最勝寺

最勝寺は、1197年に創建された一休さんも訪れていた由緒ある禅寺。この禅寺で毎月行われる「食べる禅-行鉢-」という催しには県外からも参加者が訪れます。僧侶が実際に行う手順を略さず、かつ手軽に体験できることが注目され、近年はメディアでも取り上げられることが増えつつあります。「食べる禅-行鉢-」と聞くとどんなものかイメージが難しいものですが、食を通じ自分自身の心身や行いを省みる食事の修行は、忙しない日常生活から乖離した特別な時間を過ごすことができます。

 

■由緒ある禅寺のイメージを覆す前衛的なデザイン

 

まず驚いたのがモダンでアートな空間が広がるエントランスです。

ガラス戸からの明かりが清らかに入り込み、大小それぞれが違った向きで配置された白と黒の達磨がお出迎え。今回は達磨が迎えてくれましたが、こちらのしつらえは毎月変更されます。

目線を上に延ばすと平安末期作の弥勒仏が拝めます。

エントランス以外にも至るところにこだわりが感じられるしつらえは、和尚自らがデザインしています。そのこだわりが、座禅布団をルーツとしたクッション「ZAF」など、プロダクトにまで。伝統を残しつつも、新しさを求め、より良いものを追求していく様は、正に温故知新。

和尚はその言葉を随所に体現されているように感じます。

 

 

■「禅」は実際の生活の中で体感していくもの

 

和尚は親子関係では三代目にあたります。それまではずっと師弟関係の中で引き継がれてきた歴史があります。現代においてはただ信じ、拝む以外のアプローチも用いて、より多くの人に禅を広めることを使命に様々な活動を始めたそうです。

「食べる禅-行鉢-」以外にも、書き禅-写経-、ヨガ坐禅、楽器と読経のコラボ、ジャンベ禅、そうじ禅などその活動は多岐にわたります。

活動の意図には仏教の原点回帰の意味合いもあったと言われています。

曹洞宗はお釈迦様の行った坐禅を依りどころにしており、坐禅などの修行により心身の安らぎに気づきます。そういった道元禅師の教えは普遍性があり、どの時代、どの地域にも通用するものだと和尚は語ります。確かにその教えは誰もが実践しやすく、人や時代を選ばないところが魅力の一つであるように感じます。

そして和尚はそれを実際に行うことが重要だと捉えています。それを体感する機会を多くの人々につくりたい、そんな思いを抱きながら10年以上活動を続けてこられました。

 

■食事に専念する丁寧で贅沢な時間ごと味わう

 

禅と聞くと一般的には坐禅をイメージする方が多いと思いますが、元来、禅は静かで穏やかな状態を指す、つまり活き活きとした今、ここのことをいいます。曹洞宗に伝わる食事作法の行鉢は最初から最後まで細かく手順が決まっています。

応量器と呼ばれる器を使い、最勝寺では略さず行えることから、その体験価値を求め多くの人が集まります。

 

参加者は木魚や太鼓の音の中、中心の仏像を囲むように座蒲に座り、順番通りに応量器を並べ、目の前の料理を頂くことに専念します。高岡市で知られた蕎麦屋「そば 蕎文」の店主が作る、地元の食材を使った料理、丁寧な味付けは、日々の忙しなさでかさついた心が潤う優しい味。

「食べる禅-行鉢-」の時間は手順が決まっていて周りを気遣いながらになるからか、意外にも時間が経つのは早く感じます。合間に和尚が話す禅の教えに耳を傾けながら、「食べる」に集中する贅沢な時間ではまるで余分なものがそぎ落とされていくように感じます。

 

 

■様々な人々と「いただく」を共有する大切さ

 

今回の行鉢の参加者は約15名。初参加の方から、長年通いつめている常連の方、提供している米の生産者の方など様々な立場や年代の方が一堂に集い、食事を共にする一種の不思議さ。和尚はこの皆で丁寧に食事をすることが大切だと、コロナ禍で余計に感じたそうです。

オンラインでは感じにくい実際に体を動かして体験できることと、皆で丁寧に命を頂くことで人や自然とのつながりを感じられる良さがあります。

実際に初めての方とも共有する食事の一連の流れ、一体感は普段の生活では中々味わえないもので、行鉢が終わっても参加者は中々帰らずに持ち寄るお土産を囲んで団欒を楽しむ様子もありました。寺院独特の厳かな静けさと、人々が集い語らいあう暖かな雰囲気が満ちている、それが本来の禅寺としてあるべき姿なのかもしれません。

 

 

■不確かさを認め受け入れる先の「気づき」に希望を寄せて

 

和尚が語る中で一際興味深く感じたのは、「禅では不確かさ、曖昧さも大切にする」という話です。

あえて頭を空っぽにする、意識的に休めることは意識しないと行えないくらい、普段の生活では詰め込まれた時間や環境において雁字搦め(がんじがらめ)になっているように感じます。

沢山の思い込みや知識に囚われているからこそ心身が乱れてしまい、その乱れにさらに悩まされる…それはある意味人間のさがでもあります。

しかし、分からないことに豊かさや可能性があるという着眼点は目から鱗でした。

分かりたい、はっきりさせたい、の先にこそ前進があると感じていましたが、肩の力を抜いた時にこそ得られる景色があるのだと気づかされました。

そしてそれを受け止める土台を整えるために、禅を行うことがその先につながるのではないでしょうか。

和尚はいろんな形での禅を伝え間口を広めつつも、禅の深い奥行も同時に教えてくれます。禅を通して現代だからこそ感じてほしい健やかに生きるためのヒントが満ちている、それが最勝寺です。


 

 

最勝寺

 

〒939-8222富山県富山市蜷川377

TEL:076-429-1285

http://www.saishozen.com

行き方:富山駅から車で約15分