山伏として学んだ「感じる知性」出羽三山の自然を通して直感力を養い、そこで得た洞察力を行動に活用する。

東北公益文科大学 助教/羽黒山伏 バンティング・ティム

出羽三山に長く息づく山岳信仰。山伏としてご神域である出羽三山に籠り、体と魂で大自然を受け止めて命の再生を知る修験道の世界に惹かれ、海外の人々に向けて英語で「山伏道」を発信するニュージーランド出身のバンティング・ティムに、日本との出会いから山伏として得た学びまで話を聞いた。

「子どもの頃、私の家に交換留学生の日本人学生がホームステイしたことが何回かがあります。5〜6年の間、何名かの学生がやってきて泊まっていたんです。それと、4歳上の兄が日本語を学んでいました。そういう環境に育った私は自然と日本語に興味を持ち、日本文化のことを知りたいと思うようになりました」

ニュージーランドの高校で日本語を学び始めたティム・バンティング。英語と異なる言語の世界に魅了され、「1日にひらがな1文字という程度の本当にゆっくりしたペースで学び始めたので、難しいと感じることはとくにありませんでした」と話す。

「2005年4月に、高校の学校旅行で初めて日本に来ました。大阪の箕面市に滞在して京都や姫路を訪れ、広島に1泊してから東京で4日間、合計で10日間ちょっと過ごしました。東京からニュージーランドに戻る飛行機の窓から日本を眺めながら、『いつかここに住みたい』と強く思ったことをよく覚えています」

2016年が大きな変化の年だった

高校を卒業すると、岡山県の環太平洋大学を系列大学に持つニュージーランドはパーマストンノースにあるInternational Pacific College(IPC 現IPU NEW ZEALAND)に入学。日本語を専攻した。2008年には半年間、岡山に交換留学生として滞在し、「実家にも連れて行ってくれるような特別な日本人の友人もできて、日本への愛情はより深まりました」と、当時のことを振り返る。

「2010年の春にIPCを卒業して、ニュージーランド最大の銀行であるオーストラリア・ニュージーランド銀行(ANZ)に就職しました。でもどうしても日本への思いが断ち切れなかったので、日本政府が運営するJETプログラム(語学指導などを行う外国青年招致事業)に応募しました。そして7月に、JETから連絡がありました。『庄内で英語の先生をやりませんか?』と。もちろん断る理由なんてありませんよね。8月には庄内にやってきました」

庄内町の余目に住み始めると、「すぐに庄内に恋に落ちた」。2010年12月には、4年後に結婚することになる酒田出身の現在の奥さんとも出会った。英語を教えながら庄内の生活を楽しんでいたが、2016年に大きな変化が起こる。

「2016年の初めの頃に勤めていた塾を退社しました。2年前にJETプログラムの契約も完了していたし、何か転機だったのでしょう。そして、4月26日に父が他界したので、葬儀のためにニュージーランドに一度戻りました。急死でした。トレッキングをしている最中に心臓発作を起こしてしまったのです。葬儀を終えて5月に庄内に戻った時に、友人の紹介で知り合った加藤丈晴さんと相馬佳苗さんがコンタクトを取ってきたんです」

山伏である加藤さんと相馬さんという2名が、修験道文化を海外の人たちにも発信するために、翻訳をしてほしいと依頼してきたのだという。「言語と文化は同じ」と考え、その両方に対して強い興味を持つバンティングだ。英語講師という肩書きに「山伏」が加わるまで長くはかからなかった。

「父が他界したその年に、『魂の再生』が一つのコンセプトである山伏の世界と出会ったのは、ある種の運命のようだと思えました。話を聞くと非常に興味深く、海外の人たちにも必ず興味を持ってもらえる文化だと感じました。2017年2月に初めて山岳修行に参加したのですが、1〜2メートルの深い雪の中を歩きましたが、寒くならずに壮大な山の自然を体験できました。すごく楽しかったですね。それから羽黒山周辺を旅行者向けに整備する『門前町プロジェクト』にも関わるようになり、出羽三山が日本遺産に指定された時にはホームページの英訳も手がけました。歴史と哲学を知るための非常にいい機会だったと思っています。そして2017年秋に『秋の峰入り』を行い、公式に山伏として認定されました」

庄内に暮らしながら、また山伏たちと触れ合いながら感じたあることが、バンティングを山伏の広報活動へと駆り立てた。

感じる知性、うけたもうの精神

「庄内の人たちはプロモーション能力がまだ足りないように感じます。気質などもあるのかもしれないけど、ひとつ言えるのは、日本人以外がこういう山岳信仰に対して何を感じるか想像しにくいのでしょう。私は自分をレアな存在だと思っています。日本人とは違う視点で山伏の世界に魅了され、出羽三山の文化を多少なりとも理解する外国人として、魅力を伝えていきたいです。魂の再生が行われる山として、1000年以上にわたって信仰対象となってきたこの出羽三山を多くの人に知ってもらいたい。本当に素晴らしい文化ですから」

星野文紘先達について山に入る機会は年に2〜3回だという。その時に重要なのは、日常生活から完全に切り離された時間と空間を過ごせること。携帯電話から解放され、「妻と離れて本当に恋しい」と感じ、自然を感じながらあらゆる生命が特別なものだと気付かされる。

「私の個人的な話になりますが、健康だった父を突然喪い、ニュージーランドに暮らす母の健康状態もあまり芳しくない状況です。そういう状況で自分としては悲しみを持ちながらも、山に入ることで命の特別さを感じ、そうするとネガティブな感情もポジティブに昇華できると思っています。悲しみを消すことはできませんが、大きな1枚の絵の一部だと捉えられるようになるんです。悲しみがあるから幸せがあるし、その逆も言えるかもしれません。陰と陽があり、あらゆる要素が尊重されて世界は構成されていることを自然が教えてくれるのです」

先達から学んだのは「感じる知性」。自然に身を置くことで、「うけたもう」の精神でただすべてを受容する。壁やバリアを設けずにあるがままの自然を体験し、感覚を研ぎ澄ます。そうすることで、直感力が養われる。

「ニュージーランドが必ずしもいいとは思いませんが、日本の教育は事実を覚えることにすごく重点を置いているように思えます。本当は『覚えればいい』ではなく、その覚えたことをどうやって応用するか、自分の行動に適用するか、ということが重要なはずです。山伏修行で先達の言葉を聞き、自然から学べるのはまさにそこです。直感力を養い、さまざまなことに対する洞察が深まります。その洞察力が自分の行動の指針になるのではないでしょうか。山伏として私が獲得したいと思っているのは、自分が人生を生きる際に必要な洞察力なのです」

教育者としての視点に山伏の思想を

バンティングは「山伏道(@yamabushi.do)」のインスタグラムの更新を日々続けている。また、dewasanzan.comと言うページを立ち上げて、先達の言葉を思い返し、英語に翻訳することで出羽三山の山岳信仰への理解を深めている。そして、山伏として得られるそうした洞察力は、助教としてフルタイムで勤めている東北公益文科大学での仕事にも役立っているという。

「もちろん全員だとは言いませんが、日本の大学生は未成熟で幼いところがあるように思います。私がメインで教えているのは英語ですが、ただ語学を教えるだけではなくて、これから大人になる彼らに私が個人的な経験を通して学んだことを伝えたいとも思っています。そのためには、学生たちにできるだけ多くの問いを投げかけます。人生についてどう考えるか、生命とは何なのか、といった概念的な内容です。そういうことへの洞察が深まることで、大人としてどうやって生きていくかという指針が生まれるように思います」

庄内の魅力を広く伝えたい。そして、地元の人たちに「多くの人が来たいと思える魅力的な場所」であることに気づいてもらって、みんなで土地の文化を発信していけるようにしたいというのがバンティングの目標だ。

「山伏として修行をしながら、私はシンプルに幸せな人生を過ごしたいと思うようになりました。幸せとは、自分のことだけを考えるのではなく、さまざまな物事を尊重し、感謝できる精神を獲得することだと思っています。『うけたもう』の精神ですね。さまざまなものやことを受容し、感謝し、敬うことができれば、そこに幸せが生まれます。謙虚な気持ちで世界を受容する。その大切さを山は教えてくれたと思っています」

住所 山形県酒田市飯森山三丁目5番地の1
名称 東北公益文科大学 助教/羽黒山伏 バンティング・ティム

東北公益文科大学 助教/羽黒山伏 バンティング・ティム

「公益」を大学名に冠した全国初の大学として、平成13(2001)年に山形県および庄内全市町村により、公設民営方式で設立。
公益に関わり、また、公益の視点に立って見直されるべき研究対象は経済、行政、財政、経営管理、国際協力、教育、福祉、医療、環境保全など多岐にわたり、学際的・総合的学問を学ぶことができる。

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