入社直後に品質保証の立ち上げ
医療機器メーカーの品質管理として、埼玉県で働いていた松倉さん。転職のきっかけは、富山に住みたいという妻の要望からだったという。
「妻が富山県出身で、子どもを地元でのびのびと育てたいとのことで移住を検討しました。富山といえば薬のイメージがあり、漠然と医薬品関係の仕事を探しました。そこでたまたま健康食品をしているバイホロンを知って。なんだか面白そうだなと思って、軽い気持ちで応募したんです」
これに驚いたのはバイホロン人事。というのも、製造職の募集に対する応募で、松倉さんのスキルがある品質保証分野ではなかったからだ。しかし、以前より品質には力を入れており、今はまだ品質保証を専門にする部署はないが、いずれは注力したいと考えていたバイホロン。これを契機に、新しく品質保証室を立ち上げる案を松倉さんに持ちかけた。
「募集していた職種と違うのにもかかわらず、自分に合わせた仕事をアサインしてくれることに驚きましたね。工場も見せていただきました。なかなか現場を見られる会社はないのですが、働くイメージが湧いたことは大きかったですね。ちなみに工場見学の際は、子どもを連れて託児室まで見学したんです」
首都圏から移住を決めていた松倉さんにとっては、社宅が用意されていることも魅力の一つだった。福利厚生や暮らしについても、ざっくばらんに相談できる雰囲気もある。バイホロンならば仕事も暮らしも両立できそうだと、バイホロンへの入社を決めた。
入社後は、新設された品質保証室と、品質管理部を兼任。品質保証室では外部監査とのやりとりなどを担当し、品質管理部では検査体制のマネジメントを担当している。医療機器と健康食品。その違いにギャップがありつつ、面白さを感じているという。
「健康食品には、医薬品のように品質に関する法律はありません。とはいえ、時代的には品質保証に力を入れないと追いつけない。変革の時代にさしかかっており、バイホロンでも確立した組織ができていない状況でした。周りの人たちにこれまでの活動を聞きながら、新しい品質保証体制をつくりあげていく仕事で、とてもやりがいがあります」
まだまだ立ち上がったばかりの組織で、メンバーも2名。やらなければいけないことは山積みだという。
「今は業務の方向性がある程度定まり、改めてやるべきこととやりたいことを整理しています。やりたいことはたくさんあるものの、まだまだ手を伸ばせていない状況。さらにメンバーを増やし、バイホロンの品質保証をもっと強固にして、お客様から信頼される体制をつくっていきたいです」
手を挙げれば、新しい挑戦ができる
石川県出身で関西の大学で食品について研究していた吉田さん。就職先も食にかかわるものづくりがしたいと、地域問わずさまざまな会社を見ていた。そこで目についたのが、バイホロンの工場見学の募集だった。
「工場見学では試作室を見学しました。生産前の検証のための打錠を試す姿をみて。自分自身で企画したものが市場に出回るのは、とても面白そうだなと感じましたね」
楽しそうな仕事にわくわくする一方で、不安も感じていた。人見知りの吉田さんにとって、会社の雰囲気になじめるかどうかは重大な問題だったのだ。しかし入社前にバーベキューに参加し、社員の人たちと話す機会が得られたことで、その不安もすぐに払拭された。
「入社してから一貫して、企画開発課に所属しています。お客様からの依頼に基づいてどんな配合で製品をつくるかの検討や、製品のパッケージ内容が法律に触れていないかの確認、原料に関する問い合わせ対応などが仕事です。入社時は特に何の知識もありませんでしたが、ちょうど産休に入る予定だった先任の先輩から引き継いでもらえました。気さくに教えてくださって助かりましたね」
自身でも、食品表示検定の中級と上級を取得してスキルアップしてきた吉田さん。時には手を挙げて、仕事の幅を広げたこともあった。
「出産後、はじめは配合設計だけを担当していました。しかしまだ仕事に余裕があると考え、お金に関する仕事をしてみたいと手を挙げたんです。すると、原価表を作成する仕事を任されて。自分の仕事の幅を広げることができましたね」
今後についても、どんどんチャレンジをしていきたいと語る。
「今、与えられている仕事を極めていくと同時に、新しいことにどんどんチャレンジしていきたいです。バイホロンには、やりたいといえばチャレンジできる環境があります。自分がやってみたいことが出てきたら、諦めずに手を挙げていきたいですね」
子育て中もフルタイムで両立
転職して、はじめて富山暮らしをはじめた松倉さん。当初は富山の県民性を感じたという。
「保守的なのか、はじめて来た人には無口なんですよね。でも、何日か過ごしていると、逆に話しかけてくれるようになって、気づいたら打ち解けられていました。オンのときは仕事に集中し、休憩時間になるとざっくばらんに趣味について語ったりしています」
松倉さん自身は特別なことをしていないが、いつの間にかコミュニケーションができている。これには、吉田さんも頷いた。
「あったかくて、やさしい人がとても多いですね。分からないことがあって聞いたら快く答えてくれます。会社に馴染めなかったらどうしようかはじめは不安でしたが、バイホロンだからこそ、今も仕事を続けられています」
子育て中の社員も多いバイホロンでは、むしろ助けられることも多いと松倉さんは語る。
「コロナ禍の状況など、お母さん方が教えてくれるんです。富山に知り合いがほとんどいないので、パワフルなお母さんたちの存在はすごく助かります」
以前は託児所を利用してフルタイムで復帰し、現在は小4・小5の子どもを育てる吉田さんも、働きやすさには太鼓判を押す。
「託児室があると、朝子どもを送って、夜一緒に帰る生活ができて、育児と仕事の両立がしやすかったですね。子どもが風邪を引いたときなどの急なお休みも、皆さん理解してくれます。気を遣わないようにする風土が根付いていますね」
自然に囲まれて、のびのびと子育てができる
子どもを持つおふたり。富山暮らしはどう映っているのだろうか。まずは気になる車事情を聞いてみた。
「はじめは車通勤が怖くて、バス通勤をしていました。でも石川県の金沢市に比べると、道幅も広くて運転しやすいですね。今も雪道は怖いです(笑)」
と吉田さん。一方で、埼玉県で長年働いていた松倉さんは、慣れない暮らしにギャップも大きかったという。
「以前は電車移動が当たり前だったので、ほとんど車で移動する生活には慣れませんでしたね。雪については、青森県出身だったので見慣れてはいたのですが、2年目の冬は雪がすごくて。戸惑いました。車を買うときにディーラーさんは『四駆じゃなくても大丈夫』と言っていたのに、嘘だろ!?と思いましたね。困ったのはそのときだけです」
松倉さんが挙げたのは、令和3年の豪雪。交通機関や電力のインフラにも影響があった記録的な大雪だ。吉田さんも「入社してから一番ひどかった」と一言。自然は読めないゆえ、断言はできないが、雪がひどいのも一時期だけのため、過度な心配はいらないだろう。
休日の過ごし方については、富山の自然に囲まれてのびのびと暮らしているという。
「富山は山も海も楽しめるので、自然の中で遊んでいます。それができるのが富山の良いところですね。コロナ禍も落ち着いてきたので、石川や福井にも脚を伸ばしていきたいですね」
と松倉さん。吉田さんも大きく頷く。
「都会の人混みが苦手だったので、富山はすごく私に合っています。私も富山に来てからあまり観光地にいけていないので、もっといろんな場所を旅行したいですね」
仕事と暮らし、両方を満喫している松倉さんと吉田さん。バイホロンの働きやすさがうかがえる。「人を作る会社」を目標に掲げているバイホロン。仕事でもプライベートでも自己実現する人たちがこれからも増えていくだろう。