看護の道から飲食業へ、若き女性ブランディング責任者の挑戦

森田万里沙さん ガネーシャ ブランドマネージャー

富山県民にはなじみ深い「焼肉ハウス大将軍」をはじめ多彩な飲食業態を展開するガネーシャで、若きブランドマネージャーとして辣腕を振るう森田万里沙さん。昨年は、元雨上がり決死隊のタレント、宮迫博之さんがオーナーを務めて話題となった東京・渋谷の焼き肉店「牛宮城」のオープンにも携わるなど、県内外で活躍の場を広げている。もともとは看護師の道を目指していたという森田さん。どんな想いを抱き、今の自分に至ったのか―。

 

 

細目に目を配り、コンセプトと質のバランスを両立

 

Q ブランドマネージャーとして、現在はどのような仕事をしているのですか?

 

飲食店の新規立ち上げをメインに、ガネーシャのブランドイメージを形にしていく仕事を担当しています。店舗のデザインや現場のオペレーションなども含めてトータルに携わっており、それ以外でも既存の店舗のリニューアルのような調整をすることもあります。現場で働く従業員の教育もブランディングに関わってくるところなので、細かいところにまで目を配って、入り込んでいきます。

 

Q どのようにブランディングしていくのですか?

 

新しく飲食店を作るに当たっては、どのようなコンセプトを表現していくかゼロから作り上げていきます。マーケティングも踏まえ、現在の富山にどのような飲食店が必要で、ガネーシャの強みを発揮し、富山を盛り上げていくための存在価値をどのように高められるかを考えます。飲食の業態や分野、店舗デザイン、商品開発、メニューの考案はもちろん、求人の手配といった細かいところまで全般的に、かなり幅広い業務に携わりますね。

 

Q 最近ではどのような飲食店を手がけましたか?

 

例えば、昨年10月に富山市問屋町でオープンした「トトンキッチン」は、〝環境の循環を体験できる施設〟をコンセプトにしたトトンという施設の中で出店することを意識して作りました。トトンは富山の老舗家具店の「米三」が倉庫をリノベーションして作り上げた新しいタイプの複合施設で、本来捨てられる廃棄品や中古品を付加価値の高い商品に生まれ変わらせたアップサイクル家具や中古家具の販売もしています。

ガネーシャとしては初のカフェ業態だったのですけど、単純なカフェを出店するのではなく、トトンという施設の良さとガネーシャが持っている強さを絡めたブランディングを提起できないかをものすごく考えましたね。

意識したのは、まだ食べられるのに捨てられる「食品ロス(フードロス)」や食のアップサイクルです。そこで、富山県内で廃棄される食材やわけありのB級品の食器を再利用できないかと考えました。焼肉店を運営するガネーシャは食肉に精通しており、捨てられる端肉(肉の切れ端)をハンバーグに利用して新しい価値を持たせることで、「食の循環」を表現しています。

また、富山県は豊かな山や海を有し、食材がとても豊富です。そうした食材の加工技術が地域に根付いており、その伝承も重要な要素だと思っています。地元の方の協力を得て、長く地元で伝わる発酵技術を用いて魚の干物などを提供することで、「食の伝承」の大切さもメッセージとして込めています。

とはいえ、コンセプトである循環にこだわっても、結局のところおいしいものを提供できないとお客さまに満足いただけません。コンセプトと品質、そのバランスを取るのがすごく難しかったですね。

 

責任感は働くモチベーションに、思考は前向きに変化

 

Q 20代の若さでのブランディング責任者に就任。大抜擢だったのではないですか?

 

ブランドマネージャーはもともとなかった役職で、4年ほど前に新設されて私が就任しました。現社長の本田大輝がいろいろと改革を進めていく中で、若い人の意見やイメージを取り入れていくという観点から私に白羽の矢が立ったのだと思います。

当時の私は20代前半の新米社員で、焼肉ハウス大将軍の大泉店店長をしていました。本田が、常連中心だったこれまでの焼肉店のイメージを幅広い層のお客さまに受け入れられるような店舗へと変えていこうと改革を進めていたのですが、私が店長としてそのブランディングの手伝いをさせてもらいました。その業務を通して、本田が自身の考えや発想を私が一番くみ取ってくれていると感じたのかもしれませんね。

もともと、会社や店舗をよりよくしていく、ブラッシュアップしていくという作業が好きだったので、自分の長所が生かせる役職だとは思っていました。なので、ブランドマネージャー就任の話をいただいたときはすごくうれしかったですし、働くモチベーションにもなりましたね。同時にプレッシャーも感じましたけれど…。

 

Q ブランドマネージャーとして働いてみて感じたことは?

 

全体を俯瞰してみる役職ではあるので、難しいと感じることや思い悩むこともたくさんありますけど、ものすごいやりがいと刺激も感じられます。一方で、ものすごい失敗もしますし、それをどうやって挽回していくかを考える機会が増えましたね。

おかげで、「次はこういうことできるんじゃないかな」と前向きな思考に変わってきていて、より良いものを作ろうという貪欲な意識になっていると思います。常にワクワクしながら働いている感じですね。3年ほどブランドマネージャーとして働いていますが、まだまだ見習いの状態ですね。昨年オープンしたトトンキッチンをイチから手掛けて完成させられたことで、ようやく自分でしっかりした仕事ができたと実感しています。

 

 

 

不安の中でもやるしかない!経験が大きな糧になる

 

Q 昨年は、話題になった宮迫博之さんがオーナーを務める東京・渋谷の焼肉店「牛宮城」の立ち上げにも携わったそうですね

 

牛宮城は昨年(2022年)3月にオープンしたのですけど、オープンの3カ月前から約半年間東京に住んで、開店準備や開店後の運営に没頭しました。メディアからもかなり注目されていた店舗だったこともあり、プレッシャーをすごく感じました。本当に寝られないほど忙しくて、記憶にないことも多いです(笑)

私は従業員の教育をはじめ、従業員の求人や面接、食器の選定など外部業者との対応など幅広い業務を担当しました。その中でも特に大変だったのが従業員教育ですね。現場では海外出身の方もいて、お店の理念の共有からお皿の運び方などの接客スタイルまで講習や実践を通して教えるには苦労しました。オーナーや現場従業員との意識のギャップも生じたり、困難も多かったです。

でも、牛宮城は女性客層も獲得したい狙いもあり、女性目線での商品づくりは意識していて、前菜やサラダの味付けなどは、私の意見が取り入れられる機会もありましたね。本当にやれるのか不安でしたけれど、でもやるしかなかった。富山では経験できない困難なミッションをクリアできれば、大きな糧になると思っていましたし、実際に糧になったと実感しています。

 

Q 富山で働いているときと比べて、どんな違いを感じましたか?

 

「常に、常に、改善を求めてないと生き残れない」という強いサバイバル感を東京では感じました。ドシッと構えて安心できないというか…。だからこそ富山に戻ったときに、現状の店舗を俯瞰してみて、「ここが直ってない、ここをもっと良くできるんじゃないか」と気づいたところは、すぐに改善していこうという目線を養えたと思います。

どんどん新しいことを実践する、既存のものをブラッシュアップする、お客さまに対してより良いものを提供する|。それをいかに早く表現できるか。そういう意識の部分で東京では圧倒されましたね。どうやったらお金が生み出されるか、どうやったら勝ち残っていけるかについて常に考えている鋭い目線を持った人たちにたくさん出会うことができました。クリエーティブさや想像力も鍛えられたと思います。

ただ、周囲の人たちが目まぐるしく動いているのをみて、刺激を受けた一方で息苦しさも感じました。そういう意味では、ホッと息抜きができ、バランスを取りながら働ける環境がやはり富山だなと思いましたね。

 

 

「スピードは質を凌駕する」の言葉に刺激、看護師の道から飲食業へ

 

Q そもそも、ガネーシャに入社したきっかけは何だったのですか?

 

私は福井県あわら市出身で、家族が転勤族で小学校時に富山市内に引っ越してきました。高校卒業後に市内の3年制の看護専門学校に通い始めたのですが、実は看護学生時代にアルバイトとして働いたのが焼肉ハウス大将軍の大泉店だったんですね。そこで現社長の本田に出会い、「社員になってほしい」と猛プッシュを受けました。

当時の本田がよく言っていたのが「スピードは質を凌駕する」という言葉です。その言葉通り、本田が社長に就任すると、家族経営で常連客を優遇するような昔ながら焼肉店から、目で見てわかるくらいのすごい速さで転換させていったんですね。時代の流れが急速に変わっていく中で、そのパワープレーに刺激を受けました。私の接客に対する姿勢や能力を認めていただいたこともすごくうれしくて、本田に憧れを持って入社を決めたというのが正直なところです。

 

Q 看護師にならずに、ガネーシャで正社員として働くことを決めたんですね

 

そうです。看護学校卒業の半年前に学校を辞めて、ガネーシャの社員になることを決めたんです。母親にはものすごく反対されて、人生で一番の親子喧嘩もしました。母親からしたら飲食店のイメージがあまり良くなく、過酷で低賃金で未来がない職業だと思っていたようです。

実は看護学校に進んだのも、私が母子家庭で育ったことに関係しているんです。母が看護師として私を育ててくれて、そんな母が、女性が一人で生きていくには看護資格を取得すべきだと勧められて、一番身近な職業でもありましたし、看護師の道を進もうと思ったわけです。

なので、もともと看護師に憧れていたわけではなくて、単純に女性がある程度お金を稼いで生きていける職業となったときに看護師だったんですよね。モチベーションが上がらないまま看護学校に通っていたのですけど、そのときにアルバイト先を探していて、たまたま家の近くで募集していた大将軍の大泉店で働き始めて、現在に至ったわけです。

ただ、看護師も飲食店での接客のアルバイトも、ある意味で同じサービス業的な面がありますが、働いてみてまったく違うなと感じました。飲食の接客はエンターテインメント性もあるし、お客さまの喜びや幸せを直接感じられる達成感のようなものがありました。それでどんどん飲食というジャンルが好きになっていきました。私は学生時代に部活なども長続きしない飽き性な性格だったのですけど、このアルバイトは飽きずにのめりこめたんですよ。

アルバイトから続いて、ガネーシャでは約10年働いていることになりますが、継続的に仕事を続けて、時折メディアに取り上げられる私の姿を見て、母親も飲食業に対するイメージが変わってきたようです。今では応援してくれていて、当時、大喧嘩して険悪だった母との関係を良い方向に塗り替えられたなと思っています。

 

 

これからも富山の魅力創出に加担したい

 

Q 富山では森田さんのように女性が幹部職として働ける会社が少ない印象があります。現状、働きにくさを感じることはありますか?

 

私が入社した頃は女性社員は全体の10分の1くらいと少なく、男性との価値観や仕事に対する姿勢の違いを感じることもありました。昔からいる男性社会ならではのルールや男性社員の意見が強く、女性の主張や新しい提案が通りにくい状況はありましたね。飲食店は現場業務も多く、特に子育てなど家庭を持っている女性が働きづらいイメージも払拭できず、女性が働くには大変な環境だったと思います。

ただ、今はブランドマネージャーのように、女性ならではの特性を生かせる役職も増えてきており、かなり環境は変わってきています。会社も女性の働きやすい職場を目指した働き方改革に積極的で、家庭を持っている女性社員をフォローできるような人員構成に整えたり、経理や総務業務への女性採用も増やしています。特にここ2~3年は女性社員の活躍も目覚ましく、業務の能力の高さや優秀さを感じていますよ。実際、最近は店長だけでなくて、エリアマネージャーなどの責任ある役職に女性が就く例も増えています。

 

Q 将来、実現したい目標や夢はありますか?

 

自分の中で考えていることや思っていることを表現するのが好きで、今後も何かを(制作から管理までをトータルで行う)ディレクションする仕事は続けたいと思っています。特に飲食業にこだわっているわけではなく、何かを個人でやる目標はあって、将来的に独立したい気持ちも少しはあります。

ただ、今はガネーシャを辞めて、富山を出ることは考えていません。富山で頑張っている企業もたくさんありますし、新しい魅力的なスポットも増えています。今はそうした魅力創出に私も加担できればうれしいと思っています。

 

Q 富山を出るつもりはない?

 

やはり富山は、人も温かくホッとするし、おいしいものが集い、飲食のレベルもものすごく高い大好きな場所です。富山はコミュニティーが狭いと嫌悪する人もいますが、私はその狭さがむしろ好きです。いろいろなつながりや出合いが増え、そこからいろいろな仕事につながることもあります。それが絶対に富山を活性化させることにつながるとも信じています。

とはいえ、富山の不満点について強いて言うなら夜に遊べるところが少ないことかな。あとは、タコスが好きなのですが、富山でタコスを提供している店がない(笑)。朝からやっている飲食店が少ない。そう思ってトトンキッチンは午前8時からオープンしているんですよ。

富山は新しいものが受け入れられにくい、なじみがあるから行く、はやっているから行くというような、周りを気にする横並び意識が強いと感じています。私は新規事業を担う役職なので、そうした部分をすごく気にしてしまう。

東京のような都会だったら多くの人に〝刺さる〟だろうと思っていたものでも、富山では通用しないことも多々あります。実際、(富山市総曲輪のピザ専門店)「ショーグンピザ」を開店する際もとても悩みました。富山の人はピザを食べる文化がほとんどない。ピザといえば宅配で、お店で食べるピザという認識がほとんどなかった。パーティーやイベントでちょっと食べる機会はありますが、日常的に食べることはほとんどなくて、オープン当初はかなり苦戦しましたね。

最近になり、ようやく受け入れられてきて、やはり継続が大事だとも感じています。地域になじんでいくには時間がかかることが多いですね。ガネーシャで言えば「大将軍」という長年愛されている焼肉屋のブランドイメージがあるので、大将軍が出すものとなると富山の人たちに与える安心感がある。安心感は本当に大切で、それが地域性なのかなと思います。