「夢も作品もデカい!元漫画家で三児の母の異色アーティスト」

高見菜採さん イラストレーター

秋田で幼少期を過ごし、東京で漫画家になった後、流れ着いた富山でひょんなことからイラストレーターとして注目されるようになった高見菜採(なつみ)さん。3人の子どもを育てる傍ら、交流サイト(SNS)で投稿した作品が話題に。散歩で、飲み屋で、偶然出会った人との縁をきっかけにさまざまな作品を展開すれば、最近では成田空港の壁面に巨大なイラストを仕上げた。そんな〝力〟を生み出し、〝運〟を呼び込む源泉は何なのか。

 

 

美大中退し、漫画家デビュー

 

Q 富山に移住することになったきっかけは?

 

結婚ですね。主人が富山出身で。最初の子どもを新潟県で生んでから富山に移住して、かれこれ20年近くになります。

 

Q 富山に初めて来たときの印象は?

 

富山に降り立った瞬間に「好き」と感じましたね。富山の人の人間性が私の中でしっくりきたというか。噓のない、真面目な人というイメージ。自分自身がそんなに真面目な方ではないので、「なんて誠実な人たちなんだろう」という印象でした。富山は閉鎖的という人もいるけれど、私は全くそんな風に感じません。誠実さからくる〝おもてなし〟の精神を感じました。

 

景色も最高です。立山連峰を見るたびに感動しますね。ただ、最近は街中を歩いていると帰って来られなくなります。つい知っている店に入って、飲んでしまう(笑)。

 

Q 生まれ育ったのはどこですか?

 

生まれは東京で、父の仕事の関係で秋田県に引っ越して、小学生から高校生までの期間を秋田で過ごしました。住んでいたのは県東南部にある横手市という「かまくら」で有名なところです。ただ、富山よりも雪深く、通学は遭難しかけるくらい大変でした。

 

小さな頃から絵を描くのがとにかく好きで、わが家は夜7時には布団に入れさせられるような家だったんですけれど、絵が描きたくて真っ暗の布団の中で描いてたほどです。それで小さい時から目が悪くて、幼少期からずっと眼鏡をかけています。

 

高校卒業後は、何かしら絵を描く仕事をしたくて、東京の美術大学に進学したのですけれど、色々悩んだ末、中退してしまいました。周囲にすごい才能にあふれた人がたくさんいて、自分があまりにも凡人だと、怖気づいてしまったんですね。

 

Q 美大を中退した後は?

 

漫画に関する仕事をしました。一応、ほんの少し絵を描ける技術はあったので、それをどこかで生かせないかなと思って。

 

きっかけは、ある日、手元にあった少女漫画の雑誌を読んでいると、たまたま好きな先生がアシスタントを募集していると書いてあったんです。栗原まもる先生といって、少女漫画雑誌の表紙を飾るような有名な先生でした。その先生のアシスタント募集に応募して、与えられた絵の課題をクリアしたところ、採用されたという流れです。

 

「H」な漫画でデビュー!?

 

Q 漫画家としても活動したのですか?

 

そこでのアシスタント業務の経験を経て、漫画家としてデビューしました。もう20年以上も前ですね。20代前半から10年間ぐらいは描いていました。雑誌で4コマ漫画の連載を持ったこともありました。

 

あまりおおっぴらには言えませんが、当時はちょっとHな漫画がはやっていて…。ちょっとどころじゃなくて、少女漫画なのに大分過激なものもたくさんあったのですが、それが当たり前の風潮でした。私が描いていた4コマ漫画は、読者のカップルの体験談を常に募集して、こういう出来事がありました…みたいな話を面白おかしく描くというスタイルでした。

 

ただ、最初からHな漫画を描こうと思っていたわけではなく、編集部の方の提案に従った感じですね。当時は色々な絵柄を描いていたので、4コマ漫画でも描けるのではないかというお話を頂いて。

 

単行本も何冊かは出版されています。10年ほど前は古本屋に並んでいましたが、今はもうなかなか見つからないですね。一部はまだデジタルで読めますが、極身内にしかペンネームを教えていません。

 

漫画家諦め、子育て没頭

 

Q 最近は漫画を描いていないのですか?

 

結婚して、2番目の子どもが生まれてからは、漫画という形ではなく、ちょっとした挿絵を描いていたくらいですね。本当に子育てに没頭していたんですよ。漫画家を辞めた時点で絵を描くことも諦めちゃったというか…。趣味としても描いていなかったし、その時は何もする気はなかったですね。

 

ただ、はっきりと考えはしなかったのですけど、子育てが終わったときに何かしら作品を作ろうという、ぼんやりとしたイメージはあった気はします。

 

絵を描く機会は減りましたが、たまに幼児サークルや児童クラブで、大道具のように大きな作品を作ることはありましたね。何かイベントがあったりすると段ボールで大きなライオンやキリンなどの動物、絵本の中のキャラクターなんかも作ったりしました。よく、周りのお母さんたちから「以前に絵を描くような仕事をしていたの?」って聞かれることがありまして、「昔は漫画を描いていました」って返していました。

 

けれど、結局それが今の仕事につながったのだと思います。当時、その話を聞いていたお母さんたちが今もそれを覚えてくださっていて、それで色々な仕事のお話を頂けるようになり、イラストレーターとして再出発できたんですね。

 

 

インスタきっかけで成田空港に巨大アート!

 

Q 本格的にイラストレーターとして再出発したきっかけは?

 

今は19歳、16歳、15歳の三児の母です。子どもたちの年齢が詰まっていて、一気に一緒に大きくなったようなイメージです。育児もひと段落して時間ができたタイミングで、趣味でクラフト(手芸品)を作ったり、自宅の窓ガラスに水性ペンでイラストを描いたりしてました。それらを写真共有アプリの「インスタグラム」に投稿するようになったんです。それが6年ほど前です。

 

その投稿に少しずつ反応があって、それがとてもうれしかったんです。見てくれた人が「いいね」と言ってくれることが楽しかった。そうしているうちに、ダイレクトメール(DM)で仕事の依頼が舞い込むようになったんですね。それをきっかけに、「Nacchan501」のアーティスト名で作家活動を再開しました。

 

Q DMをきっかけに、一昨年(2021年)11月には成田空港の壁面に巨大なイラストを描いた

 

成田空港第三ターミナルビルの出発カウンター横の壁面一枚(縦3メートル、横10メートル)と、出入り口付近のガラス(縦2・9メートル、横3メートル)2枚にイラストを手がけさせていただきました。クリスマス限定のアートで、サンタクロースやトナカイなど、クリスマスにちなんだイラストです。

ただ、これがすごい過酷な作業だったんです。深夜の作業で、午後8時から午前4時までの4日間で描いてほしいという発注で。

終わった時には、千葉県警の皆さんと警察犬に囲まれて拍手されながら、達成感でいっぱいでした。

 

インスタにアップした大きな窓に描いたイラストを見たという(成田空港のクリスマスイベントの)担当会社の人が、たまたま見てくれていたことをきっかけに、こんなに大きな仕事をもらえるとは思いもしませんでした。SNSの発信力の大きさにも気づかされましたね。

 

偶然の出会いが仕事につながる

 

Q SNSから仕事が舞い込んでくる感じですか?

 

SNS以外にも、偶然の出会いから仕事につながることもあります。

大きな出会いがあったのが2019年。近所の中心市街地をウオーキングしているときに、ほとり座(富山市総曲輪にある映画館)の前で、「メランコリック」という映画を宣伝するために出演されていた皆川暢二さん、蒲池貴範さんという二人の俳優さんがいらっしゃって、話しかけたんですよね。お二人は映画宣伝のためにトゥクトゥクに乗って全国を回っていたのですが、そのトゥクトゥクを私がイラストにしてSNSに投稿したことがきっかけでつながりができて。その時に紹介していただいた広告代理店からお仕事をいただくようになりまして、広告代理店の方も、偶然にも私の漫画家時代の名字と同じということで話が盛り上がって…。今もずっとお仕事をいただいています。

 

Q そんな偶然があるのですね

 

街中をウオーキングしていると、色々な人に出合います。たまたまママ友だちがアルバイトをしていたカフェに寄ったら、そこのビルのオーナーさんがいらっしゃって、コーヒーを飲みながら会話する機会に恵まれたり。

 

話をしていると、近く取り壊す予定のビルを紹介してもらって。そこが廃屋のようで、むき出しの配管があったり、壁が剥がれていたり、新しいものにはない格好良さがあった。ここは何か面白いことに使えるのではないかと思って、先程の俳優さんに紹介してもらった広告代理店に相談したんですよね。

 

例えば、そのビルを使って俳優さんを招いて、一般の人がいる中、その場で急に映画撮影が始まるようなイベントとかできないかと提案しました。「あなたも映画の中に入りませんか?」みたいな触れ込みで企画をすると、広告代理店も興味を持ってくださって。

 

けれども、その後に新型コロナウイルスが蔓延して、その間はビルが使えなくなり、残念ながら実現できませんでした。実現したら想像を超える楽しいことになるのではないかと期待に胸を膨らませていただけに、とても残念でした。

その他にも、秋田の友人からの仕事依頼もあったりします。ラーメン屋の壁面に絵を描いて欲しいという依頼が来ていたり、塾のホームページのイメージイラストをデザインしたり。最近は、横手市の真っ白な「かまくら」に水玉とかの絵を描いたら面白いね、アートかまくらがあったら楽しいね、という話で友達と盛り上がりました。これも実現できたらとっても楽しそう!

 

 

夢は大きなアートな化学反応起こすビル!?

 

Q 将来、成し遂げたい目標は?

 

実は夢がありまして。3階建てくらいの良い物件があれば購入、もしくは借りることができたらなと思っているんです。そこで(アーティストが目の前で絵を描くなどのパフォーマンスができる)ライブペイントができる場所にしたい。

 

まず1階はアトリエ兼イベントスペースにして、私みたいに大きな絵を描きたい学生や、そういうことがやりたくてもやれないアーティストのための場所にしたいんです。音楽とお酒、アートを楽しめる場所にして、第1回目は、私が好きな食事を作る人とお酒を用意してくれる人を招いたイベントがしたいなと思っています。

 

2~3階は、友達に美容関係の方も多いので、エステができるスペースや、爪の装飾や手入れのできるネイルデザインなどもできるようなスペース、美容院としても使えるようなスペースにして、フリーの美容師さんやネイリストさん等々のアーティストが自由に出入りできるようにしたい。

建物ひとつに色々なジャンルのアートが常に入れ替わるようにして、次は何が入るんだろうっていうワクワク感のある建物が作れたらいいなと思っています。

 

Q 実現したら面白そうですね

 

それと、思い出しました。昨日また新たな出会いがありまして、お店でお酒を飲んでいて、隣に座っていたお客さんが気になって話しかけたら、富山市科学博物館(富山市西中野町)のプラネタリウムのリニューアルに携わっている方だったんですね。それを聞いてピンときて、プラネタリウムでできるような技術を使って、一般的な家庭や建物でアート的なことができないですかね…という話をしたんです。

そうしたら、「いや私たちが取り扱うのは何億円もするプラネタリウムの機械なので、家庭用は玩具メーカーから出ているものもありますので、そうしたものを探した方がよいかもしれません」って言われて。でも、何かあれば連絡してくださいということで、名刺はいただいたんですけれど。

 

隣に座ってる人と話をするだけで、何がひらめくか分かりませんね。ずうずうしいかもしれませんが(笑)、話しかけるといつも何かしら収穫がある気がします。

 

それと、もう一つの夢が、いつか子供たちと一緒に大型の作品を手がけたいです。可能ならば孫たちも一緒に。子どもたちは皆、絵描きの道を目指しているので、私も含めて全員揃って何かを作れば、それぞれの良さが集結した素晴らしい作品を生み出すことが出来るのではないかと、今からワクワクしています。

 

 

富山の若者をもっと活気づかせたい!

 

Q 最後に、富山がもっと魅力的な地域になるには、どんな変化が必要だと思いますか

 

富山はまだ保守的で、発信力が弱いとは感じています。ご年配の方が割と頭の固い方が沢山いらっしゃるイメージがあり、若い人たちがもっと活気づいてほしいとは思います。

 

ただ、やっぱり文化的に年功序列が残っていて、目上の人の話をしっかりと聞くことが根付いているような真面目なところがありますね。

特にアートの世界だと敷居が高くて手が出ないイメージがあると思うんですけれど、私がそんな敷居を取り払うような雰囲気を作るお手伝いが出来たらいいなとは思っています。若い人たちに絵を描く場所を提供したいですよね。

 

とはいえ、実は教えることが苦手なんですよ。(生徒たちと)一緒に絵を描いたりすることはできるんですけれど、指導はできません。自由でいいよと言って一緒に楽しむことはできても、ここをこうした方がいいよとか、こう描いたらいいという指導は一切できないだろうと思います。一緒に楽しむスタンスで、富山の若い人たちの背中をそっと押してあげることができたらいいなと思っています。