元空手日本一の熱血女教師、富山で幸せの伝道師に転身!?

尾藤光さん ハピオブCWO

実家は茨城県の空手道場で、空手の元日本チャンピオン。胆力と腕っぷしの強さを買われ、不良集う中学校の教員として生徒と向き合った後、「自分の理想とする教員」を目指し国内外で社会経験を積み、100近いプロジェクトを経験し、富山にたどり着いた尾藤光さん。現在は企業や行政・学校等の教育支援を行う「ハピオブ」のチーフ・ウェルビーイング・オフィサー(CWO)として、「主体的な個人」と「選ばれる企業」を生み出すことを仕事としている。破天荒にも映る彼女の人生を掘り下げてみた。

 

 

富山県民の輪に入れば、どんどん人の輪がつながる

 

Q 富山に移住するまでの経緯を教えてください

 

私は茨城県桜川市という緑が豊かなところの出身で、大学卒業後は千葉県で8年ほど中学校の教員をしていました。

その後、転勤が比較的多い研究職の夫と結婚。夫は研究を進めるため、出資を募っていたところ富山県の企業から手を挙げていただき、その流れで富山県に移住することになりました。富山に来る前も、神奈川やアメリカ、ニュージーランド、フィリピンと国内外を転々としていましたね。

 

Q 富山に来たときに抱いた最初の印象は?

 

冬の富山はとにかく〝暗い〟と感じましたね。直前に住んでいたのが、音楽がかかればどこでも踊りだすような陽気な人たちのいるフィリピンでしたから、その落差もありました。

 

Q 5年ほど過ごしてみて、富山の印象は変わりましたか?

 

富山県民の輪に入れてもらってからは、温かく親切な方が多いなと感じました。ただ、出合って間もない頃は一線を引かれている感じがして、当初は東京から来た遠い人のように扱われたのがちょっと悲しかったです。

 

一方で、その輪に一度入ることができれば、どんどん色々な人とつながれる。色々な人を紹介してくれたり、連れてきてくれたりと。特につながるための努力をしたというよりは、色々なご縁をつないでくれたと思っています。そのおかげで、今のハピオブの仕事にもつながっています。

 

Q 直前はフィリピンで過ごしていたのですね

 

実は、フィリピンには夫を富山に置いて一人で行ったんです。半年間ぐらい。

夫の転勤が決まった際に教員は一旦辞めたので、富山で就職しようと思っていました。教員は天職だと思っていたので、このまま続けるか悩みましたが、自分が理想とする先生像をこのままでは実現できない葛藤から一旦離れることにました。

 

それで、理想の先生ってどんな先生なのか考えてみたときに、「やればできる!いつからでも良くなれる!」を口だけではなくて生き方で見せる人になりたいと思ったんです。私自身が色々な環境に身をおいて挑戦してみようと思って、英語は全然出来ないけれど海外での異文化生活、国内外での様々な仕事に挑戦しました。自分に向いていないなと思うようなことでも食わず嫌いせずやってみて、できることを少しづつ増やしていたら、気づいたら100種ほどのプロジェクトを経験していました。

 

Q どんな挑戦をしたのですか?

 

例えば、イベント企画や運営、出版、司会業、SNS運用などです。いろんな世界を経験している先生でありたいと思っていたので、様々なオンラインコミュニティに参加していましたし、お休みの日はほとんど教員以外の人と交流していましたね。教員を離れてからは、次の転勤でもお仕事を続けられるよう、場所問わず働ける仕事に興味を持ちました。一番長く続いたのは海外製品を輸入して日本で売るお仕事です。プログラミングやウェブデザインも楽しかったですね。一番マッチしたのはベビーシッター兼家庭教師です。勉強だけでなく、空手やヨガ、料理、書道などを私一人で教えられることが都内の富裕層にウケて、ありがたいことに依頼はひっきりなしにありました。フィリピンでは英語を学ぶ傍ら、語学学校の運営のお手伝いで現地のイベント運営や広報業務なども担当しました。

 

実家はガチの空手道場、高校時に空手日本一に!

 

Q すごい行動力ですね。その原動力はどこから来るのですか?

 

とにかく学ぶことが大好きなんです。やりたいことを1つずつ試して自分の人生を使って実験しています。世の中やってみないと分からないことだらけですよね。

実家が空手道場だったので、小さい頃は自分がやりたいと思ったことを思うようにやれない環境だったんですよね。3人兄弟の長女で、「バレエを習いたい、塾に通いたい」って言っても空手以外はできなかった。幼少期から青春時代まで全て空手に捧げました。父は庭師でありながら空手の師範でもあり、根っからの職人気質。怒ると竹刀が飛んでくるような厳しい環境で育ちました。

 

実家はガチ(本気)の道場だったんですよ。空手の世界大会への出場者を毎年輩出するような道場で、空手に打ち込むために家族ごと引っ越してうちの道場に通うような人もいたくらい。今思えば、結果的にではありますが父は空手を通じて地域に貢献していたなと思います。

 

おかげさまで、私も高校時に全国大会で優勝(平成19年の内閣総理大臣杯で優勝、18年、19年の全国高等学校空手道選抜大会は準優勝)し、大学時には関東チャンピオンになれました。腹から大きな声を出せるようにもなりましたし、体幹が鍛えられていつも背筋が伸びているので、前向きな性格に見られることが多いですね。今の仕事でも、社員研修などで研修生が昼食後に眠くなってきたときはみなさんに空手で体を動かしてもらって、気合を入れ直します(笑)

 

Q そもそも、最初に教員になろうと思ったきっかけは?

 

教員になろうと思ったのは大学に進学する直前ですね。それまでは、空手で日本一になることしか頭になかったのですが、それを達成した途端に目標がなくなってしまった。

 

そんな時、空手を教えてくれた恩師に相談したところ、私の性格が教員に向いているのではないかと言ってくださったんです。そうして恩師の推薦で二松学舎大学(東京都千代田区)に決めました。この大学は国語と漢文、書道教員の養成を目的に設立されているので、大半の学生は卒業後国語の教員になります。大学の友人はほとんどが先生です。

 

また、中学高校といじめられっ子だったので、私は学校が大嫌いです。バイキン扱いされていたので、席替えしても隣の席の子は机をくっつけてくれません。ある日いじめっ子が「こいつのこと嫌いなやつ〜」とクラスのみんなに聞くと、クラス全員が手を上げました。その頃は私には価値がないと思って生きていましたし、ここで私が飛び降りたら、この子たちは後悔してくれるのかな、と頭をよぎりました。両親には「こんな恥ずかしい娘でごめんね」と何度も何度も心のなかで謝っていました。誰にも相談できませんでしたね。こんな私はいじめられて当然だと思っていたんです。だから私はわたしのような子を絶対に作りたくありません。

「あなたには価値がある」と伝えたいし、みんなの心の安全基地になりたい。安心して挑戦・失敗できる環境を整えたいし、何より自分が、生き方でそれを見せられる大人になりたい。だから教員になりました。

 

 

不良集う荒れた中学でリアル「ヤンクミ」に!

 

Q どんな教員生活を過ごされたのですか? 

 

公立の中学校の先生になりました。ちなみに専攻は国語です(教員免許としては高校の国語と書道、小学校免許も取得)。

教員採用試験での提出用紙の自己アピール欄に、「空手の全国チャンピオンです。どんな生徒が来ても、どんな親が来ても大丈夫です」といようなことを書いたからなのか、千葉県で一番荒れている(不良の多い)中学校に配属されたんです。毎日のように窓ガラスが割れる、金属バットを振り回す子、廊下に唾を吐いて歩く子、火のついたタバコを民家に投げてしまうのでトイレには鉄格子、元警察官が駐在…というような学校です。

筋骨隆々な男性教員の中、リアル「ヤンクミ」(学園ドラマ「ごくせん」に登場する不良が集う男子校の女性教師)として毎日非日常を過ごしました(笑)

 

Q そうした生徒たちとコミュニケーション図るのは大変だったのでは?

 

こんな環境でも、仕事は楽しかったです。どんなに反抗的でも、かわいいなあと思っていましたし、いつか変化の時が来ると信じていました。家庭訪問で色々な家庭を見て、生徒たちの置かれている環境を理解するうちに、愛着や幸福度、環境、習慣の大切さが分かるようなってきたんですよ。

 

その生徒たちが悪いわけでもないし、親が悪いわけでもない。その人達は自分の中の最善でその行動を選択しているし、複雑なことが絡み合ってこういう現実を作り出しているのが見えました。愛情はあるのに、自分の子どもとどうやって関わっていいのかが分からない親もいました。先生としてではなくて一人の人間として、やれること全部やろう。そう思って生徒たち、その親たちと接してきました。

 

その思いは、今でも変わっていません。しかし、できることや関われる人数には限りがあって歯がゆさも感じていました。担任として深く関われる生徒は約40人。その親を含めても、100~200人ほど。学校全体でもせいぜい1000~2000人です。もっと多くの人に、自分の価値を信じて、熱心に生きてほしい。幸せを感じて過ごしてもらいたい。自分はこの人生で何をしたいのか、どんな方向へ進むのか、色んな場所に自分を放り込んで実験してきたから見えてきたんだと思います。教員以外でも、そういうことに関われる仕事はないかと探していたところ、代表の島田に出会ったんです。

 

私の役職は「幸福度の管理人」

 

Q 島田さんとは富山で出会った?

 

そうです。ラッキーでしたね。島田とは富山県公式オンラインコミュニティT-Roomで出会いました。後日、島田と話す機会があり彼の半生を聞いて「ノブレス・オブリージュみたいな生き方をしているね」と伝えたことが、私が会社と関わるきっかけになりました。

「ノブレス・オブリージュ」とはフランスのことわざで、直訳すると「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」という意味なのですけど、島田の生き方は「自分は幸せものだから、還元する義務がある」だなと思ったんです。私もその思いに共感する部分が多くありました。

 

私の言葉がきっかけで、島田は社名を「ハピオブ」に変更することになり、私もそのタイミングで富山県初のCWO(チーフ・ウェルビーイング・オフィサー)としてジョインすることになりました。

ちなみに、ハピオブの「ハピ」はハピネス(幸せ)、「オブ」はオブリージュから由来しています。

 

Q 肩書である「CWO」とはどんな役割を担っているのですか?

 

チーフ・ウェルビーイング・オフィサーは、一言で表現するならば「幸福度の管理人」です。前向きな個人と、明日も来たいと思えるような組織をつくるのが私の役目です。社内に、幸福度を上げたり、幸福を感じるための仕組みを導入してもいい権限を持っています。

 

例えば、弊社に所属しているメンバーは、私と1on1(1対1で行う面談)を定期的にします。他には、週報などに幸福度を測るためのストレスチェックのようなものを導入したり、コミュニケーションが生まれる場を設計したり、エンゲージメントを測れる調査を取り入れるといったことをしています。

 

Q ハピオブの仕事を1年やってみて感じたことは?

 

私の幸福度もかなり上がりましたよ。例えば人間関係の面では、応援する、承認・称賛する、助ける、何もなくても関わりを持つ。そんな文化を作れたなと思います。教員時代に研究、実験してきたことは学校の外でもやはり使えるんだなと実感できて嬉しかったですね。

 

しかしハピオブにもまだまだ課題があって、それぞれが個で立つ社風なので、どうしても替えがきかず属人的になりやすい側面があります。それぞれに業務を遂行する上での「解」ができてしまっていて、会社としてはひとつにまとめる作業をしていかければいけないと思っています。何かを作るというときに、どちらの解に合わせるかという問題が出てくる。社員それぞれが明確に自分の意志を持っているところが当社の良いところですが、議論が白熱してなかなかまとまりません(笑)今は週1,2回、社員全員で顔を合わせようにしていますが、それでも足りないと感じています。

 

 

イキイキと働くために、大事なのは主体性

 

Q 業務を通して富山県内の企業風土をどのように感じますか

 

あえて、女性を代表して言わせていただくと、男尊女卑が根強いなと思うんですよね。そうしようと意図的にしているわけではなくても、古い文化がそのまま受け継がれていて構造的に女性が不利になってしまっていたり。出る杭は「打たれる」ではなくて、出る杭は「全員で褒め称える」くらいになるといいですよね。

 

また、これじゃ男性も辛いだろうなと感じる場面が多く見られます。老若男女みんなで協力して勝っていくしかない変化の激しい現代ですが、企業の中で「男とはこうあるべき」が変な方向に働くと、人を頼れなかったり、過度の期待を乗せられたり、本心をぎゅうぎゅうに押し込めてよろいを着ていたり。1on1でのカウンセリングを通して、男性の管理職の方々が誰にも話せずに悩んでいる現状を目の当たりにして、誰もがもっと仕事を楽しめる仕組みが必要だなと感じました。

 

Q 仕事を楽しんでいるように見えます。仕事する上で大切にしていることはなんですか

 

「仕事を楽しむ」って色々な楽しみ方があると思うのですが、私が大事にしているのは〝主体性〟です。自分でやろう!これをやりたい!と自ら動いて形になるから、楽しいって思うわけじゃないですか。

でも、その主体性を持つために、”やったことないけど自分ならできるかもしれない”という根拠なき自信みたいなものをまずつけないと新しいことを始められないですよね。

 

となったときに、どうやって自信をつけるのかというと、私なりに得た解はありきたりですが「小さな成功体験を積み上げること」しかないと思っています。自分が自分を信じられなかったら、一歩踏み出す勇気なんて湧きませんよね。でね、その小さな成功体験って、自分で決めたことをやらなきゃいけないんですよ。

例えば、朝早く起きたいと思っている人が、たまたま夜早く寝て、朝5時に起きられたとしても、それは全く成功体験にならないし、自信にもならない。そうではなくて、「朝5時に起きる!」と目標をはっきり決めて、その通りできて初めて自信になる。

失敗できっこないほど小さなことからはじめて、成功体験を積み重ねていけば、徐々に重いものも持てるようになるんですよね。

また、主体性に不可欠なのは「決めること」ですかね。自分でこれをやる!と決めて、人生の舵は自分で握って「我が人生に悔いなし」と死んでいく人が一人でも増えたらいいなと思うんです。いきなりは難しくても、人間は習慣の生き物ですから、”自分はこういう人間だ”という思い込みを捨てて、なりたい自分として毎日振る舞っていたらいつしかそうなっていきますよね。

こんなに偉そうなことを言っていますが、私は本当に怠け者なのでこういうことをみんなに言って、カッコつけて、どうにか帳尻を合わせています。私もまだまだ道半ば、修行の身です。


 

Q 仕事で〝幸せ〟を感じる瞬間ってどんなときですか?

 

例えばセミナーなどでは、私は知識をお伝えすることしかできません。その情報を受け取るかどうかもその人次第。そこから何かを得たり、気づいたりするのもその人次第です。私の仕事は、人や組織が自ら行動し始めたときに意味を持ちます。

 

ですから、行動した!変化があった!という報告を聞いたときが一番うれしいですね。それが私に言われてやらされたものではなくて、主体的なものだったならば尚更です。

 

例えばリーダーシップのある人に憧れるけれど自分はムリだと思っている人が、1回それを発揮できたら、次はもっと簡単に発揮できるようになるかもしれない。その一歩目を「実験♪」くらいの軽い気持ちでやってみてほしいんですよね。みなさんの「前向きな変化」のきっかけになれたら最高ですね。

 

 

色々なことに挑戦できる学校を作り&ハピオブをファーストコールカンパニーに

 

最近では、G7こどもサミットのファシリテーターをさせていただいたり、富山県庁の若手職員の方々の研修を担当させてもらっています。スマラボとやまという「働き方改革やDXに興味のある方」を対象とした企業間の横のつながりをつくる富山県公式のオンラインコミュニティを県から受託運営しており、現在50社ほどの富山県企業様にお集まりいただいています。

県企業様からは社内コミュニケーション改善や、マネージャー研修のご依頼が多いですね。個人では、家業の跡継ぎの方々をターゲットにした「ファミビズラジオ」というラジオのパーソナリティをしたり、専門学校の教員になったりと、様々な場所で用いていただき嬉しい限りです。一年で活動の幅が広がったので、今後はもっとたくさんの人のお役に立ちたいと思っています。


 

Q 今後の目標は

 

二つありまして、一つは学校作りに携わりたい思いはずっとあるんですよ。

 

私は学校は、〝安全に挑戦できる場所〟でなくてはならないと考えています。私たちが挑戦できる場を提供しない限り、子どもって多くのことを経験することができないんですよ。もちろんセーフティーネットを十分敷いたうえでの話です。

 

例えば、「たこわさ」を食べたことがない子どもは、食べることができなければ好きになれるかどうかも分からない。なので、私が作りたい学校では、子どもたちに色々な挑戦する機会を提供できたらいいなと思っていて、学校だけでなくさまざまな土地や環境に行けるような経験も組み込みたいですね。体験型の学習を通じていろんな自分を見つけて、仲間と助け合って、行動変容できるようなプログラムを提供していきたいです。2歳の息子がいるんですが、この子をどうしてもここに預けたい、と思えるような場所を作りたいですね。


 

Q もう一つは?

 

今のサービスに、もっと科学的な視点やテクノロジーの要素を加えることです。

今のサービスは届く人が限られてしまっているので、教員時代と同じような悩みを抱えています。もっと科学的なわかりやすさや、テクノロジーの力を借りれば、私達のサービスは広がっていくと考えています。そのためにも、私達の解を明示した代表的な商品を作りたいですね。

 

Q すでに商品づくりに着手しているのですか?

 

例えば、個人がどんな能力を持っていて、どんなところが得意なのか、どんな仕事、場所が適しているのか、どんなことがその人のやりがい、幸福度を上げるのかを把握するようなイメージのサーベイのような仕組みを作ろうと模索中です。

 

すでに色々なサーベイを提供する会社と手を組んでいて、ゼロから作り上げるというよりは、どのサーベイがその会社に適しているかを紹介したり、共同でもっと良い商品を作っていくのが弊社の立ち位置です。

 

教育の会社なので、人材育成やコミュニケーションの質を高める方法は常に模索しています。

 

人の可能性を信じたい、もっと社員に活躍してほしい、社員がイキイキと幸せに働く環境を作りたいと思ったら最初にハピオブを選んでもらえるような〝ファーストコールカンパニー〟になりたいですね。ご相談いただければCWOである私が超高速でかけつけますね!(笑)