江戸時代に誕生した、富山を代表する胃腸薬「反魂丹」を製造販売している「池田屋安兵衛商店」。店舗は富山市の中心市街地で最も古い木造建築の一つです。
店舗の周辺を見渡しても、その風格漂う白壁土蔵造りは一際目を引くものがあります。
元々は和漢薬の販売をする薬問屋ですが、昨今ではそのレトロでフォトジェニックな風貌が人気となり、観光地としても注目を集めています。
■「越中富山の薬売り」が健在する老舗
1936年、初代の池田実氏が現在の場所に和漢薬種問屋として創業したのがこの店舗の始まりです。戦後まもなく、江戸時代に一世を風靡した「反魂丹(はんごんたん)」の製造販売を始めました。
現在も日本の伝統薬を中心に、和漢薬の販売を続けています。
店内は1992年に改装され、レトロでありながら開放的な造り。吹き抜けの店内では梁の存在感があるものの、天井が広いからか圧迫感を感じさせません。店内の壁にはいくつも立派な看板が掲げられており、それらを眺めながら店内を周ってみるのも面白いかもしれません。看板は実際に製薬会社で使われていたものを集めた、先代のコレクション。歴史を感じさせる品々がまたこの雰囲気に合っていて、写真を撮る手が止まらなくなりそうです。
店内の広々とした空間では、自社製の和漢薬や薬草茶が販売されています。池田屋安兵衛商店が得意とするのは、和漢薬で作る丸薬です。富山を代表する和漢薬の反魂丹や葛根湯、オリジナル和漢茶の「おらっ茶」などが主要製品。その他にもレトロなイラストが描かれた他社製の薬も並び、見ているだけで楽しくなるラインナップに思わず手が伸びてしまいます。
■富山の代表薬である、反魂丹の歴史
池田屋安兵衛商店でも一番の人気商品は、何と言っても反魂丹です。その歴史は古く、江戸時代の中期にまで遡ります。
富山藩の2代目藩主・前田正甫公は、元々腹痛持ちでした。そんな正甫は、当時正甫に仕えていた日比野小兵衛から貰った反魂丹で症状が改善したことから、備前の医師・万代常閑(まんだいじょうかん)から製法を伝授され、城下の薬種商・松井屋源右衛門に命じて製造を始めました。
正甫公は城内で薬草販売や調剤を行うほど薬草研究に熱心で、製薬を藩の主力産業にしようと奨励していました。以来、藩の厳しい統制の下、原料の品質や効き目の確かさで全国に富山藩独自の国産として反魂丹の名が知られるようになりました。
富山の薬売りは、置き薬(先用後利)という独特の販売方式を構築し、全国津々浦々、薬を届けましたが、明治政府による西洋医学の導入により、日本の伝統薬の多くが廃止に追い込まれました。
かつては富山を代表する妙薬として名を馳せ、各店で製造していましたが、現在では同店以外ではほぼ手に入らない幻の薬となっているそうです。
池田屋安兵衛商店は新しい形の和漢薬として反魂丹を復活させ、現代の人々にその魅力を伝えています。
■昔ながらの座売りで一人ひとりにあった商品を処方
和漢薬は、症状のほか、その方の体力や体質などに合わせて処方されます。その方に本当に合った薬を提供するためにも、しっかり向き合い、じっくり話を聞くことを大切にされています。
処方されるのももちろん和漢薬で、植物の皮や枝、根、葉、動物の内臓などを原料とする生薬を、症状に応じて調剤してくれます。
体に不調を感じている方や病院では中々改善の兆しが見られない方は、相談してみると、違った角度から解決方法が見られるかもしれません。
■丸薬製造機で薬の製造を見学
また、希望者は、かつての丸薬製造機を使った薬の製造を無料で体験できます。
実際に丸薬製造に使われていた原料を使用して作りますが、原料の搾り出しや綺麗に並べる作業など、一部の工程は職人の方が進めてくれ、難しいと言われている調剤作業の一部を気軽に体験できる構成となっております。
■一般的な薬問屋とは言い難い、エンターテイメント性の高さが魅力
薬を取り扱っていると聞くと、どこか堅苦しいイメージを持たれがちですが、池田屋安兵衛商店では薬を中心に複合的な楽しみ方ができる娯楽性の高さが魅力の一つとして挙げられるのではいでしょうか。フォトジェニックというだけではなく、見ていて飽きない豊富な薬や製造体験、お客様に丁寧に向き合う座売り、2階にはレストランもあり、食の面からも健康をサポートしています。
多様な楽しみ方ができますが、そのテーマは昔から一貫しています。
染め抜かれた角三の屋号は、「信用」「伝統」「研鑽」の三つを極めよ―という家訓を表すもの。富山の薬売りの精神を現代でも伝え続けていくという誠実な思いを、実際に店舗で体感していただきたいです。
●所在地:富山県富山市堤町通り1-3-5
●富山駅から路面電車で約9分乗車。「西町」で下車し、徒歩2分。