元プリンセスチューリップが地元情報発信オタクに至ったワケとは
徳田琴絵さん 「富山オタクことちゃん」名乗るフリーライター元プリンセスチューリップが地元情報発信オタクに至ったワケとは
徳田琴絵さん 「富山オタクことちゃん」名乗るフリーライター富山の魅力を発信するフリーライターとして活動する徳田琴絵さん。現在は「富山オタクことちゃん」と名乗り、トレードマークのメガネ姿で県内を駆け巡り、独自の取材スタイルで情報を収集。交流サイト(SNS)やイベントなどを通し、県内外、老若男女、幅広い人を巻き込んで伝えている。以前は医療事務に従事していたという彼女。何がきっかけでオタクの境地に至ったのか。真相を聞いてみた。
Q 富山オタクと名乗り始めた経緯は?
私は生まれも育ちもずっと富山県で、メチャメチャ富山のことが大好きなんですよ。
「なんでそんなに富山が好きなの」ってよく聞かれるのですけど、もともと学生時代は「富山はなにもなくてつまらない」と思っていました。私は以前、砺波市の観光大使「プリンセスチューリップ」として活動したことがありました。その任期1年の間に、自分なりに富山の情報を取りに行き、自分の言葉にかみ砕いて地域の魅力を県内外の方々に発信することに取り組んできました。それからは「なにもない富山」が180度変わって「なんでもある富山」に見えるようになりました。
プリンセスチューリップを卒業後、趣味で始めた富山の街歩きを通して新たな発見もたくさんありました。私は、富山のことを知らなかっただけだったのです。私の特に好きな富山の工芸分野の奥深さや、富山で頑張る人々との触れ合いの中でさらに富山が大好きになりました。
気がついたら、自分でSNSやインターネットから富山の情報を24時間集めているような状態になっていました。富山のことを四六時中考えている生活がスタンダードになっていき、「これってオタクみたいだな」と思って富山オタクと名乗るようになりました。
Q プリンセスチューリップに就任したことで、富山の魅力を再発見できた?
21歳の頃に砺波市の観光大使プリンセスチューリップに就任しました。大使としてのふるまいや観光PRの仕方などを学ぶ中で、砺波市内だけでも豊富な観光資源があることを知りました。
砺波市にはチューリップだけでなく、コスモスウォッチングなど四季を通した花のイベントがあることもその際に知ったくらい(笑)。実際にイベントに足を運んでみると、コスモスもチューリップに負けないくらい本当にきれいで驚きました。今は(写真共有アプリの)インスタグラムが普及して〝映える〟スポットが知られるようになってきましたけど、当時はそこまで普及していなかったので、新鮮な驚きでしたね。
Q そもそもプリンセスチューリップに就任したきっかけは?
私が学生のときに恩師が観光大使をおすすめしてくれました。
学校を卒業後、病院に勤めて1年がたったときに、毎日同じ業務の繰り返しの日々に少し手持ち無沙汰になって。そのときにふとその恩師の言葉を思い出して、ちょうどプリンセスチューリップを募集するCMを見て応募を決めました。
医療事務の仕事の傍ら、月に2~3回観光大使としてイベントなどに出ました。ゴールデンウイークに行われるとなみチューリップフェアには、県内外や国外から約30万人ものお客さまが砺波に足を運んでくださいます。観光大使として砺波の魅力を、期間中毎日のように精いっぱい伝え続けました。貴重な経験でした。周りの皆さんのご協力もあって、今でいう(2つ以上の仕事に並行して携わる)パラレルワークのような体験をさせていただいていましたね。
Q 医療事務の仕事は辞められたのですか?
医療現場に7年間携わっていました。途中、スキルアップを考えて診療情報管理士という資格(電子カルテのデータを高度化して、国のビックデータに変換するような作業ができる資格)を一生懸命勉強して取得したこともありました。転職に失敗した経験を機に、本当に自分がやりたいこと、好きなことを仕事にしてみたいと思いました。もっと生き生きと働ける毎日があるのではないかなと。失敗して本当に困ったときはまた勉強し直して、医療業界に戻るということも考えられるかなと思ったので、今しかできないことをやりたいという考えになりました。
Q その後は?
医療現場を辞めた後、この先はどうしようかなと考えていたときに、ご縁があってSNSで情報を発信するお仕事を期間限定で携わらせていただきました。SNSの運用は初めてだったのですが、やりがいもあって楽しく、情報発信の大切に気づきましたね。
今、趣味で「#トヤマビト」という富山で活躍する〝人〟にスポットを当てた取材記事を連載しています。富山で頑張っている人に会いに行って、話を聞いてみたいと考えて始めました。インタビューを通しての学びを、自分だけではなくみんなにも知ってもらいたいと思ってWEBマガジンとしてまとめています。「#トヤマビト」の取材では、自分の思いをカタチにして輝いている人との対話に毎回ワクワクします。記事を見てくれた人たちにも、新しい気づきにつながるといいなと思っています。
この「#トヤマビト」を見てくれた友人から、「富山を盛り上げる仕事を一緒にやりませんか」と声をかけてもらって、2020年12月に富山市内に新たにオープンしたHATCH(ハッチ)という(起業や新事業の創出を支援する)インキュベーション施設でコミュニケーターとして活動することにつながりました。
Q ハッチとはどのような施設ですか?
富山市の中心市街地、中央通りと呼ばれる商店街にある街中のインキュベーション施設です。起業などの新しいチャレンジをサポートする施設であり、共有型のオープンスペースとして利用できるコワーキング施設でもあります。時間単位で利用できるドロップインも始めています。
会員制で、利用者は学生から50代と年齢層も幅広く、学生インターンや起業の準備をしてる人もいれば、フルリモートで会社員として働いている人もいて、多様なみなさんが集まります。ドロップインの利用は県外の方も多く、全国のすてきな人たちとのつながりも増えてきました。
会員同士も仲良く和気あいあいとしています。お互いに刺激し合えるような場所になっています。
Q 徳田さんはハッチではどのような役割を担っているのですか?
ハッチは日本海ガス絆ホールディングスグループ傘下の日本海ラボが、富山のビジネスチャレンジの文化を盛り上げる拠点として作った施設です。起業支援のほか、ビジネスコンテストの開催など、志を同じくする人たちの出会いの拠点となっています。
私はコミュニケーターとして、ハッチにほぼ常駐しています。会員さんの困りごとのサポートや利用者同士のコミュニケーションを円滑に図ることを心がけています。ハッチで月に2~3回開催しているイベントの企画にも携わっています。
富山の魅力発信の場でもありたいと思っているので、私がやりたい富山の情報発信の企画を開催することもあります。ハッチは人と人とがつながり、自然と情報が集まる場所になっている感覚があります。
Q 富山の魅力を伝えるには何が重要ですか?
富山に来てくださった人を、富山に住むひとりひとりがアテンドできるって、ものすごく理想だと思います。「富山なんもないちゃ」(富山弁で「なんもないちゃ」は「何もない」の意味)ではもったいないです。自分ひとりがすべてを網羅できなくても、餅は餅屋で、分野ごとに詳しい人につなげられることができるって、本当に大事なことだと思います。誰がどんなことで頑張っているのかを知っていたり、つながりがあったりすると富山をもっと楽しくアテンドできるんじゃないかなと思っています。
だから、自分たちの住む地域に関心を持って行動できる、シビックプライド(都市に対する市民の誇り)のある人たちが増えると最高ですよね。富山だからできるおもてなしを通して、富山ファンはどんどん増えると思います。
Q 富山の魅力をどのように発信していきたいですか?
「#トヤマビト」は最初、富山県内に住んでる人のシビックプライドにつながるといいなと思って書き始めたんです。「こんな活動してる人がいるなんて、知らなかったです。富山も面白いですね!」とコメントをもらうこともありました。富山の面白さが、見てくれた人に届いたらうれしいですね。また、私のSNSでの富山の日常を楽しむ発信を見て、最近は県外からのコンタクトも増えてきました。県内外問わず、「富山には何があるんだろう」と思っている人たちに、何か力になれたらいいなと思っています。富山を面白いと思えるひとつの窓口になりたいですね。いたるところに富山ファンを増やしたいです。そのために、書くこと・話すこと・つなぐことといった、自分のできることを最大限に活用して富山の魅力を伝え続けていきます。
Q 独立して不安なことはありませんか?
多分、私も転職の失敗がなければ、ずっと安定した職業選び続けていたと思います。私の周りの環境がそうだったので個人的な見解ですが、安定した職業を選ぶ人が多いのかなと感じています。地元の同級生には、私の活動に共感できる仲間は少ないです。むしろ心配されます(笑)。
けれど、今は自分の本当にやりたいことで生き生きと毎日楽しく過ごせていると感じています。私の活動を見て元気をもらえているという言葉をいただけたときは、とても幸せです!
Q 後悔はないと?
今の生き方にまったく後悔はないですし、むしろめちゃめちゃ楽しんでます。地方特有の狭いコミュニティー故の、すぐ何もかもがわかってしまって息苦しくなるようなマイナス面を嫌がる人もいるのですけど、私は逆にそれがすごい心地良いというか…。むしろ温かいと感じます。結局富山の人が好きなんですよ、すごく。
自分が困ったときには、みんながアイデアやヒントをくれて、手を差し伸べてくれます。そういう温かさが富山の人たちにあります。いろいろな人に出会わないと分からなかったことではありますが。以前の私のように、職場と自宅の往復だけの毎日では、気づかなかったと思います。
多様な人たちが出会う機会をどんどん増やしたいと思っています。人との出会いが次のアクションにつながることを自分も体感しているので、そういった輪を広げていきたいです。
Q とはいえ、富山を出て生活したいと考えたこともあったのでは?
もちろんありましたが、勇気がなかったんです。安定志向だし、臆病な性格でした。服が好きで、ファッション雑誌を見てこんな服を着たいと思っても富山では着られないし、そもそも売ってもないし、東京に憧れを抱いていた時期は正直ありました。
でも、今は富山から出て暮らすことはきっとないんだろうなと思っています。私は今、毎日自宅からハッチまで1時間ぐらいかけて通勤してるんですけれど、全然苦じゃないんですよね。
というのは、やっぱり空が広くて景色がとてもきれいだから。移動に窮屈さを全く感じなくて、当たり前のように美しい景色が目の前にパノラマで楽しめる毎日が当たり前にあるというのは、ライターの仕事をする上でもありがたいと思っています。富山はゆったりと余白があって、創造性をかきたてられる環境だと強く感じています。