八尾に移住したバイタリティー女将の驚愕突破力!

原井紗友里さん オズリンクス代表

富山市八尾町で明治時代の蔵を改装したちょっと不思議な宿「越中八尾ベースOYATSU」を運営するオズリンクス代表の原井紗友里さん。県外や海外で生活する中で、故郷・富山の豊かさを再認識し、地元のために一念発起。今では宿やカフェの運営だけでなく、古着の着物をリメークして洋服にした独自ブランド「tadas(タダス)」を国内外で販売する。そんな異質でグローバル感覚を持つ女性起業家にUターン起業の思いを聞いた。



 

Q Uターンをしようと思ったきっかけは?

富山高校を卒業後、東京の大学で国際教育を専攻して4年間学び、その後に中国・青島の日本人学校で教員として4年間働きました。

働いているときに1度、久しぶりに富山に帰ってくる機会があったのですが、その時に富山の暮らしがすごい〝美しい〟〝豊か〟だと感じたんです。自然や食の幸にあふれている。富山の人にとって当たり前が特別だと気づきました。

高校時代は「絶対に富山を出る」と思っていたけれど、8年間富山県外で暮らし、戻ってみて故郷を見直しましたね。

 

Q そもそも、なぜ富山を出たいと思ったのですか?

中学生時代に国境なき医師団に所属する山本敏晴さんの著書「世界で一番いのちの短い国」を読んで感銘を受け、将来は医者になりたいと思っていました。グローバルな視点で医療活動に従事するとゴールを決めていたのですが、なかなか医学部への進学は難しかった。

そこで医学部ではないと考えたときに国際教育に興味があり、教育学部に進学したんです。もともと富山を出て、世界で働きたいみたい思いがありました。

 

Q 実際に県外で生活してみて感じたことは?

東京はすごく「空が高く、広い」と感じましたね。

富山って曇りの日が多いので、青空が突き抜けているという印象でした。

あと、東京の不動産会社で出されたお茶がものすごくまずくて変な水の臭いがしたり、シャワーの水でシャンプーが泡立たないことには衝撃を受けました(笑)。

一方で、子どもの支援活動を行うNPO法人(特定非営利活動法人)のセーブ・ザ・チルドレンでインターンを経験したり、社会人との出会いも多く、刺激的なことも多かったです。

Q 富山での起業はいつ頃、思い立った?

もともと起業家精神があったわけでなくて、中国駐在時代に色々なビジネスマンやグローバルに働く仲間たちと話をするうちに教育分野でなく、ビジネスをしてみたいなと思うようになったんです。

あと、自分の働いている職場環境の中で、「こうなりたい!」という女性がいなかったんですよね。

会社に属していると、なかなか自分のやりたいことができない葛藤もありました。

そんなときに、ちょうど北陸新幹線が開通して県外や国外から多くの人が富山に流れてきた。富山の本当の美しさや豊かさを知ったからには、わざわざ富山に来てくれた人に本当の富山のよさを感じてもらえるような観光を軸にした事業をやりたいと思い始めたんです。

 

Q 起業に向けて、どのような準備をしましたか?

コンサル会社を1年勤めて退社し、県主催の「とやま観光創造未来塾」を受講しました。私は当時新設された観光のグローバルコースの1期生として2015年7月から半年間、岐阜県飛驒市の古川町で研修し、観光ビジネスに関するスキルを学びました。

そこで、海外の方がどのようなものに感動するかを探ったときに、特別な観光スポットではなく「日常的な生活や風習」に面白さを感じてくれることに気づいたんです。観光資源がなくても、どのようにプロモーションをすれば人が来るかを考えるようになりました。

 

Q なぜ八尾を起業場所に選んだのですか?

研修期間中には富山県内の色々な観光地を視察しましたが、八尾が良いなと思ったのは、やはり(300年以上続く民謡行事)「おわら風の盆」のステージを見たことですね。2015年7月の第四土曜日だったことを覚えています。第二、第四土曜日は通年でおわらのステージを見せる取組みをしていたんです。

ただ、とても素晴らしいステージだったのに、それを楽しんでいる観光客が本当に少なくて。八尾の町を散策しても本当に人っ子一人歩いておらず、「もったいない」と感じました。

八尾にはお地蔵さんが多くあるのですが、そこにちゃんと花が添えられ、地域の人が手を合わせている様子を見たんですね。家の玄関や格子戸に花を飾るといった四季を感じられるような風習もあり、暮らしの豊かさみたいなものがピカイチですてきだなと思った。

あと、八尾の山田宿坊の棚田の美しさを見て、文化だけでなく自然の豊かさも知り、八尾で起業する気持ちが大きく傾いていきました。

また、ある新聞記事で私のことが取り上げられていて、「未来塾卒業後は八尾か岩瀬で創業予定」と紹介されていたことを八尾の商工会の方が読んで、私に直接アプローチしてくれたことに縁も感じました。

そうした経緯もあり、2016年1月にオズリンクスを立ち上げました。28歳の頃です。そのコンセプトは「富山の宝を見つけ、守り、その宝の魅力を世界に発信するエキスパートとなる」です。



Q 蔵を改装して宿泊業を始めたきっかけは?

観光拠点と自分の城を持ちたいと思っていて、物件を紹介してもらう中で見つけました。明治5年建造の蔵で、もともとは紙問屋をされていた家族が住居兼店舗として使っていたと聞いています。2階では養蚕をやっていて、残っているタンスには家族の名前などが残っています。この蔵ほど「もったいない感」がある物件はなかった。

八尾は和紙と養蚕で栄えた土地で、関西商人との交易地でもあった。昔も今も新しい人とモノが集まる場所になったら良いなと思い、この蔵を拠点とすることを決めました。

 

Q 八尾で起業するにあたり苦労はなかったですか?

私、かなり鈍感なのかと思ったりするのですけど、苦労していないんですよね(笑)。嫌われることを恐れていないというか、外野から何か言われても「別に」というところがある。

ただ、八尾も伝統的な町なので、新しいことをやろうとしている私のような女性に批判的な声もあったみたいです。

私の耳に入ってこなかったのですけど、その裏では街の大御所のような人たちが壁となり梅雨払いをしてくれていて、本当に感謝しました。

私はすごく両親に愛されて育って、自己肯定感が高く、どんな敵がいたとしても家族が承認してくれればそれでいいと思える強さがある。

それで、実際に会社を作ってみて、スタッフだったり家族だったり、守らないといけない大事なものができたときに、彼らが私の気持ちを理解してくれたら大丈夫。だから、辛いと思ったことはありませんね。

でも、街の人の目が気になる人は嫌な気持ちになるかも。以前、男性のお客さんを車に乗せて街中を移動していたとき、翌日には近所の人に「あんた、彼氏できたんけ?」と話しかけられた。どこでも監視の目があるような感じはあります。私は別に気にならないのですけど(笑)。

 

Q そんな状況に耐えられない人は多そうです

みんなから好かれようとしたらうまくいかない。私は〝鋼のメンタル〟で乗り越えられた。

でも、続けられたのは起業1年目でNHKで放送している「鶴瓶の家族に乾杯」という街歩き番組で、偶然、八尾にロケに来られていた(笑福亭)鶴瓶さんに出会えたことがすごく大きかった。

あの時に鶴瓶さんから「縁は努力」という言葉を頂いて、今ある縁を大事にすることで、次の大切な出会いにつながっていくということを教えてもらった。

やはり目の前にいる方に対して自分の最大限のパフォーマンスをすることで、この街で縁が広がっていくのだと思いました。

 

Q 起業して6年が経過して変化はありますか?

2018年から着物のアップサイクル(不用品に付加価値を与えて再利用する)を始めました。これも鶴瓶さんの番組で着物の着付けをやっていることを紹介したら、全国から「もしよかったら使ってください」と古着物が沢山送られてきたことがきっかけですね。

それで何かできないかと思ったときに、母が着物の生地を使ってジャケットを作ってくれたんです。2カ月に1回ほど商談などで香港やシンガポールに行くことがあったのですが、売るつもりで持ってきた商品よりもこのジャケットの方が反響が大きくて。「これはいけるかも」と感じて、すぐに八尾で店舗用の物件を買って、始めました。

アパレルブランドに携わっている人や家政学科卒業の人などをいろいろと紹介もしてもらった。こうした立ち上げたブランドが「tadas(タダス)」です。「やりたい」って強く言えばかなってくれるのだなと思いましたね。

新型コロナウイルスで観光客が激減したこの1年、こうして事業を多角化していてよかったと思います。

Q 縁がありますね

OYATSUには海外からのリピーターもいるのですが、あるマレーシアの家族が来られたときに着物の着付け体験をされたのですが、小学生の娘さんが着られる浴衣がなかったんです。そしたら近所のおばあちゃんが「孫のだけれども、使って」と提供してくれました。困っていることに助けてくれる方たちが周りにいるんです。

そういう意味では、八尾に住んで一番良かったことは子育ての面かな。人と人との距離が近い。そういう距離感の近さにストレスを感じる人には向いていないけど、私の娘はこの町の人たちに育てられていると思っています。


Q 娘が生まれて価値観も変わりましたか?

家族ができて、自分の大事なものが増えて、鋼のメンタルがダイヤモンドぐらいに固くなった。八尾によそ者としてきて、事業を通して「八尾を守りたい」と思っています。

おわらの踊り手は、この街で生まれ育った25歳以下の未婚の男女しか担えないのですが、私の娘がそれを担える未来があることがすごく誇りでもあります。この町にちゃんとおわらが紡がれて、私がおばあちゃんになったときの娘のおわらが楽しみです。


Q どのように八尾を守っていきたい?

守るという言葉自体は重いとは思っているのですけど、私なりの守り方をしたいと思っている。例えば着物の文化を守るというのは、タンスの中にずっと着物を入れて保存しておくことではない。少し違った角度からこの技術を紡いでいくために、新しい挑戦をし続けることで文化は守られると思うんですね。

別におわらの形を変えていくようなことを言っているつもりはないのですけど、私なりに事業を通してこの町での雇用創出や交流人口、消費を増やすことを手伝うことで守ることができると思っていて、そこは、自分の意志として伝えています。

創業したときからこだわっていたのは、域内消費を上げる事業デザインにすること。例えば、OYATUでお茶を出すときも必ず町のお菓子屋さんから、食事を出すときは町のおすし屋さんから出すようにして、お客さまから頂いたお金を地域に還元するように心がけています。

それでもコロナ禍でおわらが中止になり、おわらに頼っていた宿や飲食店が潰れていく様子も散見されました。やはり、圧倒的に守るためのプレーヤーが少ないと感じています。

Q 原井さんのような女性プレーヤーがなかなか増えていかない

独身キャリアでバリバリ働く女性を異質なものとしてみる空気感や、多様な生き方を受け入れられないムードが富山にも漂っている。

1人だったらそう思われるかもしれないけれど、色々な働き方をする女性を増やすことでマジョリティーになっていったらいいなぁと。そういう人たちが働きやすい環境づくりは意識改革が必要になる。

変えていかないといけないのは、50代以上の富山から出たことのない男性たちの意識かな。とは言うものの、私は意識改革をするよりも先にマイノリティーをマジョリティーにしていくことが重要だと思っている。スマートフォンの利便性を知ってもらうには、多くの人に一気に配って使ってもらうことが早道のように、異質で新しいプレーヤーを一気に受け入れていけば意識も変わっていくと思います。

八尾のような町に女性が一人で来るとなると精神的にも疲れるとは思うんですよ。家族で移住すればハードルは低いし、町の人も手を挙げて受け入れてくれると思います。八尾に住みながら他の場所で働くのも良いですね。

富山移住に迷っている人がいれば、ぜひ、OYATSUに来てください。一助になりますので。


Q 将来、挑戦したいことや夢などはありますか?

「tadas(タダス)」を世界最大級のファッションショーである「パリコレ」で披露したくて、これは近い将来に絶対にかなえたいと思っています。2019年には富山市で開催された東京ガールズコレクションで、モデルの中条あやみさんがタダスの洋服を着用して、ランウェイを歩いたんですよ。

(取材日:2021年7月)

 

越中八尾ベースOYATSU

tadas