と立ち上げた同プロジェクトで、クリーンサービスはビルメンテナンスという領域から施設の維持管理や本部としての統括業務を担っている。現在電気設備などの施設管理を行っている後藤佑太。設備面だけでなく海浜自然の家の夜間宿直の管理などもその仕事に含まれる。高橋佑起は経理などの仕事を担当しているが、このプロジェクトでも会計担当として業務にあたっている。後藤は「自分のやっている電気設備の管理を始め、メンテナンスの仕事は“何かが起きるのを防ぐ”という裏方の仕事が主ですが、このプロジェクトのように地域貢献型の事業に直接参加できるのはいい機会だと感じています」と話す。高橋も「私は変化を求めないタイプだったんですね。だけどこれからは視野を広げて可能性を見つけたいと思うようになりました」と言う。

ビルメンテナンスというコア事業のノウハウも活かして展開する新事業がランドリー事業だ。この事業を担当するのが入社2年目の工藤裕喜。東北公益大学在学中に「地域と関わる」という授業があり、酒田という地域に貢献できる仕事ができればと思ったという。「ランドリー事業という新規事業の話をもらったときに、地域で暮らす人たちの生活に直接関われるとやりがいを見つけることができました。そこに自分が求められているという充足感もあり、新規事業へのチャレンジという大変な仕事でしたが頑張ることができました」

“もうひとつのユーティリティ(家事室)”をコンセプトに、カフェスペースやライブラリーコーナー、親子の触れ合いの場“ぱぱままルーム”を設けるなどさまざまな要素を取り入れたコインランドリー。既存の領域だが、時代の変化に伴う生活スタイルの変化に対応するため、家事の効率化やくつろぎや交流の空間を提供することで、新しい生活の形としての提案を兼ねたコインランドリーとなっている。B to Cで直接人々の生活をクリエイトする事業なのだ。工藤は「無事にスタートできた」というが、利用者の評判も上々で、新規出店も視野に入れている。

このランドリー事業もいわば“提案型”の事業ともいえるのだが、今後はさらにビルメンテナンスという場でできる提案もしていきたいという。ひとつの例として挙げてくれたのが、消滅型生ごみ処理機「ゴミサー」の導入提案だ。酒田のメーカーが製造している製品で正規販売代理店として、ビルメンテナンスにクリーンでエコなスタイルを取り入れて提案している。そのほかにも施設ごとに問題をクリアしていくためにさまざまな提案を積極的にしていくという。

クリーンサービスの目指すところは、建物や施設の利用者や地域に暮らす人々の生活環境をより豊かにすること。ビルメンテナンスという事業は主にB to Bの事業で、直接利用者にサービスを提供するものではないかもしれない。しかし、利用者のことを考えるからこそ、その仕事のひとつひとつは人々の生活に密接に関わり、街そのものを形作るものなのだ。