話し手であり動画クリエイター、地元富山にこだわるマルチ表現者

青木栄美子さん フリーアナウンサー

NHK富山放送局や金沢放送局、富山テレビでアナウンサーとして活躍し、昨年春にフリーアナウンサーに転身した青木栄美子さん。アナウンス力やトーク力だけでなく、地方局ならではの現場で培った取材力や映像の編集力を生かし、動画クリエイターや司会業、ナレーターなど活動の幅を広げている。マルチに仕事をこなす若き表現者に独立や富山で働くこと決めた理由を聞いた。

 

「県外に出て、やはり地元がいいなと再認識できた」

 

Q 生い立ちについて教えてください

生まれは氷見です。漁港の近く、海沿いにある民宿が実家でして。海の香りがする所で生まれ育ち、高校も地元で大学も富山県内でした。ずっと地元でアナウンサーになりたくて、ちょうど大学4年生時の12月ぐらいにNHK富山放送局に内定をいただいて。そこで4年間働いた後は、NHK金沢放送局で1年間働きました。

金沢放送局で働くことになり1度県外に出て生活したのですけど、やはり地元がいいなと感じて、金沢放送局を辞めるタイミングで富山テレビの経験者採用があったので受けてみたんです。ちょうど富山テレビが県出身のアナウンサーで経験者が欲しいということもあり採用されました。富山テレビではアナウンス業務だけではなく、報道記者との兼務の時期が長かったので大変でしたね。でも、ものすごくいい経験になりました。

 

Q 金沢から富山に戻りたいと思った理由は?

最初は伝える対象が富山県内の人かそうでないかの違いは、アナウンス業務をこなすうえではそんなに関係ないだろうと思っていたんです。私自身はアナウンサーをやりたくて放送局に入ったと思っていたのですけど、県外に出たときに、やはり自分の大事な家族や友達、知っている方々、お世話になった方々に伝えたいという気持ちが私の中にすごくあったんだなと再認識して。やりがいという部分で富山の方がいいなと思って戻ったんです。

 

Q いつ頃からアナウンサーになりたいと思ったのですか?

遡ると、小学校のときに「セブンティーン」っていう女子中高生向けの雑誌のモデルになりたいと思ったんです。田舎で暮らしていたのもあってキラキラした世界に憧れて、自分でモデルに応募したんです。

その頃から色々なオーディションに応募するようになって、たまたま選考で引っかかって東京にオーディション行ったんですが、その会場で自分の横に並んだ女の子を見て現実を知りましたね。お人形さんみたいにきれいでかわいい人って本当にいるんだと思っていたら、やはり落ちちゃって…。

それでも納得いかなかったんですね。幼少期に「かわいい、かわいい」と言われて育ってきたもんだから(笑)。なんで私が落ちたんだろうと。何となく分かってはいるんですけど。

そこで、ビジュアルが私ぐらいのレベルの女の子だったら履いて捨てるほどいるというようなことをはっきり言われて、何か一芸を身につけないと、人前に出る仕事できないんだなっていうことをその時に学びましたね。

 

Q 小学生時にそんなことに気づいたのですか?

気づいたのは中学生くらいだったと思うのですけど、はっきり言ってもらって何となく腑に落ちたんですよ。それで何か勉強しないといけないなと。

高校生くらいのときに、ご縁があって富山のローカルタレント事務所に入れていただいたんですね。そのときに事務所に所属していたのが、毛利未央さんや豊田麻衣さんといった地元テレビでアナウンサーやお天気お姉さんとして活躍されていた先輩方で、すごくキラキラしていて。その人たちに憧れて、「私もこんな風になりたい」と思ったのがアナウンサーを目指したきっかけです。それからはアナウンスのトレーニングのスクールに通って、言葉の表現についてすごく勉強しました。

 

「地元の人に知ってもらうことにやりがいを感じた」

 

Q キー局ではなくローカル局を目指した理由は?

当時は世間知らずで、大学卒業したタイミングで県外や都会にあまり魅力を感じていませんでした。けれども、アナウンサーとして働きだすと、東京などのキー局で活躍しているアナウンサーは話し方もうまくて取材力もあり、こんなふうになりたいと思った時期は正直ありました。

それで一度、県外に出てみようと思って。NHK金沢放送局を受けたタイミングで東京の事務所も受けたりもしました。結果的には金沢放送局で働くことになりましたが、金沢で、自分にとってのやりがいは「東京のような大きな都市で働くこと」ではないと感じられるようになりました。その土地の地元の方のお話を聞いたり、頑張ってる人を取材したりして、その内容を地元の人に知って知ってもらうことにやりがいを感じられるようになってきて。自分が話し手として表に出たいのではなくて、より伝える仕事にやりがいを感じられるようになっていったというか。純粋に伝え手としての仕事が楽しいなと思っていましたね。

Q富山の民放のアナウンサーとして地元に戻ってきて、どのようなことを感じましたか?

1日に何件も取材をこなして、毎日夕方の放送に向かって走り続ける生活。本当に忙しかったんですけど、色々な人と出合えることがすごく楽しくて。例えば取材で、普段なかなか見られないものを見ることができたり、なかなか聞くことのできない話を聞くとすごく満たされるものがありましたね。その中で富山の良いところを感じて、「こんないいところがあるじゃん」って、やはり地元で仕事ができてよかったなと納得もあり、充実もしていました。そういう意味で富山テレビでは色々な経験をできた4年間だったと思います。

 

Q 仕事の中に遊びに近いものがあった?

ありました。多分、ずっとパソコンの前に座っての仕事だと外に出たいとかあったと思うのですけど、楽しいことを取材することも多かった。季節ごとに旬な料理を食べたり、漁師さんと一緒に船に乗ったり、滝に打たれたりとか…。私が楽しそうにしていることで、ここに行ってみたいなと思ってもらえるように伝えることが大事で、ある意味で楽しむことが仕事だったりしますね。

 

「立ち止まると忘れられるんじゃないかという不安が強かった」

 

Q 現在は独立して、フリーアナウンサーとして県内を中心に活動をしているのですか?

現在は独立して、フリーアナウンサーとして県内を中心に活動をしているんですね?

アナウンサーとして働いて10年目となる2021年4月に独立して、現在はフリーアナウンサー以外にも、動画クリエイターやCMナレーション、司会業など色々な仕事をやっているので肩書もたくさんあります。動画制作するための編集スキルは富山テレビで勤務していた頃に身につきました。当時は本当に大変だなと思っていたことが今、気づいたら仕事になっていて、それでご飯を食べてるという。自分のYouTubeチャンネル(「富山がいっぱい!えみちゃんねる」)も開設して、富山の話題を中心に動画を出しています。

 

Q フリーとして活動しようと思ったきっかけは?

ずっと女子アナの定年については意識していましたね。よく35歳が定年といわれており、それまでに自分の次のステップをどうするのかを考えなければけないなと。ずっと前線で出演できるような仕事ができるわけではなくて、どんどん若いアナウンサーも下から入ってくると、価値が薄れていくという意味で…。手に職を持たないといけないなとずっと思っていて、ちょうどそのタイミングでした。

私の担当していたアナウンサー職は1年ごとの契約で、毎年次のステップについては考えなければいけない。アナウンサー業務を続けていく中で考えたのが動画制作の仕事ですね。司会などの話す仕事もずっとやりたかったんですけど、新型コロナウイルスの感染拡大でイベントが軒並みなくなり、司会業もなくなって。一瞬、実家の民宿を継ぐことも考えたんですけど、コロナ禍ではありえなかったですね。

動画制作を始めようと思ったのは、放送媒体がインターネット中心に変わっていくのを感じていたからです。富山がまだこれからだなというのを実感する中で、自分で動画を作ってネットに出している人が少なかったので、それでやっていこうと思いました。

何か自分のスキルで地元の人に喜んでもらえる仕事として、ネットでの動画制作はライバルも少ないので何とか仕事になるのではないかと思って始めたところはあります。テレビ局で制作していたような高いクオリティーで動画を提供することで、喜んでもらえるんじゃないかなと。

 

Q 独立への不安はありませんでしたか?

ありました。独立するときに「青木さん、それでやっていけるの?」みたいなことは結構、色々な方から言われました。富山の県民性もあるんですかね。前例がないことをやる人に対しての心配というか…。

しばらく休んで、ゆっくりしようかなとも考えたのですけれど、立ち止まると忘れられるんじゃないかという不安の方が強かった。「青木さんどうなったんだっけ?最近見ないね」みたいなことになるのではないかと。なので、毎日色々な人に会って、独立することを伝えながら、相談もしたりと動き回りましたね。

SNSや動画制作でやっていけるだろうと思っていても、コロナ禍で仕事をもらえるのかという不安もありました。初めてのお客様からしたら、私に動画制作の仕事をお願いしづらいじゃないですか。ディレクターでもカメラマンでもない元アナウンサーに動画制作の仕事を頼めるかという…。やはり、最初はなかなか厳しかったですね。

でも、だんだんとYouTubeなどで動画制作のクオリティーも周知されていく中で、「青木さんこんな感じで動画を作ってくれるんだ」って認知も広がって、仕事も徐々に頂けるようになりました。

 

アナウンサー経験生かし、伝えたいことの正確さや情報量で差別化できる

 

Q 元アナウンサーが動画制作も行うというのは、富山にはなかなかないロールモデルですね

当初は番組制作会社がこうした領域に出てくるかと思っていたんですけど、今は個人で動画制作をされるクリエイターが増えていて、そことどのように差別化していくかが課題になっていますね。

私自身はクオリティーを意識しています。同じ動画でもリポートやナレーション経験のある自分が情報をわかりやすく、たくさん詰め込んでお伝えできることが自分の制作する動画の強みだと思っています。なので、そうした伝えたいことの正確さや情報量で差別化できることをYouTubeでも意識して配信しています。これは「こんな動画を作れます」というPR、サンプル的な意味も込めて配信しているんです。

 

Q どんなYouTubeチャンネルなのですか?

チャンネル名の「えみちゃんねる」は、知人数人が「『えみちゃんねる』がよくない?」と提案したのをそのままネーミングしたのですが…。なんのことはなく、上沼恵美子さんの看板番組「怪傑えみちゃんねる」のインスピレーションからだったんですよね(笑)。

登録者数は21年9月現在で1300人くらい(22年8月現在、約2000人へ増加)。ゆくゆくは登録者数5万人の達成が目標です。再生回数は一番多かったのは約3万回。それは地元のローカルタレントと一緒に山奥の温泉に行くっていう動画で、温泉の入浴シーンがあったから(笑)。

YouTubeの広告などが収入になればうれしいのですけど、特に(動画配信を中心とした)YouTuberになろうとは思っていなくて、あくまで動画制作の仕事のためのツールです。SNSなどのアカウントを持っているけどフォロワー数が少なくて情報の出し所がない企業に向けて、私がYouTubeチャンネルから情報を発信することで役に立てるのではないかとも思っています。もっと役に立つためにも、私のチャンネルの登録者を増やさないといけないのですが…。

 

Q 独立して富山への見方は変わりましたか?

変わりました。YouTubeで動画を発信する際は、富山の方だけでなく全国の方も見ることを考え、〝富山らしさ〟を意識して発信するようになりました。

富山って田舎くささが良くも悪くもあると思うのですけど、それがいいなと思ってくれる人もたくさんいる。なので、あえて富山弁を使って話をしたりしています。視聴者数は富山県民だけだと最大でも100万人。でも、全国を視聴対象にすると、もっと多くの人に見てもらえる。富山にはいいものがたくさんあるのに、富山の人はあまりPRがうまくないように感じています。そういう意味でも、動画制作や情報配信を通して、何か富山の役に立てればいいなとは思っています。

 

Q 富山はPR下手とずっと言われていますね

取材に行くと、自分たちがやっていることについて「大したことない」と言っている人が意外に多いのですが、県外からすると「すごい!」と感じてもらえることがたくさんあります。富山県民自身が自分たちのすごさに気づいてない。情報の発信の仕方を工夫すれば、色々な人に感動を与えられるのではないかと思います。

今はSNSなどが発達して、誰でも自由に媒体を持って発信できる時代になったのですけど、富山はそこへの対応も遅れている。(写真共有アプリの)インスタグラムのアカウント保有率が富山は日本一なのに情報をうまく発信できていない。SNSやネットの活用がもっとうまくなれば、予算かけずにもっと情報を発信できるはずで、そこにもっと入り込めたらいいなと思っています。

 

地域の良さが残る一方で、意識変化の遅れが女性を働きにくくしている

 

Q 富山への不満はありますか?

会社を離れるタイミングで「結婚するの?」ってすごい色々な所で聞かれました。こういう意識の変化が遅れているところですかね。時代の変化に合わせて意識は変わってくるじゃないですか。富山は時代の移り変わりにちょっと鈍感なところがあるなって思っていて、そういう意識がだんだん変わっていけばいいとは思います。

やはり、社会に出て色々なことをしていく上で、女性にとってちょっとやりづらいなという感覚は少なからずあります。都会に行くと今は女性も働く時代だよねとか、選択肢が増えたよねという意識はなんとなくあるけれど、富山はそうした意識の変化の波が遅いと感じます。地域の良さがたくさん残っている一方で、こうした意識変化の遅れが、富山での女性の働きづらさを招いているのではないですかね。

 

Q 富山に戻ってくるのを迷っている女性にメッセージを送るならば、どのような声をかけますか?

いろいろな方に富山の良さを感じてもらいたいです。県外で暮らしている富山出身者に無理に戻ってきてもらいたいというよりは、県外に出ていった方々の富山への往来が活発になってくれたらうれしいですね。

まずは今の富山のよさを多くの人に知ってもらうためにも、足を運んでもらうように仕掛けることが大切だと思います。富山のような田舎臭さが好きな人もいれば、合わないという人も当然います。悪く言えば閉鎖的、よく言えば仲間に入ってしまうとすごい仲間意識が強いところが富山らしいところでもありますので、そうした実態も含めて理解してもらうえるようにしたいですね。