富山ママの不満・不満を払拭 幸福度の高め方教えます
土肥恵里奈さん mamasky(ママスキー)代表富山ママの不満・不満を払拭 幸福度の高め方教えます
土肥恵里奈さん mamasky(ママスキー)代表富山の未就学児ママのための情報サイト「mamasky(ママスキー)」を運営する土肥恵里奈さん。「ママを楽しく、おもしろく、ジブンらしく。」を理念に起業し、子育てママ向けの商品やサービスのプロモーションから女性の雇用促進まで幅広く事業を展開しています。親子向けイベントを開けば1万人近くを集める富山ママから絶大な支持を受ける土肥さんに、〝不満も含めたママ目線〟で富山での生き方を語ってもらいました。
Q ママスキーを立ち上げる前はどのような仕事をしていましたか?
富山のフリー情報誌を作る会社で営業や広告を作る仕事に8年間ほど携わっていました。その前は求人誌を作る会社で働いていて、転職を3~4回ほど経験しましたね。
でも当時は仕事あんまり好きじゃなかったんですよ。子どもの頃の将来の夢は花嫁で、玉の輿に乗りたいって思っていました(笑)。23歳までには結婚したい思いが中学生からずっとありました。
ところが、富山の情報誌を作りだしてから「ちょっと仕事が面白いかも」と感じてきて、一転して仕事人間になっちゃいましたね。
Q 結婚したのはどのようなタイミングでしたか?
ちょうど仕事が面白くなりだす少し前に今の夫と知り合って、交際が始まって半年ぐらいでプロポーズされたのですが、そのときは仕事が楽しくて断ったんです。でも、再度アプローチされて、「じゃあ結婚しようか」という軽いノリのような感じで…。25歳のときですね。それで26歳で子供を産んでいます。
ただ、このまま主婦になり、「どこのスーパーの野菜が安いか」ということを考えるような所帯じみたお母さんになっていくのがすごく嫌だった。それから、「結婚してからもワクワク、ドキドキ生きるにはどうしたらいいのだろう」と考え始めました。
Q どのようなことを考えたのですか?
妊娠中やママになることへの悩みや不安、相談事など誰と共有したらいいか分かりませんでした。こうした不安に対応するために何かできないかと考え出したのが育休中だったんですね。
ちょうど、周囲の友達も出産ラッシュで、私が情報誌で働いていることもあり、「子供と行ける飲食店の情報を教えてほしい」「おむつ交換やママ会できるお店はどこか」といった連絡が多く来ました。その時に、私だったらこうした相談ごとに対応できる情報発信ができるのではないかと、勘違いかもしれませんが、そう思い始めたんです。
そこでフェイスブックでママ向けの情報を発信することを始めました。ただ、フェイスブックでは情報検索などができず、使い勝手が悪いと思いポータルサイトを作ることにしました。情報誌や広告を作る会社では女性社員が結婚、出産を理由にやめる人が多いので、社内に「ママ事業部」を作り、ママ向けの情報発信をするとともに、そうした女性たちがキャリアの断絶にならにようにしようと思ったんです。
でも、なかなかその思いは会社に伝わらず、最終的に自分でサイトを立ち上げました。無料ホームページ作成ツールを使って作ったものが、ママスキーの第一歩となりました。
Q そこから本格的にママスキーの事業をスタートした?
2014年3月にママスキーを開設しました。30歳になる年での起業ですね。それで10月に初となる自主主催イベント「mamaskyハロウィンパーティ」を富山市婦中ふれあい館で開いたんです。家族で楽しめるマルシェのイベントで色々な人に出店してもらい、600人くらいが来てくれました。2015年5月には屋外で規模を大きくして「mamasky party」を開催した際は2000人が来てくれました。その後、少しずつ問い合わせが増えましたね。
ただ、当時は平日に会社員をして、週末はママスキーのイベントをこなす日々。ママスキーでの活動が目立ってきた頃、会社の同僚から「どちらを優先するかけじめつけた方が良いんじゃない」と言われて、起業を考えるようになりました。
そんなときに一緒にママスキーを手伝ってくれていた松本が「ママスキーのみでやっていきたいから仕事を辞める」と言ってきました。私は勤め先の仕事もすごい好きだったので、葛藤もありましたが、松本がそこまで言ってくれるのだったら、松本を幸せにしてあげないといけないという気持ちになりました。雇用形態もパートに変えてもらい、ママスキーとの両立も考えてみたけれど、ある日の朝「仕事を辞めよう」と決意しました。
Q 起業を後押ししたのは?
親としての使命に近いかもしれないですね。元々が情報発信したいところから始まって、ママスキーをちゃんと事業としていくと決めたときに初めて少子化について調べたんです。
子供の数はこの数十年間で半減している。ということは、これから先さらに半減するかもしれないと考えたとき、例えば私が人生で100人の人に出会えるとして、私の子どもが大人になるときには出会える人が半分になるかもしれない。子どもに人に恵まれた人生を歩んでほしいと思ったときに少子化対策を何とかしなければいけないと感じました。
ママスキーは仕事だと思うのですけど、親としても果たしたいこと。使命感の方が大きいですね。
Q 起業に不安はありませんでしたか?
不安はありましたが、最初に人を雇って事業を始めたことは良かったと思っています。男性よりも女性の方がメンタルの浮き沈みがある生き物だと思うので、イライラしたり落ち込んだりしたときに、すぐそばに聞いてくれる仲間がいることはかなり心強かったです。
Q 多くの母親と関わってきて、どのような相談が多いですか?
ママ向けのイベントは規模もさまざまですが、年200回ほどで、2~3日に1回は必ずイベントを開催していて、参加者は富山市内在住の人が多いです。
そうした中で、最近聞く悩みで多いのが「保育園に入れない問題」。あとは「学童保育の情報がなくて不安」という声ですね。
ただ、口に出さないだけで本当に多いのは「ママの体が休まらない」ということだと思います。仕事もして家事もして育児もしてというママが当たり前になりすぎていて、本来解決しないといけない問題だと認識しています。いまだにパパがママに「オムツ替えて」と言ってくる家庭があります。
こうした子育てを含めた家事は夫婦で話し合い、分業することが大切。わが家はそこをしっかり分業してます。基本的に料理に関することは私、それ以外は夫。掃除はお互いで気が付いたら行うという感じで、子供の連絡帳のチェックなども夫がします。やはりママが当たり前に子供のことを全部やるとなるとママに負荷がかかってしまう。
Q 県外から富山に来られたママの悩みも多いののでは?
イベントに来るママたちの2~3割は転勤などを理由に県外からの富山在住者のような気がします。そうしたママたちからは「頼り先がない」という声が特に多いですね。
障害児のママたちの交流会で、手術を受けた児童が2カ月保育園に行けないことを園側に伝えると、退園させられると悩みを訴えたママがいました。そうした声を県や市の担当部局、議員の方々にも届けて、対応を考えてもらうようにしています。
Q ママたちが子どもと一緒にくつろげる「ママスキーハウス」を作った
女性ってストレス発散のひとつに、しゃべるとスッキリするっていうのがあるんです(笑)。子供が小さい時はママが友達とご飯を食べたり、おしゃべりしたりするのも一苦労で、不満が残る。
そうした不満を解消できる拠点としてママスキーハウスを作りました。「ママたちの第二の家」という感じで、ママたちが気軽に訪れて子供を横目に「女子会のようにワイワイできる場所があったら良いよね」という声もあり作ったんです。
入場料制で大人は1人500円を払っていただければ、冷蔵庫のジュースなども好きに飲めます。
Q 2019年4月にはママスキーを法人化し、株式会社となりました
色々な方からNPO法人(特定非営利活動法人)や一般社団法人の方が事業の色と合うのではないかと言われましたが、「営利を追求しながら、ビジネスとして成り立たせたい」という意地がありました。
やはり事業を支えてくれているスタッフに恩返しするには給与(を増やして支払うこと)が一番分かりやすい。それをするためには、やはり事業規模を大きくさせて、利益を上げることを考えなければいけない。出た利益で地域や社会に返せるものあると思っています。
ボランティアや非営利の方が何となくきれいに見えるかもしれないのですけど、それでは世の中が何も変わらないと思う所もありました。
Q ママスキーの主な収益源は?
売り上げではイベント企画料が一番大きく、全体の約6割を占めている。
だから、新型コロナウイルスが感染拡大した2020年4~5月はイベントが一瞬ですべてなくなり、この世の終わりかと思いました。1000万円近い売り上げを予定していたので。手元にあるキャッシュで会社がいつまで持つか計算して、銀行にも相談し、融資も受けました。本当にヤバいと思ってバイトしようかとも考えたけれども、バイト先も無いんではないかと、本当に大変でしたね。
それこそ、コロナ前の2019年10月にママスキーと日本海ガス絆ホールディングスとが資本提携できていたことにも本当に救われたと思います。
Q U・I・Jターンで県外から富山に来て生活する女性が少ない。ママ目線で富山に来ることを迷っている女性を後押しするアドバイスを
私は楽観的な考え方をする方なので、「何とかなるでしょ」と思い込むのが一番かなと。極論、富山に来て合わなければまた戻ればよい。少しでも富山の暮らしが気になるのであれば、一度、実際に生活してみるべき。一生の賭けのように重く考えない方がよい。違うなと思えば、またやり直せるわけなので。
ただ、県外に住む友達に聞くと、「富山に自分のやりたい仕事がない」と良く言われます。確かに就職するにしても起業するにしても手段や選択肢は大企業が集積する東京に比べると少ないかもしれません。新しいことを始めて目立つ人に対する「出るくいが打たれる」風習も感じます。私もママスキーを始めた頃には「パトロン的な人がいるのではないか」とすごい言われました。
マイノリティーへの偏見も富山には残っているところもあり、自由に生きられないイメージもあるのかなと。「富山の閉塞感に耐えられない」と悩んだ女性のツイッターが一時盛り上がっていたのですけど、良くも悪くも身内感もあるとは感じますね。
Q ママスキーを今後、どのようにしていきたいですか?
今は富山県と少しだけ石川県でも事業を展開していますが、今後は全国にママスキーを広げていきたい。転勤で富山県外に引っ越したママから、「ママスキーがなくて寂しい」といった連絡があると、対応したいと思っていました。
子育てを楽しんで、やりたいこともやる自己実現もできるママたちを増やしていきたい。そうしたママの姿を次の世代にしっかりと見せていきたい思いがあります。
でも、富山県の幸福度は高いといわれるが、富山のママたちの不満はいっぱいある。よくよく考えると世界の幸福度と比較すれば日本そのものの幸福度はそれほど高くない。日本の幸福度を上げられなければ、ママたちもハッピーになれない。
そう考えると、よりスピード感を上げて全国展開しないといけないと思いました。ママスキーを全国に広げ、日本の幸福度ランキングをトップ10入りできるよう引き上げたいです。
Q ちなみに「ママスキー」という社名の由来は?
一応ウェブサイト上には、「ママがママ自身がママである自分を好きだと思う気持ちと、子供たちがママのことを好きだよって言ってくれる気持ちを込めました」と紹介しているのですけど、実はそれは後付けの理由なんです。
私は吹奏楽部でクラシックを演奏していて、「チャイコフスキー」の曲も弾いていたのですが、そこからインスピレーションを受け、NHKのEテレの番組に「オフロスキー」というキャラクターもいて、ママスキーという名前でいけるなと思って。なので、mamaskyの〝sky〟はTchaikovsky(チャイコフスキー)のskyから頂いていて、そのせいで「ママスカイ」と読まれることもあります(笑)。
(取材日:2021年7月)