本業支援を通じ、中小企業と、そこに働く皆さまと共に活きる。
株式会社きらやか銀行 代表取締役頭取 粟野 学本業支援を通じ、中小企業と、そこに働く皆さまと共に活きる。
株式会社きらやか銀行 代表取締役頭取 粟野 学2007年、山形の経済を支えてきた2つの銀行が合併し誕生したきらやか銀行。中心となり合併事業を推進した粟野学は、ほどなくして頭取に就任。以来、最も力を入れてきた本業支援の取り組みの、今までとこれからについて語ってもらった。
1979年、当時世界第2位の産油量を誇っていたイランで革命が起こり原油価格が高騰、世界経済が大きく揺れた「第2次オイルショック」。その煽りを受け日本経済は混乱、就職も非常に困難を極めたという。粟野が山形相互銀行(1989年に山形しあわせ銀行に改称、2007年に殖産銀行と合併し現名称に)に入行したのは、そんな年だった。
「父の仕事の都合で高校時代に仙台に移り、大学時代も仙台で過ごしました。漠然と、地元山形の役に立つ仕事がしたいと思い入行を決めましたが、最初から明確なビジョンが描けていたわけではありません」
5年ほど営業店での業務を経験した後、本部配属となった粟野。経営計画の策定、店舗施策立案などの業務を通じ、長期的な視点で戦略を立て、銀行全体の舵を取るスキルを磨いてきた。その経験を買われ、取締役企画部長のときには合併プロジェクトの代表を任された。粟野にとって最も印象に残っている仕事だという。
「合併前の準備段階にも大変なことは多かったですが、合併後軌道に乗せるまでの道のりが、さらに大変でしたね」
同じ銀行とはいえ、経営理念や目標など大きなことから、業務におけるルールや意思決定の流れなど細かなことまで、さまざまな違いがある。それらを一つひとつすり合わせ、行員全員が納得する形をつくるまでには、いくつもの大きな苦労があったことだろう。日々頭をひねり改善を重ね、安定走行に漕ぎ着くことができたのは、粟野のそばにいつも、ある言葉があったからだという。
「『There is always another way』。英語にするとかっこいいですが、『いつでも違う方法がある』ということです。ギブアップはない、考え行動し続ければ必ずいい方法が見つかると自分に言い聞かせ続け、なんとかやり切ることができました」
合併の翌年、2008年には頭取に就任。翌2009年より、粟野は主に地元中小企業を対象とし「本業支援」の取り組みに力を入れてきた。
「端的に言うと、お金をお預かりする・お貸しするということを越えて、お客様のお仕事をお手伝いするということです。社長のところに伺ってまずはじっくりと話を聴き、売り上げが伸び悩んでいれば販売先や提携先を探し、利益率が低ければ材料費などの見直しを図る。お客様とともに課題を明確化し、その解決策を考え実行する支援というわけです」
全行をあげて、本当にお客様が必要としている支援を行うには、行員一人ひとりの人間力を高める必要がある。そう考え粟野は、行員の教育にも力を入れてきた。その一つに、鶴岡市松ヶ岡にある東北振興研修所での研修がある。
「1泊2日で行う研修なんですが、銀行業務の話はほとんどしません。古くから人材教育に熱心に取り組んできた鶴岡で、どう生きるか、人生とは何なのかという問いにじっくりと向き合い、自分を見つめ直す。よく生きるための土台となる、人としての力を整えることができる素晴らしい時間なんですよ」
頭取として推進してきた本業支援は、今年で10年目。次なるステップを踏み出すべく、粟野は着々と準備を進めているところだという。
「本業支援にさらに磨きをかけ、地元の「中小企業」と「そこに働いている従業員の皆さま」から本当に喜んでいただける銀行をつくりたいと考えています。地域経済の担い手である中小企業の支援にリソースを集中することが、私たちが山形の経済に最も大きな力を生み出すことができる方法であり、またすべての行員が明確な目的意識を持って働くことができる、強くいきいきとした組織への1歩になると確信しています」
There is always another way.
中小企業とがっちりと肩を組み、二人三脚で歩く道を選んだ粟野。その力強い歩みは、この先もずっと山形の経済を牽引していく。
住所 | 山形県山形市旅篭町三丁目2番3号 |
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名称 | 株式会社きらやか銀行 代表取締役頭取 粟野 学 |