山形を、世界に通じる“日本酒の聖地”に
出羽桜酒造株式会社 代表取締役社長 仲野益美山形を、世界に通じる“日本酒の聖地”に
出羽桜酒造株式会社 代表取締役社長 仲野益美山形県天童市にある出羽桜酒造株式会社は、1892年に創業された日本を代表する酒蔵の一つだ。吟醸酒を世に広めたパイオニアとして名を馳せ、世界的な酒類コンテスト「インターナショナル・ワインチャレンジ(IWC)」では、最高賞「チャンピオン・サケ」を史上初めて2度受賞。現在では35カ国以上に輸出を行い、日本酒、リキュール、ノンアルコール飲料など、多様な製品を展開している。
また、地域文化への貢献として1988年には公益財団法人出羽桜美術館を開設。地域と世界の両方に根を張るその姿勢は、単なる酒造企業を超えた存在感を放つ。
この酒蔵を率いるのが、四代目・代表取締役社長の仲野益美氏。自ら酒造りの現場に立ち、営業や海外展開、産地振興にも深く関わってきた仲野社長は、「出羽桜を日本一に」ではなく、「山形を日本酒の聖地に」と語る。その真意を紐解くと、山形という土地と人、そして文化を信じる深いまなざしが見えてきた。
「山形は、酒造りにこれ以上ない風土です。良質な水と米、そして人がいる。ですがその本質は、“足りないこと”を受け入れて工夫する文化にあると思います」
仲野社長が語る「風土」とは、単に自然条件のことではない。冬は雪が深く、物流も不便になる山形では、保存や加工の知恵が受け継がれてきた。農業でも発酵でも、そうした「足りなさ」から生まれる創意と試行錯誤こそが、ものづくりの土壌だという。
「寒さや不便さはマイナスにも見えるけど、それが我慢強さや工夫を生む。それが山形の人格であり、文化なんです」
この風土に育てられた人々の気質が、手間と向き合う酒造りにフィットしている。出羽桜酒造でも、営業に出る前に製造現場で2冬を過ごすことを義務付けている。お米に触れ、麹に向き合うことで、初めて自社の酒を語れる人材が育つからだ。
「英語が堪能でも、造りの話ができなければ海外には出せません。酒の液体だけではなく、背景を伝えることが、日本酒の本当の価値を届けることです」
仲野社長のこの姿勢は、人を育てること、そして文化を未来へつなげることに重なる。
山形には、杜氏を外部から雇うのではなく、地元の人材を育てる土壌がある。それが常勤での技術継承を可能にし、全国でもまれな“開かれた技術共有”を実現してきた。出羽桜酒造ではこれまでに、他蔵の後継者など22名の研修生を受け入れてきたという。
「技術は隠しても並ばれます。むしろオープンにすることで、自分たちの技術も進化する。守っていたら、次は育ちません」
この「技術を開く」という考えは、山形県内全体にも広がっている。酒造組合では数値を共有し、通信簿のようにお互いのレベルを見せ合いながら、県全体の品質を高めてきた。ライバルではなく、共創の文化が、山形の酒の強みを支えている。
出羽桜酒造は、1997年から本格的に海外輸出を開始。現在では35カ国以上へ酒を送り出している。だが、仲野社長が描くビジョンは、“自社の拡大”を超えている。
「目指しているのは、出羽桜を世界一にすることではありません。山形という産地が世界に認識されるようになること。山形がボルドーやブルゴーニュのように、産地としてブランド化される未来です」
そのためには、県内の蔵元だけでなく、酒米農家、流通、行政と一体になった仕組みが必要だと仲野氏は語る。実際、山形県では行政と酒米生産者との連携を強化し、全国でも珍しい「酒米協議会」を立ち上げている。酒米のコンテストを実施し、優れた米は高く買い取り、さらにその米でつくられた酒が海外へ渡る姿を酒米農家に直接見てもらう。
すべては「山形」というブランドを、語れるストーリーとして育てるためだ。
「私たちは単に液体を輸出しているのではなく山形の想いを詰めて届けているのです」
日本酒の未来を考えたとき、国内市場の縮小や後継者不足は避けて通れない課題だ。だが仲野社長は、「海外展開」はあくまで“可能性を開いておく”ための手段だと語る。若い世代が希望を持てる仕事であること。それが、事業の継続性と直結するからだ。
「未来の選択肢を閉ざさない。それが経営者の責任です。10年後の出羽桜を描けるかどうかが、次に渡す条件なんです」
この言葉に象徴されるように、仲野社長の視線は常に未来を見据えている。自社の利益を超え、産地としての魅力をどう育て、次世代に引き継いでいくか。その問いに真摯に向き合い続ける姿がある。
近年、出羽桜酒造ではオンライン販売にも着手し、小瓶や限定酒などを通じて、消費者との接点を増やしている。また、SK-IIやBEAMS、ユニクロ、帝国ホテルなど異業種とのコラボレーションにも積極的だ。そうした取り組みの背景にも、「発信の強化」という意識がある。
「山形県は発信が弱いと言われがちですが、今は地方でもSNSを使えば全国とつながれます。むしろ、山形らしい話し方や人柄が、強みになる時代です」
山形を「すごい」と言うだけでは意味がない。都会との違い、足りない部分、そして触れて初めて分かる良さ——。その全体を受け止め、発信し、来てもらう。その繰り返しが、地域の本当の強さにつながっていく。
「一番豊かなのは、特別なものじゃなく、“どこにでもあるものが光り輝いている”場所だと思うんです。山形には、それを実現できる土壌があります」
出羽桜酒造の歩みは、単なる酒蔵の発展を超えて、地域全体の未来を見据えた実践の積み重ねである。
仲野益美社長の描くのは、「山形を日本酒の聖地」に育てるという挑戦の物語だ。