顏がわかる神主として、人との繋がりを大事にしたい。
神職 石原 和香子顏がわかる神主として、人との繋がりを大事にしたい。
神職 石原 和香子「神職」という家系に生まれ、四姉妹の長女として育てられた石原和香子さん。 小さい頃から家の手伝いなどをしながら、宮司である父の背中を眺めていました。 家業を継ぐため、大学進学で一度は庄内を出たものの、東京の神社での仕事経験を経て地元である鶴岡へ帰郷。いつかは地元へ戻るものと思ってはいたものの、そこに至るまでは石原さんなりの不安や葛藤がありました。
中学時代は吹奏楽部、高校時代は合唱部と、文化部だけど運動部のようなハードな練習がある部活づけの毎日。それに加えて、バレエ、琴などの習い事も3歳の頃から行い、忙しい毎日を送る日々を送っていた石原さん。将来はディズニーランドで踊ってみたいという夢を持ち、ダンスの学校に進学を考えていたところ、父親から「伊勢に行きなさい」の一言を言われ、父の母校である三重県・皇學館大学の神道学科へ行くことに・・・
―神道学科ってどんなことをするのでしょうか?
「神道の講義や作法などの実技があり、神主の資格を取得できます。伊勢神宮など神社での実習もあります。その他、一般教養もあるので、英語や社会学なども学んだり、他の学部の講義にも出たりしました。」
―どんな人たちがいるのですか?
「この学科に来る人たちと会ってみると、想像していたより砕けていた人が多くて、たくさんの仲間に出逢いました。私と同じ神社の生まれの子供たちや、神主、神道、神社に興味を持ってくる方もいます。神道学科だからといって、特別な人ばかりがいるという訳ではなく、安心しました。」
―初めて地元を離れての暮らし。気持ち的に不安はなかったのですか?
「受験で三重に行くのですが、その時は本当に行くのだという思いが募り不安になりました。でも、やってみると私はその世界にハマる方だし、途中でやめるのは嫌な性格だと理解していたので、行けばどうにかなるのだと思っていました。」
―実習では様々な神主さんから講義を受けたそうですね。印象に残っている神主さんってどんな方ですか?
「講義で出てくるなり、事前に頂くテーマが書いてある紙を見て「そこにある話はしません」と言いだした50代くらいの神主さんがいました。その神主さんは、学生目線で私たちが気になる質問を受けながら、ご自身の経験談をライブ感たっぷりに話してくれたのが印象的でした。」
―どんなことを学びましたか?
「お話好きな方もいれば、歴史好きな方もいて、自分の得意分野を伸ばしていけばいい。私なりの神主になればいいのだと実感することができたのです。」
―実際、伊勢に行ってみてどうでしたか?
「いきなり都会に行くよりも、伊勢は鶴岡と同じような田舎だったのでよかったです。あのとき一度伊勢に行ってなかったら、田舎のよさもわからずに、東京で埋もれていたなというのもあります。そうした意味で今では、『第二のふるさと』です。」
はじめは戸惑いがあったものの大学での講義や実習を通して、様々な神主の方とお会いすることで、自分は自分なりの神主になればいいのだと理解をするようになります。大学時代では、結婚式の仕事にも興味を持ち東京・赤坂の神社へ。
―東京・赤坂の神社では仕事でたくさんの婚礼に立ち会ったと伺っていますが、そこではどんな感じでしたか?
「数ある都心の神社の中でも、婚礼の多い神社で働かせていただきました。週末は多い時で1日10件以上、年間で600件くらいの結婚式を行っていましたね。分単位で挙式を行い、たくさん経験を積ませてもらいました」
一方で挙式後に参拝に来られたご夫婦から話かけられた時に覚えていないということがあったという石原さん。1組1組お話をして、繋がりをもって過ごしていきたいと思うようになります。
東京の神社で働き出して2年が経ち、東北大震災のあった年に実家である荘内神社に帰郷。神社の方も人が足りなくなってきていて、そろそろ戻ろうかというタイミングでした。震災もあったため、観光客は激減。新年度のお祓いもなく、これからどうしようという状況でした。不安はあったものの、若くして戻ってきたということもあり、地域の方や神社の方からも愛されながら、東京で出来なかった地域で人との繋がりを大事にした、「顔のわかる神主」として活動をはじめます。
―仕事上で気を付けていることは何ですか?
「常に笑顔でいることは勿論、積極的に話をしに行くようにしています。神社にはマニュアルがないので、それぞれ違った参拝者の方々がどういう思いをもっているか、何を求めているか気を配っています。また、神社として行う行事はそのスタンスがブレないことは意識していますね。」
―荘内神社にお参りをするとどんなご利益があるのですか?
「荘内神社は江戸時代にあった鶴ヶ岡城跡地にあり、実在する庄内をおさめた殿様を祀っている神社です。戦に強く、作戦を立てるのがうまい殿様だったので、勝負の神様とか、災い除け・開運の神様とお伝えしていますね。」
鶴岡の人でも荘内神社ってどういう神様っていう人も多いのだそうですが、地域の近くにある神社というイメージも強く、お祓い、ご祈祷でなくても、何かあったらお祈りに行くという場所になっています。
―仕事のやりがいはありますか?
「非常にやりがいを感じています。婚礼の仕事にしてみても、ご夫婦お2人の出逢いからこれまでをお話をして、想いを聞いて、結婚式を挙げて。それで終わりではなくて、子ども生まれた時、進学した時、お家を建てた時、何かあると神社に寄ってもらったりして、全部繋がっているのです。初詣にきて子どもが産まれたとか、そうしたお話聞くと嬉しく思うのです。」
荘内神社での婚礼は年間30組程度。1組1組のご夫婦に思い入れがあり、県外に出てしまう人も、年末年始やお盆の時期には庄内に戻ってくると、久しぶりに話をしたりして、長くお付き合いをさせてもらえることがやりがいだと話す石原さん。
―地元神社で行う「ふるさと婚」の魅力は何でしょうか?
「都会に出ている人は有名な場所やロケーション重視で結婚式の場所を決めている人が多く、少し寂しく感じます。せっかくの一生に一度の晴れ舞台。慣れしたしんだ地元で式を挙げることで、「高校生のとき鶴岡公園で遊んでいたね」と「両親とのご挨拶のときここお参りきたよね」と振り返ってみることもできます。長く過ごしてきた場所だからこそ、年を重ねてわかる一緒に共感できる魅力があると思うのです。」
―大変なことって何ですか?
石原さんが新しく企画した節分祭の様子
「桃の節句、赤ちゃんの泣き相撲、節分、外部業者様とのコラボ企画など、一人で企画をしていていると大変だなと思うこともあります。通常業務も年中無休で神社の門は開いているので、休まる暇はありません。」
次から次へと企画を行うことで自身の休まる暇がなくなったとしても、荘内神社を地域の方により身近なものにしたいと語る石原さん。その想いとは・・・
―これから荘内神社をどんな場所にしていきたいですか?
「参拝って、初詣・受験・七五三など何かのタイミングでないと行かない雰囲気があるのですが、いつ行っても良いような行きやすい場所にしていきたいです。」
―どんなことを伝えていきたいですか?
「現代の人はなんでこれをしなければならないか、しっかり納得しないと行動に移せない人が多いと思うのです。だから、安産祈願・厄払いなどもなんでするのか、どんな意味があるのか。そうしたことを若い世代の人たちがちゃんと理解できるように、しっかりと伝えていきたいです。」
全員が全員マッチするわけではないけど、感覚があった人に来てもらえたら嬉しい。発信すればするだけ来てくれる人が増えて行ったと石原さんは話します。
観月祭という雅楽演奏会で舞いを舞う石原さん(右)
―鶴岡に帰ってきてよかったですか?
「早いタイミングで帰ってきてよかったです。はじめはお祓いをしようとしても、なんで女性なのと言われることもありました。それでも、がむしゃらに頑張ってみると、失敗をしても、神社関係者や地域の方が可愛がって育ててくれたりしました。今だとご指名を頂くこともあるんですよ。」
家業を継ぐことに関して、はじめはプレッシャーもあるけど、それは自分だけが感じているもの。帰って来れば東京で働いているよりも、地元の方がチャンスは多く、すぐに成果がでるので楽しい。失敗もあるけど、絶対地元でやった方が楽しいと語ってくれた石原さんに地元について伺ってみました。
―今後はどんなことをしていきたいですか?
「高校生など学生とコラボして神社でのイベントを企画してみたいです。庄内の人って地元の歴史を意外と知らなかったりするじゃないですか。まずは子どもたちに地元の文化や風習をわかりやすく伝えていくことで、こんな場所があるのだということを知ってもらい、次の世代にどう伝えていくかをイベントを通して一緒に考えていきたいです」
-「ショウナイターンズ」のキャッチコピーである「庄内でなりたい自分になる」。石原さんは庄内でなりたい自分になれている実感はありますか?
「地域のみなさんとのご縁のおかげでなれています!本当にご縁に感謝です。ここまでやりたいことができるとは思ってもいなかったです。神主ってなろうと思ってなれるものではないですし、回りにご迷惑をお掛けすることもあったし、失敗もあったけど、周囲の方から助けて頂いてなんとかなっています。」
自分は神様でもなければ、特別な力があるわけではない。私は神様と参拝者の方を繋ぐ役割を持つ神主。この家業である神職を全うすべく決意を固め、1人1人の方とのご縁を大事にしながら、大事な文化を守っていきたいと語る石原さんでした。
名称 | 神職 石原 和香子 |
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首都圏での子育てに課題を感じて、2018年5月に三川町地域おこし協力隊として、山形県・庄内地方にIターン移住。「人生思い出作り」をライフコンセプトとして、「書くこと」「話すこと」「場作り」事業を中心とした「ものかきや」として現在活動中。 家族4人、山形暮らしはじめました。