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出る杭であろう

株式会社ガネーシャ / 焼肉業態、イタリアンのホールスタッフ、キッチンスタッフ

インタビュー記事

更新日 : 2023年11月09日

【紹介】


横関まさこ(よこぜき)40歳

本部 マーケティング部 営業戦略

⼊社4年⽬

 

永⽥ゆり(ながた)37歳

SHOGUN BURGER 富⼭店店⻑

⼊社5年⽬

 

儀武あやね(ぎぶ)24歳

焼⾁ハウス⼤将軍 ホール責任者

⼊社:3年4ヶ⽉

 

株式会社ガネーシャ 事業概要

昭和62年11月21日、富山駅前で開店した「焼肉ハウス大将軍」からスタートした有限会社大将軍(現・株式会社ガネーシャ)。

現代表取締役の本田大輝は、両親の後を継ぐ2代目となる。

都内の有名な焼肉店で店長としての経験を積んだ後、富山に戻って多様な店舗を展開。

「焼肉ハウス大将軍」、「SHOGUN BURGER」をはじめとして、ピザ、イタリアン、カフェなど、富山と東京を中心に7県で21店舗を運営している。

 

会社のスローガンは「EAT IS LIFE」。

働くことはお金を稼ぐ手段であって、決して目的ではない。自分たちがやりたいことを追求し、よりよく生きていくという意味が込められている。

使命は、食を通じて富山を盛り上げること。

お客様に食の幸福を提供するために、新規事業のチャレンジを行い、さまざまな業態を展開している。

 

また、ガネーシャは自社の飲食店運営だけでなく、他の飲食店のサポートやプロデュースも得意としている。

宮迫博之氏がオーナーの「焼肉牛宮城」も、実績の一例である。

飲食店を開きたい方や業態を変えたい企業に対して、他にはないオンリーワンな価値を提供することを目標としている。

 

今後、ガネーシャは食を中心に地域の活性化を目指す。

訪れる人が目で楽しめ、耳で感じ、舌で味わうことができる体験型の飲食店を増やす考えだ。

飲食店が溢れる現代社会で、お客様目線の幸せ追求しながら、健康や環境に配慮したサービスや空間を提供できる仲間を求めている。

【働きながら学ぶ - 社会⼈の学校 - 】

 

 

⾼校の3年間を茨城で過ごし、⼤学の浪⼈を経て、新しい環境を求めて両親の故郷、沖縄に移住した儀部。

沖縄では約1年ホテル清掃の仕事をしていたが、知⼈の紹介をきっかけに富⼭県へ移住、就職し、現在に⾄る。

「得意不得意関係なくただ任された業務は最後まで遂⾏する。できなければ睡眠を削って働く。社会⼈1年⽬は、仕事ってそんなもんだと思ってました。」

働くことに対しそんな価値観を感じていた儀部だが、知⼈の紹介で「焼⾁ハウス⼤将軍」でのアルバイトを始めると、他の企業とは異なる魅⼒を感じるようになったと⾔う。

「ガネーシャは会社全体で仲間意識が強く、店舗(チーム)ごとに⼀丸となってお店を盛り上げようという意識があり、得意なことは活かし不得意なことは補い合う、⽀え合いが⾒える職場だと感じました。現場でのトラブル、困難があったとしても、それを乗り越えるたびに成功体験を味わうこともできました。落ち込むことも少なくないけれど、直属の上司である店⻑は、⾃分のわからないこと、困ったことに対するアンサーバックが早く的確で、さらに⾃分に合った答えを導き出してくれるので、安⼼のサポート体制のもとでのびのびと仕事をさせてもらえる喜びを感じましたね」

 

このような経験を通して、⾃らの得意と弱点を受け⼊れてくれるガネーシャの教育体制の良さを実感し、もっと会社の理念や思想を詳細まで知りたいと、正社員としての⼊社を決意した。

⼊社後、最初はアルバイト時代に続けていた焼⾁店のホールスタッフとしての業務を担当。半年後にはホールの責任者としての役割を任された。

初めての経験で⼤きな不安を感じつつも、ガネーシャでの経験を通して、接客だけでなく社会⼈としての在り⽅を教育してくれる"社会⼈の学校”のように感じたと儀部は語る。

 

「当時はホール責任者になってスタッフをまとめなければならず、未経験の仕事内容に不安で⼼が曇ってしまっていました。しかし"やってみたら出来た"を味わうことができる職場だったので、挑戦することがどんどん楽しくなっていきました」

「落ち込んで根に持つ性格だったのが、失敗を次に⽣かすことにフォーカスをあてたことで前向きな性格に変化、成⻑したことを⾃ら感じることができて嬉しいです」

儀部は、⾃⾝の成⻑について笑顔で語ってくれた。


 

【新しい自分を発見・表現できる職場】

 

 

永田は長野県出身で、幼少期から知っていたパン屋でのパン職人としての経験を持つ。

パートナーの転職を機に富山県へ移住。経験を生かして、SHOGUN BURGER にバンズ職人として入社し、現在は同店の店長として、全体の運営やスタッフの育成を手掛けている。

 

「元々自分は、コツコツ綺麗にパンを綺麗に作りたいと、時間をかけて一つ一つ丁寧に作品を仕上げる職人気質だった」と語る永田だが、ガネーシャでの勤務を通じて考えが大きく変わった瞬間があった。

そのきっかけは、メニューの「アボカドチーズバーガー」にタルタルソースを追加するというオペレーション変更時だった。

原材料のコストや作業の手間を考慮する永田は、この変更に当初は難色を示していた。

しかし、「その問題よりも、お客様に美味しいものを食べてもらいたい」「お客様が喜んでくれる方がずっといいし、それを作りたい」という社長からの言葉を受け、価値観や仕事に対する取り組み方が変わったという。

 

日々の業務や商品の改善・変更の背後にある考え方の芯が顧客の喜びであり、それにとても感銘を受けたと永田は語る。

 

「この一件をきっかけに、仕事をする際の「なぜそうするのか」という過程を理解することの重要性を感じました。お客様の意見を取り入れたり、改善に取り組んだりすることが、本当に大切だと気付いたんですよね。自発的に何か変化を起こしたり、やってみようという性格ではないものの、考え方の視点が新しいと、新たな発見が促されるし、それを実行できる機会を与えてもらえるので、チャレンジしやすい環境が整って

いると感じます」

 

そんな永田に、富山の印象を聞いてみた。

 

「富山の印象!と聞かれると、なんだかすぐに言葉が出てこないぐらい、印象の薄かった富山。でも、引っ越し、就職してみて、人との関わり方を大事にする、繋がりが広いのが富山の特徴だなと思う。職場でたくさんの富山県人と関わる機会があるが、みんなすごくあたたかく迎えてくれて、安心できる職場だと感じましたね」と、移住、就職を通して変化した富山への印象を話してくれた。


 

【仕事と子育て、理想的なライフスタイルの両立】

 

 

愛知県の百貨店でコスメやアパレルの販売員として10年の勤務歴を持つ横関だが、自身の離婚を機に18年ぶりのUターン移住を実行した。

 

異業種への転職の背景を次のように語る。

 

「子供の頃から知っていた近所の老舗焼肉屋に4年前にランチスタッフでアルバイトとして入社したのがきっかけです。当時は就職活動をするまでの繋ぎで、半年くらいの短期アルバイトの予定でした。飲食店はお客様として行く場所と思っていたので自分が飲食店の社員になり、ましてや入社1年で店長になることは全く想定していませんでした」

想定外の展開をどうして受け入れてきたのか。

「一緒に大泉店に勤務していた大将軍の統括料理長が、私の販売員経験を活かした接客力と、売上を作るセンスを高く評価して熱心に社員になって一緒に働こうと誘ってくれました。当時の私は、名古屋でのキャリアも友人関係も全て手放して18年ぶりに富山に戻りました。自分は何も持っていないと思っていたので、私自身が気づいていない“私のスキルと経験”を評価して、必要としてもらえたことが嬉しかったです」

 

飲食業への挑戦の背景には、一緒に働いていた料理長の存在が大きい。彼の熱意により、横関は自らの長所を再確認し、富山での新たなキャリアを築く決意を固めた。

 

横関は飲食業の魅力をこう語る。

「今まではアパレル雑貨や化粧品をおすすめし、お客様が喜んで買って帰られる様子を見るのが楽しかったのですが、その後の使用感まで知る機会はあまりありませんでした。一方、焼肉店ではおすすめのお肉の紹介や焼いて差し上げるサービスが喜ばれ、反応がその日のうちにわかるレスポンスの早さが物販と違う飲食の魅力でした。

 

店長になった当時はまだ自信もなく、プレッシャーとの闘いで毎日ただただ必死でしたが、それでも日々仕掛けたことの結果がすぐに見えるスピード感が面白く、アルバイトスタッフの成長していく姿を見るのが楽しくて、仕事に熱中していきました。3か月、半年経つにつれて日々の取り組みが実を結び、実績としてついて来たことで、店長としての自信も持てるようになりました」

 

どのようなことを仕掛けていたのか。

 

「まずはアルバイトスタッフに働くことが楽しいと感じてもらうため、個々に『今日は何をがんばる?』と日々その日の目標を決めさせて、帰りにそれに対するフィードバックをするようにしてコミュニケーションを取っていました。お客様アンケートの獲得数や、おすすめのセールス数など数値で目標設定します。キラキラとした笑顔でミッションクリアの報告に来るみんなの笑顔を見るのが私のやりがいでした。サービス力とセールス力の向上がリピーターを生むと考え、それをアルバイトが楽しみながらやってくれる環境づくりを仕掛けていました。その結果アルバイトスタッフに会いに来てくださるお客様や、数々の顧客様を作ることが出来て、お店全体の成長に繋がりました」

 

一方で店長としての仕事に没頭するあまり、自分は母親という役割を果たせていないことに苦悩することもあったという。

 

「GW・お盆・年末年始はどうやってこの繁忙期を回すか、何をどうやって打ち出すか、誰をどこに配置したら最適化できるかで頭がいっぱいで、正直1㎜も子供のことを考える余裕がなかったです。それだけ熱中できる仕事があって、家族にサポートしてもらえる環境に甘えていたのですが、子供が不登校になった時にこのまま働き続けることは出来ないと会社に相談しました」

 

現在は本部に異動、店長時代の経験を活かし富山エリアのマーケティング戦略やイベント企画、後輩社員の育成を担っている。子供の学校行事や長期休みなどのスケジュール調整もしやすくなった。

 

「仕事において困難は付き物ですが、その状況下でも自身の成長や周りのサポートを感じることが多いです。子供がいるから気付くことや、子育て経験がアルバイトや後輩社員の教育の際に役に立っています。逆に子供にとっては仕事に前向きに取り組む社会人としての母の姿を誇らしく思ってくれているようで、今では一番の良き理解者です。

何に対しても経験がないことには不安になりますが、自分でやらない言い訳を探すのではなく状況に任せて挑戦していく姿勢が成長に繋がり、経験値が増えていくのだと気付きました。今年40歳を迎えましたが、

常に現在 is my BEST だと思っているので、これからも仕事を通じて多くの出会いと経験を楽しんでいきたいです。」

と自信に満ち溢れた様子がうかがえた。

 

【多様性を受け⼊れ、社員⼀⼈ひとりの成⻑を後押し】

株式会社ガネーシャは、数多くの企業の中で特異な魅⼒を持つ存在である。

年齢、出⾝地、それぞれ異なる背景を持つ彼らが⼀堂に会し、共通の思いとして語るのは、「社員の個性を尊重し、⾃⼰成⻑をサポートしてくれる環境」であるということ。

インタビューを通し、個々のチャレンジ精神を重視し、新しいことに挑戦する機会が多く、オープンなコミュニケーションの中で、意⾒や問題を共有できることだと感じた。

ガネーシャの魅とは、正に社員のチャレンジ精神を重視する姿勢と、新たな試みへの機会を惜しまぬ企業⾵⼟、さらにはオープンなコミュニケーションを重んじ、率直に意や問題を共有する空気感にあるように思う。

飲⾷業と⼀⾔で⾔うものの、それは単に商品を販売するというシンプルな作業だけではない。

ビジョンや⽬標を持ち、個⼈の成⻑と会社の発展を同時に追求する環境が整っているのがガネーシャの大きな魅力だ。

また、それぞれに今後のキャリアプランについての意⾒も伺ってみた。

「ゆくゆくは、家族のそばにいたいので関東に移住したいですね。うちの会社は東京にも店舗があるので、関東の店舗に⼊って新規店舗を⽴ち上げたり、ガネーシャを⼤きくしたりしていくことに尽⼒していきたいです。ゆくゆくは思い⼊れのある沖縄に店舗の⽴ち上げをする時に関わりたいです。私の得意なことは教育、規定を指導していくことなので、そこををもっと伸ばしていきたいと感じています。規模が⼤きくなった後は、エリアごとにオペレーションやサービスを全国均⼀に確⽴するようなポジションで仕事してみたいです」と儀部は熱く語る。

 

「FCの店舗も増えてくるので、今後は⾃社のスタッフだけでなく、会いに来たくなるようなスタッフの教育にも⼒を⼊れていきたいです。SHOGUN BURGERらしく富⼭の⾷を盛り上げでいければと思います」と、永⽥からスタッフ教育に対する情熱が感じら

れた。

横関の⽬には、そのビジョンに対する明確な意志が浮かぶ。

「今後は⾃社だけでなく関係企業と協⼒して富⼭全体が「⾷」というコンテンツを通じて盛り上がる販促企画をしたり、飲⾷業に携わる若き経営者のサポートが出来る様になりたいです」

 

それぞれが⾃分のライフスタイルに合った働き⽅をイメージしながら、キャリアアップのビジョンを持っている様⼦が印象的である。

これからますます跳躍していくガネーシャの今後に期待したいと思う。