様々な土地に住んだ中で 終の棲家に立山町を選んだ理由とは
佐藤みどりさん NPO法人立山クラフト舎・陶芸家様々な土地に住んだ中で 終の棲家に立山町を選んだ理由とは
佐藤みどりさん NPO法人立山クラフト舎・陶芸家子育てを機に、夫婦で埼玉県から富山県に移住した陶芸家の佐藤みどりさん。雄大な立山連峰が目前に迫る立山町で暮らしながら、コロナ前にはは1万5000人が来場する県最大の工芸品の展示・販売イベント「立山Craft」を運営するNPO法人の代表も務めています。そんな充実した富山生活に至った経緯や現在の生活実態、さらには富山に対する不満点も含め、包み隠さず語ってもらいました。
Q 佐藤さんが富山に移住しようと思ったきっかけは?
子育てをするなら田舎がいいという思いで、2012年に富山県主催の移住ツアーに参加しました。その時に訪れたのが、地域おこし協力隊として入ることになった新瀬戸地区でした。実は立山町の新瀬戸地区は、私が陶芸を学んだ愛知県瀬戸市に由来のある「越中瀬戸焼」がある陶の里でした。つながりがあったんです。そうした縁もあったところ、立山町の役場から後日、「新瀬戸地区で地域おこし協力隊に参加しませんか」と連絡をいただきました。このオファーがなければこんなにすぐに富山への移住にはつながらなかったですね。主人も転職を考えてたタイミングだったので、主人も富山で職を見つけて家族で移住してきました。
Q 立山町で暮らす決め手となったのは?
陶芸作品は、制作する環境が作品に表れると言われたことがあります。ビルの中の小さい部屋で作る作品と、自然豊かな風景の中で作る作品はやはり違うと思っていて、私としては(富山のような自然豊かな 環境が作品に表れたら良いなと思っています。
そういう意味では、やはり決め手は〝立山連峰の雄大さとのどかな田園の風景〟。これまで色々なところに住んだけれど、立山町のような風景のあるところはありませんでした。あと、海があり開けている分、四方を山谷に囲まれてる地域と比べて気持ちの逃げ場がある気がします。
また、本気でモノづくりをする作家さんが近くにいたことが一番大きいですね。結婚して埼玉に3年間暮らしたのですけど、窯産地の愛知の瀬戸には日常にあった作家さんとのかかわりが一切なくなって、モノづくりの環境に飢えていました。笑
Q 幼い時の震災体験も田舎暮らしを後押ししたとか
(1995年1月17日に発生した)阪神淡路大震災を小学生の時に経験していて、家は全壊したんです。東日本大震災直後くらいに埼玉で暮らし始めたのですが、そこでは頻繁に地震があり、漠然と不安みたいなものは常にありました。いくら備蓄していても災害時に、子供と私だけだったらどうなるんだろうとか考えました。
けれど、そういう不安はここに来ていつの間にかなくなりました。お水もめちゃめちゃ美味しい湧水があり、ご近所さんがお米を作られているし、畑で取れるお野菜もある。薪ストーブで煮炊きも出来る。用水が流れているからトイレの水も流せます。
Q 地域おこし協力隊として来られた中では、どのような活動をされてきたのですか?
富山に来る以前、私は陶芸の活動の中でクラフトフェアという野外で工芸品を展示・販売するイベントにこれまで出店していたんです。そのイベントの雰囲気と、移住を考えている人たちの雰囲気って結構似ていて、ある時、クラフトフェアは地域活性化に繋がるのではないかということに気づきました。私に出来る地域おこしはこれしかないと。
それが隊員になって7ヶ月後で、そこから本気でクラフトフェアの開催に向けて動き始めました。実行委員を立ち上げ、Facebook作り、ホームページ作って、作家さんに声掛けをして、出店が決まった方から順次作家さんをアップしていくような形でご紹介していきました。
約半年の準備期間。動き始めた時は来場者数1000人の目標だったのですが、結果、2日間で約8000人が来場されました。
Q 成功した理由は?
よく聞かれるのですけれど、良い作家さん集めに成功したことと、SNSが流行りだしてた頃で、たくさんの人が情報を拡散してくれたこと。いろんな要素を持ち寄ってくれたメンバーのおかげ。そして、自分の得意な分野に全力で力を注げたことかなと思っています。
Q 新しい環境に慣れるのは大変ではなかった?
子供もいる中で、主人のサポートがなかったらこんなに大きなイベントはできなかったと思います。あとは、悩んでいるときに主人や知人が客観的な意見を言ってくれたことがありがたかったです。
Q 移住するにあたりどのような準備をしましたか?
特別準備はしていませんでした。私達の住む場所では車は一人一台必要なので、移動のために車を買う必要がありました。また、移住後に購入した家は工房になる大きな納屋がついていて、母屋も立派で、日本庭園も素晴らしいのですが、建物の耐震基準が今の基準より前なので、建物の資産価値はゼロ。坪単価2万円なので。約300坪で土地や畑も含めてトータル600万円くらいです。神戸で家を準備しようとするのと桁が違って、ハードルが低く家を購入できた感じです。家事情は来て分かったことですけど(笑)
家の状態も良く水回りは綺麗だったので、内装は漆喰を塗ったり、綺麗な床板を張ったり、自分たちでリノベーションをしました。
Q 地域の生活に順応するには大変なこともあったのでは?
山の方の集落なので、地域の集まりは年配の男性が中心です。社会的には女性が入っていける環境をもっと作ろうという流れですが、良い意味でも悪い意味でも日本の昔が残っている土地なんだなと感じました。
あと、台風や地震などの災害が少ない県ではあるのですが、この地域は春になると立山からの吹きおろしの風がものすごいことがあります。一度、スライドする外付けのガラス戸や屋根瓦が飛び、保険のありがたさを知りました。
Q 地域住民との関係性をどのように築いていった?
最初は、地域おこし協力隊の任期が終われば、どうせ地域から出ていってしまう人なんだろうという感じで私は見られていたと思うんですけど、立山クラフトの成功と、家を購入したことで地域の人の見方が一気に変わった気がします。
そして、ここでの暮らしぶりを地域の方はちゃんと見てくださっている事を実感しました。とても良くしていただいています。
今後、私は地域で新たに活動していこうという方と地元住民との接着剤になれたらいいなと思っています。
Q 関係性を築く上でのコツは?
どこの県でも、どこの地域でも、誠実に暮らしていたら大丈夫じゃないでしょうか?
合う場所、合わない場所はどこでもあるとは思いますが、富山でも感覚が合う人はきっといると思います。
いろんな場所に出て、自分の心地良い場所探しをしてみたら良いと思います。
Q 移住してきて地域にどのような変化がありましたか?
私が住む上東地区は、4つの小学校と1つの中学校がありましたが、順に廃校してていき、2019年、地区から全ての学校がなくなりました。
しかし、近年は新しい動きがこの地域にも出てきています。2020年に は美容と健康の複合施設「ヘルジアン・ウッド」と、旧谷口小学校を活用したIT施設「谷口集学校」が生まれ、2021年にはドンペリニヨンの元醸造最高責任者がつくる酒蔵「白岩酒造」が完成します。新たに始まったE-バイクで巡る秘境(歴史)ツアーも魅力的です。
すこしづつ、この土地に魅力を感じる人口が増えてきている実感が湧いていて、これからの上東地区がとても楽しみです。
Q 富山への移住を考えている女性にどのようなアドバイスを送りますか?
子育て中の方は、県内に親族がいないことの不安はあるとは思いますが、ファミリーサポートなどの支援制度もあります。次男を出産したときも、長男の保育園の送り迎えをお願いしました。また、保育園も大きな味方です。上手く活用すれば新天地でも安心して子育てができると思います。
(富山で何かを始めようと思うならば)都会の感覚を持って挑めば、きっと、道は開けると思います。都会にあって富山にないものっていっぱいあるので。最初は新聞やテレビで取り上げてもらい安いです。
Q この先、チャレンジしたいことはありますか?
チャレンジ…。何も考えていなかったですね。チャレンジはしばらくいいです(笑)。今、チャレンジ中なので。家などの環境を少しずつ整えているので、全部整ったら何かしようかなと思うかもしれないです。畑とかまだ中途半端で、庭の手入れとかもうちょっとちゃんとしたいですし。
Q 都会の生活に戻りたいと思ったことはありませんか?
一切思っていないです。コロナ前は2カ月に1回くらいは神戸に帰っていたのですが、(住宅街に)びっちり家が埋まっているのを見ると「はぁ~」って(息苦しさを)感じました。私には今の環境の方が合っています。今はなんでもネットで買えますし、出会いたい人や作品には立山クラフトで出会えますし。
(取材日:2021年7月)