長野から富大進学、在学中にゲストハウスの女将に 「富山のために働きたい」と地元紙就職決めたZ世代の決断

秋元結羽さん 北日本新聞社 メディアビジネス局営業部

蔵の街並みやおやきの激戦区としても知られる故郷の長野県須坂市を離れ、富山大学への進学を機に富山での生活を始めた秋元結羽さん。2023年3月、4年間通った学び舎を卒業。地元や首都圏で就職する選択肢もあったが、富山に残り、現在は地元紙を発行する北日本新聞社で働いている。若い女性の転出が止まらない富山において、県外出身者の秋元さんの決断はとりわけその傾向に逆行して映る。

 

 

 

課外活動で充実し、大満足だった大学生活


Q 富山大学を目指した理由は?
たまたまでした。というのも、センター試験の点数で合格の可能性が高かったのが富山大学だった、というのが進学した理由です。富山は長野と違って海があるし、地元からも新幹線で1時間で行けるので、当時は「絶対に富山!」という強い思いはありませんでした。

 

Q 富山生活1年目の印象は?
富山駅周辺は想像以上に発展していて、未来都市みたい!と感じたのが第一印象です。長野市の駅舎は、木造で自然を前面に押し出した感じの建築物が多かったのですが、富山駅周辺はガラスを基調とした建物が多く、日光に反射して綺麗だと感じました。
あと、市内を走る路面電車を初めて見た時もすごく新鮮でした。まちなかを通過して走るので目的地まで近いし、どこまで乗っても値段も一律で運行本数も多い。なんて便利な交通機関なのだと感動した記憶があります。

 

Q 大学生活を振り返ってみた感想は?
ありがたいことに色々な機会に恵まれ、充実していました。大満足の大学生活を送ることができたと思います。そう思えたきっかけは、主にインターンシップ(就業体験)や課外活動でいろいろな経験ができたことが大きいです。
特にメインの活動になったのは、富山市内のゲストハウス「泊まれる図書館 寄処(よすが)」の三代目女将としての活動です。他にも、富山市の会員制コワーキングスペース「スケッチラボ」での学生研究員兼スタッフとしても活動し、富山の新しい事業を生み出す文化づくりの拠点として生まれた「HATCH(ハッチ)」のスタッフとしても働きました。人との繫がりを持ちながら学びを得ることができました。

 

 

 

新型コロナ禍で変化した価値観と活動領域


Q そうした課外活動に携わったきっかけは?
幼少期から目立つことが好きだったので、大学入学後は演劇サークルに所属しました。しばらく演者として頑張っていたのですが、2年に上がるタイミングで新型コロナウイルス感染症が拡大。突如として演劇の公演や練習もできない状況になり、サークルも休止になりました。
コロナにより熱中していた演劇活動ができない中で、「このままではまずい」と漠然と思い始めて、自分を変えたい、新しいことにチャレンジしたい気持ちが募りました。

そこで、とあるビジネスコンテスト(ビジコン)にエントリーしました。ビジコンで優勝すれば就職に有利になると思ったという、今思えば何とも短絡的な理由です(笑)。それでビジコンにエントリーしたんですけど、3人で参加するチーム制だったのでメンバーを探さなければいけなくなりました。
そのタイミングで、学生が運営する「寄処」というゲストハウスの存在を知り、「そこでなら一緒にビジコンに出てくれそうな人もいるかも!」と思い、その週末に開催されていたイベントに飛び込みました。そこで運良くビジコンに参加してくれるメンバーも見つかり、おもちゃ屋さんと連携した子育て支援サービスを提案したのですが、一次審査であっけなく落とされました(笑)。今ではいい思い出です。

 

Q 寄処の活動を手伝う中で3代目の女将に就任したのですね
寄処を運営していたLabore(ラボレ)株式会社で長期インターンとして働いている中で、2代目の管理人が留学することになりました。3代目を誰が引き継ぐかという話になった際、「自分にとって大切な場所である寄処を守りたい」という思いもあり、立候補で管理人を務めることになりました。「女将」と名乗りはじめたのは「宿泊施設の女性管理人だから女将と名乗れば多くの人に覚えてもらえるのではないか!」という思いつきがきっかけでした(笑)
コロナ禍でお客さんが来られない状況の中で約1年間女将として働きました。誘客も満足にできず、でも知名度や売り上げを立てなければいけない、というジレンマの中で何ができるかを模索しました。当時の目標は、いざコロナが明けたとき、この場所が県内外から愛される場所になっていることでした。そのため、今は今できることをやることで、寄処の価値を高めようと思い、学生たちをスタッフとして採用し、それぞれがやりたいことをテーマにしたイベントも開催しました。本が好きな人は読書会、美容に興味がある人はメイク講座などです。それぞれがやってみたいことの実現することを通して、この場所が学生のチャレンジと居場所が共存する場所になればいいと思っていました。

 

Q そうした苦しい時期に当時の心の支えになった人たちはいますか?
Laboreの社員さんのサポートが本当に心の支えになりました。おかげで唯一無二の貴重な経験ができたと思いますし、自分も期待に応えたい思いがありました。
そして、勝手に「女将の大先輩」と呼ばせていただいている(トヤマズカンにも登場するオズリンクス代表の)原井紗友里さんです。一時期原井さんのゲストハウスで修行をさせていただいたこともあります。大事な予定があるときは特に(同社の古着着物をリメークした独自ブランド)「tadas(タダス)」のアイテムを身につけて、悩んだときや判断に迷ったときなどは「原井さんだったらどうするか?」と考えるようにしていました。

 

Q 寄処以外にハッチでも活動していましたね
ハッチでは、半年間イベントの運営スタッフを担当させてもらいました。これから事業を起こしたいといった方々の熱量に常に触れることができ、すごく刺激的な空間だと感じていました。
学生スタッフで主催した「nekonoteピッチ」というイベントがすごく印象に残っています。すでに事業を始めていたり、今後事業を起こしたいという思いのある学生をピッチ者として呼び、それを聞いて事業に共感してくれた人が「猫の手を貸す」ように、その事業に参加できるというマッチングのイベントです。仲間がほしいという学生と、参加したいけど何をしていいかわからないという学生たちをつなぐことができたのではないかと感じています。このイベントは私がスタッフをやめた後も後輩が引き継いでくれ、とても嬉しかったです。

 

 

 

東京で就職すれば富山で築いた縁がリセットされてしまう恐怖があった


Q 大学生活が終わり富山で働くことを決めました。色々な選択肢があったと思いますが、葛藤はありませんでしたか?
葛藤はすごくありました。ただ、東京の会社を何社か受けてみて、「ピン」と感じるものがなくて。
それで富山で暮らした4年間を思い返して、そこで出会ってきた人たちの顔を思い浮かべると、この人たちと一緒に働けたらいいなと思い始めました。もし私がこのタイミングで東京に出てしまったら、せっかくいただいたこれまでのご縁が1回リセットされてしまうのではないかという怖さもありました。せっかく富山に来て4年間過ごしたのだから、富山のために働きたいなという〝直感〟が富山で働くことを決めたきっかけになりました。
あと、富山は生活がしやすいと改めて感じて、こんなに居心地がいいしもう離れたくないなっていう気持ちもありましたね。

 

Q 両親は地元に戻ってきてほしいと言いませんでしたか?
「(地元長野の)信濃毎日新聞社はだめなの?」という、ちょっとしたジャブはありましたね(笑)。私自身は長女で一人っ子なので両親に相当寂しがられました。それでも、「ときどき実家にも帰るね」ということで納得はしてもらえたのかなとは思います。

 

Q もともとメディア関連の業種を目指していたのですか?
私は好奇心旺盛な半面、少し飽き性な性格のため、幅広いテーマや仕事に関わりたいと思い、メディアをはじめとするエンターテインメントに関わる職種全般を志望していました。
たくさんの人とかかわり合いながら、富山にポジティブな波を生み出す仕事がしたいと思い、広告やイベントに関わる職種を最終的に希望しました。

 

Q 社会人1年目を振り返ってみての感想は?
メディアビジネス局営業部という部署に配属され、まさに希望していた広告営業やイベント運営といった仕事をしていました。富山を盛り上げる仕事が多く、1年間働いてみて、本当に楽しいと感じられています。毎日同じ仕事はなく、いろんな仕事や立場の方とお会いする中で新しい発見もあり、充実していますね。

 

Q 広告を売るという仕事が主軸と思いますが、秋元さんにとって広告とはどんなものでしょうか?
なかなか読まれなくなっている新聞という媒体に、お客さまはなぜ広告を出してくださるのか、を日々考えながら仕事をしています。もちろんお客さまによってそれぞれ広告を出す理由は違うというのが大前提にある中で、現時点での個人の考えに過ぎませんが、「心から伝えたいと思ったことを満を持して伝え、社会現象の一歩目を作るためのツール」だと思っています。
購読者は、確かにご高齢の方やビジネスマンが多いです。しかし多くの人に周知されるためのきっかけこそが大事で、新聞広告はその部分で効果を発揮できると思います。

 

 

 

県外に出たとしても「根幹に富山は持っていたい」


Q 将来かなえたい夢や野望はありますか?
私は新しい出会いや発見がとても好きで、この会社に入社を決めたのも、「富山でこの会社が一番、富山で起きる面白いことにいっぱい首を突っ込めそうだ」と思ったからです。また、会社の先輩が「営業は自分のやりたいと思った企画を一番実現しやすい職場だ」とも言っていました。私の性格上、この恵まれた環境を活かして楽しまない手はないと思っています。
具体的な野望というほどのものを現時点では持てていないのですが、今の仕事を通してテーマを見つけて、自分発信の「新しい仕事」に挑戦したいです。その時に備えて、日々経験値を上げていきたいなと思っています。

 

Q 将来的に富山を出てみたい思いはありますか?
東京支社があるので、数年後に東京支社に転勤してみたいです。長野と富山以外に住んだことがないため興味があるのと、県外から富山を盛り上げる仕事をしてみたいという思いがあります。いつかキャリアチェンジをするタイミングもあるかもしれませんが、根幹には富山をずっと持っておきたいです。自分の第二の故郷である富山を発信するため、どこへ行っても自分の一つのルーツとして考えていたいなと思います。

 

Q そんな富山でよく行くスポットはどこですか?
最近は寿司屋さんですかね。長野にいたときは新鮮な魚にあまり縁がなかったのですが、「富山の寿司は何ておいしいんだろう!」と感動しました。給料日以降には寿司屋を開拓していて、地元の友達にも自慢しています。富山市内の「寿司栄」や「人人(じんじん)」がお気に入りです。
あとはサウナが大好きです。富山は新しいサウナ施設がどんどんできていて、月に2~3回、自分のメンタルが落ちているときにサウナに行って思考を整理することもあります。また、休日に友達とちょっと特別なアウトドアサウナに行くのも富山ならではの休日の楽しみ方かなと思います。都会だと料金も高いし、自然に囲まれたサウナはなかなかないイメージです。よく行くのは「サウナタロトヤマ」(富山市粟島町)です。

 

Q 富山にUIJターンする女性が少ない
富山県ってすごく面白いスポットがいっぱいあり、面白い人もたくさんいるのにそれが知られていない気がしています。私はコロナ禍で遠出ができなかった期間、「せっかくだから富山を楽しもう!」という気持ちで色々なスポットを訪れることができました。そのおかげで富山の面白がり方を色々な人に教わることができたと感じています。そのため、自分が出会ってきた富山の魅力を、仕事を通して発信したいです。
富山の魅力を知るためには富山のことを好きな人に話を聞くのが一番だと思います。さまざまな世代の人、特に学生の方が富山の魅力に出会う機会を作っていけたらと思います。